あなたのために髪を巻き。
あなたのために紅をはき。
あなたのために歌いましょう。

あなたが笑ってくれるなら、私は夢を見せましょう。
あなたは私のものだから、私はあなたのためにある。



***




「省吾」

緑を見て、省吾はいつだって苦しそうな顔をする。
弟にそっくりな緑の顔。
二卵性のはずなのに、私達双子はそっくりだった。
大嫌いな弟。
なよなよとして、白くて、全く男らしくない。
省吾にべったりだった鬱陶しい弟。

死んでまで、省吾を苦しめる。
緑達の中に、いつまでも入りたがる。
どこまでも忌々しい。

「………ただいま」
「おかえりなさい、緑はさみしかった」

苦しんでいる彼を慰めるため、緑は胸に飛び込み優しく抱きしめる。
すると省吾は少しだけ表情を和らげて、緑の頭を撫でる。

「ごめんな」
「お父さんはどうしたの?」
「俺達の近況を聞きたかったみたいだ」
「困った人ね。大丈夫だって言ってるのに」

頬を膨らませて言うと、困ったように省吾は笑う。
弟が死んでから、省吾は少しだけ心を病んでしまった。
だから私達は二人きりで、人里離れた省吾のお父さんの別荘にいる。
省吾が早くよくなるように。

省吾が早く、あんな弟を忘れてしまえばいい。
そうして、楽になってくれればいい。
この人が苦しむことはないのに。
あんな子のことで、省吾が苦しむことはない。

そうして、緑と二人きりで早く幸せになればいい。
省吾は緑が好きで、緑は省吾が好き。
だから早く二人で幸せになればいいのだ。

今の生活はちょっとだけ幸せ。
二人きりで他の誰もいない。
家族も友達も、何よりあの忌々しい弟がいない。
二人きり。
まるで新婚さんのようで、とても幸せ。
後は省吾が早く弟を忘れればいいのだ。

「さ、入って。ご飯できてるのよ」
「ああ、ありがとう」
「けほっ」
「風邪か?」
「ううん、ちょっと喉を痛めただけ」

咳き込んでしまうと、省吾は心配そうに緑の喉に触れる。
外にいたせいか、少しだけ冷たい大きな手は心地いい。
省吾に触れられるのは、とても気持ちが良くて嬉しい。

「喉に、負担をかけるからだ。無理しないで話せ」
「……うん」

省吾は緑に優しい。
そんな省吾を、緑は大好き。
緑と省吾は、ずっと幸せなのだ。



***




緑と弟の睦月は、双子として生まれた。
省吾は、3つ年上の従兄弟。
私達双子はいつでも、省吾を取り合っていた。

顔だけがそっくりで、性格が正反対の緑と睦月。
明るくて友達が沢山いて行動的な緑と違って、睦月は陰気で引きこもりで1人ぼっちだった。
だから余計に省吾に付きまとっていた。
あの子に優しくするのは、省吾だけだったから。

いつだって省吾と緑の中に割り込んできて、本当に邪魔だった。
大嫌いだった。
あの子さえいなければ、私達はもっと早く幸せになれたのだ。
正直、死んで、これで邪魔されなくてすむと清々した。

でも、優しい省吾は苦しんでいる。
あんな嫌な子でも、省吾は従兄弟のよしみで弟のように扱ってあげていた。
それが同情と義務感からとも知らず、あの子は調子に乗っていた。
本当に馬鹿な弟。

あの日、あの子を置いて遊びに行った日に、あてつけのように死んだ。
省吾はそれからずっと苦しんでいる。
自分が悪かったのだと、後悔し続けてる。

優しすぎる人。
睦月になんて、そんな感情を抱くことないのに。

でも、大丈夫。
緑がいるから、笑って。
もう一度、笑って。
あんな子のことなんて、忘れて、緑と省吾で幸せになりましょう。

大丈夫、緑がいるから。
緑が省吾に、ついていてあげるから。



***




「睦月は、クリームシチューが好きだったな」
「緑は、ビーフシチューのほうが好き」
「知ってるよ」

また、困ったように笑う。
この家に来てから、省吾はよく睦月の話をする。
せっかく二人きりなのに、あの子の話なんてしたくない。
緑がそれをこんなに態度に出しているのに、省吾はまた話にだす。
困ったように、悲しそうに笑いながら。
せっかく緑が作ったシチューなのに。
早く、忘れてしまえばいいのに。

