「……迷惑かけて、すみません。今日でやめさせてください」



***




長身の男は、いつものままの無表情のまま、硬質な声でそう言った。
そこには、なんの躊躇いも感じさせない。
麻生はずっと浮かべたままの穏やかな笑みを崩さぬまま、有川の腕に手を添える。
「そういうことです。吉川くんも納得して頂けたかしら?」
「……無理矢理、言わせてんじゃねえか」
吉川は一瞬、有川の言葉に息を呑んだが、それでもなんとか口を開く。
「そうよ〜、あんな風に言われたら誰だってうなずくしかないじゃない〜」
すっかり大人しくなってしまった加奈を羽交い絞めにしたまま、寺西も加勢する。
麻生はその言葉を想像していたのか、少しも動じるそぶりも見せない。
「ですって?そうなの、響?」
「いいや。俺の意思だ」
今度は間を空けることもなく、即座に真っ直ぐと面々を見つめ返す有川。
「俺の意志で、やめさせてもらいたい」
薄い唇の口角を挙げる麻生。
貧相とすら言える女性らしくない容姿。
それでもその笑みは、どこまでも女性らしかった。
「……って、それでいいのかよ、お前!そんな女の言いなりになって!」
「言いなりじゃない。……それと、ショウを悪く言わないでくれ」
そのためらいのない言葉に、悔しそうに眉をしかめ、吉川も黙り込む。
今までの一ヶ月弱の間で縮まった有川と生徒会メンバーの距離が、唐突に離れたようにすら感じる。
そして、狭い生徒会室内が静まり返った。
「それでは、よろしいですね。これまで響がお世話になりました」
この場の主導権を握っている少女が優雅に頭を下げ、それに有川が一拍遅れて続く。
二人そろって踵を返した背中に、再び声がかかった。
「ちょっと待った」
先ほど黙り込んだまま、流れを見ていた神崎だった。
ゆったりと座り、肘をついた手に顔を預けたまま麻生を見つめている。
「まだ、何か?」
対して麻生は首を少しかしげ、日本的な整った顔をどこか楽しげに見つめ返す。
「それってさ、すごい無責任じゃない?」
「……どういうことかしら?」
「一度はやるって言ったことをさ、あっさりやーめた、ていうのはおかしくない?」
口調は軽く、いつものように笑ってもいる。
しかし、その目は鋭かった。
麻生はドアに向きかけた体をもう一度室内に向きなおす。
そして自分より低い位置にある年上の男の意図を探るように覗き込む。
「けれど、そもそも正規のメンバーでもない響をこき使っている方がおかしいのではないかしら」
「でもさ、もう響ちゃんは受け持ってる仕事とかもあるわけ。それで急に抜けたりするのって、他人の迷惑とか考えてないよね。高校生にもなってその態度って問題あるでしょ」
その言葉に、麻生が表情を変える。
穏やかな笑みから、どこか面白がるように興味深げに目を輝かせる。
「……けれど、強引に連れてこられて逃げられないようにさせられるのもどうなのでしょう。それに、勝手にメンバーを入れることは出来ないのではなかったかしら、校則では」
「たしかにちょっと強引な勧誘だったかもしれないけど、意志の確認はしたしね。それに頷いたのは響ちゃんだ。校則では確かにメンバーを入れることは出来ないけれど、手伝いを頼むことぐらいは不文律として代々黙認されているしね」
「では、他の方に手伝いを頼んでは?やりたい人が沢山いるでしょう。生徒会の方々は好かれていらっしゃるし。やりたくないという人間よりはよっぽど効率的なのでは?」
「好かれてるなんて、光栄だな〜。たいした仕事もないけど、一応部外秘なものとかもあるし、ころころ人間を変えるわけにもいかないでしょう。それに仕事一から教え直すにも手間がかかる」
そこでいったん神崎は言葉を切ると、ちらりと有川を見て、加奈を見る。
そして麻生に視線を戻した。
「響ちゃんて、そんなに責任感のない、強調性のない人間なのかな?一旦やりだしたことを投げ出すような。俺の見込み違いだったのかー」
挑むように見つめる神崎に、麻生は笑みを消す。
そうして口元に手をあて、目を伏せた。
しばらくして、ゆっくりと顔を上げる。
その時には、すでに張り付いたような笑顔が戻っていた。
