「犬にじゃれつかれるのは嫌いじゃない」




真理子






おつかいを理由に健ちゃんの家に訪れると、いけすかない男がそこにいた。

「なんであんたがここにいるのよ!」

そいつは健ちゃんの部屋に我がもの顔で居座って、ちらりとこちらを見るとすぐに持っていた本に視線を戻した。
勝手に健ちゃんのものに触っているのも気に入らない。

「健一郎に呼ばれた」
「消えてよ!」
「お前に指図される理由はない」

相変わらず愛想の欠片もない憎たらしい態度。
この私にこういう口を叩く、数少ない男だ。
別にこいつに好かれないからって、まったく気にはなりはしないが。
だってこいつは人間に興味がない。
人間として大事なところが欠落している、欠陥人間。
出来そこないだ。

「あんた、健ちゃんにつきまとうのいい加減やめなさいよ」
「俺がつきまとっているんじゃない。あいつが俺につきまとっているんだ」

私を見もしないで言われた言葉に、思わず手をあげそうになった。
何よりも腹が立つのが、こいつの言葉が、嘘ではないことだ。
健ちゃんは、なぜだか知らないが、こいつに興味を持っておっかけまわしている。
全く趣味が悪い。
ゲテモノ食い。
私よりもこんな男に興味を持つなんて、本当にあの人は終わってる。

「ほんっと、あんたって心底ムカつくわ」

翔太は面倒くさそうにため息をついて、私を見上げる。
真っ直ぐに、何も余計なものを寄せ付けない、強い強い目。
気の弱い奴だったらたじろいでしまうだろう。
本当に生意気。

「俺はお前に何かしたか?」
「存在が気に入らない」

こいつの何もかもが、気に入らない。
気に障る。
消えて欲しい。

「健ちゃんの近くにいることも、その周りのことは気にしないって偉そうな態度も、自分が一番すごいって思ってるところも、無表情なことも、全部全部大嫌い」

そして私のこの美貌を、少しも気にしていない美醜の別のない、価値の分からない鈍感なところが嫌い。
私に靡かない男なんて、存在している価値がない。
女以上に、無駄な存在。
呼吸しているのすら、酸素が勿体ない。

「それはほぼお前にもあてはまらないか」
「あんたと一緒にしないでよ!」

思わず声を高めてしまうと、後ろから頭をぽんと叩かれた。
振り返ると、健ちゃんがお茶を持って苦笑していた。

「はいはい、そこまで」
「………健ちゃん」
「どうしてお前は本当にそんなに翔太につっかかるんだ」
「………だって」

そして何よりも、健ちゃんがこいつのことを可愛がっているのが、嫌い。
全くの正反対な性格で、邪険に扱われてるくせに、昔から可愛がっている。
私よりも、気にかけている。

「とにかく、そいつ嫌い!」
「子供じゃないんだから」

ぽんぽんと、本当に子供をなだめるように頭を撫でられる。
私が欲しいものは、そんなものじゃない。
こいつをすぐさま追い出して、私が一番かわいいと言ってほしい。
それだけ。

けれど健ちゃんは、お茶を持ったまま部屋に入ってしまう。
私なんか、まったく見もせずに。
相変わらず、私に興味なんて、まったくない。

「悪いな、翔太」
「気にしてない。頭の悪い犬に吠えられているようなものだ」

ああ、でもやっぱり、健ちゃんよりもこいつがムカつく。
本当にそのすかした顔が分からなくなるぐらい、めちゃくちゃに殴ってやりたい。

「健ちゃん、こいつ殴っていい?」
「返り討ちに遭うぞ。こいつは女だろうと容赦ない」

確かにこいつは、私が殴りかかったら、普通に殴り返すだろう。
このかわいらしい、奇跡のようにかわいらしい私のこの顔を。
今に罰があたるぞ、この野郎。
ていうか、健ちゃんも、だったら私のためにあんたが殴れ。
本当に最低な、物の価値が分からない馬鹿な男ども。

「お前もそんなつっかかるな。翔太も言葉が過ぎる」

健ちゃんのぬるいたしなめの言葉に、翔太は興味なさそうに本に視線を移した。
ああ、本当に本当にムカつく。
健ちゃんが困ったようにため息をつく。

「どうしてお前らそんな仲悪いんだろうな」
「俺は、別にそいつのことは嫌いじゃない」
「そうなのか?」
「ああ、犬にじゃれつかれるのは嫌いじゃない」

私は人を傷つける言葉を言うのは、得意だ。
そいつの一番守りたいところを抉ればいい。
人は何か悪口をいう時は、本人のコンプレックスが入っていることが多い。
そこをつつけば効果覿面だ。

よく私に思い違いも甚だしくつっかかってくる女どもは、ほとんど私の容姿について触れる。
大したことない癖に調子乗るな、とか。
その場合はそいつらの顔の欠点を事細かにあげてやればいい。
自分の容姿に自信がないから、人の容姿をけなすのだ。
私は自分が一番かわいいことを知っているから、人をけなさなくても問題ない。
だって、周りがブスで私がかわいいことは、事実なのだから。

けれど、翔太の場合は、それがない。
だってこいつは自分に自信があるし、人の眼や人の言うことは気にしてない。
容姿について言っても、こいつは自分の容姿に興味がない。
頭について言っても、こいつは自分がそこそこ頭がいいことを知っているから、傷つかない。
女にモテるとか、周りの評価とかに一切の興味がない。
私が何を言っても、こいつにはそれこそ負け犬の遠吠えにしか聞こえないだろう。
そこがまた、腹が立つのだ。

「………」

けれど、私は一つだけ、こいつが動揺することを知っている。
私はこいつの弱点を持っている。
こいつが私に嫉妬する唯一絶対のものを、持っている。

「………日和に言いつけてやる」
「………っ」
「あんたにひどいこと言われたって言ってやる」

目に見えて、動揺が現れた。
無表情の顔が、険しく歪む。
それを見て、私は少しだけ気分が良くなる。

「………あいつが気にするとは思わないけどな」
「そうかもね。でも、日和は私に甘いもの」

あの女はなぜだか私に甘い。
私の言うことは結局なんだかんだ言って聞く。
まあ、言いつけたとしても、あのぼやぼやした女は、へえ、そっか、としか言わないだろうけど。
甘いと言っても、私をかばったり、ネコかわいがりしたり、憧れたり崇拝してたりする訳じゃない。
私が例え泣いたとしても、あいつはただじっと楽しそうに見ているだけだろう。
けれど、日和の金魚のフンには、十分効果があったようだ。

「………」
「日和は、私のこと、好きだから」

くっきりはっきり言ってやると、嫌そうに顔をしかめた。
ああ、気分がいい。
けれど、翔太は少しの間の黙りこんでから、珍しくにやりと笑った。
うわ、悪人ヅラ。

「じゃあ、俺は健一郎に言いつけるとしよう」
「な!」
「健一郎は、俺に甘いからな」
「じゃあ、私は日和にあんたを怒ってもらう!」

そのままお互いヒートアップして、醜い言い争いに発展する。
しかし途中でそれを遮るような深い深いため息が聞こえた。

「子供か、お前ら」



ああ、本当に。
こいつらほど私の神経を逆なでる奴らはいない。


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