それでも俺は、嫉妬する。



- 黒幡 -




「ねえねえ、黒幡君」

教授の研究室に向かう途中、後ろから呼び止められた。
振り返ると、どこかで見覚えのある女子が4人ほど。
うちの学校には珍しい、いわゆるギャルっぽい装いの子達だ。
なんかの授業で一緒だったかもしれないな。
中心人物らしい、一番美人で派手な女の子が、にこりと笑う。

「黒幡君てさ、ホモなわけ?」

返事をするより先につきつけられた言葉は、質問ではなく断定だった。
にやにやと意地の悪さが染み出る女らしい笑顔は、醜悪だけどどこか綺麗で惹きつけられる。

「池センパイにまとわりついてさ、女みたいに料理作って、ほんとオカマっぽいよね。池センパイのこと、好きなの?」

きゃーやだあ、と周りの取り巻きがくすくすと笑う。
俺が何も言わないのをショックを受けたのかと思ったのか、更に勢いを増して彼女たちは口々に俺を嬲る言葉を口にする。

「池センパイとエッチしたんでしょ?」
「どうやって誘惑したの、その顔で。教えてよ」
「他の子が近づくと嫉妬して邪魔してるんでしょ?」
「やだ、キモイー」
「センパイも迷惑だよねえ」

どちらかと言えば女性の方に興味があるし、誘惑した覚えもなければ、他の女が近づくのを邪魔した覚えもなく、客観的に見て迷惑をかけられているのはこっちだ。
なんて、彼女たちに言っても無駄だと言うことぐらいは分かる。

「先輩と寝たいの?」
「は?」

だから俺は建設的な意見を提示することにした。
こんな風に俺を取り囲んで先輩に相手にされない鬱憤を晴らしている暇があったら、行動した方がいいだろう。

「寝たいなら、俺に構うよりも本人に言った方が早いと思うよ」

一回寝るぐらいだったら、たいしてハードルは高くないだろう。
なにしろあの人の下半身に躊躇いとか慎みといったものはない。

「先輩、特に好みはないみたいだから、人間のメスでそこそこの容姿なら、穴さえ開いてれば寝てもらえると思うけど」

オスで手を出してるのは俺ぐらいのようだが、メスだったら本当に穴さえ開いてればなんでもいい、ぐらいな勢いだ。
太っていようが痩せていようがブスだろうが美人だろうが。
あまりにもタイプの違う女ばっかり連れ込んでるから、前に聞いたら下は18から上は70ぐらいまでならいけると言っていた。
子供に興味はないってことで、一安心だ。
犯罪だけはやめて欲しい。

「ただ、粘着質な人間は好きじゃないみたいだから、その性格は隠した方がいいかもね」
「な!!!」

一気に顔を赤くする女の子。
せっかくのアドバイスはお気に召さなかったらしい。
あの人、面倒な女好きじゃないから、教えてあげただけなのに。

「ふざけないでよ、オカマのくせに!」

思い切り振りあげられる、ネイルが施された綺麗な手。
殴られようか避けようか迷う。

「はいはい、そこまで」

しかし彼女の細い手は、中空で誰かの手に受け止められた。
耳に優しい穏やかな声が、割って入る。

「鳴海さん」

彼女の後ろには、いつの間に来ていたのか見知った長身のスーツの男性が立っていた。
場の雰囲気にそぐわない朗らかな笑顔で、にこにこと笑う。
秀麗だが先輩のワイルドさとはまた違って、英国紳士のような気品を持つ容姿の人だ。

