絶対的な服従。
盲信的な信頼。

飼い主を信じて、火の中に飛び込むような。
飼い主に殉じて、餌を食わなくなるような。

俺は、犬が欲しかった。



***




俺を生んだ女は、俺に一切興味がなかった。
なんで生んだかもよく分からない。
まあ、生んだからには死なない程度には世話をしてもらった。
それは感謝している。

抱きしめられた覚えはない。
話しかけられた覚えもない。
ただ、拒絶された覚えもない。

あの女にとって、俺はモノだったかもしれない。
燃料を入れれば動く、モノ。
あいつの飼っていた犬よりも、俺は立場は低かった。

犬に噛まれて殴りつけたら、俺が女に思いきり殴られた。
俺は、ペットですらなかったのだろう。
モノ、だ。

女は犬はかわいがった。
抱きしめて、褒めていた。
俺には必要がない限り、触れなかった。

俺はただ、犬と女を見ていた。

犬の餌は忘れなかったが、俺の餌はよく忘れた。
犬の餌を横取りしたこともあるが、それを気付かれるとまた殴られた。
たまに、隣の女が餌をくれた。
でも、いつもはくれない。
腹が空くのは不快だった。
餌がないと、死ぬかもしれないというのはぼんやりと分かっていた。

だから、女が機嫌のいい時に、甘いものを沢山買ってもらうようにした。
甘いものは、食べるとすぐに力が出る。
餌を忘れられた時は、それで食べつなぐようにした。
そうすれば、死ぬことはないと思っていた。

女はいつも窓の外を見ていた。
狭い四角い部屋の中。
犬を抱いて外を見た。
たまに出かけて消える。
けれど、戻ってきては窓の外を見ていた。

「遠くへ行きたい」

そう、よく犬に話しかけていた。
こうして死ぬことはなかったから、最低限の暮らしはしていたと思う。
たまに餌を忘れられるが、風呂には入れてもらったし、服も与えてもらった。
臭いのも汚いのも、きっと女には不快だったのだろう。

言葉は、女が犬に話しかけていることで、少しだけ覚えた。
隣の女も、たまに話してくれた。
後はテレビで、なんとなく覚えた。
だから、字は読めなかった。
でも、なんとも思わなかった。
他に比較対象がなかったから、何も感じなかった。

そんな生活が終わったのは、義務教育とやらが始まるちょっと前。
女が犬と一緒に消えた。

女が部屋からいなくなるのはいつものことだから、気にしていなかった。
犬もいなくなることはそうなかったが、ないことではなかった。
俺は犬が嫌いだったから、むしろありがたかった。
いつものように、帰ってくるまで、甘いもので食いつないでいた。
いざという時のために貯めてあったお菓子が、沢山あった。

けれど、いつまでたっても女が帰ってこなかった。
自分では開けることが出来ないドアの前、俺はじっと女を待った。
しかしやっぱり、女は帰ってこない。
怖くなって、お菓子を食べる量を減らして、長く持たせようとした。
それでも、女は帰ってこない。

俺は徐々に不安になっていた。
お菓子がなくなったら、どうしたらいいんだろう。
その後は何を食べればいい。
隣の女にもらえばいい?
でも、隣の女もいつもはくれない。

その先は?
女が帰ってこなかったら、どうなる?

不安で過ごす、何日もの夜。
そして、食料が尽きた。
手をつけるなと言われれいた冷蔵庫の中の食材も、食べつくした。
生でも食べた。
腐ったものでも食べた。
腹を下し、嘔吐しても、食べた。
よく覚えてないが、虫も食べた。
食材ではないものも、食べたかもしれない。
ただ、口に入るものは、食べた。

そして、そのうち動けなくなった。

隣の女が異変に気付いて俺を見つけた時、俺はクソまみれでガリガリになって倒れていた





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