「今日こそやってやるからな!!」
「凝りませんねえ、先輩。その打たれ強さは尊敬します」
「うるせえ!!」

今日はたまたま部屋に帰る時に、桜川と廊下ですれ違った。
2、3、売り言葉に買い言葉で応酬し、結局恒例の勝負に突入。
桜川はにっこりとかわいらしく笑って小首をかしげた。
その獰猛さを、出来のいい顔の下に綺麗に隠して。
その厚いツラの皮をはがして、メチャメチャにしてやるぜ。

「………瑞樹、今日は」

しかし水を差したのは鬱陶しい眼鏡ガキ。
毎回毎回飽きもせずよくもまあ、邪魔するもんだ。
大概は桜川に冷たくあしらわれてしょげるくせに。
けれど今日は、桜川はあ、と声をあげた。
そして嫌そうに渋面を作る。

「ああ、そっか」
「今日は、外せない」
「あー、面倒くせえな」
「だが、瑞樹」
「分かってる、フケたほうが面倒くせえ」

あくまでも控えめに、それでも言葉を重ねる眼鏡。
桜川は溜息をついて、犬の肩をぽんと叩いた。
犬は堅くしていた表情を少し緩める。
そして桜川は俺にひらりとその大きな手をふる。

「悪いな。今日明日、俺実家帰るんだよ。相手してやれねえ」
「ああ!?」
「まあ、そういうことだから、ごめんね、先輩」

そう言って、桜川は手を合わせておねだりするように上目遣いで見上げた。
くそ、かわいい。
分かってるのに、中身はアレだってわかりきっているのに。
なんで、こんなにかわいいんだ。

黙り込んだ俺を小さく笑って、桜川は手をふって俺を通り過ぎる。
その後ろを眼鏡が当然のように通り過ぎる
いつもは俺の方を睨みつけていくくせに、今日は眼を逸らして早足で駆け去った。
腰ぬけが。
しかし、なんにしても、あの犬は邪魔だ。
役立たずのくせに、頭の悪い犬みてえにくっつきやがって。

「ったく、マジむかつく」
「何がだ?」

授業が終わってなんとなく一緒に歩いていた柳瀬が、珍しく問う。
だから俺は聞かれなくても吐きだそうとしていた愚痴を漏らす。
自分からは聞かないが、なんだかんだ言って柳瀬は人の話を聞く。
八当たりするには最高の相手だ。
面倒になったら途中で聞き流し始めるが。

「あの犬だよ!金魚のフン!役立たず!」
「いっつも桜川に付いている、あれか」
「そう!あの馬鹿犬!!」

大体いっつもいっつもくっついて回りやがって。
お前はトイレに集団で行く女子中学生かっつーの。
本当に頭が悪い、馬鹿犬だ。

「ガキかよ!ボディガードにも何にもならねえ役立たずのくせに、ちょこまかちょこまか付いて回りやがって!」
「なら、排除すればいいだろ」
「へ?」

さらっと言われた言葉に、思わず柳瀬に視線を向ける。
柳瀬は相変わらず無表情だ。
こいつが感情を見せることはめったにない。
たまにうっすらと笑うぐらいだ。
喜びも、哀しみも、怒りも、まるで見せない。

「何?あの犬を?」
「ああ、簡単だろ」

あっさりとそう言われて、俺は黙り込む。
こいつも何もしらねーで、適当なこと言ってくれるよ。

「んなこと出来るわけねーだろ。すんげームカツクけど、桜川はあの馬鹿犬を可愛がってるしよ。あいつに手を出したらマジ殺される」

今は桜川しか手を出してないから、そこまで徹底的にやられてはいない。
本当に腹立たしいが、手加減をされている。
それをされるだけの力の差がまだまだある。

前に一度犬を叩きのめした時、桜川はマジギレした。
もう一度あの犬に手を出したら、桜川は今度は本気で俺をつぶすだろう。
それぐらいは分かる。
そうしたら、今のような勝負もなくなるだろう。
いや、それはいいんだけどな。
俺は一回あいつをヤれればそれでいいんだが。
だが、今桜川に本気を出されたら俺はおそらく敵わない。
まだ、今はその時ではない。
今はせいぜいあいつの油断を誘って勝利を狙うぐらいだ。

「お前は本当に脳みそが筋肉で出来てるな。人間なら頭を使え」

だが、俺のその言葉に柳瀬は小さくため息をついた。
心底呆れたように細い目を眇める。

「ああ!?なんだお前ケンカ売ってるのか!?」
「別に売ってない。助言だ。興味がないならいい」

ムカつく言葉に、俺はつっかかるが、柳瀬は無表情にかわす。
めったなことでケンカは売りもしないし買わない男だ。
こいつがケンカを買うところに二度と遭遇したくはないが。
それにしても、助言だと。

