「くっっそおおおおお、次こそやってやるからなああ!!!」

再度人を集めようと声をかけたものの、先日のことがあっという間に知れ渡り、桜川には手を出すなという不文律が出来上がったようだ。
破格の条件で声をかけるものの、誰ひとりとして名乗り上げるものはいない。
俺は次なる策を考えるため、苦心する毎日だ。
昼休みの学食から帰り道、廊下で吠える。

「楽しそうだな、秋庭」
「楽しくねえよ!お前もいい加減手を貸せよ!」

柳瀬は淡々とそんなことを言う。
ものすごい心外なことを言われて、俺は咄嗟に怒鳴りつける。
薄情すぎるルームメイトは軽く肩をすくめると、酷薄な薄い唇を歪めた。

「俺は桜川に興味がない」

本当に、興味のないことには何一つとして動かない奴だ。
知ってはいたが、毎回毎回腹が立つ。
しかし柳瀬に過度の八つ当たりをすることはない。
なんの得にもならないからだ。
普段穏やかで淡々として何にも興味を示さないこいつだが、一旦スイッチが入ると誰にも手がつけられない。
利用できるものならしたいが、リスクが高すぎる。

「くっそおお、本当に友達がいのない奴だな」
「ここ最近で急に友達になったな」
「友達のために働いてみろ、この野郎!」
「ごめんだな」

憎らしく淡々としている柳瀬を睨みつけていると、視界の隅に見知ったものが映った。
そちらに視線を向けると、立ちはだかるように犬がたっていた。
いつもいつも桜川の傍にいるせいで、すっかり見慣れてしまった忌々しい眼鏡ガキ。
珍しく今日は1人で、眼鏡の下の切れ長の目は敵意に満ちている。
ぴんと伸ばした背筋で、必死に見えるほどに俺を威嚇している。

「なんだよ、お前の飼い主はどうした?」
「もう、瑞樹に近づくな」

半ば予想通りの返事に、俺は笑いすら出てきてしまう。
役に立たないナイト役。
なんの役にも立たない図体しか取り柄のない弱い犬の癖に、ちょろちょろと桜川の足元を走り回る。
全く目障りなやつ。

「うるせえな、ペットが飼い主の言うことに背くのか?」

ぐ、と一瞬言葉に詰まる眼鏡。
しかし、すぐに余裕を取り繕い、うっすらと笑って見せた。
そこそこ高いが、俺より低い背を精一杯伸ばし、生意気に睨みつけてくる。

「ペットはお前だろ」
「ああ!?」
「男に犯されて尻尾振って、楽しいか?」
「ケンカ売ってるのか?お前」
「お前は瑞樹のためにならない。もう消えろ」

揶揄するように罵る眼鏡。
安っぽい挑発だが、癇に障る。
こいつの優等生ぶった外見も、神経質な声も、何もかもが気に入らない。
しかし、ここで乗って怒ってやるほど俺も安くない。
だから、嘲笑う。
いつものように、嫌みたらしく嘲笑ってやった。

「そんなこと言っても、お前の飼い主が離してくれなくってさ」
「っっ!」

そしてあっさり取り繕っていた余裕が剥がれた。
本当にこいつは、単純すぎて逆に面白くない。
なんでこんなのがあいつの隣にいるんだが。

「あの時のあいつ、色っぽいぜえ、お前見たことあるの?超かわいい」
「この、下衆っ!」
「顔真っ赤にしちゃってまあ、お前、あいつを抱きたいのか?」
「黙れ!!!」

おそらく一番つかれたくないところをつかれて、犬は耳まで赤くした。
本来なら俺はこういう立場なんだよ。
人をいたぶり弄ぶ。
今にも殴りかかってきそうな眼鏡を苛立ち半分楽しみ半分見つめる。

「ヤられてる立場ってことは見事にスルーしたな」
「うるせえな!茶々いれてんじゃねーよ!」

隣で黙ってい見ていた柳瀬が、ぼそりとつっこみをいれた。
一瞬こっちの頭に血が上りそうになるのを押さえて、再度犬を弄ぶ。

「あいつはお前を弟って言ってたぜ?かわいいかわいい、弟ってな」
「うるさい、うるさいうるさい!!」
「どんなに望んでも、手に入らないってどんな気分?しかも一番近くで」

そこで我慢できなくなったのか、犬は姿勢を低くしてこちらに駆けてきた。
こいつもあれから鍛錬を重ねているのか、初めて会った時よりは動きも鋭くなっている。
けれど、鍛え直しているのは俺も一緒だ。

「黙れ!」
「よっと」
「くっ!」

直線行動の動きは、よけるのも難しくない。
こいつの動きは単純なんだよな。
教科書通りで、予想が簡単だ。
同じ動きを元にしている桜川は、それでも予想がつかずに早く鋭い。
右に軽くよけ足を払い、ついでに蹴りつける。
廊下に滑るように体制を崩すが、咄嗟に体制を整えて再度こちらを睨みつけてきた。

