「あれ、お前その傷何?すごいな」 誰だったけか、こいつ。 確か、藤原とか言ったっけ。 女にモテそうな男前だ。 俺はちょっとだけ考えて、正直に答えた。 「痴情のもつれ」 俺の右脇腹には、小さくはない傷跡が残っている。 見る奴が見れば、刃物によるものだと分かるだろう。 大きいが幸い深くはなく、命にかかわるような傷ではなかったが。 痴情のもつれの刃傷沙汰。 懐かしい傷跡だ。 「へえ、チジョウのモツレか」 男前は分かったような顔で頷いている。 こいつ、絶対何も分かってないな。 でも、ちょっとだけ小気味よかった。 別に隠してもない傷跡だけれど、周りは何も触れてこない。 まあ、そりゃそうだろ。 絶対何かありそうな傷に、あえてつっこむ馬鹿はいない。 皆遠巻きにちらちらとこちらをうかがっているだけだ。 こいつはどうやら馬鹿らしい。 馬鹿は大好きだ。 「お前、藤原だっけ?」 「そう、お前はえっと」 「野口」 「そっか、よろしく野口」 そう言って、邪気なく笑う藤原。 俺は汗臭い体育後の更衣室で、恋に落ちたのだ。 「でさ、雪下がさ」 最近のこの男の話すことは、新しく出来た彼女一色だ。 マエカノも俺のキスも綺麗に忘れて、ただ今を生きている。 本当に馬鹿だ。 都合の悪いことはすぐに忘れやがる。 まあ、その馬鹿なところに惚れたんだけど。 「幸せそうだな」 「え、あ、うん」 恥ずかしそうに顔を赤らめてうつむく。 純情と無神経と優しさと優柔不断の見事なミックス。 ついつい、こういう顔をされると突き落としてやりたくなってしまう。 「三田泣かせて幸せになったんだから、せいぜい罪悪感は忘れるなよ」 「わ、わかってるよ」 途端にしゅんと犬のように尻尾を垂れて悲しそうな顔をする。 やっぱり、とんでもなく好みだ。 こんなにいじめても、まだ俺に寄ってくるんだから、Mなんじゃないかとも思う。 まあ、俺はこの手の優柔不断タイプに、好かれやすいんだが。 このお綺麗な顔を歪むくらい、汚いことを突き付けてやりたい。 誰も信じられなくなるぐらい、裏切ってやりたい。 手足を縛って、無理やり拘束して、犯し尽くしたい。 夜も昼も分からなくなるぐらい、前も後もぐっちゃぐちゃにしてやりたい。 無邪気で優しいこいつが、俺の顔を見て怯えるようになったら、楽しいだろうな。 俺はきっと、それに満足しながら、絶望する。 こいつが俺を毛嫌いすることに傷つきながら、こいつの恐怖をコントロールすることに快感を覚える。 俺の顔を見て顔を歪めるこいつに、哀しみながら喜ぶ。 「野口?」 「ん?」 「どうした、変な顔して」 「ちょっと、妄想してた」 「ふーん」 ここで、流せてしまうのがこいつのいいところだよな。 あまり深くものを考えない。 頭もいいし、顔もいいし、運動神経もいい、完璧な男なのに、馬鹿だ。 そんなところが、たまらなく好きだったんだけどな。 だが、ようやくその執着もおさまってきた。 こいつは触れてはいけないもの。 一度触れてしまえば、俺は我慢できなくなっただろう。 閉じ込めて、手足をもいで、俺のことしか見えないようにしてしまう。 また昔の過ちを繰り返す。 なんとか我慢することが出来た。 道を踏み外さずにすんだ。 今度は失敗せずに、すんだ。 まあ、片思いも、中々楽しかった。 こいつの泣き叫ぶ顔を思い浮かべながら、手の触れられないもどかしさ。 その焦れる感じが、胸が焼きつく感じが、哀しみが、憎しみが、すべてが快感だった 『お前は、一番好きな奴には、手を出すな』 ああ、本当だな。 あんたは、いつも正しい。 いつだって正しかったよ。 言うこと聞いておいてよかったよ。 今は、藤原の友達として隣にいれる。 「藤原」 「何?」 「お前の友達で、よかったわ」 「な、なんだよ急に!」 目を見開いて、顔を赤くして慌てる。 うん、お前の泣き叫ぶ顔はきっと快感なんだろうけど。 やっぱり笑顔が一番好きだと思うから。 無邪気でも無神経でも優しくも優柔不断でもないお前なんて、たぶんお前じゃないから。 壊さなくてよかった。 我慢してよかった。 「あんた、こんなところで何してんの?」 部活を終えて教室に戻ってきた三田は俺を見て、首をかしげた。 着替えてはいるものの、今まで全力で運動していたんだろう。 シャツが汗でぬれて、健康的なエロスを感じる。 「あんたを待ってた」 「は、何?なんか用事?」 鈍いな。 まあ、今までモテない人生で、男に興味ないふりして生きてたんだから、当然か。 だから俺は丁寧に説明してやった。 「あんたと一緒に帰りたくて」 三田は途端に耳まで真っ赤にした。 最近手入れをしているらしい肌を朱に染めて、言葉を失う。 暗い教室の中、そわそわと視線を彷徨わせた。 