「………部屋、いないし」

食事を終えて部屋に帰ると、ルームメイトは変わらず姿を消していた。
どこにいったんだろう。
確か点呼が10時ってことだったけど、それまでには帰るのだろうか。
さて、そうしたらどうしようかなあ。
仲良くならなきゃ、いけないんだよなあ。
面倒くさいな。
いや、しかし、20万だ。
1年間のお昼代と思えば、あの子がとても愛しく思えてくる。
うん、頑張ろう。

てことで、寮則と校則と入った時の規約類全部読んでおこう。
今日みたいな失態はごめんだ。
契約書類を読み損ねるなんて、馬鹿すぎる。
それで痛い目にあったのは一度や二度じゃないってのに。
まあ、それだけ焦ってたってのもあるけど。
まだまだだな。
精進精進。

「じゃ、栗林さんが帰ってくるまでお勉強しましょ」



***




「301号室、いないんですかー」

どこからか聞こえてくる優しそうな女性の声に、意識が唐突に戻る。
一瞬自分がどこにいるのか分からなかった。
見知らぬ壁、見知らぬ天井、見知らぬベッド。

「藤河さーん」
「あ、いますいます!」

ドアの向こうから呼ばれているのが自分だと分かって、慌ててベッドから起き上がる。
半ば転げ落ちるようにして、ドアに向かった。
そうだ、ここは新しい学校の寮だった。
いつの間にか、うたた寝していたらしい。

「すいません、藤河います!」

叫びながらドアを開けると、ドアのすぐ横にいた女の人がびっくりした顔をしていた。
私の顔を見て、ゆっくりと驚きの表情を笑顔に変える。
髪を横で一つに緩く結った眼鏡の似合うふわりとした笑顔が、とても優しげな人。
ピンク色の唇から出る声も、とても柔らかく女性らしくて優しい。

「よかった。あなたが藤河さん?」
「あ、はい」
「こんばんは、私は副寮長の三年の金城(かねしろ)です。これからよろしくお願いいたします」
「こ、こちらこそ!」

ゆっくりとお辞儀されて、私も慌ててそれに返す。
すると金城さんと名乗った人は楽しそうに小さく笑った。

「ふふ」

なんだかとても優しそうな人だ。
いや、でも騙されるな。
優しそうで綺麗な人って思った会長と副会長はああだった。
この人だってどんな人かは分からない。
疑わう私に気付かずに、金城さんは手に持ったボードにペンを走らせる。

「じゃあ、301号室、丸、っと」
「あ、栗林さんは………」

そういえば、まだ部屋に帰ってきていない。
初日から何してくれてるんだ、あの人は。
けれど金城さんは慌てずに頷いた。

「ああ、伺っています。今日は寮長のところで休むんですよね」
「ええ!?」
「あら、聞いてなかったんですか?」
「ていうか、ありなんですか、それ!?」

それなら私だって他の部屋で寝たいぞ。
いや、栗林さんがいないならゆっくり寝れるから別にここでいいんだけど。
金城さんは困ったように笑って首を傾げる。

「まあ、本当はいけないんですけど、彼女はなんというか………」
「寮長自ら職権乱用とか!」
「あ、駄目ですよ。そういうことを大きな声で言っては」

金城さんはしーっと指を口の前で立てて悪戯っぽく言う。
それは本気で窘めるという訳ではなく、どこかおかしげだった。

「実は彼女はこれまでも寮長の部屋でずっと休んでいたんです。ですので特例として許されています」
「なんだそれ!」
「一応寮監の許可もとっているようなので」
「………」

なんかもう、あいつらに権力持たせちゃいけないんじゃないか。
やりたい放題じゃないか。
なんで誰も何も言わないんだ。
まあ、私も言わないけど。
長いものには全力で巻かれます。
大きな力にはおもねろう、それが平穏無事な生活な秘訣です。

「寮長からちょっと伺っています。大変みたいですね」
「………いえ」

金城さんが気遣わしげに顔を曇らせた。
大変も何も、本当に大変だ。
なんで私がこんな目に。
お嬢様学校だっていうから、陰湿ないじめはあるかもしれないってちょっと覚悟していたけどこういうことは想定外だった。
まあ、いじめよりはずっといいけどさ。
いや、いじめじゃないか、これ。

「天津さんも、和倉さんも、ちょっとその………」
「ふざけた性格ですよね」
「あ、そういうこと言っちゃうと、彼女たちのファンが怒るかなあ」
「………分かりました」

我慢しようとしていたが、つい出てしまった本音に金城さんが困ったように笑う。
つまりここで平和にやっていきたいなら、あいつらの文句は言うなってことか。
まあ、こうやって忠告してくれるだけ、この人はいい人なんだろうな。

「彼女たち、外面はいいから、なんか信者みたいなファンの子達がいっぱいいるのよね」
「副寮長さんも、言いますね」
「うふふ、内緒ね」

指を立てて悪戯っぽくウィンク。
優しくて大人しそうな人だけれど、そうして笑う姿は中々に小悪魔っぽく可愛らしい。
この学校で今まで会ったどんな人よりも一番話が通じそうな人だ。

「じゃあ、私点呼の続きしなきゃいけないから。ごめんね」
「はあ」
「何かあったら話してね。聞くだけしかできないと思うけど。ごめんね」
「………いえ、ありがとうございます」

