「ほら、何とか言えよ」

言いながら、敦の腹に蹴りを入れる。
敦は苦しげに眉をひそめるが、うめき声も上げなかった。
でかい図体を情けなく丸めながら、ただ耐えていた。

「ち、つまんねえの」

イラついて、もう一度蹴りあげる。
今度はさっきよりも強く蹴りあげたが、やっぱりうめき声一つあげなかった。
くそ、つまらなねえ。

顔を拳で殴りつける。
殴られ慣れている敦は歯を食いしばって、痛みに耐えている。
やはりつまらない。
鼻を殴りつける。
がつりと音がして、鈍い感触がした。
前に一度折れたことがある鼻は治った後、より高くなったようだ。

敦が小さく呻き声をあげる。
鼻から血が溢れる。
顔が赤く染まる。
鼻から口に入ったらしく、ゲホゲホと汚らしく咳き込みながら顔をしかめる。
俺より10センチ近い背丈を丸めて、弱々しく目尻に涙をためる。

「きったねえな、このゴミ」

それを見て、ようやく少しだけ満足する。
けれど、やはり敦の目は、何も映していなかった。

そしてその目を見て、俺はまた苛立ちを募らせるのだ。



***




敦と俺はいわゆる幼馴染という奴だ。
小さい頃は犬コロのように一緒に駆けまわって遊んだ。
楽しくて楽しくて、日が暮れるのに気付かないぐらい、夢中になって遊んだ。

それが、いつからだろう。
敦が俺から離れていったのは。
距離をとって、遊ばなくなって、話さなくって。

一番の友達だと思っていた。
親友だと思っていた。
大人になっても、ずっと一緒だってそう信じていた。
それなのに敦は、俺から離れていった。
俺は必死で、敦にすがりついた。

「なんだよ、敦、なんで俺のこと避けるんだよ!」
「………いいから、放っておいてくれよ!」
「敦!」

敦は笑顔をなくし、表情をなくし、俺を冷たい目で見る。
なんでいきなりそんな冷たくされるのか、分からなかった。

楽しいゲームを一緒にしようと言った。
裏山に遊びに行こうと言った。
レアなカードをあげるといった。

それでも敦は鬱陶しそうに、俺を見るだけ。
眉をひそめて、汚いものを見るように俺を見るだけだった。
いきなり何歳も年をとったような大人びた態度で、俺を馬鹿にしていた。

「おい!少しくらい、理由ぐらい言えよ!」

たまらなくなって、一度敦の顔を殴った。
その時、敦は驚きと痛みで顔を歪めた。

「………あ」

久々に、敦の表情を見た。
冷めた目で、無表情に俺を見るのではない。
本当に、ずっと、見たかった、敦の表情だった。

「………そっか」

ああ、殴ったら、声を出すのか。
表情を見せてくれるのか。

だったら、もっと殴ったら、敦はもっと表情を見せてくれるだろうか。



***




最初は、ちょっと小突いたりするぐらいだった。
けれど、それに慣れると、また敦は表情を無くす。
そうすると、また俺はつまらなくなる。

だから、エスカレートさせていった。
平手は、拳に。
一発は二発に。
二発は三発に。
三発は四発に。

そして数えきれない暴力に。

顔を腫れあがるほど殴った。
角膜に傷がついて、敦の視力がずっと落ちた。
歯が折れて、口から血が溢れた。
内臓が痛んで、熱を出して、学校を休む。

けれど敦は、それにも慣れてくる。
だから俺はまたそれをエスカレートさせていく。

物を隠して。
捨てて。
壊して。

ああ、お母さんから買ってもらったというキーホルダーを川に投げ捨てた時はよかった。
あの時の、あいつの顔。
切望に染まって、声を上げた。
あの無表情な敦が、叫び声をあげた。
それがとても楽しかったことを覚えている。

あの時は、ほんの少しだけ罪悪感を覚えた。
あいつのお母さんは、すでに死んでいた。
その、形見の品だった。

だが、俺は悪くない。
敦が、すべて悪いのだ。
あいつの引き攣った顔と、叫び声に、罪悪感すら快感で。
蹲るあいつを殴りながら笑った。
あの時は、本当に楽しかった。

その後は、敦は何も持ってこなくなったし、何を捨ててもなんの反応も示さなくなったが。

俺の親父は、この町の権力者で俺のやることに口出しする奴はいない。
その上、敦の親父は俺の親父の会社で働いている。
俺が一言なんか言えば、簡単にクビになるだろう。
だから敦も、黙って俺のオモチャになっている。

誰もあいつに話しかけない。
唯一の肉親すら、助けてくれない。

一度手下に、あいつの友達のフリさせて悩み相談とかさせたこともある。
そいつに心を開いて、手紙とか書かせて、それをクラス中に全公開。
顔を真っ青にしたあいつを、クラス中で嘲笑ったっけ。
特に、友達役だった奴に、罵らせてリンチさせた時のあいつの顔はなかった。
あれもめちゃめちゃ笑えた。

それから、あいつはますます無表情に、無口になっていった。
最近ではもう、何をしてもなんの反応も返さない。

敦と話したのは、いつが最後だったっけ。
俺が殴っても、罵っても、なんの反応も返さなくなった。

ああ、あれが最後か。
一年前の、夕暮れ。
真っ赤に染まった、河原。
ぼっこぼこにして顔中を痣だらけにしたあいつに、問われた。

「………原口、お前、何したいんだ?」

その問いに、俺は一瞬言葉を呑む。
夕日と、あいつの流す血が一体化して、目が眩むほど赤かった。
もぞもぞとした感情が、胸の中を這いまわる。
俺は、なんで、敦を、殴るんだろう。
少し考えて、正直に答えてやった。