「弱いなあ、お前。なんでお前あいつの傍にいるの?なんの役にも立たなくて、そのくせ襲いたいって思ってるって最悪じゃね?」
「言うな!!言うな言うな!!」
「あいつにキスしたい?体中舐め回して、つっこみたい?」
「違う!違うそんなんじゃない!俺は!」

泣き叫ぶように吠えて、再度抜き手で顎を狙ってくる。
桜川に慣れてるこちらとしては、やはり遅い。
犬の腕を左手で押さえると、がら空きになった腹を蹴りつけた。

「ぐはっ」
「うるせえな、お綺麗ぶってんじゃねえよ、ターコ」
「はっ」

なんの穢れも知りません、といった様子の優等生がムカついて、転がしたあとにもう一度蹴りつける。
しかし手加減はしてやってる。
あんまり痛めつけると、後で何をされるか分からないからだ。
そう、桜川に見つかったら何をされるか分からない。
あいつは、忌々しいことにこいつを可愛がっているから。

「何してやがる」

と、想いを馳せたところで、今の状況で一番聞きたくない声が響いた。
ここ最近で一番耳に慣れてしまった、聞き惚れるほどに澄んだ声。
しかし今は、怒りを表し低くなっている。

「げ」
「何してんだ、秋庭」
「俺に言うんじゃねーよ、こいつが突っかかってきたんだよ」

俺らしくなく、焦って振り向いて言い訳ををする。
小さい体からは想像できない、圧倒されるような威圧感を持って桜川は大きな目を細めている。
怒っている。
間違いなく怒っている。
くそ、なんで俺がこんな情けなく言い訳しなきゃならないんだ。
しかし叩きこまれた恐怖は、すっかり俺を飼いならす。

「とりあえずその汚ねえ足どけろ」
「くそっ」

命令され、容易く聞くのも忌々しいが、逆らったら何をされるか分からない。
俺はしぶしぶ犬の体から足を引いた。
再度桜川に視線を送ると、その後ろには先ほどまで一緒にいたはずのルームメイトの姿。
そこでこのタイミングで桜川がやってきた理由を理解する。

「てめえか、柳瀬!」
「これ以上面倒起こすといい加減教師が寄ってくるぞ」

俺が激昂して怒鳴りつけても、柳瀬は全く堪える様子はない。
苦手な人間2人を前にして、俺は焦りを覚える。

「あいつらに何ができんだよ!」
「お前と桜川の親に言いつけることができる」

やはり俺の威嚇は気にせずに、柳瀬は淡々と返した。
痛いところを的確についてくる。
本当に、こいつと桜川だけは調子が出ない。

「ぐ」
「いいのか。多少の不祥事はともかく、桜川とコトを構えて」
「…………」
「たまにはトモダチがいのあることしてやってんだろ、感謝しろ」
「くそっ、死ね」

柳瀬は無表情に軽く肩をすくめる。
その間に桜川は転がっていた犬のもとにやってきて、冷たく見下ろす。

「何してんだ、秀一」
「み、ずき………」

低い声に、犬は萎縮したように視線を彷徨わせる。
やっぱり無断か。
犬のくせに、独占欲だけは一人前だ。
いや、犬だからか。
縄張り意識が過剰なんだな。
健気で涙が出てくるね。
飼い主の方は不機嫌そうに、更に犬を追い詰める。

「誰の許可をとってこんなことしてんだ?」
「だがっ、そいつはお前のためにならない!!」
「うるせえ、言い訳するな。しかも負けてるしよ。情けねえツラみせんな」

聞き苦しい言い訳をする眼鏡に、主は威厳をもって叱りつける。
今度こそ、下僕は何も言えなくなった。

「………」
「お前の主は誰だ?」
「瑞樹、です」
「そうだ、なんでお前こんなことしてんだ?」

桜川は更に、犬に服従を求める。
座り込み、視線は床に向けたままぼそぼそと犬は言い訳をする。

「瑞樹が、旦那様の言いつけを破って………」
「破ってるか?問題になるような悪さはしてねーぜ?はみ出しもんで遊んでるだけだ」
「だが、もうケンカはしない、と」
「ボディガードのくせに守れないのは誰だ?」
「………」
「それ以上に、お前の主は親父か俺か?どっちだ?」
「………瑞樹」
「それなのに、俺のもんに勝手に手を出してるのか?」

往生際悪く言い訳をする犬に気分を害したらしく、桜川の声はより低くなった。
天使のような顔で見下ろす目は、驚くほど冷たい。
無条件で謝りたくなるような威圧感。
何よりも大事なご主人様に叱られて、犬は耳としっぽを垂れ下げる。
そして、服従の意を示した。

