「ふあ」

峰兄とお祖母様が話があるそうなので、守を部屋まで連れてくる。
俺の本棚や、趣味で作っていたボトルシップなんかを興味深そうに見ていたが、ふと、大きなあくびをした。

「眠そうだな。あんまり寝れなかったのか?」
「あ、うん」

目を軽く擦りながら、無表情に頷く。
そしてまたちらりと俺のことを盗み見る。
いい加減鬱陶しくなってきて、俺は小さくため息をついた。

「どうしたんだ、なんか暗い顔してるけど。後、俺に何か用か」
「え?分かるの?」
「だってお前朝食の最中からずっと俺のことちらちら見てるし」
「………」

朝食は久々に家族全員が揃い、守も一緒にダイニングに座った。
相変わらず母さんは機嫌があまりよくなく、守に対してちくちくと嫌みを言っていた。
峰兄への不満を、生意気な後輩に向けることにしたらしい。
天然なのか計算なのか、守は特に気にする様子もなく全て普通にスルーしていたが。
それがまた母さんの癇に障って、より不機嫌になっていた。

母さんは息子に元々過干渉気味だが、自分の手元からさっさと離れて行った自由闊達な次兄をなんとか自分の思うままに動かそうとするところがある。
そんなことをすれば峰兄は余計に遠ざかるってことは、俺だって分かるのに。
仲のあまりよくないお祖母様への対抗心ってのもあるんだろうけど。

「俺、そんなに見てた?」
「うん」

そんな重苦しい空気の朝食の中、守はなんだか暗い顔でちらちらと俺の方を見ていた。
最初は母さんからかばってほしいのかと思ったのだが、母さんのことは完全に眼中にない状態だったので違うと分かった。
基本的にあまり表情は動かないが、僅かな目や口元の動きでなんとなく感情が分かる。
その黒目の大きい目といい、まるで猫のようだ。
部屋に入れても何も言いださないので、仕方がないから水を向けてやる。
守は、ふっと息をついた。

「鷹矢って鋭い」
「いや、お前って無表情な癖に、なんか感情が出るよな」

目は口ほどにものを言うってことなのだろうか。
言いながらちょっと笑うと、守はパチパチと瞬きをした。

「初めて言われたな」
「そうなの?」
「分かりづらとはよく言われる」
「まあ、分かりやすいとは言えないな」

俺も最初はなんだこの無愛想な奴って思ったし。
正直敵意すら持っていたが、なぜだか好意を持たれて懐かれているようなので、無碍にもできなくなってしまった。

「それで、どうしたの?」

もう一度聞くと、守はこちらをちらりと見てから、床に視線を落とす。
そして蚊の泣くような小さな声でぼそりと言った。

「………ごめん、鷹矢」
「え、な、何?」

いきなり謝られて、驚く。
なんか俺されたっけ。
守はちらちらと俺の方を見ながら、申し訳なさそうに眉を下げる。

「あのさ、借りたパジャマ、汚しちゃって。後で、買って返す」
「はあ?」

どんな重大なことを告げられるのかと身構えていると、出てきたのはものすごい些細なこと。
拍子抜けだ。
けれど守は、俺の態度が怒りだと受け取ったらしい。
ますます申し訳なさそうに肩を落とす。

「………本当にごめん」
「いや、別にいいけど。替えはあるし。返さなくてもかまわない」
「………」

そう言うとようやく顔をあげる。
しかしやっぱり落ち込んでいるようで、表情は暗い。

「ていうか別に汚れたなら洗濯すればいいだろ。少しくらい汚れてたって構わないよ」
「いや、結構盛大に汚しちゃって」
「なんだよ、おねしょでもしたのか?」

なんだか分からないが沈んでいるので、明るくするために笑い交じりにからかう。
しかし守は怒るでもなく、真面目な顔で返してきた。

「いや、精液でぐちゃぐちゃになっちゃって」
「は!?」
「本当にごめん。先輩のは俺が全部飲んだり中出ししてもらえばいいとしても、俺ので汚れるんだよな。全然考えてなかった。アホすぎ。それに声押し殺すためにずっと口に突っ込んでたからよだれでもべたべただし」
「あ、あ、あ、あ」

粗相をして叱られる子供みたいに、肩を落として懺悔する守。
一見性欲なんてありませんといった風情の真面目な外見の男の口から出るのは、恥もてらいもない夜の生活。
ていうか、問題はそこじゃない。

「ごめんな、鷹矢」
「アホか!」

思わず声を荒げてしまった。
守は叱られた子供のようにびくりと震える。

「ごめんな、怒ってるよな。せっかく鷹矢が貸してくれたのに。俺、マジでアホだ。せめて脱いでヤればよかった。ていうか先輩の服にすればよかった」
「なんの話をしている!」
「セックス?」
「そうじゃない!」