「な、なによ!」
「お嬢さんたち、暴力はいけないよ。少なくとも峰矢は、乱暴な女は好みじゃないと思うよ」

峰矢とは先輩のことだ。
あの人は乱暴だろうが大人しかろうが、自分に従順な足を開く女ならなんでもいいと思うが。

「な!」
「かわいいんだから、こういうことはしちゃダメだよ」

駄目押しのようににっこりと有無を言わなさい迫力で笑うと、少女達は顔を赤らめた。
綺麗な顔っていうのは、それだけで力になる。

「いこ!」

掴まれた手を振り払って、踵を返す。
取り巻きもそれに従って、ぞろぞろと来た時と同じように足音荒く集団で去っていった。

「ありがとうございました」

残された俺は、とりあえず助けてもらって礼を言う。
鳴海さんはくすくすとおかしそうに笑った。

「君も言うねえ。思ったよりも気が強い」
「はあ」

特に彼女たちを挑発する気も、喧嘩を売ってるつもりもなかった。
怒るだろうな、とは予想していたが。

「どうしたんですか、今日は」
「小池先生に用事があってね」

それならちょうど俺も教授のところに行くところだった。
別れるのも不自然なので、連れだって歩き出す。

「峰矢は相変わらず?」
「特に変わった様子はないですね」

この人は大学のOBで、俺と先輩の先輩にあたる。
俺が入学する前に卒業してしまったので在学中は接点がなかったが、先輩の世話をするようになってから知り合った。
画商を営んでいる鳴海さんは、先輩の後援者でもある。
正直、そこまで関わりたくもない人だ。

「君は相変わらず、あいつの傍にいるんだね」
「はあ。まだ寄るなとは言われてませんね」

ま、それもいつまでか怪しいものだが。
あの人は飽きっぽいし、いつもう近寄るなと言われるか分かったものじゃない。

「本当に珍しいよね、あいつがそこまで特定の人物を寄せ付けるの」

どこか皮肉げに笑って、鳴海さんが俺を見下ろしてくる。
確かに先輩が他人をこんなに近くにこんなに長いこと置いておくのは、珍しいことだろう。
友人や教授や後援者と言った人は別として、体の関係を持つ人間が長く続いたところを見たことはない。
俺が知らないところでいるのかもしれないが。

「本当にあいつと寝てるの?」
「寝てますよ」

正直に答えると、驚いたように目をパチパチと瞬きする。
そんな演技の匂いのするおどけた様子もこの人がやると俳優のように様になる。

「さらっと言うねえ」
「特に隠す必要性がないかと思います。それにどうせ先輩が言いますよ」

世間体とか気にする身分でもないし、そんなこと気にするような友人もいない。
いたとしたら、そんな鬱陶しい友人はいらない。
先輩は聞かれれば、さらっとあいつは俺の性欲処理係ぐらい言うだろう。
まあ、間違ってもないから訂正する必要もない。

「君のことは、本当に気に入ってるようだね」
「面倒臭くないからでしょうね」
「あいつの傍にいて、反発も心酔もしない人間ってあまりいないからね。物珍しいのかな」
「物珍しいんでしょうね。まあ、なるべく飽きられないようにしてるつもりですから」

先輩に靡いてその足に縋りつくような真似をしたらすぐに飽きられるだろう。
先輩に反発でもしたら鬱陶しいと視界から消されるだろう。
俺のある程度距離を置いた付き合い方が物珍しいようで興味を持たれてるので、俺もその辺は意識している。
ほとんど素なので苦痛はないが。

「飽きられたくないの?」

そこでまた驚いたように目を見開く。
立ち止まるので、俺もつられて立ち止って鳴海さんを見上げる。

「ないですよ」

今度は演技ではなく本当に本当に驚いたように、言葉を飲む。
いつも飄々としている人なのに、何をそんなに驚く必要があるのだろうか。

「どうしたんですか?」
「いや、まさか君がそんなこと言うとは思わなくて」

へええと感心したように何度も頷く。
俺はいつだって正直に、嘘を言わずに答えてるだけだ。
何が意外だったのか。

「峰矢に惚れてるの?」
「惚れてますね」
「へええええ」

ものすごく惚れている。
ぞっこんラブだ。
あの人以上に俺を揺さぶる相手はいない。
いつか飽きるのだとしても、その時間を少しでも引き延ばしたいと健気な努力をするぐらいには、惚れている。

「じゃあ、ヤキモチ焼いたりはしないの?」
「へ?」

今度は俺が間抜けな声であげて瞬きをする。
鳴海さんは、少しだけ意地悪く笑って、毒を含む。

「あいつの女遊び、収まってないだろ」
「ああ」

この人もあの女たちも、考えることは一緒だな。
むしろ聞きたい。
それのどこに問題があるのだろう。

「別に唯一でも一番でもなくていいです」
「健気だねえ」
「ただ、先輩の作品を一番に見れる権利があればいいんで」

逆に女遊びをガンガンしてくれれば、俺のセックスの回数が減ってなによりだ。
といってもあの人絶倫だから、いくらでも出来るから困る。

「一番に見られる権利が貰えるなら、いくらでも寝ますし、料理だって作りますし、面倒臭くならないようになる努力ぐらいします」

飽きられる時間を、少しでも引き延ばすために努力する。
あの人から作り出された造形物を一人占めする時間を手に入れられるなら、なんだってする。
鳴海さんが、呆れたように眉を顰める。

