絶対的な服従。 盲信的な信頼。 飼い主を信じて、火の中に飛び込むような。 飼い主に殉じて、餌を食わなくなるような。 俺は、犬が欲しかった。 俺を生んだ女は、俺に一切興味がなかった。 なんで生んだかもよく分からない。 まあ、生んだからには死なない程度には世話をしてもらった。 それは感謝している。 抱きしめられた覚えはない。 話しかけられた覚えもない。 ただ、拒絶された覚えもない。 あの女にとって、俺はモノだったかもしれない。 燃料を入れれば動く、モノ。 あいつの飼っていた犬よりも、俺は立場は低かった。 犬に噛まれて殴りつけたら、俺が女に思いきり殴られた。 俺は、ペットですらなかったのだろう。 モノ、だ。 女は犬はかわいがった。 抱きしめて、褒めていた。 俺には必要がない限り、触れなかった。 俺はただ、犬と女を見ていた。 犬の餌は忘れなかったが、俺の餌はよく忘れた。 犬の餌を横取りしたこともあるが、それを気付かれるとまた殴られた。 たまに、隣の女が餌をくれた。 でも、いつもはくれない。 腹が空くのは不快だった。 餌がないと、死ぬかもしれないというのはぼんやりと分かっていた。 だから、女が機嫌のいい時に、甘いものを沢山買ってもらうようにした。 甘いものは、食べるとすぐに力が出る。 餌を忘れられた時は、それで食べつなぐようにした。 そうすれば、死ぬことはないと思っていた。 女はいつも窓の外を見ていた。 狭い四角い部屋の中。 犬を抱いて外を見た。 たまに出かけて消える。 けれど、戻ってきては窓の外を見ていた。 「遠くへ行きたい」 そう、よく犬に話しかけていた。 こうして死ぬことはなかったから、最低限の暮らしはしていたと思う。 たまに餌を忘れられるが、風呂には入れてもらったし、服も与えてもらった。 臭いのも汚いのも、きっと女には不快だったのだろう。 言葉は、女が犬に話しかけていることで、少しだけ覚えた。 隣の女も、たまに話してくれた。 後はテレビで、なんとなく覚えた。 だから、字は読めなかった。 でも、なんとも思わなかった。 他に比較対象がなかったから、何も感じなかった。 そんな生活が終わったのは、義務教育とやらが始まるちょっと前。 女が犬と一緒に消えた。 女が部屋からいなくなるのはいつものことだから、気にしていなかった。 犬もいなくなることはそうなかったが、ないことではなかった。 俺は犬が嫌いだったから、むしろありがたかった。 いつものように、帰ってくるまで、甘いもので食いつないでいた。 いざという時のために貯めてあったお菓子が、沢山あった。 けれど、いつまでたっても女が帰ってこなかった。 自分では開けることが出来ないドアの前、俺はじっと女を待った。 しかしやっぱり、女は帰ってこない。 怖くなって、お菓子を食べる量を減らして、長く持たせようとした。 それでも、女は帰ってこない。 俺は徐々に不安になっていた。 お菓子がなくなったら、どうしたらいいんだろう。 その後は何を食べればいい。 隣の女にもらえばいい? でも、隣の女もいつもはくれない。 その先は? 女が帰ってこなかったら、どうなる? 不安で過ごす、何日もの夜。 そして、食料が尽きた。 手をつけるなと言われれいた冷蔵庫の中の食材も、食べつくした。 生でも食べた。 腐ったものでも食べた。 腹を下し、嘔吐しても、食べた。 よく覚えてないが、虫も食べた。 食材ではないものも、食べたかもしれない。 ただ、口に入るものは、食べた。 そして、そのうち動けなくなった。 隣の女が異変に気付いて俺を見つけた時、俺はクソまみれでガリガリになって倒れていた |