「で?やったの?ね、やったの?」
「やってない」

好奇心を隠そうともせずに趣味の悪い原色の眼鏡の下の目をキラキラとさせながら身を乗り出す鈴木。
わくわくという形容詞がふさわしいにやけ顔を寄せるてくる。
それをぞんざいに片手で押しのけて、橋本がつまらなそうに答えた。

「は、なんで!?お前らホント処女のお嬢様かよ」
「菊池の親が帰って来たから」
「あ、なるほどね。そりゃそうよね、帰って来て息子の息子握ってる男がいたらそりゃ親御さんびっくりだよ、ぎゃははは」
「おっさんくせーんだよ、お前は!」
「やろうとはしたんだよね?どっちになったの?どっち上?どっち下?」」

いつもながら少しヤニ臭い空気を吸い込んで、何でも面白がる悪友の顔を見てため息をつく。
橋本が口を開こうとしたその時、唐突にドアが開いた。

「橋本ー!!!!てめー、圭子さんに何言ったー!!!」

バタン!
ドアが外れそうなほどの勢いで自室のドアを蹴り明け菊池が飛び込んでくる。
珍しく顔を真っ赤にして興奮して、その右手には携帯を壊しそうなほど握り締めていた。

「へ、圭子さん?」
「圭子さんって、あの年上巨乳美人?清楚なくせに夜は娼婦で淫らな?」

首を傾げる鈴木に、一瞬怒りを忘れて不思議そうな視線を鈴木に投げる。

「お前圭子さんと知り合いだったのか?」
「いや、想像」
「想像かよ!」

全力で思わず裏拳を入れる菊池。
のんびりとした声で、橋本が本題に戻した。

「圭子さんがどうかしたのかよ?」
「そうだよ、鈴木なんてどうでもいいんだよ、橋本、お前圭子さんに何言いやがった」
「あ、圭子さん俺にも紹介してよ、菊池」
「誰がするか。お前と穴兄弟なんで死んでもごめんなんだよ」
「またまた水臭いなー、俺らもう兄弟じゃん?」
「は?」
「ほら、1年の2月頃の女子大生との合コン。お前、杉田さんとやったんだろ?」
「ちょ、ちょっと待て、もしかしてお前もやったのか!?」
「俺食われちゃったもーん、菊池ちょっと怖かったけど、捧げちゃった」
「嘘だろー!!!!」

頭を抱えて叫ぶ菊池に、鈴木はゲラゲラと床を転げまわる。
その次の瞬間、菊池の背中にものすごい衝撃が走った。

「いで!」

一瞬、息が詰まって、前のめりになる菊池。
ばさりと音をたてて、背中にあたったハードカバーの本が落ちた。
その音を同時に、自分に向かって本を投げつけた相手へ振り返る。

「何しやがる橋本!」
「………」

怒りと共に振りかえった菊池だが、しかし無言のまま静かな目で自分を見据える相手を見て怯む。

「………な、なんだよ」
「……バコバコバコバコ色んなところでやりまくりやがって、いっぺんイ○ポになっちまえ!そんな悪いチ○コはきっちまえ!」
「て、てめー!なんて怖いこと言いやがる!いいか、これがなかったら困るのはお前だぞ!」

橋本の恐ろしい言葉に、想像してしまったのかわずかに前かがみになって身をすくめる。
しかし橋本も怒りを滾らせたまま、更に食って掛かった。

「そんなもんいらねーよ、この野郎!ちくしょう、うらやましんだよ!」
「自分がモテねーのにやっかんでじゃねーよ、この童貞!!」
「童貞言うな!その上むかつくんだよ!イライラするんだよ、俺の前で女とやった話をするな!」

吐き捨てるように叩き付けられた言葉に、菊池は黙り込む。
じっと目の前の見慣れた太い眉を見つめて、小さな声で問う。

「………ヤキモチ?」
「それもある!」
「………」

4割冗談で聞いたのだが、予想以上に潔く返されて、菊池は今度こそ言葉を失った。
顔を手のひらで覆って、熱くなる顔を隠す。
あー、うー、と言葉にならない言葉を繰り返した後、素直に座り込んでこちらを睨みつける男に謝った。

