ガチャ、ン。 ひやりとした感触の冷たい鉄格子の扉を開けると、檻の中で眠っていた人は小さく体を震わせ起き上がった。 足に繋がれた鎖が、その拍子にがしゃりと耳触りな音を立てる。 檻の片隅に身を寄せると、強く私を睨みつけている。 その強い瞳に、ゾクゾクと征服欲が煽られる。 「………よく眠れましたか?」 昨日の夜に散々弄んだ体は、まだ色濃く情事の痕跡を残す。 上質の毛布を身につけただけの体は、肩や足がむき出しでその半端さが余計に欲を煽る。 脚にも肩にも、私が刻み込んだ紅い所有印が散らばり、湯浴みをしていない体からは精の匂いが立ち込める。 輝く金糸のような金髪。 滑らかなシルクのような白い肌。 サファイアをそのまま埋め込んだかのような光を放つ瞳。 それらが誰もが好ましく思うよう配置された美貌。 伸びやかな、若木のような四肢。 城のお抱えだった彫刻家にも、彼の姿を削り取るのは不可能だ。 どんな天才的な絵描きにも、彼の美しさは映しとれない。 例え身分を失っても、自分自身が価値のあるものだと思わせるような美しい完璧な私の王子。 賢く気高く、心優しい美しい王子。 幼い頃から導き、そして思うとおりに育て上げた。 大事な大事な、誰よりも何よりも大切なもの。 完璧な、かけがえないのない宝を汚す。 自らの手で作り上げた、完全なものを、壊す。 それはなんとも言えない背徳感、罪悪感、嫌悪感。 そして、快感。 私の精液で汚れた王子は、汚らわしく、そして何よりも美しかった。 もっともっと、内も外も、全てを私のもので満たしてしまいたい。 ずっとずっとつながって、声を上げさせて、狂うほどに攻め立てたい。 王子は私の視線から逃れるように、軽く目を伏せる。 そして体を小さく丸まるように、膝をかかえる。 「………ユリウス………、なぜ、こんな」 「レギオン、私の王子、あなたがいけないのです」 「ユリ、ウス………」 聞き心地のいい吟遊詩人でさえ敵わない美しい声が、震える。 一晩中その体を貪り続けた。 知らないところなどないように全ての部分に触れ、舌をはわし、穴という穴をふさぎ、私の汚らしい精液で満たした。 それでも満たされない。 何度汚しても、何度刻み込んでも、飢餓が癒えない。 その体を見るたびに、何度でも飢えが甦る。 「さあ、休憩は終わりです。王子」 「い、やだ………っ」 腕をとると、レギオンは逃げ出そうと身を引く。 狭い檻の中、繋がれた鎖、逃げるところなどありはしないのに。 だから冷たく告げてやる。 「あなたの意志など、聞いていません」 「いやだ、ユリウス!ユリウス、やめてくれ!」 抵抗にすらならない弱々しい拒絶を一笑に付し、その体を檻の中に組み伏せる。 勿論、床には上質のシルクが敷き詰めてある。 彼の肌に、傷なんてつけるつもりはない。 「ユリウス!!」 悲痛な叫びを、私の口の中に飲み込み、私はその体を再度喰らう。 この渇きが、少しの間でも満たされるように。 「うむ、なかなかよかったな、今回の『囚われた亡国の王子と狂乱の悪徳大臣』の設定は」 「………そうですか」 私は適当に相槌をうちながら、王子の汚れた体を拭う。 王子の体を余すことなく汚している精液と口づけの痕。 美しい体からは精液やら汗やら唾液やらの匂いが充ち溢れてくる。 自分でやったことながら、穴に埋まりたいほど恥ずかしい。 「やはり現実の設定に近い方が臨場感が出るな。燃えた!」 「………どこからあんな檻まで持って来たんですか」 「うむ、出入りの商人が夜のお楽しみにと置いていってくれた」 「そんなことに無駄遣いなさらないでください………」 「これくらいの遊びで破産するほど蓄えは貧弱ではない」 「普通にしてください、普通に………」 「お前だってノリノリだったくせに」 そう言われると、言葉に詰まる。 確かにいつもと違う怯えた小動物のような王子は、大変嗜虐心をそそられた。 年甲斐もなく張りきってしまったのは事実だ。 「お前もいつも以上に情熱的で、私は本当に神の御許へ行くかと思った」 神が聞いたら怒りの雷を落とすぐらい不敬な言葉だ。 うっとりと唇を舐めながら、王子は抜けきらない快感に酔うように眼を細める。 露わになった白い喉に、またずくりと腰が疼く。 全く、この人を前にすると浅ましいぐらい自制が効かない。 