「すみません、でした」
「まあ、お前の気持もわかるけどな」

素直に謝ったことで、桜川はようやく表情を緩めた。
悪戯者の弟を見るような苦笑で、未だ座り込んだままだった犬を引っ張り立たせる。

「ほら、立って」
「ごめん、瑞樹、ごめんなさい」
「いいけどな。でもお前はあいつに敵わないんだからやめておけ」
「ごめんなさい………」

子供のようにただひたすら許しを乞う眼鏡。
凛として背筋を伸ばした優等生はなりをひそめ、今にも泣きそうに顔を歪める。
自分よりはるかに高い位置にある頭を撫でて、桜川は困ったように笑う。

「怒ってないから、ほら」
「瑞樹………」

ぽんぽんと、頭をなでられると、犬は小さく頷く。
自分の下僕の気持ちが落ち着いたのが分かったのか、もう一度だけくしゃりと桜川は髪をかき回す。

「よし、いい子だ」
「…………」
「ほら、もう行け。もうあいつに手を出すんじゃねえぞ。あれは俺のだ」
「………瑞樹が、そんなに人に執着するのは、はじめて、だ」

自分より視線が下の主を見つめて、犬はたどたどしくそんなことを言った。
心臓がびくりと跳ねる。
桜川がどんな答えを返すのか、気になった。
しかし桜川はただ自然と、てらいもなく首をかしげる。

「そうか?まあ、そうかな。あいつ面白いんだよな」

それは、決していい表現ではなかった。
褒め言葉や、長所を伝える言葉ではない。
まして愛の言葉や執着を示す言葉でもない。
けれど、全くためらないのない言葉に、俺は顔が熱くなる。
面白い、なんて言葉に、心が熱を持つ。

「………そう、か」
「親父に告げ口するんじゃねえぞ」
「しない」
「よしよし、いい子だ。ちゃんと手当しろよ」

犬にもう一度言いつけると、再度褒めて頭をかき回した。
眼鏡は唇をかみしめて、静かにくるりと踵を返す。
主の言いつけに従って、後を振り返らずに去っていった。

俺は意味の分からない動悸を押さえるために、心臓を押さえていた。
顔も熱くなっている。
桜川がこちらに視線を向けて、ますます心臓が激しく波打つ。
俺は誤魔化すように、どうでもいいことを口にした。

「すげえ、しつけだな」
「んで、お前はなんで俺の弟いじめてるの?」
「先につっかかってきたのはあいつだろ!」

桜川の冷たい視線に、一連の流れに忘れていた俺の行動を思い出す。
慌てて言い訳するが、不機嫌な桜川には通用しない。

「うるせえな」
「ぐはっ」
「どんな理由だろうと、秀一に手を出してんじゃねえよ、クズ」
「て、めえ………」

腹に重い一撃を入れられて、咳きこむ。
かわす暇どころか構える暇も何もなかった。
一体どういう鍛え方してたらこういう人間ができるんだ、本当に。

「今度はお前のお仕置きだな」
「………俺、悪くねえだろ」
「へえ、いい度胸だな。今夜は夜通しコースだな」

普段だったら謝っていたかもしれないが、今の流れは俺は悪くない。
悪くないはずだ。
悪くないよな。
しかし、目を細めて睨みつけられると、何も言えなくなってしまう。
腕をとられ、俺は黙ってそれに従う。
桜川は、いまだ突っ立って成り行きを見ていた柳瀬に視線を向ける。

「借りていいか?」
「存分にどうぞ」
「柳瀬!!!お前なら勝てるだろ、こいつに!やれよ!」
「なんで人のケンカに手をださなきゃいけないんだ」

結果は分かっているのに、もう一度促す。
そして思った通りの答えが返ってきた。
くそ、本当に最悪な男だ。
その言葉に興味がわいたのか、桜川は酷薄そうな鋭い眼と薄い唇をした長身の男を観察するように眺める。

「あんた、強そうだな」
「そうか?よく分からないな」
「いいのか?こいつぐっちゃぐちゃにやるぜ?」
「別に、自業自得だろ、そいつの」
「へえ?」

そういう奴だよ、こいつは。
興味のわいたことにしか、動かない。
何よりも自分本位の男だ。
しかしわずかに苦笑すると、肩をすくめた。

「ま、あんまひどくしないでやってくれ」
「俺も痛いのは好きじゃないから、大丈夫」

うそつけ。
まあ、鞭で打ったり踏んだり蹴ったりなんかはされないけどな。
怪我させられられるようなプレイもされたりしてないけどな。
でも、それは嘘だ。
間違いなく嘘だ。
しかし、言えない。
じゃあ、希望通り痛めつけてやるよ、と言われるのが分かり切っていたから。

