「トーコちゃん!」 今日もトーコちゃんが住むアパートまで自転車で迎えに行く。 不機嫌そうな顔で現れたトーコちゃんは、いつも通りサラサラの黒髪で、大きな黒い眼、セーラー服がとってもよく似合う。 今日もなんてかわいいんだろう、トーコちゃんは。 「うざい、寄らないで、顔を見せないで、このゴミクズ」 俺を見て眉を顰めて低い声で吐き捨てる。 どんな顔していても、トーコちゃんは本当にかわいい。 今日も朝からトーコちゃんが見えて、とても嬉しい。 「おはよう、今日もかわいいね、トーコちゃん!」 「しゃべらないで、その薄汚い口を開いて二酸化炭素を撒き散らさないで。あんたの毒ガスみたいな唾液交じりの呼吸が私にかかったらどうするの?その口縫い付けて一生汚物を撒き散らさないようにする?」 口を縫い付けられて、って想像してゾクゾクした。 トーコちゃんが縫ってくれるなら、ものすごいご褒美だ。 トーコちゃんのハンドメイド。 トーコちゃんが針と糸で俺の汚い口に触れて縫ってくれるのだ。 俺なんかがそんな光栄なことされていいのだろうか。 ああ、でも口を開けなかったらトーコちゃんとお話できない。 俺から話しかけなかったら、トーコちゃんはこんな風に話してくれなくなっちゃうかもしれない。 ただ黙って殴られるのもいいけれど、トーコちゃんとおしゃべりの時間も貴重だ。 「ごめんなさい!俺みたいな豚がトーコちゃんに話しかけてごめんなさい!でも今日もトーコちゃんに会えて嬉しいです」 「私は朝からあんたの顔を見て学校行く気もなくなるぐらい不愉快だわ。そこに土下座して謝ってくれる?」 「はい!」 俺はトーコちゃんの家の玄関先で、急いで土下座して頭を地面に擦り寄せる。 トーコちゃんの靴が転がっていて、トーコちゃんの匂いがちょっとした。 ドキドキして、犬としてはありえないことに欲情しそうになる。 いけないいけない、俺はトーコちゃんに触れたりしたらいけない豚だ。 「ごめんなさい!」 「うわ、本当にやったわ。何このゴミ。プライドの欠片もない豚は本当に見ていて不愉快。ていうか私の玄関汚さないでくれる?飼い主の私が恥ずかしいんだけど。この駄犬。ほんっと馬鹿犬。あんたに豚だの犬だの言うのは、畜生の方に申し訳ないわね。やっぱりゴミね。そこらでアスファルトの上に転がったら?見分けつかないから、ゴミ収集車に持ってかれるかもしれないし」 「すいません!俺みたいな薄汚い雄豚はゴミ収集車に持ってかれた方がいいのかもしれないんですが、トーコちゃんから離れたくないんです。俺を捨てないでください。ごめんなさい、トーコちゃん」 「ほんっと情けない豚ね。この私にお願いだなんでおこがましいのよ。どうしてあんたは私を不愉快にするようなことしかしないのかしら。さっさとどいてくれる?」 トーコちゃんが土下座した俺の肩を蹴りつける。 慌てて立ち上がり、トーコちゃんが玄関で靴を履くのを見守った。 さっき俺の額がついて俺がちょっぴり匂いを嗅いでしまった靴を見て、トーコちゃんが顔を顰める。 「ああ、靴が汚れたわ。この靴後でみがいておいて。さっさと行くわよ」 「はい!今日も一緒に行ってくれてありがとう!」 「荷物持ちなさいよ。途中で落としたりしたら一週間は顔見せてあげないから」 「は、はい!」 トーコちゃんに会えないなんて、考えられない。 前に本当にオシオキで三日間会ってもらえなかった日は、気が狂うかと思った。 精一杯荷物持ちをしなければ。 大事な大事なトーコちゃん。 今日も会えて、本当に嬉しい。 トーコちゃんを自転車の後ろに乗せて学校に来る。 そしてトーコちゃんの鞄を持って教室に送り届けてから、自分の教室へ。 「………お前、よくやるよな」 教室についた途端、最初に席が隣だったせいで仲良くなったタシロが呆れた顔で話しかけてきた。 「え?」 「よくあんなにされて、あの女殴りたくならないな」 「トーコちゃんのこと?」 「ああ、あのクソ女」 その言い草は、いくらタシロでも見逃せない。 俺は急いで訂正する。 「クソ女とか言うな。