熱に浮かされトリップしたような目で、食い入るように見つめられている。 毛の一本、毛穴の一つ一つまでも見透かされているような、強く熱い視線。 「視姦されてるみたいだな」 つい、笑ってしまう。 すでに勃起してるんじゃないだろうか。 そう思ってしまうほどに、セックスの最中と同じ興奮した顔だった。 「はい。俺は今、あんたを犯してます。もっともっと、隅々まで、あんたを犯します」 俺をじっと見つめて鉛筆を動かしていた男は、笑って欲情した顔で頷いた。 本当に、その視線に熱量と質感を持ち、触れられ、探られているように感じる。 「でも困りますね」 「何が」 「先輩をずっと見ていると、欲情してきて、興奮しっぱなしです」 「ケダモノだな」 そう言うと、変態は無表情を少し歪めて笑った。 「お互い様です」 全くその通り。 俺はケダモノだ。 - プロメーテウス -「楽しかった?」 問われて、俺は頷いた。 楽しかった、なんて言葉では言い表せない。 あの快感。 あの興奮。 与えられた大きな画用紙に、思う存分に色を重ねた。 終わった時には、自分の中で荒れ狂っていた黒い溢れかえりそうな感情が、驚くほどにおさまっていた。 初めて感じる凪いだ海のような感情。 俺は今、ようやく満ち足りていた。 ようやく、自分の形、自分のいる場所、自分が息をしていること、自分の心臓が動いていることを知った。 「少しは人間らしい表情になったわね」 体中絵具で汚れている。 顔も服も何もかも、ぐちゃぐちゃのどろどろ。 けれど、色に溢れている自分が、心地よかった。 お祖母様と呼ばされていた女が、楽しそうにくすくすと笑っている。 この女は、こんな顔をしていたのか。 鏡の中で見る自分の顔と、どこか似通っている気がする。 気がつけばいつでも、傍にいた女。 「もっと絵を描きたい」 「あらあら、あなたがそんな風に素直に何かを欲しがるのは初めてね」 そうだっただろうか。 そうかもしれない。 ただ暴れて叫んで、どうしようもできない熱情を持てあましていた。 苦しくて苦しくて、自分の身の内の熱に食らいつくされそうだった。 それが今、こんなにも楽に呼吸が出来ている。 もっともっともっともっと。 あの気持ちがいいことがしたい。 まだまだ沢山の色を、形を、俺の中のものを、全て吐き出したい。 「そうね、いいわ。あなたのために絵を描く空間を用意してあげる」 望んだものは、全て与えられていた。 望むこともそうなかったが、何か言う前に全ては与えられていた。 食事、衣服、教育、日常生活に必要なもの、ゲームなどの遊具。 だから、絵を描く空間が与えられるのは当然だと思っていた。 けれどお祖母様は、笑って一つ指を立てる。 「その代わり条件があるわ」 「ジョウケン?」 「あなたの言うことを聞く代わりに、あなたも私の言うことを聞きなさい」 人の言うことを聞くのは好きではない。 人に自分の行動を制限されるのは好きではない。 だから、今もお祖母様に殴りかかりたくなるぐらい、不快な気持になった。 「学校へちゃんと行きなさい。人を意味なく殴るのはやめなさい。勉強をしなさい」 「………」 それになんの意味があるのかが分からなかった。 学校と勉強はひどく退屈だった。 群れる人はうざったくて、全部消してしまいたかった。 「なぜ」 「お金と一緒よ。あなたはお金を払って物を買うでしょ。私はあなたのために絵を描く道具と空間を用意する。その代わりあなたは私のために何をしてくれる?」 「………」 物を買うためには金がいる。 つまり何かを手に入れるためには、何かを返さなきゃいけない。 俺は金がない。 金は親からもらっている。 何もかもを親からもらっている。 親や祖母から何かもらうのに、もらったものから返す訳にはいかない。 けれど今までは全て何も返さずに与えられてきた。 