彼女が笑うと楽しくて、彼が笑うと嬉しくなる。
彼女に触れると可愛くて、彼に触れるといとおしい。
彼女の未来をただ祈り、彼の未来と共にいたい。

そして俺はあの子らに、一体何を望むのか。



***




「睦月」
「……兄さん。緑はまだ帰ってないよ」
「お前がいるからいいよ」

柔らかな髪に指を絡ませ、くしゃりと撫でる。
そっくりな双子達。
指に絡まる髪の感触まで一緒だ。

けれど髪を弄ぶと喜んで身を寄せる緑と違って、睦月は静かに身を引く。
まあ、睦月も少女のように細い体をしていても、男だ。
いつまでたってもガキ扱いじゃ嫌なのは当然だろう。
分かっているのに、胸をよぎる小さな寂寥感。

そして、違和感。

急に俺から離れていった宝物の一つ。
ずっとずっと見ていた双子。
だから分かっている、気まずそうに目線を逸らす。
それは何かを隠している、睦月の仕草。

「母さん達が、中にいるよ」
「俺は、お前と話したいんだけど」
「俺は…」

困ったように苦しそうに眉を顰めて、視線をそらす。
居心地悪そうに、身を離す。
逃げ出す寸前だ。
ここ数年、そうやって避けられてきた。
俺と接するのを極端に避ける睦月。
最初は腹が立って、俺もかまってやるものかと無視もした。
今まであんなに懐いていたのに勝手な奴だと、内心愚痴った。
パパとお風呂入らないとか言われた父親はあんな気分だったのかもしれない。
腹が立つと同時に、ものすごい空虚感。
ぽっかり胸に穴が開いたような気がした。

けれど、うぬぼれと言われるかもしれないが、俺はそのうち気付いた。
睦月は、俺を嫌ってはいない。
むしろ、まだ俺のことを好きでいてくれるだろう。

睦月の家で過ごしている時に、ふと感じる視線。
振り返ると、必ず睦月と目があう。
その後、慌てて顔を逸らすが、それは俺を見ている証拠。
撫でると居心地悪そうに離れていくが、それでも一瞬気持ちよさそうに目を細める。
嬉しそうに、密やかに微笑む。

小さい頃からずっと見守っていた従弟だ。
そんな小さな違和感ぐらい、気付けないはずがない。

きっと緑に何か言われているのだろう。
昔から姉に逆らえなかった大人しい弟。
でも、俺から緑に言っても逆効果のようで、何も言えない。

何度か緑に、注意をしてみた。
しかしその度に、緑は逆上して睦月を罵る。
睦月は泣きそうな顔で、俺にやめてくれと懇願する。
昔から仲がいいとは言えなかったが、それでもここまで険悪ではなかった。
二人の争いを見ていられなくて、俺はいつしか口出しはしなくなった。

ただ、こうして緑のいない時に睦月と戯れる。
最近ではこれが、中々楽しい。
すぐに逃げようとする小動物をどうやって懐かせようか、どうやって手の中に収めようか。
いじめたらどんな反応を返すか、無力な反撃をどうなだめようか。

困る睦月を弄っては、その反応を堪能する。
俺も大概性格が悪い。

どうやってこの場から逃げ出そうかと考えている睦月に、俺は逃げ道を塞ぐために話をふる。
睦月が剪定をしていた木を見上げ、その枝振りに目を細める。
ガーデニングが趣味の従弟が好むのは、プランターなどで育てる小さな花々よりも地面に根ざす力強い草木。
一見、自然のまま野放しにしているように見えるが、調和の保たれた繊細な庭。

「相変わらず綺麗な庭だな。最近は全部お前が手入れしてるんだろ」
「あ、うん、母さんも最近忙しいし」
「透視図とかも描いてたよな。ガーデニングとか建築とか、進路そっちのほう考えてるのか?」
「まだ分からないけど…、でも、そう出来たらいいと思ってる」
「そっか、お前なら大丈夫だろ。しっかりしてるし、頭いいしな」

もう一度頭を撫でて褒めると、顔を赤らめてもう1歩離れる。
借りてきた猫のように、居心地悪そうにそわそわと落ち着かない。
いつも睦月と接していると、不思議な気持ちになる。
細く華奢な体、白く小さな顔、黒目がちな大きな目と、赤い唇。
不健康なほどの白さは、草木の青の中で頼りなく映る。