トーコちゃんはとってもかわいいじゃないか!」 「いや、まあ、顔はいいけどさ」 「それにとっても優しいよ!」 「………」 トーコちゃんはとっても綺麗な顔をしていて、仕草だってかわいくて、性格もとっても優しい。 非の打ちどころのない、完璧な女の子だ。 そんなトーコちゃんの犬でいられて、俺は本当に幸せだ。 「お前、本当にドMだよな………。頭も顔も運動神経もいいのに、どうしてそんな残念なんだ。残念すぎる。俺にそのスペックをよこせ」 「俺はトーコちゃんにしてあげられることならなんでもしてあげたいんだ!」 大事な大事なトーコちゃん。 トーコちゃんのためだったら、俺はなんだって出来る気がするんだ。 「ひどい!やめてよ、痛い、痛いよ、タツヤくん!」 ああ、トーコちゃんの声が聞こえる。 これは夢だ。 夢だな。 あの時の夢だ。 「タツヤ君、やめて!」 そこで目が覚めた。 ちょっと起きてしまったのが残念。 小さい頃のトーコちゃんは、今はもっとかわいいけれど、あの頃もやっぱりかわいかった。 もっともっと見ていたかった。 懐かしい気分のまま、布団から起き上がる。 「………トーコちゃん」 大事な大事なトーコちゃん。 今日も夢に出てきてくれて嬉しい。 「おはよう、トーコちゃん」 今日もトーコちゃんを迎えに行くと、トーコちゃんは綺麗な形をした眉をひそめて、俺を見下してくれる。 そして俺の腹を思い切り、蹴りつけてくれた。 「朝からその能天気な馬鹿面で道歩いてよく恥ずかしくないわね。ていうか一緒に歩く私が恥ずかしいわ。犬なら犬らしく人間語なんてしゃべらないでワンワン鳴いてなさいよ。それから四つん這いになって歩きなさい」 「ワン!」 俺はその場に四つん這いになって、命令通りわんと鳴いた。 こうして低い位置から見上げるトーコちゃんもやっぱりかわいい。 トーコちゃんはどの角度から見てもかわいい。 「この馬鹿犬。みっともないのよ。馬鹿じゃないの。邪魔よ」 「ワン!」 四つん這いになった俺の背中を踏みにじってから、トーコちゃんはさっさと玄関から出ていく。 俺は慌ててその後ろを四つん這いでおいかけた。 たまにやるけれど、やっぱり四つん這いで歩くのはちょっと難しい。 特に階段は下からならいいけれど、上から降りるのは至難の業だ。 「ワンワン!」 それでもなんとかトーコちゃんを追いかけて下まで降りる。 あ、自転車どうしよう。 トーコちゃんを乗せられない。 「飽きたわ。いつまでやってるの」 「あ、ご、ごめんなさい!」 「人に見られたら私が恥ずかしい思いをするでしょう?こんな駄犬を飼ってるなんてみっともない。飼うならもっといい犬がよかったよ」 そう言われて、一気に体温が低くなる。 俺は確かに馬鹿犬で、みっともない豚で、ゴミみたいな奴だけど、それでもトーコちゃんの傍にいたい。 身の程知らずの馬鹿だけど、それだけはどうしても譲れない。 トーコちゃんが俺を捨てて他の犬を飼ったらと思うと、考えるだけで怖くなる。 「お、俺を捨てるの、トーコちゃん?」 「ものすごい不愉快だけど、仕方ないから飼ってやるわよ。一回飼ったら最後まで面倒みるのは飼い主の責任でしょ。それにあんたみたいな豚、野放しにしたら世間の迷惑だわ」 「ありがとう、ありがとうありがとう、トーコちゃん!」 思わずトーコちゃんを手を握ってしまうと、すぐに振り払われる。 しまった。 「触らないで、汚れるわ」 「ごめんなさい!」 俺みたいなのが、トーコちゃんの許しもなく触れていいはずもない。 大事な大事なトーコちゃん。 一生飼ってくれる飼い主様。 トーコちゃんが優しい人で、俺はよかった。 「て、トーコちゃんが言ってくれたんだ!」 「………お前、いや、なんでもない」 さっそくタシロに報告すると、タシロはなぜかため息をついて目を逸らした。 けれど俺は構わずトーコちゃん自慢を続ける。 「昔から、本当にトーコちゃんは優しくてさ」 「お前ら、幼馴染なんだっけ」 「うん!俺がトーコちゃんのことずっとおっかけてるんだ!