「君の言う惚れてるって」
「勿論、あの人の才能にです」

というか、それ以外にあの男のどこに魅力があるんだ。
俺としては正直セックスなんてどうでもいいし、あの女共も、先輩と寝たいならいくらだって寝てくれ。

「それだけで寝ちゃうんだ。安いな」
「俺の体にあの人の作品以上の価値なんてないし、そもそも別にそこまで嫌でもないんで」

痛くはあるが気持ちよくもある。
女でもないし、ケツの穴ぐらいでガタガタ言う気もない。
面倒ではあるが、別に嫌ではない。
こんなものでいいのなら、先輩が望めばいくらだってくれてやる。
安いものだ。
あの人が俺にくれるものに見合うものなんて、何も持ってないのだから。

「………あいつと付き合ってられるってどんな子かと思ってたら」

鳴海さんが深く深くため息をつく。
何が言いたいのだろう。
しかしそれきり鳴海さんは黙ってしまった。
ようやく歩き出すので、俺もそれに続く。

「ところで鳴海さんも、先輩と寝たいんですか?」
「どうして?」

足と止めないまま問うと、鳴海さんは気分を害した様子もなく答えた。

「嫉妬しているようなので」

あの人の傍には、男も女も、あの人に惹かれる人が集まる。
この人がそうであっても、なんら不思議ではない。
俺の言葉に、鳴海さんは真意の見えない表情で、小さく笑った。

「ああ、まあね。懐かないケダモノを懐かせた野獣使いにヤキモチを焼いたのさ」
「懐いてなんていませんよ」

便利な小間使いぐらいに思われてるだけだろう。
後は普通のおもちゃよりはちょっと扱いづらくて、慣れるまで楽しめる、ぐらいかな。
まあ、そのうちそれにも飽きて放り出すんだろうが。

「しかし君も、大概酷いね」
「かもしれませんね」

俺だって、趣味が悪いとは、思っているんだ。



***




気難しい顔をした老教授は、かつての教え子の来訪に表情を緩めた。

「鳴海も一緒か」
「ご無沙汰してます」

俺は先輩からの預かり物を教授に渡す。
途端、小池教授はまた顰めつらに戻った。

「あいつにもっとこっち来いって言っとけ」
「言ってますけどね」

俺に言われても困る。
あの人が人の言うことを聞くような人間だったら誰も苦労しない。

「あいつとはうまくやってるか?」
「まあ、他の人間よりはうまくやってるんじゃないですかね」
「あいつの世話係、すまないな」
「いえ」

まあ、メリットがあるからやってるだけだ。
これがデメリットだけだったら俺はたとえ教授の頼みだろうと断っていただろう。

「お前といて、あいつも少しは可愛げが見えてきたな」
「そうですか?」
「ああ。あいつが傍に寄せるのも、あいつの傍にずっといれる奴も珍しい」

大丈夫かな、この人、耄碌しちゃったのかな。
あの人に可愛げなんてものは、あったのだろうか。
まあ、俺が思い通りにならなくて苛々しているような時は、若干可愛げがあるようにも思えるが。

「お前はあいつに嫉妬したりしないのか?」
「何にですか?」

また嫉妬ってキーワードが出てきた。
なんなのだろう、今日は。
あの人の何に嫉妬する余地があるのだろう。
才能って点では、俺は自らの手で何かを作り出す気はないので最初から同じステージにいない。

「お前は、自分を知りすぎてるのが駄目だな。つまらん」

俺の答えに、老教授は興味をなくしたようにため息をついた。
そんなこと言われても困る。
先輩の才能に嫉妬してのたうちまわれというのだろうか。
考えただけでも無理そうだ。

「はあ」

俺が曖昧に頷くと、小池教授はまたため息をついた。
この人達は俺に何を期待しているのか。

「お茶淹れますね」
「ああ、頼む」

別に俺は小池教授の研究室に入ってるわけでもないのでそんな義理もないのだが、来るたびにお茶くみをさせられるので慣れてしまった。
まあ、大した労力でもないのでいいのだが。