女じゃない、しなやかでしっかりとした骨格。
けれど、男には見えない、儚い空気。
ひっそりとして、どこまでも透明で中性的な睦月。

同じ作りをしているけれど、女にしか見えない緑。
女のいやらしさも可愛らしさも美しさを備えて匂うような色香を放つ。

そっくりなのに、まるで違う二人。
今では、二人が一対と思うこともなくなったけれど、それでも大切なかわいい二人。

緑といると、楽しくて微笑ましくて、その我儘さえ愛しくてかわいい。
元気な子猫を相手している時のような、目を細めるような愛らしさ。

睦月といる時は、なんだろう。
この、どこか落ち着かない気持ちは。

勿論睦月はかわいい。
甘えることができなくて、懐かなくて逃げ出して。
でも俺がかまうと堪え切れない喜びを滲み出し、控えめに笑う。
その不器用な感情表現が愛おしくて、かわいい。

そして同時に、俺にも理解できないような不可解な感情が胸に燻る。
どこか喉が渇くような、焦っているような、はやるような。
その儚さを大事にしたいと同時に、思い切り壊してしまいたいような乱暴な衝動。

それは小さくはっきりとしない淡い感情だったから気にしなかったけれど、いつでも俺の中で静かに燻っていた。

「兄さん?」

俺は気付かないうちにじっと睦月を見ていたらしい。
不思議そうに首を傾げている従弟はまだまだ幼くあどけなくて、庇護欲を誘われる。
俺は誤魔化すように、意地悪く笑って見せた。

「いや、お前っていつまでたっても、子供みたいだよなあ」
「…そりゃ、兄さんみたく男らしくないよ」

ふてくされたように口を尖らす睦月がかわいくて、俺は吹き出してしまう。
穏やかな時間。
優しい気持ちになれる、静かな時間。



***




「ねえ、省吾!」
「どうした?」
「ねえ、省吾、あの女と別れた!?」

ソファに座った俺に甘えるように後ろから抱きついてくる緑。
また始まった。
思わず苦笑してしまう。
どこで聞いてくるのか、緑は俺が女と付き合い始めると早く別れろと癇癪を起こす。
少々うざったいが、可愛くて美しい緑の嫉妬は優越感が擽られて、微笑ましくて嬉しい。

「省吾は緑のものなんだから、他の女と付き合っちゃだめ!」
「勘弁してくれよ。俺だって男なんだからさ」
「じゃあ、緑を彼女にしてくれればいいのよ。省吾は緑といればいいの」
「俺を犯罪者にするつもりか?」
「緑、もう今年で16よ。もう省吾につりあうわ」

そういえば、双子はもう16になっていたのか。
俺は改めて思い出し、意外な気持ちでいっぱいになる。
別に忘れていたわけじゃないが、まだまだガキだと思っていた二人が大人になりつつあるのを再認識して、寂しさとか懐かしさとか親父くさい感傷に襲われていた。

甘えるように首に巻きつき耳元で囁かれるのは、くすぐったくて思わず肩をすくめる。
子供の頃と同じような我儘に、媚と色気を兼ねそろえた緑。
確かにもう立派に女だ。
いつの間に身に着けたのか、俺への甘えも女の武器を利用する。
それは嬉しいし、男だからそれなりに反応しそうになるが、正直困る。

かわいいかわいい緑。
どんな我儘だって、どんな望みだって叶えてやりたい。
慕われるのは、とても嬉しい。

けれど、妹を彼女にしたいとは、思わない。

そう、どんなに愛しくて好きでも、俺の中で緑はどこまでも妹で、恋愛の対象としては、見れない。
じゃれかかる美しい子猫で、微笑ましく面倒を見て可愛がるもの。
でも、やっぱり愛してるから嫌われるのが怖くて、はっきりとは告げられなくて、弱っていた。
気性の激しい緑だから、逆上してどんな行動にでるかも分からない。
俺以外の男を好きになってくれれば一番なんだか、そんな兆しも見えやしない。
きっと別の男と付き合い始めたら始めたで俺は寂しく感じるし、その男に娘を取られるような気分になるんだろうけど。
それでも俺は、誰かと一緒になって幸せになる緑を祈ってやれる。
だから早く、従兄離れをしてくれないだろうか。
寂しく思って、相手を一発ぐらいなぐるかもしれないが、その後祝福してやるから。

「省吾!」
「……俺はナイスバディな、ムチムチで色気抜群の大人の女がいいんだよ。悪いな、緑」

だから、そんな言葉ではぐらかす。
いつかはっきり言ってやらないといけないと思いながら。
緑は頬を膨らませて癇癪を起こす。

「緑よりかわいい子なんていないんだからね!あんな女より、ずっとずっといい女になるんだから!」
「お前、俺の彼女見たことないだろ」
「でも、緑が一番かわいいもん!」
「ああ、緑は一番かわいいよ」