トーコちゃんも俺が同じ学校入るの許してくれるの!本当に優しいよね!」 「………」 俺は馬鹿だけど、トーコちゃんと離れたくなくて、それにトーコちゃんの犬として恥ずかしくないよう頑張って勉強した。 そしてトーコちゃんと同じ学校に、奨学金で入れた。 今だっていっぱい頑張って、成績を上位でキープしている。 「あいつ、昔からあんなだったの?」 「トーコちゃん?うん、昔からかわいかったよ!」 「いや、違う。あんなろくでもない性格だったのか?」 「性格は。ううん。トーコちゃんは、同じように優しかったけど、もっと大人しかったかな」 「ほんとかよ………」 トーコちゃんは泣き虫で、俺の後ろにいるような子だった。 トーコちゃんがあんな風にはきはきとした性格になったのは俺のため。 「トーコちゃんは優しいから俺のためを思って叱ってくれてるんだよ!」 大事な大事なトーコちゃん。 いつだって俺を思ってくれている。 「タツヤ君なんて嫌い!タツヤ君怖い!」 ああ、これは夢だ。 夢だな。 あの時の夢だ。 でも、こっちは哀しい夢。 トーコちゃんに嫌いって言われた。 「タツヤ君なんて嫌い!」 「トーコちゃん!」 そこで目が覚めた。 心臓がバクバクいっている。 びっしょりと汗をかいている。 大事な大事なトーコちゃん。 どうかどうか俺を嫌わないで。 「トーコちゃん!」 あの黒髪、あのスタイル、あれは紛れもなくトーコちゃん。 放課後、用事があると言っていたから先に帰ろうとしたのだが、トーコちゃんを廊下で見かけたので嬉しくなって駆けだす。 「トー………」 トーコちゃんは、誰か知らない奴と一緒にいた。 ネームプレートからして同じ学年のようだ。 そいつは俺を一度睨みつけると、トーコちゃんに向かって嫌らしい笑顔を浮かべる。 「それじゃ、カヤマさん」 「うん」 そしてもう一度俺を睨みつけて、そいつは去っていく。 なんだろう。 ざわざわざわざわ。 いやな感じ。 「………今の誰?」 「友達よ」 「本当?」 「うるさいわね。あんたが私に質問していいと思ってるの?」 「ごめんなさい!」 俺にトーコちゃんに質問する権利なんてない。 俺にトーコちゃんが彼氏を作るのを邪魔する権利なんてない。 トーコちゃんに彼氏が出来ても、なんでもいいんだ。 それでも俺はいいんだ。 トーコちゃんは幸せにならなきゃいけないのだから。 でも、ただ。 「………トーコちゃん、トーコちゃんは、俺のことずっと飼ってくれるんだよね?ずっと一緒だよね?」 「あんまりぐだぐだ言ってると今すぐ捨てるわよ、この豚」 「ご、ごめんなさい!」 「ほら、帰るわよ。荷物持ちなさい」 「はい!」 ただ、俺を捨てないで。 俺から離れていかないで。 大事な大事なトーコちゃん。 俺は駄犬だけれど、傍にいて。 「そういえば、あの女に告白した男がいるらしいな」 「え」 「物好きがお前の他にもいるんだなあ。あの女、確かに外見はいいかもしれないけど、分からん」 メシ時に、タシロが不意にそんなことを言い始めた。 その言葉に、すぐにあのイケスカナイ男の顔が浮かぶ。 それでも信じられなくて、俺は恐る恐る聞き返す。 「………トーコちゃんの、こと?」 「あ?お前聞いてないの?」 「………ない」 トーコちゃんは何も言ってなかった。 ただ、いつも通りだった。 いつも通り俺の傍にいてくれた。 だから、大丈夫だと思っていた。 「………」 俺の顔を見て、タシロがちょっと困ったように顔を顰める。 そして少し優しい声で言った。 「まあ、あんな女、お前以外で相手ができるわけないだろ」 けれどそんなフォローは耳に入らない。 大事な大事なトーコちゃん。 俺はやっぱりいらないの? タシロから聞いたことが怖くて怖くて、俺は帰りにトーコちゃんの家に寄った。 いつもはちゃんと約束してから来るのだが、いてもたってもいられなくて来てしまった。 怒られるかもしれない。 けれど、それでもいい。 俺を怒ってトーコちゃん。 ずっとずっと、俺を怒ってトーコちゃん。 「困るの。もうやめて」 「でも、カヤマさん!」 