「峰矢は、やっぱり院に残るんですか?」

向かい合って座りこんだ鳴海さんは、先輩の話を始める。
そういえばあの人、大学にしばらく残るって言ってたっけ。
すでに作品は商業価値があるし、そんな必要はないだろうに。

「そのつもりのようだな」
「早いとこ海外出した方が、いいと思うんですけどねえ」
「ま、あいつは自分の作品の使い方をよく分かってる。やりたいようにやらせればいいだろう」
「ですけどねえ」

鳴海さんを含めた何人かの画商や後援者は、先輩のプロデュースプランをいくつか考えているようだ。
確かに、先輩のキャラや作品は海外向きだろう。

「どうぞ」

お茶を淹れて二人の間に置くと、二人は一旦会話を止めた。
役目は終わったしとっとと退散しようとすると、鳴海さんに話をふられる。

「黒幡君は、進路どうするの?」
「キュレーターとかの方向に行きたいとは思ってますけどね」

出来れば沢山の作品に触れる職業に就きたい。
俺の言葉に鳴海さんが優しく笑った。

「君には向いてるね」
「ま、このままだったら推薦状ぐらいは書いてやれるけどな。空きがなあ」

小池教授がお茶をすすりながらため息をつく。
この手の職業は辞める人間も少ないから中々空きが出ない。

「厳しいですね。出版業界とかにも興味あるから、もうちょい悩みます」

どんな職業であれ、色々な人の、沢山の作品に触れられるといいのだが。
希望の職業につける可能性なんて、ここ最近はどんどん下がっている。
後1年もしないうちに就職活動をしなきゃいけないと考えると、軽く鬱だ。

「峰矢のマネージャーでもやればいいんじゃない」
「あの人、俺を養えるぐらい大成しますかね」

才能があっても、芽がでない芸術家なんて、腐るほどいる。
ここ最近は不景気だし、芸術を養っているような経済力を持つ趣味人も減ってきている。
俺の言葉に教授が皮肉げに笑う。

「あいつは大丈夫だろう。パトロンもいる、大衆におもねって作品を作ることも忌避しない、画壇に媚を売ることも知っている」

確かにあの人の才能に目をつけて支援をしている人は、鳴海さんを含めて何人かいる。
偏屈で傲慢な変人だが、必要な時は頭を簡単に下げる。
自分の作品に変なこだわりを持つことなく、商業的に価値があるような作品を作ってアピールだってする。
画壇のお偉方の古臭い目を掻い潜るような器用さも持っている。
芸術家に大切なのは処世術とプロデュース。
死んでから評価されたって遅いんだよと笑うあの人を思いだす。

「そして何より才能がある」

鳴海さんが、どこか苦いものを噛みしめるようにつぶやく。
芸術家に大切なのは処世術とプロデュース。
そして、何よりも才能。
どんなに処世術があろうと、プロデュースが巧みだろうと、作品に魅力がなければ長くは続かない。

そう、先輩にはどんなに処世術をふりかざそうと、揺るがない確固たる自信と才能がある。
どんなにおもねろうが、媚を売ろうが、先輩の作品の輝きは失われない。
最初に認められて価値がつけば、後は何を作っても認められるんだよ、そう嘲笑う傲慢な声がする。
事実、先輩の作品は本来の毒とアクの強さを増しているが、評価は上がっていく一方だ。

「ま、後心配なのは女関係だけだな」
「女だけとは限りませんけどね」

冗談混じりの教授の言葉に、ちらりと鳴海さんが俺を見る。
確かに下半身トラブルを起こす可能性は高そうだ。
あの人が意図してなくても、女も男もあの人に惹かれてつぶしあう。
先輩自身も、その作品も、まったく罪なものだ。

「あれで、身を滅ぼさないといいけどなあ」
「一回蹴躓いたら響きそうですからね。日頃の行いが行いですから」

この世界では、確固たる地位を築くまでは安心もできない。
あの人が、この道以外で生きていける訳がない。
この世界が取り上げられたら、あの人はどうするのだろう。
先輩が、作品を認められなくなって、落ちぶれて行く。

