「おっはよー!菊池君」
「…………朝からうぜえ」

登校中、イヤになるくらい明るい声と共に後ろから背中を叩かれ、菊池はあからさまに顔をしかめた。
地を這うような低い声で吐き出しても、声の主は堪えない。
にこにこと胡散臭い笑顔を浮かべながら、優等生然としたクラスメートはバンバンと肩を叩く。

「ホント朝弱いよなあ、お前。女みてえ」
「男女差別発言」
「あら、いけない。俺はフェミニストよ」
「へーへー」

どうでもよさそうに後ろを振り向かないで答える菊池に、小走りで隣にきたのはなにやら紙袋を抱えた鈴木。
少々登校には遅い時間。
辺りにはすでに学生の姿は見えず、早朝の通学路は2人しかいない。

「にしても遅いな、完全遅刻じゃん」
「お前もな」
「昨日はちょっと夜更かししちゃったー」
「ふーん」
「お前らも?」
「…………は?」
「だって初夜でしょ、初夜。もう滾る性欲と若さに任せて腰が抜けるまでヤリまくり!」
「死ね」

菊池はその一言ともに、隣の男にエルボードロップを決めた。
腹を押さえて鈴木は大ゲサさにわめく。

「いたーいひどーい」
「……つーかちょっと待て、お前どこまで知ってんだ?」

ノリでつい、いつものようにツッコんでしまったが、よくよく考えるととても怖い想像になる。
菊池はその場に足をとめ、隣の鈴木に視線をうつした。
鈴木の発言は、明らかに菊池と橋本のことを指している。

「へ、何が?お前と橋本がうっかりチューしちゃったこと?そのまま扱き合いとかしちゃったり、なんかキスするのが違和感なくなっちゃたりフェラしたりそれがまずいってことで最近ギクシャクしてたこととか?」
「全部じゃねえか!!!」
「うふふ、鈴木君の諜報技術をなめないで」
「橋本ー!!!!!」

菊池は頭を抱えてその場に座り込む。
こんな奴に知られたら、学校中に広まるのは時間の問題だった。
学校についたら橋本を絶対殴る、何があろうと殴ると心に決める。

「あらやだ菊池君、そんなところに座り込まないでよ」
「……そうか、今ここでお前を消せばいいのか」

そうつぶやくと、菊池はゆっくりと立ち上がり隣の鈴木を据えた目で見つめた。
鈴木はその視線に気圧されるように一歩後ろに下がる。

「いや、目がマジで怖いんですが」
「俺の明るい未来のために犠牲になれ」
「怖いってば!誰にも言ってねーよ」

全く笑うことなく低い声で告げる菊池に、鈴木はさすがに慌てて手を振る。
そう言い訳しても、菊池は信じる様子もなくただ眼鏡の男を睨みつけるだけだ。
その冷たい視線に、鈴木はため息をつく。

「しかしお前も橋本も俺をなんだと思ってんだよ、失礼な奴らだなあ」
「場を盛り上げるためならあらゆる犠牲をとわない悪魔」
「ひど!」
「普段の行いだろ」

ゆっくりと歩き始めた菊池に、鈴木が後を歩きながら口を尖らせ不満げに声をあげる。
軽そうな鞄と紙袋を胸に抱きしめ、泣きまねをしてみせる。

「ひどいわー、傷ついて思わず言いふらしてしまいそう」
「お前の言葉を誰が信じるか。ていうか言ってみろ、明日の太陽が拝めると思うなよ」
「菊池かわいくなーい。こわーい」
「うるさい」
「橋本君と大違い。橋本はもっとかわいい反応してくれるのに」

その言葉に再度菊池は足を止める。
そしておもむろに、歩みを止めないまま自分の一歩前に出た鈴木の首をホールドする。
そのまま引き寄せ、後ろから耳元で囁くように問う。

「そういえばさ、鈴木君。橋本君とこの前屋上で何してたの?」
「えー、何って、ナニ?」
「ほー」
「菊池君しまってるしまってる!落ちる落ちる!」

喉にかかる力が増していき、鈴木は手足をバタバタさせ菊池の腕を叩く。
しかし菊池は更に腕に力をこめていく。

「どういう展開であんなことになるわけ?」
「若い2人に理由なんて関係ないさ。そこにチ○コがあるから!」
「落ちてしまえ」
「ギブギブ!ロープロープ!」

更に圧迫される喉に、鈴木は本気で抵抗した。
菊池は軽く舌打ちすると、ようやく鈴木を解放する。
喉元に一気に酸素が入り込み、鈴木は大げさに咳き込む。

「ゲホッ、もー、菊池君こわーい。男の嫉妬は醜いわよ!」
「やかましい、もうあいつにちょっかい出すなよ。あいつ馬鹿だからお前みたいなのにすぐ騙されやがる」
「………つーかさ、本気でヤキモチ?」
「…………」
「ぶはっ、ぎゃはははははははは!!!!」

思い切り嫌そうな顔をした菊池に、鈴木はこらえきれずふきだした。
そのまま周りを気にしない大声で腹を抱えて笑い始める。

「おま、お前そんなキャラだっけ!クールでかっこつけちゃってる菊池君はどこ!?どこに行ったの!?お前この前から余裕なさすぎだし!やべ、うける!やばい、マジやばい!!」
「うるせえ」