「………なんだよ」

俺がしぶしぶ聞き返すと、柳瀬はちらりと笑った。
口の端を持ち上げる、冷たい笑い方。

「聞きたいのか?」
「………聞いてやる」

嫌みたらしい言葉だが、俺はムカツキを押さえて聞き返してやる。
柳瀬はもう一度小さく笑った。

「別に大したことじゃない。桜川を使えばいい」
「へ?どういうことだ?」
「お前の話を聞いていると、あの犬に困っているのは桜川も同じなんだろう」

ちょっと考えて頷く。
それは間違いない。
依存と恋情と従属と信頼と。
そのすべてをはき違えているような犬の扱いに、桜川は困っている。
桜川はあの犬をせいぜい弟としか見えないようだが、あの犬は違う。
あの犬は、嫉妬に狂った女の目をしている。
桜川もそれに気付いている。
そして、持て余している。

「ああ、確かに、あの馬鹿犬が桜川に発情しているのに、桜川は困っている」
「なら、桜川に突き放させればいい」

柳瀬はあくまでも淡々と話す。
こいつは必要最低限のことしか話さないから、意味をとるのが難解だ。
俺が理解していないのが分かると、小さくため息をついて説明を加える。

「桜川は扱いに困っている。なら、助言してやればいい。突き放すのがあの犬のためだ、と。自立させるには桜川から離さなきゃいけない、と」
「………なるほど。桜川から引き離すんじゃなくて、桜川が、突き放すのか」
「そういうことだ」

なるほど。
確かにそれは有効かもしれない。
あの犬の扱いに困っている桜川は、納得するかもしれない。
しかもあいつのためだと言う、大義名分もつく

頷きかけて思い出す。
あいつの話を出しただけで、キレて暴力的になった桜川。
俺が犬について言及しただけで、おそらく逆鱗に触れるだろう。

「で、でもそれでも桜川キレそうなんだが」
「それくらいは、自分で考えろ。その頭はなんのためについてるんだ」

柳瀬は今度こそ呆れたように大きくため息をついた。
俺がキレかけて拳を握ると、肩をすくめて更に言葉を重ねた。
馬鹿にしきったように面倒そうに。
ああ、こいつも本当に腹立つなあ。
ケンカは売らないが。

「お前はケンカ腰で言ったり、からかうためにネタにするかキレられるんだ。桜川が犬の愚痴でもこぼしたときに、冷静に相談に乗ってみろ。それならキレないだろう」
「………なるほど」
「キレられそうになったら、お前が犬にムカついている理由を正直に話せ」
「は?」
「犬が桜川にいっつも付きまとっている上に、桜川と親しげにしているのがムカツクってな」
「な!!」

なんだかそれは、俺があの犬にヤキモチをやいてるみたいじゃねーか。
それは違う、断じて違う。
ただ俺はあの馬鹿犬が役立たずのくせに桜川を独り占めしているのがムカついてって。
違う違う違う。
そうじゃなく。
とにかくの犬が鬱陶しいだけだ。
あの役立たずの馬鹿犬の金魚のフンが。

「あのな!」
「俺の助言はそれだけだ」
「………なっ」

俺が言いつのろうとすると、柳瀬は面倒そうに足を速めた。
もう話を聞く気はないらしい。
ルームメイトで一緒にいることが多いが、こんな風に話すのは珍しい。
いつもは俺が愚痴って、ただ柳瀬が聞くという形だ。
互いに、そこまで話し合うほど仲がいい訳ではない。

納得いかずにイライラするが、柳瀬が話を打ち切った以上、もうこいつが付き合うことはないだろう。
しょうがなく、俺も足を速める。

「………お前がそんなに話すのは珍しいな」
「そうか?」
「ああ、人に興味がないようにしているくせによく見てるな」

いつも本を読んだり音楽を聴いたりして、外界をシャットダウンしている。
そんなこいつが、ここまで桜川と犬の関係について把握しているのが驚きだった。
まあ、俺がいつも愚痴っているからかもしれないが。
柳瀬は切れ長の細い目を緩めて笑う。

「興味がない訳じゃない。人の感情を観察するのは趣味だ」
「そうなのか?お前必要ない限り人と話さないし、友達いねーじゃん」
「輪に入る気はない。人は好きじゃない。だが人の感情には興味がある」

本ばっかり読んでいるせいか、こいつはたまにこういった訳の分からないことを言う。
俺が訳わけんねーよ、って顔をしていたのが分かったのか柳瀬は最後に一つだけ説明を加えた。

「人の感情は凶器に変わる。それを見落としたくない」
「凶器に変わったことがあったのか?」
「確かに話しすぎたな。疲れた。部屋に戻る」

久しぶりのルームメイトとの交流は、それで打ち切られた。
まあ、俺も特に柳瀬に興味がある訳ではない。
だからどうでもいい。
それよりも、今はさっきの柳瀬との会話だ。

桜川へ助言する。
それは俺の地位を上げるとともに、あの馬鹿犬を桜川から引き離す名案かもしれない。
どう言ったら桜川の逆鱗に触れることなく話を持っていけるか。
俺は綿密な計画を練り始めた。





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