なんなんだ、こいつは。
時折本当に本当に、話が通じない。
本とか学校とか友人の話とかする時は普通なのに、ものすっごくネジがぶっ飛んでる時がある。

「ごめん、俺、言い訳がましいな。今度買って返すから」
「だから、そうじゃなくて!」

俺の怒りの理由を取り違えたまま、守は暗い顔をしている。
怒りっていうか、単に焦ってるだけなんだけど。

「鷹矢?」
「パジャマはどうでもいい。捨ててくれ。代わりのものもいらない」
「うん」

なんか代わりとかもらっても、今言われたことを思いだしてしまいそうだ。
話の通じない宇宙人のような男に、何をどう言ったら意志が伝わるのか。
焦りと苛立ちを抑えるために、俺は額を押さえて、大きく呼吸をする。

「あのな、汚したことは怒ってない」
「うん」
「ただ、そういうことをあけすけに言うな」
「そういうこと?」

本気で分かっていないらしく、不思議そうに首を傾げる。

「だから、せ、セックスのこととか、そんな軽々しく話すな。そういうのはあまり簡単に話すようなことじゃない」
「でも、男同士だったら猥談ぐらいするもんだろ?」
「家族の話とかそういう生々しいこと聞きたくないんだよ!しかも男同士とか!こっちは簡単に受け止められるほど出来た人間じゃない!」

峰兄が女好きで、色々な女性と付き合ってるってのは知ってる。
恋人とかじゃなくて、ベッドを共にするだけの関係の人も何人もいたことも知っている。
今だって若いツバメみたいなことしていることだって知ってる。
でも、だからといって、自分と一つしか違わない地味な男とのベッドの上での詳細な内容なんて、知りたくもない。

守はまた何度もパチパチと目を瞬かせる。
それからしばらく考え込んで、一つ頷いた。

「………なるほど」
「ぜったいに!父さんや母さんや霧兄の前で話すなよ!」
「分かった」

こんなこと特に母さんの前で言われたら、どんな修羅場が待ちうけているか。
お祖母様も鳴海さんも二人の関係を、他の家族には言ってないみたいだし。
こいつは放っておくとポロっと、昨日の先輩はすごい激しかったです、ぐらいは言いそうだ。
ああ、色々な意味で考えたくない。

「あれ、静子さんは?」
「お祖母様は多分面白がるだろうから、いいと思う」
「分かった」

あの人は間違いなく楽しがって、色々聞きたがるだろう。
峰兄は嫌がりそうだけど。

「………」

守は黙り込んで、口元を手で覆う。
部屋の中に沈黙が落ちて、30秒ほどした頃。
ぽつりと漏らす。

「………俺って、もしかして空気読めてなかった?」
「うん」

ものすごくな。
こいつのなんかちょっとずれたところって、どうやったら直るんだろう。
特に非常識ってことはあまりないのに。

「ありがとう。反省するわ」
「そうしてくれ」

守は、真面目くさった表情で、一つ頷いた。
とりあえず、シモネタ関係は控えてくれるようだ。
それだけ分かってくれれば今はいい。

「後、初めて来た恋人の家で、そういうことをするな」
「先輩は別に恋人じゃないけど」
「初めて来た他人のうちで、そういうことするな!」
「………はい」

もしも見つかっていたらどんなことになったことか。
ていうか普通に非常識だろう。
峰兄も峰兄だ。
て、あの人に常識を説いても仕方ないんだけど。

「俺、保護者にも報告してたわ。もしかして、駄目だったのかな」
「………それは、ご両親に聞いてくれ」
「そうする」

疲れ果てて投げやりに応える。
守は何やら難しい顔で考え込んでいる。
ご両親は一体どういう性教育を施したんだ。
ていうか報告してたって、今みたいな内容をか。
どんな家族なんだ、一体。

「鷹矢って、なんかしっかりしてるな」

守が少し楽しそうに目元を緩めながら、そんなことを言う。
しっかりしてるかそういうことじゃなくて、常識があるかないかの差だ。
守は年上のくせに、どこかふらふらして危なっかしい。

「お前って年上のくせに、なんか弟みたい」

俺は末っ子だから弟の存在がどんなものかなんて分からないけど、いたらこんな感じなのかもしれない。
馬鹿で、手がかかって、面倒くさくて、でも憎めなくて放っておけない。

「弟か」
「なんだよ。別に冗談だぞ。怒るなよ」
「いや、うん」

守は、弟、ともう一度口の中で繰り返す。
年下にそんなことを言われるのは気に障っただろうかと少し焦ったところで、守は嬉しそうに笑った。

「鷹矢の弟も、いいな」

そんな風に全力で懐かれると、追い払うこともできない。
でも、俺はお前みたいな貞操観念のない、手のかかる弟はごめんだ。





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