「……そうですね。たとえ安っぽい挑発だと分かっていても、響の人間性を疑われるのは不本意です。私のとっても、響にとっても」
「それでどうするの?」
「響に手伝わせます。今までどおり」
「おや、あっさり意見を翻すんだね」
意外そうに、目を丸くする神崎。
けれど麻生は首をゆるく振った。
「夏休みまで、という期限付きで。きりがいいでしょう?それまでに響が受け持った仕事を整理すればいいのだし、貴方達が信頼できる人員とやらを探せばいい」
「……虫がよすぎやしない?」
「そうですか?これでも最大限の譲歩です。それとも正規メンバーでもないのにやめさせてももらえないのかしら?」
「響ちゃんの仕事、後一ヶ月ぐらいで整理がつくとも思わないんだけど」
「それで、もう一つ条件があります」
「まだあるの?わがままだねえ。それで、何かな?」
からかう様に右眉を上げる神崎。
麻生は隣で黙ってずっと成り行きを見守っていた有川を見上げる。
有川はどこか心配そうに、不安そうに見上げる少女に首をかしげた。
「私もお手伝いさせてください。こちらのお仕事を」
『はあ!?』
これには神崎、寺西、吉川の声がそろった。
「こちらはメンバーでもない人間を勧誘するほど人手に困っているのでしょう?それでしたら1人増えるのは歓迎することなのではないでかしら。響の仕事を一緒に受け持つのだったら、私と響は気心が知れているし話が早いです。もちろんこちらの部外秘とやらの情報をもらすこともしません。それも響が保証してくれます。そして能力、という点でしたらご存知のように、私は成績も悪くありません。まあ、それが仕事へ対する能力へとつながるがは分かりませんが、記憶力だけはあります」
随所に有川との親しい関係を匂わせながら、なおかつ自分の主張を通そうとする。
謙遜だか自慢だがよく分からない自己アピールを加えながら。
その悪びれない麻生の様子に、まず反応したのが吉川だった。
「なんだよ、その勝手な言い草。お前にそんなに指図される筋合いねえよ」
それに寺西が続く。
「そうよ、なんかものすごいムカつくんですけど」
いつもの間延び言葉すらなくなっている。
「あら、そうですか?指図したつもりはありません、ただの提案です。私と貴方達の妥協案として。お気に障ったなら失礼いたしました」
そう言いながらも、その態度には申し訳なさそうな影などない。
それがまた気に障ったのか、苛立たしげに吉川が口を開こうとする。
が、それより先に神崎が返答を返した。
「いいよ」
『会長!?』
またも声を合わせる寺西と吉川。
しかしそれには取り合わず、麻生と視線を合わせる神崎。
双方とも、穏やかな笑みを浮かべたまま。
「あら、よろしいんですか?」
「うん、いいよ。確かに人手はあっていいし。それに響ちゃんのお墨付きなんだろう、麻生さんは?」
最後の言葉は、麻生の横に立っている有川に向ける。
急に話を振られて、有川は驚いたように目を瞬かせた。
「……え、うん。ショウは、とても頼りになる」
それでもしっかりと頷いて、座っている先輩を見つめ返した。
麻生はその言葉に、満足気にするでもなく当然のことのように、佇んでいる。
「響ちゃんのお薦めなら、信用できるでしょ。たとえ、どんだけ俺らから見てそう見えなくてもね。それに響ちゃん『とは』まだまだ仲良くしていきたしね」
にこやかに胡散臭げな笑顔で、珍しく辛らつな言葉をはく神崎。
他のメンバーは何も言えず、その流れを見ているしかなかった。
「響をそんなに信用していただけるなんて、嬉しいです。響は誤解されやすいから」
そう言って、投げかけられた言葉など気にせず隣の男を優しげに見つめる麻生。
その視線からは有川に対する親愛の情が、端からでも分かるほどに浮かんでいた。
しかし、それは同時に有川を自分の所有物と顕示するような仕草でもあった。
「じゃあ、麻生さんも響ちゃんも生徒会のお手伝いするってことでいいかな」
「ええ、それで結構です。今日は少し響と話すこともあるので、失礼させていただきます」
そうして視線だけで有川を促し、呆然とする神崎以外のメンバーを尻目に生徒会室を後にした。