「ば、そ、じゃ、しょ」 「一緒に帰ろ」 何が言いたいんだかさっぱりわからないが、あえてつっこまないでやる。 男慣れしていないその反応は、新鮮だ。 新鮮で、かわいい。 同年代の女の子に、こんなことを思うのも初めてだ。 「しょ、しょうがないわね。帰ってやるわよ」 「ありがとう」 三田はなんでもないふりをしようとして、さっさと教室に入ってくる。 けれど、扉のヘリに足をつまづきちょっとよろめく。 顔を赤くして、俺の方を見ない。 そして、焦りをごまかすように、手をわきわきと動かしている。 そのかわいらしい反応に、思わず笑ってしまった。 「な、何よ!」 「本当に、あんたってかわいいな」 「………馬鹿にしてんの?」 「本心です」 女らしい自分が嫌いで、筋肉がつきまくって堅い体で、化粧が下手で。 男に媚びるのが苦手で、それなのに藤原には媚び媚びで。 実は男の気を引きたくて。 乱暴で、口が悪くて、卑屈でひねくれていて素直じゃない。 俺に興味がないってふりをしながら、やっぱり好きって言われるのは嬉しくて。 だんだん俺が気になり始めていて。 何を言っても、素直に反応してくれて。 一生懸命不器用に頑張って。 泣いて笑って遠吠えて。 本当にいつも自分で言っているように、野良犬のようで。 野良犬の、子犬。 ああ、かわいいな。 「三田」 こいこい、と手招きすると三田は首を傾げながら近寄ってくる。 人を中々信用しないくせに、こういう時は嫌に素直だ。 警戒心を時折忘れる。 こういうところも、かわいい。 その隙に乗じて目の前まで来た三田を、ぎゅっと抱きしめる。 「うわあ!!」 「汗臭いな」 「ちょ、や、だめ!」 女の子の汗の匂いって、臭いものの男のそれとは違う。 かすかに酸っぱくて、シャンプーとデオドラントの匂いが混じっている。 首筋に顔を埋めて息を吸うと、その生々しい匂いになんだか興奮してくる。 「や、やめ!今臭いから!」 「うん、汗臭くて、いい匂い。欲情してきました」 三田は顔を首筋を真っ赤にして、じたばたと腕の中で暴れる。 まるで、子犬の抵抗のようで、かわいい。 堅いものの、わずかに主張する胸にもドキドキする。 つい、汗ばんだ三田の首筋を舐めてしまった。 「うひゃああ!!!」 「しょっぱい」 「あ、う、ああっ!!」 このまま舐めつくして、押し倒して、入りたいな。 気持ちいいだろうなあ。 三田の中は、気持ちよさそう。 筋肉付いてしまってそうだし。 ああ、入りたいな。 「ねえ、三田、このままヤっていい?」 「いい加減にしろおおおおお!!!!」 つい聞いてしまうと、三田のたくましい拳が、俺の顎を殴りあげた。 目の前がちかちかとする。 相変わらず、いい拳だ。 はずみで、体を放してしまった。 三田は急いで俺から2Mぐらいはなれて、肩で息をする。 「ひどいな」 「ひどいのはどっちだ!このケダモノが!」 「好きな子とヤりたくなるのは、自然の摂理じゃないか」 「TPOを考えた上で、手順をふめ!!」 まあ、そりゃもっともだ。 つい暴走してしまった。 俺の悪い癖だ。 「わかった。次は気をつける」 「次はない!」 顔を真っ赤にして、指を突き付けて仁王立ち。 警戒心丸出しの子犬。 かわいくて、微笑ましい。 「ま、気長に待つよ」 「ないったらない!」 「さ、帰ろうか」 そう言うと、三田は俺を警戒しつつ自席まで戻って荷物を持ってきた。 ここで、一人で帰るってならないところが、三田のかわいいところ。 顔を真っ赤にして1M離れながら、それでも一緒についてくる。 藤原やあの人を好きだった時の、狂うほどの熱さはない。 痴情のもつれで刃傷沙汰になるほどの、執着もない。 かわいいかわいい同級生。 ただ、温かさが胸に満ちる。 壊そうなんて、思わない。 いじりたくはなるけれど、優しくしたいと、思う。 うん、いい感じ。 きっと、これくらいが一番いいんだ。 俺にはいまだに、普通の恋愛とかの程度が分からない。 でも、きっとこれが普通なんじゃないだろうか。 これがたぶん、ちょうどいい。 「何よ?」 黙って見ていたら、まだ警戒している三田が上目遣いで睨んできた。 まだ焦りが残る、その赤い目元は、ムラムラする。 「いや、あんたが好きだな、って思っただけ」 そう言うと三田は、また顔を真っ赤にした。 素直じゃない癖に、表情はとても素直。 あんたとずっと一緒にいたら、きっと楽しいんだろうな。 あんたが、全力で自爆するような子だから、たぶん俺は、藤原を諦められた。 不器用で、でも一生懸命でかわいいから、手伝いたくなってしまった。 そして俺も、不健全な妄想から、解き放たれた。 やっぱり、あんたが好きだと思うよ。 かわいいかわいい、俺の子犬。 |