「その……悪かった」
「………」
「もうやんねーし」

口を尖らせてどこかふてくされたような顔でそっぽを向く橋本。
菊池はその傍らにそっと座り込むと、頬に手をかけようとした。
その時。

「ねー、2人とも忘れないでー、俺の存在忘れないでー」

慌てて菊池の傍らから飛びのく橋本。
顔を赤らめ、動悸を押さえるように胸に握り締めた。

「うわ!鈴木いたのか!」
「橋本君ひど!」

菊池はあからさまに顔をしかめ、聞こえるように舌打ちをしてみせる。

「気をきかせて出てけよ、空気読めねーな」
「菊池君の人でなし!」

うわーんと泣きまねをしてみせる優等生然とした眼鏡の男。
しかし全く2人が気にしないのを見て、今度を拗ねたように頬を膨らませる。

「全くもう、お前らラブラブなのは誰のおかげだと思ってんだよ、感謝しろよ、この愛のキューピッドに!感謝の言葉をよこせ!土下座して崇めろ!」
『ふざけんな!』

息のあったつっこみで、同時に蹴りをいれられる鈴木。
あんまりな待遇に、眼鏡をとって、涙を拭う仕草をする。

「ぶー、本当に傷ついちゃう、女とやっちゃう橋本君を止めたのは誰だと思ってるのよ!」
「あ!」
「な、なんだよ!」

鈴木のその言葉を聞いて、菊池が唐突に声をあげる。
すぐ傍にいた橋本が隣の突然の大声に、驚いて肩をすくめた。
そんな橋本に、菊池は指を突きつけて睨みつける。

「そうだ、思い出した!橋本!お前圭子さんに何言ったんだよ!」
「へ、圭子さん?俺何か言った?」

本当に不思議そうに首を傾げる橋本に、菊池の鋭い張り手が炸裂した。

「今、圭子さんから『菊池君男が好きだったのー!いやー笑えるー!ちょっと男ってどうなのよ!感想教えて感想!』とか電話がかかってきたんだよ!」
「あ」

そこで今度は橋本が大きな声を上げる。
あからさまにしまったという顔をしている橋本に、菊池の目が細くなる。

「……心当たり、あるのか?」
「いや、ほら、この前の圭子さんの件で」
「ああ」

ごにょごにょと言葉を濁すが、許してはくれない。
あごで先を促され、仕方なく観念してにかっと笑って見せた。

「圭子さんから逃げる時に、正直に言っちゃった、てへ」
「てへじゃねー!!!」

今度こそ全力の力ではったおした。
橋本はそのままの勢いで床に倒れこむ。

「お前、圭子さんに言ったらどこまで広がると思ってんだよ!」
「えへ、ごっめーん、どこまで広がんの?」
「……想像がつかねえ…あー、やべー、元カノには行くな…となると、あの辺にも行くわけで…」
「えーと、ほら、いいじゃん、とりあえずもうお前とやろうって女は出てこねーだろ」
「何やらかしてくれてんだよ!!!!」

あくまで笑ってごまかそうとする橋本に、今度こそ菊池が本気で怒鳴りつける。
しかし、怒鳴られたほうも眉をしかめて睨み返した。

「なんだてめえ、ヤル気なのかよ!」
「そういう問題じゃねーだろ!」

にらみ合い、お互いの襟首をつかみ合い、一触即発。
今にも殴り合いが勃発しそうなはりつめた空気。
落ちる沈黙。
しかしまた、それをやぶったのは鈴木だった。

「ぎゃっはははははははははは!!!」
『……………』
「やば、もうやば、もう本当に橋本君面白い!面白い!」

転げ周り、手でばんばんと床を叩いて涙を流して笑い続ける。
ごろごろと部屋中を転がり続ける鈴木を、2人同時にけりとめた。

『やかましい!!』

それでもとめることができずに、鈴木は心行くまで笑い続けた。
ようやく、笑いの発作がおさまってくると、曇った眼鏡をはずし、橋本に問いかける。

「で、で?なんでそんな正直に言っちゃったの?」
「いや、その……」

視線を彷徨わせ、なんとか誤魔化そうとするが、2人の視線はそれを許してくれない。
橋本は大きくため息をつくと、ぽつりぽつりと語りだした。



***




『は?何、今更逃げるの?』

1トーン低くなった声で、問われる。
目が据わっていて、怖い。
心なしか、顔つきも変わっている気がする。
元々こんな年上の女性と接する機会がない橋本は身を縮めて頭を下げた。

