「はあい」
「こんにちは」

ノックの音に木製のボロい扉を開けると、そこにはよく見知った女が二人立っていた。
凹凸の激しい観賞にぴったりな体を、布地の少ない服で如何なく見せつける赤毛の女と、対照的に重苦しいローブで体の線を完全に隠した眼鏡で長い銀髪の神経質そうな女。

「よお、はるばるご苦労だな」
「本当よ、少しは感謝してよ」
「労わりの心が感じられませんよ?」
「いっつも感謝してるぜ?愛してるよシルヴィ、メルア」

いつものように軽口で返すと、二人は肩をすくめてため息をついた。
笑って、家の中に招き入れる。
二人暮らしの家だが辺鄙な場所だけに土地だけは広く、来客がくつろいでも狭くは感じない。
シルヴィが乱れた豊かな赤毛の髪を手で簡単に直す。

「まあ、あの子のバードドラゴンのおかげでだいぶ楽なんだけどね」
「あの子って、あいつはお前より年上だぜ?」
「でも、彼見てると年上になんて見れないんだもの」
「………同感です」

シルヴィとメルア、二人に言われて俺も返す言葉はない。
あいつが同い年とは、俺も思えない。

「彼は?」
「ああ、あいつなら今……」

言いかけたところで、裏手口の扉が乱暴に開かれた。
ボロいからそっとしろって言ってんのに。

「ねえねえ、カリス!あ、シルヴィ!メル!いらっしゃい!」
「ご無沙汰しています」
「こんにちはミト、はい、おみやげ」
「わあ!この前のケーキだね!僕これ大好き!」
「フルーツの蜜漬けも入ってるわよ」
「わあい!」

ケーキを受け取って、飛び上がって喜んでいる男は、確かに二十代後半には見えない。
見た目だけは図体もでかく美形なのに、本当に宝の持ち腐れだ。
ずっとあんな悪趣味なところに住んでいたせいか、ミトは精神がほとんど成長してない。
その上、ロクなもの食べてなかったらしく、簡単にシルヴィに餌付けされている。
ミトの中で、シルヴィとメルアは美味しいものをくれるいい人だ。
すっかり懐いてしまっている。

「ありがとうありがとう!元気だった?」
「ええ、元気よ」
「あなたもお元気そうでなによりです」
「うん、元気だよ。カリスもね、元気だよ」
「あいつは殺しても死なないわよ」

その言葉に、大きくため息をつく。
今俺が元気なのは、文字通り血のにじむようなたゆまぬ努力のおかげだ。

「本当に死にかけてるんだから、世話ないぜ」
「今度は何度死にかけたの?」
「もう数えんのも馬鹿馬鹿しくなってきた」
「………同情します」

メルアに沈痛な顔で同情された。
なんか余計に落ち込むな。
ミトがしょんぼりと、叱られた犬のように眉を下げる。

「………ごめんなさい」
「まあ、お前が努力してるってのは分かるから、いい」
「………うん」

言い争いをして、突き飛ばされて骨が折れる。
料理中に火打石を擦っていると、火ををつけてあげる!と言われて家を燃やしかけて大火傷。
水を汲みにいくのが面倒だといったら、家の中を湖にして溺れかける。

ミトと暮らし始めて、俺は何度死にかけたか分からない。
一応俺も、王都では名の通った魔法剣士だし、ミトが治癒術で治療してくれるから、まだなんとか生きているが。
落ち込んだミトを慰めるように、メルアは笑いかける。

「ミルトリア、バードドラゴン、ありがとうございました」
「あの子、役に立った?」
「ええ、5日かかるところが1日でひとっ飛びよ」
「シルバードラゴンだったらもっと早いよ?次あの子にする?」

その言葉に、二人の笑顔がひきつる。
シルバードラゴンはドラゴンの中でも最大級の大きさだ。
高価だが家畜として一応調教可能なバードドラゴンと違い、その気位も気性も力も一筋縄ではいかず、姿を見たら逃げろと言われている。

「やめろ、あんなの乗って王都を混乱に陥れるつもりか」
「………あの子いい子なのに………」

こいつに一から常識を教え込むのは、本当に疲れる。
この十年で、ますますぶっ飛んだ性格に磨きがかかっていた。
時折とんでもなく、俺何してるんだろう、って気になる。
俺を頭痛と友達している当の本人は、もらった菓子が気になってしょうがないらしい。

「ねえ、カリス、これ食べていい?」
「食べ過ぎんなよ。こいつらと飯も食うんだからな」
「うん!あ、お茶淹れるね」

そう言って台所にぱたぱたと駆けて行った。
本当に、図体だけでかくなりやがって。
また頭痛が増しそうなので、頭を振って考えるのをやめた。
苦笑していたかつての仲間に本題を切りだす。