「………先輩が」
「え?」

あの傲慢で、不遜な人が。

「何もかもから見捨てられて、ボロボロになって、どん底まで落ちたら」

蹴落とされ、裏切られ、その才能を潰されるような事態になったら。
どん底まで堕ちて泥まみれになった、あの才能溢れる人は。
屈辱と汚泥にまみれた、あの人は。

「どんな作品を作るんでしょうね」

ああ、それも、見てみたい気がする。
苦しみの、屈辱の、暗闇の果て。
その先に、あの人が見るものはどんなものなのだろう。
それはなお凄みを増して輝いているのだろうか、それとも屈辱にまみれたくだらない落書きなのだろうか。

「………」
「………」

二人が黙り込んでいた。
しまった、思わず熱がこもってしまった。
一人で世界に入ってしまって恥ずかしい。

「………池もあれだが、お前も相当だな」
「………本当に」

教授と鳴海さんは、深く深くため息をついた。



***




「おい、メシ」

後ろから声をかけられるまで、気づかなかった。
気付けば、窓の外はすっかり暗くなっていた。

「………あ」

買物袋を、持ったままだった。
新しい作品が出来たとは聞いていた。
食事を作る前にちょっとだけと思って見てしまったら、もう駄目だった。
アトリエから、動くことが出来なかった。
その場に座りこんで、気付けば1時間は経っていた。

50号のキャンバスの中に描かれた世界。
そこに、魂ごと引きこまれていた。

「飽きねえのか?」
「飽きません」

先輩に呼ばれても、いまだに目が離せない。
なぜだろう。
どうしてこんなに引き込まれるんだろう。

ただの色を組み合わせ。
ただの化学物質や石や樹脂の組み合わせ。

それなのに、なぜこんなに胸が痛いんだろう。
なぜこんなに巻き込まれるんだろう。
どうしてこんなに惑わされるんだろう。

「これからも作ってほしいなら、とっととメシ作れ。制作者を飢え死にさせるつもりか」
「………」
「おい」

少しだけ苛立った声。
頭では、動かなければいけないと、分かっている。
でも、動けない。
目が離せない。

ああ、そうだ。
この感情。
先輩の作品には、様々な感情が引き起こされる。
その中に確かにある感情。

「先輩、俺は嫉妬してるかもしれません」

教授、鳴海さん、俺は嫉妬しています。
確かに嫉妬しています。

「あ?」
「あんたの作品に、俺は嫉妬しているかもしれません」

先輩が鼻で笑う気配を背中で感じる。
心底馬鹿にした声で、吐き捨てる

「凡才が天才に嫉妬か?」

俺は、作品から目を離さないまま頭を緩く振る。
そんなものではない。

先輩が誰と寝ようと嫉妬しない。
先輩がどんな作品を作ろうと、先輩の才能に嫉妬したりしない。
ただ。

「俺が、あんたの作品だったらよかったのに」

俺が、あんたから作り出されたものでないことに、絶望する。
目の前にある作品に、この美しいものにはなれない自分が、劣等感を覚える。
誇らしげに俺の前にいる作品に、嫉妬する。

「あんたのその手から作り出された作品だったら、よかったのに」

俺が、この作品だったなら、俺はどんなに嬉しかっただろう。
どんなに快感だっただろう。
どれほど満たされたことだろう。

「あんたの作品として、生まれたかった。あんたの手で、作られたかった」

ああ、悔しい。
どんなに望もうと、この絵に叶うことのない、自分が、悔しい。
どうして、俺は、この作品として生まれなかったのだろう。

「そんなにこの手が好きか?」

先輩が前に立ち、俺の顎を掴んで持ち上げる。
何にも侵されない傲慢な目が、俺を見ている。
先輩の作品を作り出す手が、俺に触れている。
そう感じた途端、ぞくりと背筋に寒気が走る。

「………」

顎に触れている手をとって、節くれだった指に軽く口づける。
先輩の手に触れている、それだけで脳髄が痺れて蕩けるような快感が全身を支配した。
耐えきれなくて、その手を口に含む。

愛しい。
愛しい愛しい愛しい。

想いが溢れて行く。
この手が、愛おしくて仕方ない。

「くっ、はは」

飴を与えられた子供のように、先輩の指を舐めしゃぶる俺に、先輩が押し殺すように背中を震わせて笑う。
どこか馬鹿にしたように、それでも機嫌よく笑う。

「本当にお前は大概変態だな」

ああ、俺もそう思う。

それでも、嫉妬してやまない。
それでも、惹かれてやまない。

あんたの手から作り出された、作品たちに。





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