「うっそ!近藤、馬鹿じゃないの!」 「いや、馬鹿なのは俺じゃないから」 「そんな訳ねーじゃん!お前そんな嘘つくなよ!」 「いや、だから……」 廊下の片隅で、長身の生真面目そうな男子生徒と派手めの化粧ときわどいスカート丈にアクセサリをじゃらじゃらとつけた、いかにも青春を謳歌してそうな女子生徒が騒いでいた。 なにやら食ってかかっている少女に、少年は困ったようにそれをなだめていた。 「あっら、近藤君と柿崎さんじゃない。どうしたの、こんなところで痴話ゲンカ?」 たまたま通りかかった鈴木は、なにやら楽しそうな雰囲気にふらふらと寄っていく。 自分よりも頭半分長身の近藤の背中から抱きついて、その向かいにいる柿崎に話しかける。 柿崎は小さな顔を赤くして、鈴木に憤慨したように訴えかける。 「あ、鈴木、聞いてよ!近藤が嘘つくんだよ!」 「まー、何々?女の子に嘘つくなんて、隅におけないわね!近藤君!よっ、このロクデナシ、人でなし、愛想なしー!」 「…………」 いつもの調子でふざけてゲラゲラと耳元で笑う鈴木に、近藤がわずかに顔をしかめる。 疲れたように小さくため息をつくのに気付いて、更に鈴木が笑った。 「で、何々?どうしたの?」 「近藤がさ、豆乳って大豆から出来てるとか言うんだけど!」 「…………え?」 予想外の答えに、鈴木は笑顔を張り付かせたまま言葉を失った。 そんな鈴木の様子に気付かず、柿崎は更に続ける。 「さすがにアタシでもそんなん騙されないつーの。大豆ってアレでしょ?納豆の材料。納豆汁なんて飲めるはずないじゃん」 近藤の背中に張り付いたまま、鈴木は一瞬だけ真顔になる。 静かに眼鏡の位置を直す様子は、とても真面目そうな優等生に見える。 「………こーれはさすがに予想外でした」 「何?」 思わず本音を漏らすと、抱きついたままの近藤がもう一度小さくため息をついた。 いつもならすぐに鈴木を振り払うのに、振り払う気力もないらしい。 「いやいや、柿崎、豆乳ってなんだと思ってるの?」 「あれ、ヤギのミルクでしょ?」 「………えーと、それはどっから」 「だって、それっぽいじゃん。豆乳のとうっていう響きが」 「あー、うん、そうだね。そう言われると俺もそんな気がしてきた」 「それがさ、大豆とか言うんだよ!馬鹿じゃねーの、近藤!」 「あー、確かにそれは、近藤が悪いね。近藤がよくない」 「でしょ!?本当に近藤ってたまに訳わかんないこというよね」 「ほんっとこいつしょうがねーよなー」 「おい、鈴木………」 勝手に盛り上がっている2人をさすがに静止しようとした近藤の首を、鈴木が絞めて止める。 鈴木は近藤の背中から離れ、その胸を思いきりつき飛ばして距離をとる。 そして真面目な顔をして、柿崎の目の前に立つ。 「でも柿崎さん、豆乳ってヤギの乳じゃないんだよ」 「え、マジ!?」 「うん、あれってヤギじゃなくて、クジラの乳なんだよ」 「ええ!?マジ!?クジラって乳でるの?」 「マジマジ、大マジ。だってアレ哺乳類だし」 「あ、聞いたことある!クジラとイルカってほにゅうるいなんでしょ?」 「うお、物知りじゃーん、柿崎さん!」 「でっしょー。で、ところでほにゅうるいって何?」 「あー、えーとね、とりあえず、乳でるのよ、クジラ。藤吉郎っていう江戸時代の人がクジラを捕えた時に、ミルクを発見したの。で結構乳絞りが大変で、乳搾るときに掛け声をかけるのよ。『トウ!トウ!』って、でそれがだんだん定着して豆乳になったの」 「へええ!鈴木物知りー!!」 明らかに近藤の発言よりうさん臭い鈴木の言葉。 しかしすっかり信じ込んでいる柿崎に、近藤は軽くショックを受けていた。 悪ふざけが人間の形をしたらこうなるだろうという鈴木より、信頼がないことに心を傷を負った。 柿崎は手を叩いて大げさに感心すると、勢い込んでその場を離れようとする。 「皆に教えてようっと!」 そこで近藤がさすがに柿崎の腕を取って、止めた。 眉間の皺がこれ以上ないほどに寄っている。 「待て」 「何よ、近藤」 きょとんとした顔で、近藤を見上げる柿崎。 その顔には、一筋の疑いすらない。 近藤は大きくため息をつくと、すでに廊下にしゃがみこんで肩を震わせている鈴木に声をかけた。 「……鈴木」 「く、う…」 「あれ、鈴木どうしたの?」 「鈴木」 「ぶ、はははははははは!俺もう駄目だ!もう柿崎最高!あんたいい!」 「え、え、え!?」 涙を流しながら廊下に響き渡る勢いで大笑いを始めた鈴木に、柿崎は混乱したように男2人の顔を伺う。 近藤は追い払われた分だけ距離を取り戻すと、柿崎の前に立って静かにその目を見つめた。 「柿崎……」 「何よ?」 青いシャドウで彩られた目は大きくて、近藤は少しだけ目をそらす。 けれどそのいつも冷静で落ち着きのある声で諭すように続けた。 「豆乳は、大豆から出来ている」 「だからそんなん騙されないってば!」 あくまで信じない柿崎に、どう教えたものかと一瞬だけ考える。 