「私は、いつかあなたに精気を吸い取られて神の御許へと旅立ちそうです」 「それはなんとも幸福なことだ。私の腕の中で愛に包まれ、神の御許へと旅立つ。まるで一片の詩のようではないか。そう、この世に必要なのは愛のみだ」 王子は本当に幸福そうに微笑み、神に祈るように手を広げる。 相変わらずの愚かな発言に、私は軽くため息ついた。 足の指先まで拭って、身を起こす。 「………はあ。拭き終わりました。湯浴みの用意をいたしますのでしばしお待ちください」 「ああ、すまないな。そうだ、たまには私も風呂の掃除でもしてみるか」 「お止めください。あなたともあろう人が」 「あなたともあろうと言われても、私はもう王子でもなんでもない。ただの、お前と同じ、この国の住人だ」 最近では面白がって、下女がやるような仕事も嬉々として手を出すからタチが悪い。 掃除も料理も洗濯も、子供のように無邪気に遊ぶ。 また、元来器用だからそのすべてを高水準でこなしたりする。 まるで、過ごせなかった子供時代を取り返すように、最近王子は輝くように笑う。 その姿を見るのは、とても楽しいのだけれど、それでもやはり、苦い気持ちが残る。 だから私は、また繰り返してしまう。 答えの決まっている問いを。 「………もう、政に関わるおつもりは、ないのですか」 「ないな。言っただろう、私は愛に生きる」 反射的に返って来たのは、やはりはっきりとした拒絶。 そこに迷いは、見られない。 寝台に何も身につけずに座ったまま、王子は困ったように笑う。 精液にまみれていてさえ、この人は気高さを失わない。 「私を立派な王たるよう育ててくれたお前には悪いが、私の存在はこの国の害にしかならん」 「………あなたほど、王に相応しいお方は、この世のどこを探してもいないものを」 「確かに私は賢く強く美しく、民を思い平等だ。これ以上にないほど、王にふさわしい人間だ」 王子は恥じらうことなく、自分への賛辞を口にする。 だが、その言葉に首を横にふる人間は、誰一人いないはずだ。 「だが、それゆえに、一人立ちしようとしている民たちのためにはならない。私という、絶対的な母親がいる限り、民は自立はできない。ようやく生まれた自立心をつぶすような真似をする親は、いるまい?」 悪戯ぽく笑われて、私は複雑な心境に陥る。 その決心を気高く貴く思い、そして悔しく思う。 私の育てあげた王子は、本人の言うとおり、誰よりも王に相応しいお方だった。 「私は王族として責務は十分に果たした。後は彼らに任せたい」 王子は、少しだけ寂しそうに笑う。 政が嫌いなわけではない。 むしろ、政策を考え、動くこの人は生き生きとしていた。 だが、それももう、過去のことだ。 後、50年も前に生まれていたら、この国を導き、更なる発展をもたらしただろうに。 この方が世継ぎとして立った時には、国はもう崩壊寸前だった。 腐敗しきった、専横する貴族たち。 弱く、ただ自分の立場を守るために必死な王族。 それらに振り回され、疲弊した民。 飢饉、暴動、蔓延する人民思想。 そこらに転がる、革命の種。 この国は、爆発し、はじけ散るところだった。 王子は聡明な人だった。 自分の立場を、王としての責務の重さを、生まれながらに理解していた。 誰よりも王にふさわしいお方。 だからこそ、その王冠と玉座を捨てることを選んだ。 弱腰のことなかれ主義の父王を廃し、利権を漁る貴族たちを追放、投獄、処刑。 協力的な貴族には財産を保証し、民を扇動していた代表者と対話の上、民による政治の体制を整えた。 そこまで完璧に作りあげて、国を民の手に引き渡した。 革命の嵐が吹き荒れる諸国を横目に、ほぼ無血での革命を成功させた。 その勲功は、遠く海の向こうまで、王子の名とともに響き渡った。 亡国の名君。 それが王子に与えられた名誉。 「本当は、こんなにも丁寧に手をひいて導くのも、過保護だったがな。真に民を思うなら、私は暴君として彼らに討たれるべきだったかもしれない。与えられた権利は、ありがたみも薄ければ、守り通す意志も弱い。理想は、彼らに自らの手で権利を勝ち取ってもらうことだった」 「王子!それは………」 王子が討たれるなど、想像するだけで闇に捕らわれる。 そんなことになっていたら、私はどんなことをしてでもこの国を滅ぼす悪鬼となっただろう。 だが王子は呆れたように手をひらひらとふった。 