「それで、メルア、頼んでたものはどうだ?」
「はい、こちらに。けれどミルトリアの力は把握しきれていません。どこまで抑えられるか、分かりません」
「分かってるよ。多少の抑えになればいいんだ。うっかりで俺を殺さない程度にな」

メルアが荷物の中から、美しい繊細な模様が施された銀の腕輪を取りだす。
よく見れば、その蔦を模した図案に見える装飾が魔術による方陣だと分かるだろう。

「呪いの魔術の応用で、魔力を抑える効果があります。普通の人間が身につければ魔力を吸われて動けなくなりますが、ミルトリアでしたら害はないはずです」
「なるほど。さすがメルアだ」
「まあ、私もついうっかりであなたが死んで国を滅ぼされても困りますので。でもお代は頂戴いたします」
「分かってるよ」

俺やシルヴィは魔術は使えるが、戦闘用である精霊魔術に特化しているため、魔具に使われるような言語魔術はさっぱりだ。
メルアは治癒師である同時に、優秀な魔具技師でもある。
使い方を聞いていると、ちょうどミトが人数分のお茶をいれて台所から戻ってきた。

「おい、ミト」
「なあに?」

首をかしげながら、お盆を机に置く。
最近覚えた料理やお茶淹れが楽しくてしょうがないようだ。
俺はメルアから受け取った魔具を放り投げる。

「これ、ちょっとつけてみろ」
「なにこれ、わあ、綺麗だね。あ、魔術がかかってる。へえ、アーパとセトの方陣を組み合わせてるんだ。面白いね」
「分かるのか?」
「うん。使用者の魔力の発動を感知して、その魔力を使って魔力を抑え込むのか。エーテル調整機能もある。すごーい」

持ちあげたり目の前に持ってきたり、光にすかしたり裏っ返したりして、ミトはサファイアの目をきらきらとさせながら楽しそうに腕輪を観察する。
そしてひとしきり確認して満足したのか、メルアに視線を向けた。

「メルが作ったの?」
「そ、そうです」
「へえ、すごいね!えっと、ここの誓言だけど、ここはアーパじゃなくてキルカの三月の誓言を使った方がいいかも。そうしたらアーパとセトの組み合わせが安定してより魔力を抑え込むことができる。調整機能も安定するから、術者の負担が減るよ」
「………え!ちょ、ちょっと貸してください」

いつも冷静で無表情なメルアが、珍しく焦ってミトから腕輪をひったくる。
眼鏡を直してじっとその腕輪を眺める。

「………す、ごい、こんな一瞬で……。この公式を王立研究院に提出したら………」
「………そんなすごいのか?」
「いえ、まあ、途中までは出来ていた公式なので、後一歩で辿りついてはいたと思います」
「なんだ、それなら」
「十年後ぐらいに」
「………」
「………」
「………」

続けられた言葉に、俺とシルヴィとメルアの間に沈黙が落ちる。
空気の読めない馬鹿は、黙り込んだ俺たちを不思議そうに見ている。

「あれ、どうしたの、みんな?」

いや、冷静になれ。
こいつが変人なのは、すでに分かっていたことだ。
それと一緒だ。
よし。

「いや、なんでもない、これ、お前のだ」
「え、僕のなの?」
「そんな力のある魔具だったら、お前のうっかりも少しは減るだろ」
「あ、そういうことか!」

メルアが腕輪をもう一度差し出すと、ミトは嬉しそうに受け取る。
そしてメルアの両手を取ってぶんぶんと振り回す。

「ありがとありがとメル!」
「は、はい」
「綺麗だし、これでカリスを殺さないですむね!」
「………笑顔で言うな」

こいつの場合、洒落にならないから怖い。
ミトは俺の言葉なんて聞かずにうきうきと腕輪を身につける。
魔力を放出させると、腕輪の方陣が金色に輝いた。
ミトが喜色を浮かべる。

「あ、すごい。かなり抑え込める。メルすごい」
「効果ありそうか?」
「うん、制御がすごい楽になりそう!」
「どれくらい抑え込めそうだ」
「うーんとね、すごい繊細な術も使えそう。ギリギリまで小さな力が使えそう」
「へえ。そりゃよかった。最大は普段の何割ぐらいだ?」
「うーん、それはちょっと分かりづらいけど、6割、ぐらいかなあ。さっき言った公式使えば4割ぐらいまで抑えられるかも」

4割か。
隠居生活しているとは言え、いまだに打倒魔王を掲げる馬鹿が現れたりもする。
俺がいれば俺が追い払うが、ミト一人にした時にどうなるか分からない。
また、同じことを繰り返すのはごめんだ。