後ろで呼吸困難に陥ってる鈴木に、後ろ足で蹴りを入れて黙らせた。 「……豆腐は何から出来てるか分かるか?」 「えーとえーとえーと、あ、えっと、あれも大豆だよね、確か」 「そうだ。よし。で、豆腐は白いだろう」 「……あ」 「豆乳を固めると、豆腐になる」 「嘘!!」 「まあ、色々間違ってるけど、簡単に言うと、そうなる。湯葉も、豆腐と豆乳の仲間だ」 「ええええ!!!」 「大豆を搾ると、豆乳になるんだ」 柿崎はこれ以上ないほどに、目と口を大きく広げた。 その顔は、どことなく間抜けで、愛嬌がある。 感情表現豊かな柿崎は、いつでも表情が様々だ。 一瞬ためると、その後大声で叫んだ。 「うっそおおお!」 「本当」 「えー!」 「信じてくれたか?」 「じゃあ、アタシもしかして納豆汁飲んでたの!?」 「いや、納豆は大豆を発酵させたものだから……」 「うわ、うわ、ちょっとナオとかにも言ってこよう!マジやべー、もう豆乳飲まない」 「いや、だから」 しかしやばいやばいと繰り返す柿崎に、近藤の言葉はもう耳に入らない。 近藤と鈴木に別れの言葉も告げずにダッシュでその場を去っていった。 近藤はつったって、その背中をただ見ていた。 「…………」 「相変わらず、面白いなあ、柿崎さん」 少しだけ寂しげな近藤の背中に、ようやく復活した鈴木がもう一度張り付く。 近藤の首に後ろから腕を回し、涙で曇った眼鏡を胸の前でふいていた。 「……ああ」 「まー、なんか優しい顔しちゃって。妬けちゃうわね!この浮気モノ!」 「いたっ!何すんだよ!」 「私ってものがありながら、浮気ばっかりしちゃって!きー、悔しい!でも好き好きーん」 「……いい加減あきらめてくれ」 「いやん。逃げられたら追いたくなる。私はハンター!」 近藤が沈痛な面持ちで深く深くため息をついた。 鈴木が肩越しに顔を覗き込みながら、からかうようににやにやと笑う。 「でも、本当に近藤ってあのタイプ好きだよね。頭軽くてかわいい感じの」 「かわいいだろ」 「まあ、かわいいっちゃかわいいけど、近くにいると疲れね?」 「たまに疲れるけど、でも一緒にいると楽しくなるから」 「近藤の性格にあいそうなのはもっと落ち着いたタイプぽいのにね」 近藤はいつものように冷静に淡々と好きな女性の話をする。 照れもなく、熱い想いも感じない。 けれど、無愛想な表情は、少しだけ和らいでいた。 「俺の性格自体地味だからな。落ち着いた性格の娘とか、ますます影薄くなるだろ」 「ぶっ、やだ、笑わせないでよ」 「だから、何も考えてないで、本能のままで楽しいことだけ考えてるような馬鹿なかわいい奴がいい」 近藤は自分の性格があまり面白いものではないと知っている。 だからこそ、楽しくて後先考えないような人間が、好きだった。 その言葉を聞いて、鈴木が眼鏡を直して近藤の背中から離れる。 そして前に回りこむと、近藤の手を取った。 「あら、あらあら、ちょっと近藤君?」 「なんだよ」 「それってもしかして俺のことじゃない?何も考えないで楽しいことだけ考えてるかわいい娘。ほらぴったり!」 俺俺、と自分を指差しながらにやにやと笑う。 外見だけは真面目そうな優等生のくせに、笑う姿は胡散臭い。 近藤はわずかに眉をしかめると、呆れたような声を出す。 「いや、大前提でお前男だし」 「愛があれば性別なんて!」 「いや、そんな軽く越えられる問題でもないから」 「軽く越えちゃってる奴らいるし、問題なしなし!細かいこと気にするなよ!」 「細かくないから」 熱い思いを告げる鈴木に、近藤は冷静につっこみを返していく。 「それに、お前違うだろ」 「へ、何が?」 「お前の馬鹿って、考えた末の馬鹿だし」 「…………」 近藤の言葉に、鈴木がぽかんと口を開ける。 思わぬ答えに、珍しく一瞬言葉を詰まる。 「橋本とかと違って計算づくの馬鹿だろ。友達として好きだけど、タイプかと言われるとそうでもない」 「…………」 そういったところで、休み時間が後5分で終了することを告げる予鈴が鳴り響いた。 安っぽい機械音のチャイムを聞いて、廊下にいた人間がぱらぱらと散っていく。 近藤も音を確かめるように上を向いて、鈴木を促す。 「あ、やばい、授業始まる。戻ろうぜ」 「…………近藤君」 教室に戻ろうと後ろを向いたところで、後ろから鈴木に声をかけられる。 近藤は踏み出そうとした足を止め、後ろを振り向く。 「え?」 「やばいわ、燃えちゃった」 「は?」 「隙あり!」 半身振り向いた近藤の肩をとると、鈴木は勢いを利用してうまいこと向かい合わせる。 驚いて目を丸くしている近藤の唇に、少しだけ伸び上がってキスをする。 「…………っ」 理解できない事態に固まった近藤の唇を一舐めして体を放す。 そうして、いつものように楽しそうににやにやと胡散臭く笑った。 「いやあね、なんかそんなこと言われると、ますます落としたくなるじゃない」 「…………」 呆然とする近藤の厚い胸をとんっと叩くと、見上げて不敵に笑った。 「覚悟してね、近藤君」 |