「………お前が、泣きわめいて、顔を歪めるところが見たいから」

敦は腫れた目を冷たく細めた。
そして、諦めたように切れた口を拭って、溜息をついた。

それがムカついて、俺はまた敦を殴った。
もやもやした気持ちが消えないまま。



***




「おい、明弘、お前木村のところの息子をいじめてるそうだな」

夜遊びから帰ってくると、珍しくリビングには親父がいた。
これまた珍しく話しかけられる。
なんだよ、俺のことなんて、これっぽっちも興味がないくせに。

「………なんだよ、急に」
「ほどほどにしておけよ。殺しでもしたら厄介だからな」

親父は俺以上に、非情で狡猾だ。
別に俺がいじめやってようが、暴れていようが、金がかからず問題にならなきゃどうだっていい。
人として最低の部類。
人を蹴落とすのも、傷つけるのもなんも感じることはない。
油ぎった汚ねえ成金。
まあ、その恩恵にあずかってんだから、文句はねえけどな。

「分かってるよ」
「まあ、ムカつく気持は分からないでもないがな。あいつの女も、当てつけに自殺なんてしやがって」
「は?」

なんの話か分からず、俺は二階に行こうとしていた足を止める。
振り向くと、親父は酒を飲みながらぶつぶつと愚痴をこぼす。

「少しいい女だと思って遊んでやったら、人のマンションで首なんて吊りやがって。後始末がどんだけ大変だったと思ってんだ」

頭が真っ白になった。
あいつの女って。
木村の、女、ということか?
それは、もしかして敦の母親の話か。
敦の母親が死んだのは、いつのことだ。
5年前、ぐらいだったはずだ。

そう、敦が俺から離れていった、あれぐらいの、ことだった。
ということは、どういうことだ。

親父がなおもぶつぶつ言っているのを無視して、俺は家を飛び出した。
なんだ。
どういうことだ。
敦が、俺に冷たくなったのは、そういうことだったのか。
つまり、俺の親父のせいで。
ああ、だめだ、何も考えられない。

どうしたらいい。
どうしたらいい。
どこへいけばいい。

混乱を抱えながら俺は敦の家まで走る。
昔は、何度も何度も一緒に歩いた、懐かしい道。

「………あ………」
「…………」

もう少しで、敦の小さな家が見える。
けれどその前に、ひょろりと背の高い男が立っていた。
まだ制服のまま、痣だらけの顔で無表情にこちらを見ている。

「な、なあ敦!」

突然のことに驚いたが、俺は知らずに話しかける。
けれど、その後が続かない。
どうしたらいいんだ。
何もわからない。
頭が真っ白だ。

「その………」

今更謝っても、どうしようもない。
どうにかなるものでもない。
俺は、なんでこんなところまで来ているんだろう。
なんだ、あんなつまらない話で、今までのことを後悔しているのか。
後悔するようなことを、今までずっとやってきたのか。

「もう、うんざりだ」
「え」

知らず俯いていたらしく、地面の敦の影が視界に入っていたことに気付く。
久々に話しかけられたことに驚いて顔を上げると、敦がすぐ傍にいた。

「………あ、つし」

そのまま、一歩敦が踏み出して、体がぶつかる。
腹がいきなり熱くなって、俺は何がなんだか分からず、その場に膝をつく。

「え」

腹から、何かが生えている。
認識した途端、腹から全身に掻きむしりたくなるほどの痛みが広がる。

「あ、ああ、ああっ!」

痛い痛い痛い痛い。
腹を押さえて、どくどくと溢れて行く液体を止めようとする。
だが腹に埋まっているものは太く鋭く、ぽっかり穴をあけている。

「………は、はは」

敦が跪いた俺の顔を蹴りあげる。
俺は混乱したまま、その場に倒れこむ。
敦はそのまま俺の脚に乗り上げて、俺の腹に埋まったものを抜きだす。
腹の中がひっぱりだされる感触がして、俺は喉が潰れるほど叫び声をあげる。

「うが、ああああああ!!!」
「どうにでもなればいい。あっはははは!あはははははは!あははは!もうどうでもいい!どうだっていい!!!」

ざしざしと、音がして、腹の中が熱くなる。
何度も何度も、腹の中に、冷たいものが入ってくる。
痛みで、気が遠くなる。

「ざまあみろ!あはははは!!!あはははっあはははは!!」

甲高く耳触りな声が、頭の中に響く。
薄れゆく意識の中で、俺はそれを聞いた。
霞む目を凝らして、上を見上げると、敦は大声で笑っていた。

ああ、敦が、笑っている。

『お前、何がしたいんだ?』

敦の言葉、うっすらと蘇る。
ああ、わかった。
今分かった。

俺、きっと敦が笑うところが、見たかったんだ。
前みたいに、笑って欲しかったんだ。

「あははは、あは、あははは」

ああ、敦が笑ってる。
よかった。
また、笑ってくれてる。

なら、いいや。
それならいいんだ。

このまま、ずっと笑っていてくれたら、いいんだ。
できれば、また、一緒に遊びたいけど。
そうしたら、また、今みたいに、笑って欲しい。

「あははは、はははは」

敦の声が、聞こえる。
ずっと、聞きたかった敦の、笑い声。

俺は満足感に笑いながら、目を閉じた。





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