『あ、いや……そういうんじゃなくて』
『何、私じゃ不満って訳?気にいらなかったとか?』
『いえいえいえいえいえ!圭子さんは本当綺麗です!ナイスバディです!俺にはもったいないです!』
『怖くなっちゃったの?別に大丈夫よ、優しくするし』
『あ、いえ、その、やりたいんですけど、すっごいやりたいんですけど!』
『使い物にならないって訳じゃないんでしょ?別にものすごい小さかろうが気にしないわよ』
『いえ、決して俺は小さい男ではなく!』
『じゃあなによ!』

隙なくつっこまれる言葉に、橋本はますます小さくなった。
声も一緒に小さくなるが、必死に目の前の女性に弁解を試みる。
そんな怖いとこも、圭子は美しく、橋本はちらりと自分のしていることが正しいのか迷いが生じる。
このまま突っ走ってしまったほうが、むしろいいのかもしれない。

けれど。

『えっと、その』
『うじうじしない!』

びしりとたしなめられ、背筋を伸ばした。
何も考えることができないまま、目をつむって思いの丈を声に乗せる。

『お、俺、初めては菊池に捧げるって決めてるんですー!』

半ば涙目になりながら、橋本は白状した。



***




「その後、しばらく無言になって、圭子さん大笑いして、じゃあ仕方ないわねって帰してくれた」
『…………』

静まり返る室内。
クーラーの稼動音だけが、響いていた。
どれくらいそうしていただろうか。

「ぷ」
「………」
「ぎゃはははははははははは!!!」

沈黙を破ったのは、いつものとおり鈴木だった。
予想してはいたが、盛大に笑われて鈴木は笑い上戸の頭をはたく。

「笑ってんじゃねーよ!」
「だって!!!ぶは、や、やば!み、見たかった!そのシーン見たかった!」

連続した笑いの渦に、すでに息絶え絶えになりながら痙攣して床に転がる。
橋本はそれに更に蹴りをいれた。
その間、菊池はずっと俯いて黙っていた。
本気で菊池が怒っているのかと、橋本は眉をさげて恐る恐る様子を伺う。

「………そ、その、悪い、菊池」
「…………」

やはり無言。
更にもう一度謝罪の言葉を口にすると、菊池は橋本を手で招き寄せた。
殴られるのかと、覚悟を決めながら恐る恐る近寄る。
すると、唐突に腕で首を引き寄せられてホールドされた。

「うお!?」
「………」

突然のことに、声をあげる橋本。
菊池は無言の無表情のまま、橋本の首をがっちりとホールドし、今度はぐしゃぐしゃと力任せに髪をかき回し始める。

「あ、ちょ、痛い何?スリーパーホールド?
」 「もー、だからそうやって1人もんの前でイチャイチャするのやめてくれない?」

鈴木の言葉も耳に入らない橋本は、堅くなりされるがままになる。
相変わらず無表情の菊池が恐ろしく、訳もわからずとりあえず謝った。

「つーか、菊池怖い、怖いから。無表情で怖いから!すいません、俺が悪かった!」
「あー、それはね、橋本君、照れ隠し照れ隠し。複雑なのよ菊池君」
「へ?」
「アホなことやらかしてくれたのはムカついてるんだけど、美人巨乳の誘惑を振り切って自分を選んでくれたってのに感動してる最中なのよ」

にやにやと笑いながら、ねー?とかわいらしく菊池に同意を求める。
しかしやはりむっつりとしたまま、菊池は低い声を出した。

「……勝手に作り上げるな」
「違うの?」
「………」

悪意なく無邪気に問い返され、菊池は黙り込んだ。
更に力を強めて腕の中の頭をかいぐり続ける。

「いや、痛い!痛いですから!そろそろ拷問なんですけど!やっぱり嫌がらせですか!?」
「うるさい、黙ってろ」

しばらくそんな風にじゃれあう2人を見つめてから、鈴木はずっと気になっていたことを再度問いかけた。

「それでさ、お前ら結局、どっちがどっちになったの?」

じゃれあっていた2人は、同時に顔を見合わせる。
そして同時に口を開いた。

『それは』

そして夏も終わりに近づく。






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