申し訳なさそうに言う先輩に、私は礼をいって頭を下げた。
まあ、あの二人がこの学校では絶大な権力を持っているようだし、仕方ないか。
こう言ってくれるだけありがたいってもんだ。
感謝しなければ。

「それじゃ、おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」

たおやかに頭を下げて消えている金城さんを見送って、私はふっとため息をついた。
それにしても。

「やってくれるじゃないか、栗林」

待っていろ20万。
ますます燃えてくるってものだ。



***




「おはよう、咲耶さん。よく眠れた?」

今日も会長さんはキラキラと輝かしく、朝のだるさなんて感じさせない美しさだった。
隣に立つ少し気だるげな副会長さんも、それはそれで艶めかしく色っぽい。

今日は土曜日、学校は休みだ。
各種手続きや教科書の配布、配属されるクラス、先生の挨拶なんかを今日の内に済ませることになっている。
そしてそれをしてくれるのは生徒会長様。
てことで、休日なのに私は制服を着て生徒会長室に来ていた。
寮でやってくれりゃいいのに。
まあ、土曜日は先生方も午前中はほぼ学校に詰めてるってことなので仕方ないか。

「おかげさまで」
「そう、結衣子は昨日も私のところへ来たわ。これからは部屋で寝てくれるようになるといいのだけれど」
「まだ一日目ですから」

ていうかそれなら部屋に返せよ。
私のせいみたいに言うんじゃない。
なんてことは言えないけどね。
この迫力美人に言えないけどね。

「そう、頑張ってね。一年分のお昼代が待ってるわ」
「絶対に忘れないで下さいよ!」
「ええ、ちゃんと書面にしたわ。はい」

ひらりと差し出された紙に、私は椅子から立ち上がって生徒会長用の大きな机の前まで赴く。
中を覗き込むと、そこには中々に立派な紙に綺麗に印刷された文字列。
本当に形式ばった書面にしてくれたようだ。

「早いですね」
「今日明日中ってことだったでしょう」

まあ、言ったが、本当にこんなに早く出てくるとは思わなかった。
しかもこんなしっかりしたものが。
私は中身を一字一句見逃さないように目を通す。
二重になっている様子もない。

「………はい、署名、捺印もありますね。内容も昨日話した通り。では受け取ります。ありがとうございます」

紙を半分におり、鞄の中に突っ込む。
後でちゃんと閉まっておかなければ。

「しっかりしてるわねえ」
「もう、悪い人達に利用されたくないですからね」
「まあ、人聞きの悪い、ねえ」
「本当」

会長と副会長はくすくすと顔をあわせて笑っている。
本当に外見だけはいい悪魔どもめ。
その後しばらく書類やどのクラスへ配属されるかなどの説明を受ける。
教科書類ももう用意されていて、中身の確認なども行った。
副会長が淹れてくれたお茶を飲みながら、会話の途切れた時を見計らって私は気になっていたことを聞く。

「ところでなんで栗林さんは、会長の部屋で寝ているんですか?」
「依子でいいわよ」
「会長の部屋って一人部屋なんですか?」
「かわいくないわねえ」

会長がつまらなそうに鼻を鳴らす。
かわいくなくて結構。
この人達に気に入られても、なんの得もなさそうだ。
いや、逆に気に入られたら得があるのだろうか。

「私の部屋は本当は静音と同じ部屋なのだけれど、あの子が来るから静音は泉の部屋で寝ているの。泉は二人部屋を一人で使ってるから」
「じゃあ、最初から会長と同じ部屋にすればいいじゃないですか!」
「いやよ、あの子の面倒ずっと見るなんて。面倒くさい」
「………」

にっこりと綺麗な笑顔のまま言いきられた。
それを人に押し付ける訳か。
そういうことか。
ああ、ちくしょう。
人の弱い立場につけこみがって。
会長の傍らに立つ副会長が苦笑する。

「そろそろ結衣子も自立しなきゃいけないから。いつまでも私たちが面倒みる訳にはいかないし、友達も作ってほしくて」
「だからなんで私なんですか。こんな性格の分からない季節外れの転校生とかよりもっと適任がいるでしょう」
「面白そうだから」

帰ってきたのは、会長のその一言だった。
一瞬、何を言われたのか理解できない。

「は?」
「季節外れの転校生!頑なにその存在を拒む美少女!すれ違いぶつかり合う二人!そしてそこに生まれる友情!」

握りこぶしで力説する会長。
まっすぐな黒髪に、フランス人形のような彫りの深い顔立ち。
口から出てくるのは心底お馬鹿な発言。

「ね、面白そうでしょ?」
「アホですか」

思わず本音がストレートに漏れてしまった。
しまった。

「あ」

慌てて口を抑える私に、副会長が面白そうにくすくすと笑った。

「ごめんなさい、会長はアホなのよ」
「だったら止めてください」
「止められないわ。私は副会長。依子は会長で寮長」

ああ、もう、どいつもこいつも。
いつか見てろよ。
絶対仕返ししてやるからな。

「とりあえずこれで週明けからの説明は終わったわ。後は先生方を紹介するわね」
「………」

話を切り上げて、副会長が机の上のティーカップを片付け始める。
会長は、相変わらずとても綺麗に華やかに笑った。

「頑張って、昼食代」
「………頑張りますとも」

ああ、頑張らせてもらいますとも。
絶対に賭けに買って、学食で一番高いランチを食べてやる。






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