その背中に菊池は加減なしに蹴りをいれる。
鈴木はよろめいて2、3歩前にでるものの笑いを止めない。

「あ、ねえ、俺に対する態度が更に冷たいのってそういうこと!?ジェラシー!?嫉妬で心が張り裂けそう!?」
「いっぺんマジで死ね。昼ドラか」
「だ、だって、ぶっ、橋本挟んで俺と菊池で争うとか、ありえねえ!!!!何その面白い関係図!」
「………てめえ、いい加減黙れよ」

菊池が一層低い声で告げると、鈴木はようやく笑いを納めようと努力して眼鏡をとり目尻の涙を拭う。
しかしいまだひくひくと小刻みに痙攣し、顔を歪めている。

「でもマジお前と橋本くっついたんだ。あー、よかったよかった」
「…………激しく嬉しくない」
「ホントに喜んでるのよ。お前も橋本もマジうぜーし、場がシラける」
「分かるほど険悪ムードでもなかっただろ」
「分かるっての。俺は仲間内で場が盛り下がってるとかイヤなのよ。だから今までどおりに仲良くなってくれると素直に嬉しいわ」
「…………」

そう無邪気に笑う鈴木に菊池は思わず文句を飲み込んでしまう。
茶化す様子もなく、本当に鈴木は嬉しそうだった。

「お前、男同士とかでひかねえの?」
「別に、俺に迷惑かからなければ全然オーケー。それにお前と橋本とか笑えるし」
「お前らしいな」

どこか無責任で他人事なその発言に、菊池はようやく表情を緩める。
からかわれることやネタにされることは面白くないが、ひかれないのは素直にありがたい。
鈴木のなんでも面白がる性格に、少しだけ感謝した。

「それに男同士も割りといけるね。橋本とオナっても全然気持ちよかったし」
「………」

その言葉に、菊池は緩めた表情筋を引き締める。
そして黙って鈴木の鳩尾に右拳をねじりこんだ。
その加減のない力に鈴木は再度咳き込む。
先ほどから続く乱暴な扱いに、さすがに菊池に蹴りを入れ返した。

「さっきからお前殴りすぎなんだよ!いてーよ!」
「もうお前に話すことはない」
「えー、色々聞かせてよ。ね、ね、やったの?で、どっち上、どっち下?男同士ってどう?気持ちいい?」
「やってねえ!」

まとわりつ鈴木をうるさげに振り払い、菊池はそう吐き出す。
眼鏡の男はさも驚いたよう声をあげた。

「マジ、やってないの!?」
「………」
「若いのに何やってんの、お前らイ○ポ?でも橋本は勃ってたよな」
「鈴木、海と山、どっちに捨てられたい?」
「うわ、だからそんな真剣な目するのやめて。本気で怖いから」

鈴木は、飛び跳ねるように菊池から身を離す。
そして思い出したように抱えていた紙袋を菊池に見せ付けた。

「あ、じゃあこれ役に立つかも。よかった。昨日一生懸命探したんだー。ちょうどいいことに在庫処分してる友達の店があってさ」
「なんだよ」
「はい」

無邪気な笑顔で菊池に紙袋を両手で差し出した。
その笑顔はイヤになるほど無邪気で明るく、胡散臭い。
菊池は勢いに押されて、その紙袋を受け取ってしまった。
何気なく中身を覗いて、頭痛を収めるようにこめかみを押さえる。

「………おい」

しかし鈴木はそんな様子を気にせず、菊池の手の中の紙袋の中身を一つ一つ指差していく。

「えーと、ラブ○ーションでしょ、コン○ームでしょ、これ薄くて丈夫でいい感じよ、ナマ気分が味わえる」
「…………」
「それで、こっちがア○○拡○用のア○ル○ールで、○内洗○用のグ○○○ンとシリ○ダー……」

菊池は手渡された紙袋を思い切りアスファルトに叩きつけると、そのまま力いっぱい踏みにじった。

「わー!!!!高かったのにー!!!!」
「あほかー!!!!」
「お前らの明るい性生活のために自腹切ったのにー!!」
「つーかこんなネタのために金と手間と時間をかけるな、この暇人!」
「悪ふざけは真剣に!それが俺の美学!」
「もっとマシなところにその情熱を使いやがれ!」

地面に無残に横たわる紙袋に取りすがって涙目な鈴木の背中を踏みつけると、菊池は足早にその場を後にした。
ばかー、ひとでなしー、などの声が後ろから聞こえてくるが意識から締め出す。
しかし、しゃがみこむ鈴木から5メートルほど離れた後、足を止めた。

「?」

一瞬の沈黙の後、菊池が無表情で回れ右をして鈴木の元に戻ってくる。
もう一度殴られるのかと身構える鈴木の手から紙袋を取り上げると、コン○ームとラブ○ーションだけを取り出し鞄にしまいこむ。
そしてまた機械的に鈴木の手に紙袋を戻すと、回れ右をして無言で鈴木から遠ざかっていった。

「……やる気満々じゃーん」

鈴木はその漢前な背中を、ただ見守ることしかできなかった。






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