「3人でずっといたから、睦月のことも、緑のこともよく知ってる」
「緑は、省吾だけでよかったのに」

また、悲しそうな顔をする。
義務感と同情だけだろうに、あんな子のために胸を痛めることないのに。

「睦月は大人しくて気が弱いくせに、変なところが頑固で芯が強い」
「…………」
「緑は元気で気が強いくせに、本当は弱くて脆い」
「………緑は女の子だからいいの。睦月なんて男のくせにいっつもウジウジして」
「ああ、そうだな」

こんな話なんてしたくないのに。
睦月の話なんてしたくない。
睦月なんて大嫌い。
死んでまで緑と省吾の邪魔をして。

「睦月は…」
「もう、睦月の話はいや!」

まだ続けようとする省吾を黙らせるため、机を叩いた。
ガシャンと音をたてて、ワインを入れていたグラスが倒れて、テーブルの上が赤く染まる。
その赤を見て、脳裏に真っ赤な色が広がる。
真っ赤な、真っ赤な、鮮やかな赤。

くらりと、目の前の景色が回る。
体の力が入らないで、椅子から転げ落ちる。
省吾が名前を呼んで、慌ててこちらに近づいてくる。
力強い、大きな手で助け起こされる。

「…大丈夫か?」
「…睦月の話はしないで」
「……ごめんな」

やっぱり、苦しそうな顔。
苦しそうな、悲しそうな、もどかしそうな、辛い、顔。

「でも俺は、睦月の話がしたいよ」

でも、緑は、睦月が嫌い。



***




「おやすみ」
「ああ、おやすみ」

夜、眠る前にキスをする。
一緒のベッドに寝る。
これは緑の権利。
緑だから手に入れられる、権利。
省吾は緑のもの。
だから、緑が独り占めするのだ。

「ふふ」
「どうした?」
「口紅、ついちゃった」

まだお風呂に入っていないから、化粧を落としていなかったのだ。
少し硬い唇をなぞると、指に薄い赤がうつる。
その紅色を見て、省吾が眉を顰める。

「口紅のつくキスは、嫌いだな」
「え?」
「何もついてない方が好きだ」

なんでそんなこと言うんだろう。
緑はお化粧がするのが好き。
口紅だって、大好きだ。
沢山の色を集めて、毎日試していた。
その緑との、キスなのに。
省吾の馬鹿。

「緑は、お化粧が好き」
「……ああ、そうだな」
「だから、緑とのキスに早く慣れてね!」

省吾は困ったように笑って、早く風呂に入って来いといった。
先にベッドに入ってサイドテーブルから本を取り出し眼鏡をかける。
眼鏡をかけた省吾は、いつもとなんだか違ってちょっとドキドキする。
緑はドアから出て行く前に、一度だけ振り返る。

「ねえ、省吾は緑が欲しくないの?」

一緒のベッドに寝ても、省吾は私に触れない。
抱きしめて、ただ眠るだけだ。
省吾はこちらに顔だけ向けると、眼鏡の奥の真っ直ぐな目で答えを返す。

「俺は、まだお前を抱く気はないよ」

ずっと兄妹のようだったから、まだそんな気になれないだけだろうか。
それとも、やっぱりあの忌々しい弟のせいだろうか。
それとも、私を抱く気になれないのだろうか。

「…ねえ、省吾は緑が好きだよね?」

それは当たり前のこと。
省吾は緑が好き。
省吾は緑のもの。
それは当然のこと。
それは、ずっと昔から決まっていたこと。

省吾は優しい声で、けぶるように笑う。

「俺は、お前が好きだよ」

省吾は緑が好き。
それは、当然のこと。



***




ある日、部屋に入ると、省吾が写真を見ていた。
緑と睦月と省吾。
3人で写ってる昔の写真だ。

「睦月……」

悲しそうな、辛そうな顔。
いつになったら、省吾はあいつを忘れられるのだろう。
あんな奴、早く省吾の中からいなくなってしまえばいい。
あんな奴、最初からいなければよかった。
緑だけでよかったのに。
緑だけで十分だったのに。
生まれてこなければ、よかったのだ。

こんなにも、省吾を苦しめるなら。

「省吾兄さん」
「う、わ」

大きな背中に後ろから抱きつくと、気付いていなかった省吾は驚いて声を上げた。
後ろからそっと省吾の手にある写真を取り上げる。

小さい頃の、3人。
大きい省吾を真ん中にして、腕を一つづつ取り合って、寄り添っている私達。
虫唾が走るほど、そっくりだった小さい頃。

「小さい頃だね。本当に睦月は、女みたいで気持ち悪い。省吾にこんなにベタベタして」
「緑とそっくりの顔だ」
「あの頃は、お母さんとお父さんも見間違えるくらいだった」
「でも、俺だけは見分けがついたな」