***




そうして嵐が去った後の生徒会室に、新たな嵐が訪れた。
「会長〜!!!なんであんな娘入れちゃったの!」
「そうですよ!すっげー、感じ悪いあいつ!有川もなんであんな奴にホイホイ従ってんだよ、情けねえ!」
勢いこんで立ち上がり、生徒会長を責め立てる二人。
「まあまあ、落ち着いて落ち着いて二人とも。それより加奈ちゃん大丈夫?」
そこで3人の視線が今までの間ずっと黙りこくっていた小柄な少女に行く。
加奈は呆然と机を見つめたまま、口をつぐんでいた。
神崎が傍らに寄り、覗き込むようにして視線を合わせる。
「加奈ちゃん?」
「あ………」
視線を一点で固めたまま口を開く加奈。
「あ?」
「あ……」
「ん?」
「あったまきたー!!!!!!」
勢いよく机を叩き、その勢いで立ち上がる。
神崎はすんでのところで頭突きから逃れた。
「何あの女?なんなの!?何様?殿様?お嬢様!?有川に命令しまくってー!!!!ていうか有川のなんなの?どういう関係なの?有川に触ってるし、有川も従うし、ちっくしょー!!!!」
そこまで一口に言い切り、肩で息をする。
神崎は、いつもどおりのその従妹の態度にどこか温かな笑みを浮かべた。
「はいはい、どうどう、美少女台無しだよ、加奈ちゃん。これまで大人しくしてたと思ったら」
「怒りすぎて頭真っ白よ!思わず話すことを忘れちゃったわよ!あの陰険ガリ勉女!何が響、よ!私の有川に馴れ馴れしくすんなー!!!」
「……お前のじゃねえけどな」
即座に机に置かれたカップが宙を飛んだ。
よけきれずに額にヒットしてうずくまる吉川。
「まあまあ、そんなにいきり立たずに」
「叶も叶よ!なんであんな女の言うこと聞いてるのよ!」
我を忘れて怒っている加奈は、今度は従兄に矛先が向かう。
年上の従兄は困ったように苦笑して、小さな頭をぽんぽんと撫でた。
「だって、あのままじゃ響ちゃんもいなくなっちゃいそうだったじゃん」
「それはそうだけど!それくらいあんたのあくどい口先八寸でどうにかしなさいよ!」
「あくどいって……。それにさ、麻生さんが何者か、ってのも気にならない?」
「え?」
「皆もそう思わない?恋人かなあ、とも思ったんだけど、てうわ!加奈ちゃんソーサーを投げない。当たったら痛いでしょ。それにしてもあの絶対服従体制はおかしいでしょ。何か弱みでも握られてたりするのかなあ、とか……」
その言葉に加奈は食いついた。
隣の神崎の首根っことを捕まえて揺さぶる。
「それ!それよ!絶対弱みを握られてるのよ、有川!それしかありえない!有川単純だし!結構間抜けだし!」
とても想い人を表現するとは思えない単語を並べる加奈。
神崎はやんわりと自分の首をしめていた手を引き剥がすと、一歩後ろに引く。
「でしょ、その辺すんごい気になるでしょ。だからこっちに引き込んでその辺の事探ってくのもいいかな、て。敵を討ち取るにはまず敵を知らなきゃね」
残りの3人を見渡して、説明する。
それにようやく得心がいったように、頷いて感情を収める面々。
「なるほど」
「そっか〜、会長一応考えてたんですね〜」
「一応は余計だよ、幹ちゃん」
加奈は1人考え込むように、親指の爪を噛む。
「加奈ちゃん?」
「……有川の様子がおかしかったのってさ、あいつのせいかな?」
「それはどうだか分からないけどね。理由は知ってそうだよね、さっきの態度からして。かなり親しげだったし」
最後の一言に、加奈は眉を吊り上げた。
けれど握ったカップを投げつけることはせず、ふてぶてしいとさえいる笑顔を浮かべる。
「そうね、やってやろうじゃない。有川が私を避けてた理由も知りたいし、有川をモノにしたいし、あの女はむかつくし。絶対全部暴いてやるわ!覚悟しなさい、有川、陰険女!」
「その調子よ〜、加奈ちゃん!その攻撃的な姿勢こそ加奈ちゃん〜!」
「有川も覚悟するのか………」
手を叩いて囃し立てる寺西に、こっそりとつっこみを入れる吉川。
神崎はその様子を面白そうに観察している。


明日からの闘いを思い浮かべて、加奈は強く拳を握り締めた。





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