あいつ、俺の獲物、桜川に初めて会ったのは偶然だった。 移動教室で、1年の教室のある4階を歩いていた時だった。 反対側から同じく移動教室だと思われる1年の集団が歩いてきた。 その中に桜川はいた。 名前はもう調べていた。 いや、調べる必要もないくらい、一瞬で学校内に知れ渡っていた。 それだけ、桜川は飛びぬけていた。 桜川瑞樹。 名前まで少女のようだ。 まだ遠いこの距離からでも一目でわかる、その美貌。 薄い紅茶のような色の大きな目も、自然に色づいたピンクの唇も。 大きな学ランに包まれた華奢な体躯も、透き通るような白い肌も。 それのすべてが男を誘ってやまない。 そこらアイドルの女なんかより、全然かわいい完璧な容姿。 声をかけてみようかと、ちらりと思う。 どうせ手を出すのだし、いつ声をかけても一緒だろう。 しかし、桜川の隣にはいつものようにあの男がいた。 桜川よりも頭ひとつ以上大きな長身。 まあ、俺よりは低いけどな。 桜川と一緒にこの学校に入学してきたらしい、ボディーガード気取りの男。 ぴんと伸びた背筋もノンフレームの眼鏡もいかにもな優等生で気に入らない。 ていうか当然のように桜川の隣にいるのも気に入らない。 今も桜川を守るかのように、隣にぴったりとくっついている。 同じ同級生の1年も近づけないくらいのガードだ。 どうしようかと考えているうちに、桜川の集団は傍にやってくる。 今回は様子見にしようかと、ただ桜川を見つめていた。 集団は上級生の俺に気づいて廊下の隅に少し避ける。 通りすがるその瞬間。 俺は別に何をしようと思ったわけじゃない。 今手を出そうと思ったわけじゃない。 ただ、自然と。 何も考えずに、それをしていた。 その柔らかそうな薄い紅茶色の髪に触れてみたくて。 無意識に、手を伸ばしていた。 「あ………」 桜川はつんと引っ張られた感触が分かったのか、後ろを振り向く。 俺は自分で自分の行動が分からなくて、間抜けに驚く。 自分でやったことなのに。 でも、そのつややかな髪は離しがたくて、ただ俺は馬鹿みたいに突っ立ってその髪に触れていた。 それを邪魔したのは、桜川の横にいた男。 軽く手を払われる。 「手を、放してください」 口調は丁寧だが、その眼はそれを裏切っている。 眼鏡の下の神経質そうな目は、俺を睨みつけていた。 年下の男にすごまれて、俺はその生意気さに腹が立つ。 すぐにでも殴り倒そうかと手に力をいれた。 しかしその時。 澄んだ男にしては高めの声が耳をくすぐる。 ずっと聞いていたくなるような、柔らかい声。 「どうかしましたか?」 俺はムカつくガキから、そちらに視線を向ける。 そこには少しはにかんだ桜川が小首をかしげて俺を見上げていた。 その微笑む様子は本当にかわいくて、柄にもなく心臓が揺れた。 やっぱりこの至近距離で見ても完璧なかわいさ。 好みにジャストミートだ。 「俺の髪がどうかしましたか?」 不思議そうに、自分の髪をつかむ。 俺は一瞬色々いい訳を考える。 ゴミがついていた、とか、ボタンにひっかかったとか。 でも、すぐに馬鹿馬鹿しくて、正直に答えることにした。 「ああ、ごめん。あまりにも綺麗で触ってみたくなった」 反応が、見たかったのかもしれない。 この綺麗な少年がどんな反応をするのか。 嫌悪で顔を歪めるか。 恥じらって顔を赤らめるか。 しかし、桜川の反応はそのどちらでもなかった。 一瞬大きな目を更に見開いて驚いて見せる。 そして、そのすぐ後に、笑った。 くっと、どこか大人びた仕草で笑った。 すぐ後に、かわいらしくくすくすと少女めいて笑いだす。 「正直な人ですね」 「え?」 「よくいるんです。俺の髪に触る人。ゴミがついていた、とか、ボタンにひっかかった、とか」 そりゃそうだ。 こんな綺麗な髪、こんなかわいい少年誰だって触りたくなるだろう。 そんな陳腐な言い訳をしなくてよかった、と心から今思った。 「そこまで言い切られると、気分悪くないものですね」 くすくすと、少年はかわいらしく笑う。 俺はらしくもなく、ただその無邪気な笑顔に見とれていた。 言葉もなく。 ただ、見とれていた。 「瑞樹、行くぞ。授業に遅れる」 その一時を破ったのはやはりムカつく眼鏡。 どこか苛立たしげに、桜川の腕をつかむ。 その親しげな様子にも腹が立った。 「ああ、ごめん。秀一。行こうか」 「ああ」 「それじゃ、先輩。すいません」 桜川は完璧な笑顔を残し、ひとつ頭を下げる。 隣の男もおざなりに軽く頭を下げた。 いつもだったら、俺は引きとめていただろう。 その辺の空き教室に連れ込んで犯していただろう。 でも、それができなかった。 桜川の完璧な笑顔に、俺はただ見とれていたのだ。 |