くすくすと懐かしそうに笑う省吾。
そう、あの頃の私達は本当にそっくりで。
同じ服を着て、同じ髪型をすると、どちらがどちらか分からなくなることがあった。

でも、省吾だけは見つけてくれた。
省吾だけは、見分けてくれた。

だから私達は、省吾が大好きだった。

「この写真を見ても分かる。こっちの柔らかい雰囲気が睦月で、元気そうなのが緑。こんなにそっくりなのにな」
「でも、成長したら睦月は全然目立たなくて、暗くて、うざったい奴になった。緑と全然違う。緑はこんなにかわいくて元気で明るいのに。一緒にしないで」
「睦月はとてもいい子だよ」

そうだ、省吾はそう言って睦月を罵る緑をいつもいさめた。
緑の影に過ぎない睦月を、庇った。
睦月は、緑のおまけなのに。

お父さんもお母さんもそう言っていた。
いてもいなくても、一緒の睦月。
そんなみそっかすを、いつだって守ってくれた省吾。

苦しい。
省吾は緑のもの。
緑のものなのだ。

省吾の背中に抱きついて、写真が見えないように机の上に伏せた。

「もう、忘れちゃいなよ」
「忘れられないよ」

胸にまわって私の手を、大きな手が包み込む。
いつだって引いて、守ってくれた大きな手。

「どうして?緑がいるのに」
「俺にとっては、二人とも大事だった」

緑はそんなの嫌だった。
あんなおまけでどうでもいい奴が、傍にいるだけで嫌だった。
緑と省吾の間に入るのが、すごくすごく嫌だった。
本当に邪魔だった。

優しい省吾。
悲しい省吾。
気にしなければいい。
見捨ててしまえばいい。
あんな奴、忘れてしまえばいい。



***




緑は巻いた髪が好き。
ふわふわの栗色の髪は、巻いて結ぶととってもかわいい。
おろしてももちろんかわいい。
よく友達からも褒められていた、自慢の巻き髪だ。
けれどアイロンで巻こうとすると、細い髪はするするとほどけていく。
こんなに難しいとは思っていなかった。

「うー!」
「何してるんだ?」
「髪を巻いてるの」
「なんか苦戦してるな」

部屋の鏡台の前で細くて柔らかい髪がうまく巻けないでいるところに、省吾がやってきた。
鏡越しに、面白そうにこちらを見ているのが分かる。

「うー、難しい!」
「お前は髪が短いからな」
「省吾、やって!」
「はいはい」

器用な大きな手が、緑の髪をとる。
くるくると巻きつけては、形を整えていく。
それはとてもうまくて、なんだかちくりと胸が痛む。
昔、誰かの髪をこうやって巻いたことがあるのだろうか。
そういえば、省吾は緑が幼い頃は彼女が沢山いた気がする。
それとも、緑の髪を巻いたことがあっただろうか。

省吾は緑のもの。
省吾は笑って、緑のわがままを聞く。
省吾はいつだって緑のわがままを聞いてくれる。
省吾は緑のもの、緑だけのもの。

そう、緑だけのものだ。

「そうだ、緑が好きだった青いワンピース、あれ持って来てただろ?」

髪を巻いてくれながら、思い出したように省吾が問う。
鏡越しに視線を合わせると、懐かしそうに目を細めていた。
青いワンピース。
よく覚えている。
緑にとっても似合っていた。

「うん、持ってきてる」
「せっかくおめかししたんだ、あれ着てくれよ。あれは緑によく似合ってた」
「…そう?」
「ああ」

省吾の緑へのリクエストだ。
それは叶えてあげなければ。
省吾を笑わせるために、私はここにいるんだから。

「じゃあ、着てくるね!待ってて!」

そういえば、この家に来てから、省吾が私に何かを頼むのは初めてじゃないだろうか。
すごく嬉しい。
私は、省吾のために存在するのだから。
なんだって言ってほしい。
省吾は緑のもので、私は省吾のためにあるのだ。

急いで部屋に駆け込む。
この別荘に来るときに、緑の服はほとんど持ってきた。
化粧も、アクセサリも、小物も。
すごい大荷物だった。
省吾はいい顔をしなかったけれど、緑が綺麗でいるためには全部全部必要なものだ。
家の中にいる間は、必要もないからそこまでお洒落をしなかったけれど、省吾のリクエストだ。