それなのに今度だけは何かを求められる。 今まで与えられてきたものを急に与えられないといわれるのは、酷く理不尽に感じた。 兄だって弟だって、好きなものを全て与えられている。 「それとも、私に甘える?構わないわよ。私は孫には優しいお婆ちゃんだもの。あなたが望むならなんだって与えてあげるわ。あなたが私に甘えて、ちょうだいって言うなら、なんだってあげるわ」 優しく笑う祖母に、腹の奥が煮え立つような怒りを感じた。 暴力的な感情に、拳をぎゅっと握りしめる。 他人に屈して、ねだるということは、その人物の下に立つような気がする。 人に抑えつけられるのは、嫌いだ。 「殴るの?いいわよ。あなたは暴力で人を好きにしようとする下らない人間なのね。一番単純で、一番頭の悪い解決方法だわ」 言っている意味はよく理解できない。 しかし重ねてそう言われて、拳を更に握って、衝動を我慢する。 ここで祖母を殴ったら負けるということだというのは、分かった。 それは、耐えられない。 「ジョウケンを、する」 「そう言う時はね、条件を飲むっていうのよ」 「条件を飲む」 いい子ねと言って、祖母は笑う。 しかしそれでも、やっぱり少し納得できない部分がある。 「学校に行って、勉強をして、人を殴らないことに、意味があるのか」 「世間を知りなさい」 「………」 やはり言っている意味がよく分からず、祖母を見上げる。 祖母は言い聞かせるようにゆっくりと説明する。 「まあ、うちは金はあるし、あなたがひたすらお絵かきして暮らしても一生食べていけるかもしれないわね。でもあなたはそんな風に人に頼っていく生き方がしたい?あなたが好きなことして暮らして行くには、世間を知ることが必要よ」 人に頼って生きていく。 そう言われて気付いた。 俺は今、人に頼っているのだ。 父と名乗る男に、母と名乗る女に、祖母と名乗るこの女に。 こいつらがいなければ、俺は何もできない。 そのことに、酷くショックを受けた。 俺は誰かに頼っていなければ、息もできないちっぽけな存在なのだ。 それは初めて知る、屈辱と敗北感。 不安で悔しくて、どうしようもならなくなる。 今まで俺は、ままならない衝動を抱えながらも自由で全能だった。 けれど衝動を失った俺は、不自由で何もできないみすぼらしい存在。 「芸術家なんかで食べていくには、人よりうまい立ち回りが一層必要。まあ、それでも輝く才能なんてものがあればうまくいくかもしれないし、人に相いれない芸術家なんてのも、ある意味もてはやされるかもしれないわね。でも大部分は食べて行けずに挫折するだけよ。自分で自分の身を守って、自分を生かして行く方法を学びなさい。芸術家は何も知らないぐらいの方がいいなんて言う人もいるかもしれないわね。でも、世間を知るぐらいでつぶれてしまうような才能なんていらないわ」 祖母の言っていることは、ほとんど理解できない。 自分が何も出来ないただのガキだと知ったことの衝撃が大きすぎて、何も考えられなかったというのが正しいかもしれない。 「………」 「ちょっと難しかったかもしれないわね。とりあえずは条件よ。人として暮らしてみなさい」 俺は、何も出来ない存在。 それなら、俺を生かしている存在に、逆らうことなんて、出来ない。 こいつらの考え一つで、俺は簡単に消されてしまう。 「学校は文字通り学ぶ場所よ。あそこは小さな社会。人の群れがどう考え、どう動き、何を望むのかを知りなさい」 「………とりあえず、学校へ通えばいいんだな」 「そうよ」 とりあえずそれをすれば、生かしておいてもらえる。 その上、絵を描く環境をもらえる。 それなら、俺はそれをジョウケンを飲む。 それが当然だ。 「分かった」 だから俺はお祖母様に向かって、頷いた。 お祖母様は少しだけ目を細めた。 「私はあなたに希望を与えたのかしらね。絶望を与えたのかしらね」 |