怒る緑の声を背に、リビングから逃げ出した。
すると、部屋に篭もっていたと思っていた睦月がドアのすぐ隣にいた。
ぶつかりそうになって、思わず声をあげてしまう。

「う、わ、どうした睦月?」
「…兄さんは、緑が好きだよね?」

問いには答えずに、大きな瞳で俺をまっすぐに見上げている。
相変わらず控えめに感情をあらわさない睦月。
けれど、そこにはなぜか必死な色が見えた。

「……勿論好きだよ」
「じゃあ、なんで緑と付き合わないの?」
「緑を、そういう対象には見れないな」
「でも、緑は省吾兄さんが好きだよ」
「まだまだガキだからな、あいつは。俺しか知らないからだよ」
「じゃあ、緑が大人になって、それでも兄さんが好きだったら…」

そこまで言って、唇をかんで、俯く。
わずかに迷って、もう問いかけるのをやめたようだ。
助かった。
問い詰められても、俺は睦月の疑問に答える術はない。
先のことなんて分からないが、それでも俺が緑を女として見ることはない気がした。
話を変えるためにも、ふと思いついたことを逆に問いかける。

「そういや、お前は?」
「え…?」
「お前はいないの、好きな奴とか」

何気なく聞いてから、気付いた。
もし、睦月に好きな奴がいると言われたら、俺はどうするんだろう。
緑の時に考えたように、親父のような感傷を味わうのだろうか。
緑の時にはすぐに想像がついたのに、睦月になったら分からなくなる。

俺にしか懐かない睦月。
俺だけに心を許す睦月。
俺の後を付いてくる睦月。

俺だけを見ている睦月が、他の誰かを見るようになる。

「俺は…」

睦月は躊躇うように、口を開いて、そして苦笑した。
自分のつばの飲む音が、嫌に大きく感じた。

「俺は、いないよ」

その言葉に、俺は確かに自分が安心したのを感じた。
全く、情けない。
従弟離れできてないのは、俺だ。



***




そして、それに気付いてしまったのは、それからそう時は過ぎていない。
双子が高校の二年に上がる直前のまだまだ寒い日。
忙しくない限り、緑がせがむし2週に1度は双子の家に顔を見せるようにしていた。
そしていつものように、従弟の姿を探して俺はまず庭に入り込む。

「あっははは、ばーか、お前何言ってんだよ」
「いやいや、マジだって!」

庭から、笑い声が聞こえる。
それは信じられないものだった。
声を上げて、楽しそうに笑う睦月。
そんな姿を見たのは、もうずっとずっと昔のことだった。

俺にしか心を許さないと思っていた睦月が、俺の知らない男の前で笑っている。
俺には見せない笑顔で、打ち解けて心やすらいだ表情で。

「…あ、兄さん」

俺に気付いて顔を上げる睦月。
さっと、楽しげだった表情が翳る。
いつも俺の前でみせる、不安げで頼りない怯えた顔に。

凶暴な衝動が、湧きあがる。

冷静な部分では、分かってる。
これはとても理不尽な感情だ。

睦月が俺のことを嫌いじゃないことは、分かっている。
緑と何かがあって、俺を避けているのは、分かっている。

それでも、俺の知らない男に見せた顔を、俺の前では隠してしまう。
俺にしか懐かないはずの小動物が、見知らぬ奴にじゃれてみせる。

「だれ、睦月?」
「…あ、従兄の省吾兄さん」
「あ、こんにちは」

一瞬、へらへらと笑うそいつを、庭から引きずり出したくなる。
けれどわずかに残る理性が、それを余りにも大人気ない行動だと諌めた。
俺は一つ深呼吸すると、笑って見せる。

「こんにちは、睦月の友達?」
「あ、はい。クラスメイトです」
「あ、えっと、忘れ物、届けてくれたんだ」

なぜか焦って誤魔化すように言い訳をする睦月。
その取り繕う仕草も勘に触った。
けれどそれも隠し通して、笑顔で保護者らしく振舞う。
睦月と俺の付き合いの長さを、見せ付けるように。

「そっか、睦月をよろしくな。大人しいけど、いい奴だから」
「はい、こいつすっげいい奴です。マジ暗いですけどねー」
「お、おい、誰が暗いんだよ!」

けれど、空気の読めない頭の悪そうなガキは、くしゃくしゃと睦月の柔らかい髪をかき回す。
自分達の親しさを、思い知らせるように。
睦月も、俺へのものとは違った打ち解けた抗議をしてみせる。