クローゼットを開ける時に、急ぎすぎて引き出しの上の小さな宝箱が落ちた。
飾りも何もない、ただの無骨な木の箱。
慌ててそれを拾い上げる。
中には割れるようなものは入ってないけれど、念のために開けてみる。
そこにはいつものように、両手より大きいくらいのグリーンの古びた布の切れ端。
見るたびに、切なくて、苦しくて、哀しい想いがこみ上げる。
なんでだろう、哀しいことなんて何もない。
緑には、哀しいことなんて何もない。
緑は、幸せなんだから。
省吾といれて、幸せなのだから。

ああ、そうだ、省吾のために青いワンピースを探さなければ。
こんなことをしている場合ではない。
丁寧に箱を閉めると、元の場所に戻す。

青いワンピースは、緑のお気に入り。
ボディラインがすっきりと出る細身のワンピースは、スタイル抜群の緑によく似合う。
省吾も、このワンピースを来た緑をよく褒めてくれた。
だから、私はそれがずっと羨ましかった。

細身だから、上からはかぶれなくて、ファスナーを外して下から着る。
すると、ウエストでワンピースが引っかかってしまった。
もしかして、太ったのだろうか。
だめだ、緑はスタイルが自慢なのだから、太ったりしたら駄目だ。
それでは、緑でなくなってしまう。

焦って、なんとかもがいて着ようとする
きついけれど、ずりずりと引き上げると、どうにか胸元まで上げることが出来た。
しかし、ファスナーがウエストから上がってくれない。

「大丈夫か?」
「省吾、ファスナーあげて!」
「………ああ」

余りにも遅いから気になったのだろう。
省吾がドアから顔を出す。
どうしても上がらないからお願いすると、省吾は頷いて後ろに立つ。

しかし、やっぱり上がらない。

「どうしよう、省吾、緑太っちゃった」
「……落ち着いて」
「どうしようどうしようどうしよう」

緑は太ったりしちゃいけない。
緑は青いワンピースが似合わないといけない。
緑は綺麗に髪を巻いて、綺麗に化粧をして、元気に笑っているのだ。

「いや、いやだ、いや、いやいやいや、違う、こんなの違う」
「落ちついて、大丈夫」
「いや、駄目!駄目だ、こんなの駄目!」

せっかく省吾が望んだのに。
青いワンピースを着た緑を望んだのに。
それを叶えてあげられない。
それなら、私はここにいる必要がない。

「鏡を見て」

後ろにいる省吾が耳元で囁く。
その声は小さいのに、しっかりと私の耳に届く。
大きな手は私が逃げ出さないように、肩を強く掴む。

嫌だ。
見たくない。
見てはいけない。
見たくないのだ。

見たら、すべてが終わってしまう。

「いや…」
「見て」

かぶりを振ると、右手で顎をつかまれまっすぐ前を向かされる。
でも見たくなくて、強く瞼を閉じた。

「見て。そろそろ、終わりにしよう」

なのに、省吾の声は更に促す。
逃げられない。
許してくれない。

夢が、終わってしまう。

「鏡の中に、誰がいる?」

涙が出てきた。
溢れてきて、つぶってられなくて、目を開ける。
涙で滲んで、ぼやける視界の先の鏡。

そこには、みっともない俺が映っている。

無理矢理巻いた短い髪は、綺麗に巻けるはずも無く、みっともなくぼさぼさになっていた。
下手くそな化粧は崩れていて、まるでおたふくのようだ。
青いワンピースは、細いウエストのラインが引きちぎれそうで、開いた胸元はスカスカだ。

なんてみっともない。
緑とは似ても似つかない姿。
こんなのは緑じゃない。
緑じゃない。

緑じゃなきゃいけないのに。
緑じゃなきゃ、省吾は要らないのに。
省吾が必要なのは、緑だけなのに。

俺なんて、要らないのに。

「いや、だ、いやだ、いやだっいやだ!!」
「ちゃんと答えて、鏡の中にいるのは、誰」

声色は、とても優しい。
とてもとても優しいのに、手の力は強くて逃げるのを許してくれない。

夢が終わってしまう。
優しい夢が、覚めてしまう。
せっかく省吾兄さんと一緒にいれた時間が、なくなってしまう。
見たくない現実が、戻ってくる。

「やめて、やめて、省吾兄さん!!」

それでも、省吾兄さんは俺にそれを突きつける。

「さあ、目を覚まそう」

いやだ、緑でいいんだ。
俺は、私は緑でいいんだ。
省吾兄さんは緑のもので、だから俺は緑でいるから。

だから。

「睦月」

何かが、壊れる音がした。





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