「さて、と行くぜ」
「………」
「不満そうな顔だな」
「………弟はいいのかよ」

腕をとられ引きずられながら、俺はぼそりと聞いた。
いつもなら犬のことなんて聞かないのに、口にしたのが意外だったのか桜川は眼を丸くする。
そして再度苦笑した。

「まあ、しょうがないな。いい加減あいつも俺離れしないとなあ」
「本当になついてるな。ていうか本当にお前の犬だな」
「言葉を慎めよ?ま、刷り込みなんだよ。あいつ、俺以外に優しくしてくれる人間いなかったから。全く困った困った」

本当に困ったように、珍しく眉をひそめ大きくため息をつく桜川。
自分で聞いたものの、そんなことはどうでもよかった。
俺が聞きたいのは、そんなことじゃなかった。

「…………かよ」

けれどそれを聞くのはなんだかとても癪で、でも聞かずにはいられなくて。
迷いと戸惑いと苛立ちを込めた声は小さくなった。

「ん?」
「あれ、お前の口癖かよ」
「……なんだ?」

何を言われたのかわからずに、桜川はかわいらしく小首を傾げる。
そんな様子は本当に天使のようで、また心臓が高鳴る。

「いい子ってやつ。あいつにもやってただろ」
「ん、ああ。口癖って言えば、そうか。あいつが小さい頃からやってたからな」

ベッドの中で何度も言われた言葉。
別になんともないピロートークだ。
しかも俺みたいな男が言われるような言葉じゃない。
たが、なんでか桜川があいつに言っているのが、とてつもなく癪に障った。

「…………へえ」
「どうかしたか?」
「いいやあ、なんでもお?」

自分でも嫌みな声が出る。
こんな態度をしたらどんな目にあうのか分かっているのに。
それでも苛立ちと訳の分からない焦燥のようなものが、俺にそんな態度をとらせた。
しかし桜川は怒らなかった。
大きな目を何度かパチパチと瞬くと、ああ、と納得して頷いた。

「なんだ、妬いてるのか」
「はあ!?」

予想外の言葉が出てきて、俺は思わず呆けた声が出る。
慌てて逸らしていた視線を桜川に戻すと、桜川は一変機嫌良さそうに笑っていた。

「かわいいな、零」

そして、伸びあがって俺の顎を取る。
痛いぐらいの強い力でひっぱられると、柔らかい唇が重なった。
驚きで、動きが止まる。
桜川はそっと唇を押しつけただけですぐに元に戻る。

「零は、かわいいな」
「あ………」
「お前、かわいいよ。楽しませてくれる」

初めてだった。
こんだけセックスしておいて、キスをしたのは、初めてだった。
色々な所を舐めて、肌を重ねたのに。
唇を重ねるのは、初めて。
柔らかい唇と、目の前にあった淡い色の長い睫が脳裏に焼きつく。

「………み、ずき」
「ん?」
「………もう一回」

だから、俺はもう一回ねだってしまった。
あのふわりとした感触が、もう一度欲しくて。
弱々しい声で、ねだる。
頭のどこかで、やめろ、それは俺じゃないという声が聞こえる。
でも、その魔力には逆らえない。

「なんだ、キスか?」

桜川がもう一度小首を傾げる。
俺はただ黙って頷いた。
すると、桜川はにっこりと花が咲くように笑った。

「マジでかわいいな。今日はメチャクチャにしてやろうかと思ったけど、優しくしてやるよ」

もう一度襟首を掴まれ引っ張られる。
そして、今度は先ほどより長く唇が重なる。
激しさのない、ただ重ねるだけの優しいキス。
黙って、目を閉じてその感触を味わう。

短いような長いような時間、そっと桜川は離れていく。
名残惜しいけれど俺もかがめていた腰を戻して目を開く。
桜川はいい加減慣れてきた俺でも息を呑むような無邪気な笑顔を浮かべていた。
子供のような、抱きしめたくなるような、かわいらしい笑顔。

「………次は絶対、俺がヤってやるからな」

俺は言葉が出てこなくて、負け惜しみのようにつぶやいた。
けれど桜川は気分を害さない。
どこか毒を含む儚い笑顔ではなく無邪気ににこにこと笑う。

「いいぜ、いつでも来いよ。俺に勝てたからヤらせてやるって」
「いつか見てろよ!」
「ああ、楽しみにしてますよ、先輩?」

ああ、だから桜川にはかなわない。
笑顔一つで俺を黙らせる。

この感情をなんていうのか分からない。
苛立って焦って、屈辱を与えられ、プライドを粉砕されて。
けれど、どうしようもなく惹きつけられる。
この熱い感情。

ただ一つだけ分かっているのは、俺はもうどうしようもなく桜川にハマっているってことだけだ。

だから、俺たちの戦いはこれからも続く。





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