「ああ、分かっている分かってる。私だって死にたくはない。そこまで国に身を尽くす気にはならなかった。我が国の民は、等しく幸せあるべきだ。私はもう、一国民。ということは、私も幸せであるべきだ。そうだろう?」 そう言って、悪戯ぽく笑う。 王政を廃すと決めた時も、野に下ると言った時もこうして笑っていた。 現政権からも、この人の類いまれなる才能を惜しむ声は多い。 だが、それと同時に恐れる声も多い。 どんなかたちであれ政に関われば、混乱は起きるだろう。 突出した才能は、人の欲望と恐れを唆す劇薬となる。 そのことを知るこの人は、だからひっそりと国の外れで身を隠す。 「まあ、あいつなら、なんとかうまいこと国を導いてくれるのではないかな」 あいつ、というのは王政を廃す際に協力した、現政権の先導者。 民の幸せを祈る心と、理想とそして自らの野心に溢れた、自信に満ちた男。 その聖と濁を兼ねそろえた野性的な男を、王子は気に入っていた。 「………あなたは本当に、あの方を買っていらっしゃいますね」 「なんだ、嫉妬か。可愛い奴め」 「違います。あなたのほうが、ずっと国をうまく導けるものを」 確かにあの男も才はあるだろう。 だが、私の王子は、それ以上に、この国を豊かにできたものを。 あの男が褒め讃えられる度、屈辱が胸を焼く。 私の王子はもっとはるかに素晴らしい。 この人の意志だと分かっていても、私が納得できないのだ。 王子は私の気持ちをくんで苦笑する。 「はは、本当にお前は仕方ないな。まあ、正直、王冠は重ければ、あの玉座の座り心地も悪い。欲しいと言うならくれてやるさ。私はこうして」 襟首を掴まれ引っ張られる。 前のめりに屈みこむと、冷たい唇に、吐息を奪われた。 至近距離で、美しい顔が悪戯ぽく笑う。 私の何よりも好きな、表情。 「愛人と享楽に耽る毎日に満足している。愛こそ、すべてだ。一生暮らしていけるだけの財産もうまいこと残したしな。世継ぎを作れとも言われない、面倒な問題で頭を悩まさなくてもいい。私はあのままだったら三十をまたずに禿げていたぞ。この美貌で禿げるなんて、考えるだけでも恐怖だ」 豊かな金髪をくしゃりとかき回し、王子はもう一度唇を重ねる。 そしてようやく手を離すと、子供らしさがとみに増す表情で楽しそうに将来を語る。 「まあ、退屈したら山賊になるのもいい。海賊もいいな。本を書いてもいい。亡国の王子の手記だ。金になるぞ。それこそ、外に出て国を立ててもいい」 「………本当に、あなたは王子のくせに俗っぽい」 「はは、教育の賜物だな」 だから、私は納得する。 納得せざるをえない。 この人が王になる姿を見たかった。 そのためなら、私の人生も命も賭けようと思っていた。 だが、たった今。 手の届くほど傍にいるこの人に、たとえようのない幸福を、感じてしまっている。 所詮、私も俗物だ。 王になれないこの人を、喜ぶ心が確かにある。 「とりあえずは、これまで許されなかった愛人との時間を心行くまで楽しむさ。その後のことを考えるのは、満足してからでいい」 「いつ、満足されるのです?」 「さあな。お前に関しては、満ち足りるということを今まで感じたことがない」 この人は、本当に人心を掴むのがうまい。 王たる資質。 こうして、何度でも、私は心奪われる。 この人に全てを捧げようと、心する。 「さて、次はどんな趣向で楽しむかな」 「そんなことを考えてばかりいるほうが、禿げますよ。全く俗っぽい」 王子は、そして、また私の心を捕え、縛りつける。 「何を言う。これは人生を楽しむための高潔な悩みだ。これから一生一緒にいるのだ、お互い飽きたりしないよう、豊かな人生を歩みたいではないか」 挑戦的な視線に、私の答えは決まっている。 この方が生まれ、傍付きとなり、教育係となり、腹心となり、そして愛人となった。 そのいづれの時も、私の心は変わらない。 「あなたといて、飽きることなんてありませんよ。飽きる暇なんてありません」 「それは心強いな。安心しろ、私も一つのことにのめり込むタイプだ」 「よく存じておりますよ。私がお育て申し上げたのですから」 誰よりも王にふさわしい、完璧な方。 そしてなにより、愛しい愛しい、愛人。 「一生お仕えします。私の王子。私だけの、王子」 そして私たちは、誓いの口づけを交わした。 |