「あんまり力がないってのも問題だな。4割ってどの程度の力なんだ?」
「えっとね、ここから隣の森まで吹き飛ばせるくらいかな」

さらっと言われた言葉に、俺たちはまた固まった。
隣の森まで、街一つ分ぐらいはあるだろう。

「………」
「………」
「………」

顔を見合わせ、しばし無言でお互いの腹を探り合う。
そして、結論が出た。

「ま、まあ、調整できるようになったならいいか」
「そ、そうね。普通の生活出来るようになるならすごい進歩よ!」
「逆にミルトリアを4割抑え込める魔具を造り出した自分がすごい気がします」

何も聞かなかったことにした。
気にしない方が心の平安のためだ。
ていうかまあ、今更あいつの変人ぷりが一つや二つや三つや四つ増えようと変わらない。
うん、なら考えても仕方がない。

「これ、もらっていいんだよね?」
「はい、あなたのために作ったものです」
「ありがとう、メル!」

ミトは腕輪が気に入ったらしく、にこにこと腕を飾る銀を眺めている。
それを見ていたシルヴィが、ふうっと悩ましげなため息をついた。

「ああ、おしいわねえ………」
「何がだ?」
「この顔、この体、この頭脳、この能力!」
「ああ」
「これで性格がアレじゃなければ………」

面食いのシルヴィだ。
好みの悪い男だったら、あっという間にミトは食われていただろう。
よかったと言うべきか、悪かったと言うべきか。
そんなことを考えていると、シルヴィがミトににじり寄る。

「ね、ミト、ちょっと魔王口調で話してみて」
「へ?」
「ちょっとだけ!」
「構わぬが、何ゆえにだ、娘。私の言葉が、お前に何を与えるのだ?」

表情まできりっと正して、ミトが物憂げな低い声を出す。
そっちの方がハクがつくといって、城にミトを連れて行った奴に教わったらしい。
まあ、そういう態度をしていると、確かに魔王ぽい。

「いいわ!いい!」
「くだらぬ戯れよ。下民共の考えることは分からぬ」
「いいわよ、ミト!」
「えへへー、本当?」
「もう一回!」
「愚かな。我が気まぐれ、その身に余る恩恵を受けることを光栄に思うがいい」

馬鹿なことをやってる二人を眺めて、俺とメルアは同時にため息をついた。
なんかどっと疲れた。

「あー…、王都はどんな感じだ?」
「世はなべてこともなし、です。平和ですよ」
「そりゃよかった」
「勇者カルシードの歌が吟遊詩人の間で大流行りです」
「…………」

魔王と対峙し、死闘の末、対話を成功させた唯一の勇者。
強大な力を持つ魔王が、対等な存在と認め、この国には手出しをしないと約束するまでに至った。
代わりに、魔王にも手出しはしないと。
勇者はその身を魔王の元へ留めることで、魔王を裏切らないとの誓いを立てた。
高潔で勇気あるもの、戦士カルシード。

一度聞いた時は鳥肌がたったもんだ。
俺は聞かなかったことにして、続けた。

「陛下は?」
「いまだに貴方を利用することを諦めていないようですが、殿下がうまく押さえていらっしゃいます」
「セルファド殿下か。かなり出来るヤツだとは聞いていたが」
「ええ、いい男です」
「そりゃ性格が悪そうだ」

こいつとシルヴィがいい男と評する奴に、ロクな奴はいない。
二人揃って趣味が最悪だ。
まあ、抜け目ないキレ者なら、統治者として下手は打たないだろう。

「とりあえずは大丈夫そうだな」
「ええ、ひとまずは」
「すまない。ありがとう」
「かまいません。世界平和のためですし」

魔王ミルトリアの処遇。
それは、いまだに全ての国が注目していることだ。
まだあの城に居していると思われているが、何人かはこの家に辿りつきはじめている。
今はいいとしても、いずれ動かなきゃいけないかもしれない。

「あ、そうだ、カリス!」
「なんだ?」
「さっきね、うちを襲おうって武器持った人達が近くにきてて」
「………殺したのか?」
「ううん、カリスに殺すなって言われてるし。でもやりすぎたから治癒術かけたんだ」
「ああ、偉い」
「えへへ、本当?でもね、強盗さんに力制御するの面倒で適当にやったら力が多すぎて回復が行き過ぎて壊死が始まってきている人がいるんだ。どうしよう?」

あっけらかんと言われた言葉に、また頭痛がぶり返す。
俺はミトに近付くと、その金髪の頭を思い切りはたいた。

「先に言え!この馬鹿!」
「うう」

シルヴィとメルアが、哀れそうに俺を見て肩をすくめる。

「本当に、この世の平和のためには、勇者カルシードが必要ね」
「ええ、カルシードがいない世界がどうなるのか、考えたくもないです」

他人事だと思ってやがる。
まあ他人事だけどな。

爆弾を抱え込んでいるような日々。
気の休まる暇もない。

けれど、10年の間、ずっと夢見ていた日々だ。
まあ、しばらくはこのまま満喫させてもらうさ。





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