その手を思い切り振り払ってやりたかった。
触るな、それはお前のものじゃない。
そいつに触れていいのは、そいつが心を許すのはお前じゃない。
それは、俺だけでいい。
俺だけだったはずだ。

それから少しだけ話して、そいつは帰っていった。
庭には、俺と睦月だけが残される。
すっかり葉が落ちて寂しい風情になった庭に、静かに落ちる沈黙。
凶暴な衝動が、いまだ消えない。

「…あ、緑はまだいないよ」
「そうか」

沈黙に気まずくなったのか、お決まりの台詞をはく睦月。
いつもおどおどして、姉の顔色をうかがってばかりのいじましい睦月。
本当に気の小さい、小動物のような従弟。
その怯えがいつもは可愛く感じるが、今はただ苛立たしい。

「……なんか、怒ってる?兄さん」

人の負の感情に敏感な睦月が恐る恐る、俺に問いかける。
どうしようもない熱いものが腹の中で煮えたぎっている。

睦月は何も、悪くない。
けれど、訳もなく苛立つ俺には、機嫌を伺うような卑屈な態度も気に入らない。
その白い顔を思い切り殴りつけたくなる。
俺には見せない顔を、なんであいつに見せている。
お前が懐くのは、俺だけであるべきだろう。

冷静な部分では、勿論分かっている。
必死に自分をとどめようとなだめている。

むしろ喜ぶべきだ。
人付き合いが苦手な睦月が、友達と笑っている。
ちゃんと、自分の世界を広げている。
俺についてまわっていた時とは、違う。
俺の手から離れて、俺の知らない世界を作る。

それはいいことだ。
いいことのはずだ。
そのはずなのに。

俺は自分の中の熱く煮えたぎるものを吐き出すように、大きく息をついた。
それをどう受け取ったのか、睦月がびくりと震える。

「別に、怒ってない」
「そう……」

それでも声に棘が潜んでしまう。
本当に大人気ない。
けれど凶暴な感情は、飼いならせない。

「仲いい奴、いるんだな」
「あ、あいつ、クラスでも友達多いんだけど、俺とも仲良くしてくれて」

ぴりぴりとした空気を和らげるためか、必死に話を続けようとする
けれどお前があいつを褒めるのは、俺の心を逆なでするだけだ。
俺以外の奴を、褒めるお前が気に入らない。

「よかったな、お前みたいな暗い奴でも仲良くしてくれる優しい奴がいて」

冷たく言い放つと、睦月が傷ついた顔をして俯く。
違う、こんなことが言いたいんじゃない。
睦月を傷つけたいわけじゃない。

小さくなって怯える華奢な白い体。
その余りにも哀れな様子が、頼りなくて可哀想で。
守ってやりたくなると同時に、滅茶苦茶にしたくなる衝動。

いつも俺の中で燻っていた感情。
どこか喉が渇くような、焦っているような、はやるような。

泣きそうな顔で無意識に庭木をいじり、言葉を捜そうとする睦月。
その指は、あまりに細くて、白くて、思わず視線が奪われる。
そして、その手が枝の棘に伸びる。

「つっ」

熱いものに触れたように、小さく声をあげて手をはなす。

「あ、馬鹿!大丈夫か!?」

俺も慌ててその華奢な手をとる。
庭仕事をしているせいか少し荒れている指から溢れる赤い玉が見る見るうちに大きくなる。
つ、と伝い落ちる瞬間、反射的にその指を口に銜えた。

口に広がるしょっぱい、鉄の味。
頼りない、細い指。

わずかに土の匂いがするその指は、なぜか甘く感じた。

「あ、兄さん…」

戸惑ったように固まる従弟。
俺は一度口を離すと、その傷を眺める。

「棘、入ってないか?」

そして、再び舌を這わせる。
早く家に帰って、手当てをすればいいものを。
ただ、もう一度、その白い手に触れたくて。
その甘さを、味わいたくて。

「に、兄さん!」

焦ったように怯えたように、声を上げる。
透けるように白い体が朱に染まる。
俺の舌が傷をなぞるたびに、びくりと体を震わせる。
細い細い、華奢な体。
男でもなく、女でもない、中性的で儚い睦月。

まるで濃度の高い酒に酔ったように、甘い匂いにくらくらする。

いつも俺の中で燻っていた感情。
どこか喉が渇くような、焦っているような、はやるような。

ああ、分かってしまった。
それに、気付いてしまった。

俺の中のこの純粋で単純な感情。
睦月に感じる愛おしい優しさと同時の、凶暴な感情。

これは、欲望だ。
そう。

俺は睦月に、欲情していた。





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