「もう、私に近づかないで!」 トーコちゃんのアパートの下で、ひそひそと話しあう二人の男女。 一つはとっても大好きな、かわいいかわいいトーコちゃんの声。 もう一つは、一度だけ聞いた、とってもとっても、ムカつく声。 ムカつく声は、嫌がるトーコちゃんに更に詰め寄る。 「俺は、知ってるよ。カヤマさんと同じ小学校だった奴に聞いたんだ。カヤマさんは、あいつに同情で付き合ってやってるだけなんだろ?もうあいつと別れろよ!そんな無理しないでも、もういいじゃないか。カヤマさんはカヤマさんらしく………」 「いいの、これでいいのよ!」 「でも!」 別れる別れる別れる。 トーコちゃんが俺と別れる? トーコちゃんが俺を捨てる? 「でも、俺は知ってる、君が、本当はすごい優しい人だって。他の人に、誤解されてるのが我慢できないんだ」 「………」 トーコちゃんに彼氏が出来てもいい。 大切な人が出来てもいい。 ただ、俺を捨てなければ、それでいい。 「………ありがとう」 「だから、早くあんな奴を捨ててっ」 「駄目!逃げて!」 俺はそいつをトーコちゃんから引き離して、思い切りその顔に拳を叩きつける。 拳はオシオキ。 悪いことをする子は、グーで殴るのがオシオキ。 「いっ」 簡単に倒れ込んだそいつに馬乗りになって、グーで殴り続ける。 俺からトーコちゃんを引き離そうとする悪い子には、オシオキが必要だ。 「俺からトーコちゃんを取らないでよ。トーコちゃんは俺の飼い主なんだから。俺のご主人さまなんだから。俺を一生飼ってくれるんだから。お前なに?俺からトーコちゃんを取るの?どうして?なんで?父さんと母さんと一緒?」 どんどん俺の手が赤くまみれていく。 ああ、こんな風に人を殴ったのはいつぶりだろう。 父さんと母さんを殴った以来だから、もう二年ぐらいぶりか。 「駄目!駄目、やめて!駄目!タツヤ君、駄目!やめて!」 「俺からトーコちゃんを取る人はいらない。皆いらない。お前なんて消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ」 あの時も、父さんと母さんは俺とトーコちゃんを引き離そうとした。 俺がトーコちゃんと同じ学校に行きたいって言ったのに、学校なんて行かないで働けって言ったんだ。 お金の迷惑はかけないって言ったのに。 「やめろって言ってんでしょう、この馬鹿犬!」 パシンと音がして、顔が横に向いていた。 頬が熱くてジンジンする。 「………あ」 どうやら俺は頭に血が上っていたようだ。 俺の下にいる奴は、顔がはれ上がって呻いている。 ブッサイクだ。 これならトーコちゃんもきっとこいつのことを好きにならないだろう。 「ふざけんな、クソ犬!」 もう一度、トーコちゃんに殴られる。 今度はグーだった。 グーで殴るのは、オシオキ。 つまり、トーコちゃんは怒ってる。 「………ごめん、トーコちゃん」 「さっさとどけ!」 怖くなって謝ると、トーコちゃんは俺を蹴り倒した。 蹴るのはアイジョーヒョウゲン。 だけど、今のは下の男を助けるためだろうか。 「犬の分際で人様に手を上げるなんて、躾けがなってないにもほどがあるわ!飼い主の私が恥をかくでしょ!このクソ犬!」 トーコちゃんがもう一度、俺の顔をグーで殴る。 ジンジンして痛い。 痛い痛い痛い痛い。 グーで殴るのはオシオキ。 トーコちゃんが怒ってる。 「ごめん、ごめんごめんごめんごめん、ごめんなさい、トーコちゃん、ごめんなさい。もうしませんもうしませんもうしません。もうしませんから、俺を捨てないで」 涙がぼろぼろと出てくる。 怖くて怖くて仕方ない。 トーコちゃんに嫌われたらどうしよう。 トーコちゃんに嫌われたらどうしよう。 トーコちゃんに嫌われたらどうしよう。 「トーコちゃん、トーコちゃんトーコちゃんトーコちゃんトーコちゃん、俺を捨てないよね?捨てないよね?捨てないで捨てないで捨てないで捨てないで捨てないで捨てないで捨てないで捨てないで捨てないで捨てないで捨てないで。トーコちゃんトーコちゃんトーコちゃんトーコちゃん」 けれどトーコちゃんは俺を睨みつけたまま、唇を噛みしめている。 トーコちゃんが、怒ってる。 やっぱり、俺は嫌われた。 やっぱり、俺は捨てられる。 それなら、俺は必要ない。 「俺を捨てる?じゃあ、俺はいらない?俺はいらない?いらないなら、いらないか、じゃあオシオキしないと」 パーで殴ったり蹴ったりするのはアイジョーヒョウゲン。 グーで殴ったり切りつけたりするのはオシオキ。 それなら俺は、オシオキしないと。 ポケットに入ってたナイフを取り出し、自分の首に当てる。 大事な大事なトーコちゃん。 トーコちゃんがいらないなら、俺は全くいらない存在。 「ごめんなさい、トーコちゃん」 「痛い!痛いよ、っやめて、タツヤ君!ひどい、痛いよ!」 トーコちゃんを何度も何度もぶつ。 かわいいかわいいトーコちゃん。 トーコちゃんが痛がって泣くのが、とてもかわいかった。 「どうして、こんなことするの?どうしてぶつの?痛いよ。怖いよ、タツヤ君」 俺の手から逃れてしゃがみこんだトーコちゃんを蹴りつける。 うぐって声がして、地面に倒れ込む。 顔を歪めるトーコちゃんが、愛しくて愛しくてたまらなかった。 ああ、やっぱり、これはアイジョーヒョウゲンなんだ。 「だって、俺はトーコちゃんが好きなんだ。大好きなんだ。好きだよ、トーコちゃん。大好き好き好き好き」 いつも一人いた俺に、初めてできた友達。 トーコちゃんもいつも一人だった。 話しかけたら喜んでくれて、いつも一緒に遊んだ。 トーコちゃんはアイジンの子で、お父さんは滅多に来なくて、お母さんは出かけてることが多いらしい。 だからトーコちゃんも一人だった。 かわいいかわいいいトーコちゃんは、今では一番大事な子。 父さんよりも母さんよりも、好きになっていた。 「好きだよ。大好き」 「嫌!嫌嫌、タツヤ君嫌い!怖い、嫌い!」 更に蹴りつけていると、トーコちゃんが体を丸めて叫んだ。 俺は動きを止めてしまう。 今聞いた言葉が、信じられなくて。 「………トーコちゃん、俺のこと、嫌い?」 「嫌い!」 俺はトーコちゃんのことが好きなのに、トーコちゃんは俺が嫌い。 哀しい哀しい哀しい。 きっと、俺が悪い子だからいけないのだ。 俺が悪い子だから、トーコちゃんは俺が嫌いなんだ。 だったら、俺はオシオキされなきゃ。 「トーコちゃん、俺のこと、嫌いなんだ。ごめんなさい。ごめんなさい、トーコちゃん。ごめんなさい。俺、悪い子だね。俺、オシオキしないと」 「タツヤ君!?」 ナイフとかタバコとかは持ってなかったから、俺は石を拾い上げて思い切り自分の顔に打ち付けた。 顔がジンジンして、歯がぐらぐらした感じがする。 「これでいいかな。オシオキ。足りない?もっとした方がいい?トーコちゃん、まだ怒ってる?」 「やめてやめてやめて!」 「トーコちゃん。許して。オシオキするから、許して」 何度も何度も、顔を、頭を、腕を、足を、打ちつける。 ああ、やっぱり切った方がいいだろうか。 父さんと母さんは、グーで殴るより、切る方が楽しそうだった。 「やめて、タツヤ君!」 トーコちゃんが、俺の体を突き飛ばす。 そして俺から石を取りあげて、俺の頬を叩いた。 パーで、叩いた。 「あ」 トーコちゃんがパーで叩いてくれた。 トーコちゃんがパーで叩いてくれた。 それが嬉しくて嬉しくて、俺はつい笑ってしまう。 「ありがとう!トーコちゃんも、俺のこと、好きなんだね?」 「………タツヤ、君?」 「ありがとう、トーコちゃん。俺も好き!」 「タツヤ君?いやだ、やだ!」 俺もお返しにぶとうとすると、トーコちゃんはやっぱり泣きだして俺から逃げようとする。 それでようやく、トーコちゃんはぶたれるのが嫌なのだと気付いた。 「あれ、トーコちゃんは、アイジョーヒョウゲンされるの、いや?」 「あいじょう、ひょうげん?」 「あのね、こうやってねぶったり蹴ったりするのは、アイジョーヒョウゲンなんだよ!」 父さんと母さんが教えてくれた。 父さんと母さんはとっても優しい。 悪いこの俺をオシオキして、そしていっぱい好きだって言ってくれる。 「グーでぶったり、切ったり、タバコを押し付けたりするのは、オシオキなの」 トーコちゃんが大きなまんまるの目で、俺を見ている。 その大きくて黒い目が大好き。 泣いているといつもよりキラキラ光っていて綺麗。 「俺はね、トーコちゃんのこと、大好き!だからね、アイジョーヒョウゲン!」 俺も痛くてよく泣いたけれど、父さんと母さんの気持ちが今ようやく分かった。 泣いているトーコちゃんはとってもかわいくて、とっても綺麗。 きっと父さんも母さんも、俺が泣いたらかわいかったんだ。 「でも、トーコちゃん、アイジョーヒョウゲン嫌い?」 「………」 でも、そういえば、父さんはあんまりアイジョーヒョウゲン好きじゃなかったかな。 照れ屋さんなのかもしれない。 そういえばトーコちゃんはとっても照れ屋さんだった。 「じゃあ、トーコちゃんがアイジョーヒョウゲンして!トーコちゃん、俺のこと、嫌いになっちゃった?ごめんなさい。俺、オシオキするから、トーコちゃん許して?俺のこと好きになって?」 大事な大事なトーコちゃん。 どうか俺を好きになって。 「ふざけんな!やめろっていってんでしょ、この馬鹿犬!私の許可なしに勝手にオシオキしてるんじゃないわよ!」 手を思いっきり叩かれて、ナイフを取り落とす。 そういえば、トーコちゃんは勝手にオシオキするなって言ってたっけ。 「でも、トーコちゃん、俺、悪い子だから………」 「そうよ、だから、私がオシオキするの!」 オシオキしてくれる。 これからも叱ってくれる? 俺にアイジョーヒョウゲンして、オシオキしてくれる? 「………トーコちゃんは、俺のこと、捨てないよね?一生捨てないって言ったよね?俺の飼い主だよね」 トーコちゃんが、顔をくしゃりと歪める。 いつものように不機嫌そうなのではなく、なんだか今にも泣きそうだった。 ああ、やっぱり泣きそうな顔のトーコちゃんは綺麗。 潤む黒目はキラキラ光ってとても綺麗。 俺もパーで殴ったら、トーコちゃんは泣いてくれるかな。 そしたらとってもかわいいんだろうな。 「………たつやくん………」 でも、トーコちゃんは殴られるのは嫌いだ。 殴ったら嫌われる。 そんなに、俺が嫌いなの? 俺はこんなにトーコちゃんが好きなのに。 「すき、すきすきすきすきすきすき。だいすき。トーコちゃん、だいすき。だーいすき」 だからボロボロと泣きながら、精一杯伝える。 大好き大好きトーコちゃん。 だからお願い捨てないで。 大好きだから、トーコちゃん。 「捨てないで、トーコちゃん。俺の悪いところ叱って。俺、トーコちゃんのこと大好きだから、お願いだから、捨てないで。俺のこともっとアイジョーヒョウゲンして、シツケして」 「………タツヤ君」 「俺はトーコちゃんの犬で、薄汚い雄豚で、ゴミなんだ。だからトーコちゃんがシツケて。俺をいい子にして。俺は父さんよりも母さんよりも、トーコちゃんが一番好き!」 「………」 「だから、俺のこと、捨てないで、トーコちゃん」 「………」 俺を見上げたトーコちゃんが、一度目を瞑る。 やっぱり俺が嫌いなのだろうか。 「………」 そして、目を上げて、思い切り俺の頬をはたいた。 パーで、殴った。 「………捨てるわけ、ないでしょ。飼い主の責任、よ。あんたみたいな駄犬、外に出したら、世間が迷惑よ」 「………うん、馬鹿犬でごめんなさい」 そう言うと、トーコちゃんは思い切り俺の腹を蹴りあげた。 「………っ」 また、涙がボロボロ出てくる。 嬉しくて嬉しくて嬉しくて。 「だから、一生、私が傍で、飼ってあげる」 パーで殴るのはアイジョーヒョウゲン。 蹴りつけるのはアイジョーヒョウゲン。 「ありがとう!ありがとう、トーコちゃん!大好き、トーコちゃん!」 大事な大事なトーコちゃん。 俺はトーコちゃんになら、何をされてもいいんだ。 なんでもしてあげたいんだ。 「俺は一生、トーコちゃんの犬だからね!」 大好きだよ、トーコちゃん。 |