「ふっん、うん」
「はあ、ん」

クーラーの効いた狭い室内に忙しない吐息が響く。
温度を低めに設定しているせいか、肌寒いぐらいだ。
しかしベッドに寄りかかるようにしてお互いの唇を貪っている2人は寒さを感じなかった。

むしろ、熱い。
絡み合う舌に、注ぎあう唾液に、背中を、髪をまさぐる手に。
そのすべてに理性が溶けて、欲望がむき出しになっていく。
鼻から抜けるような甘えた声が、互いの熱を煽る。

「うんっ…」
「ん……」

息継ぎの間にも漏れる切羽詰った声、更に深く絡み合う舌。
ゾクゾクとした寒気に似たものが背筋を駆け抜けて、腰がずしりと重くなる。
微かな水音から耳から入り、空気を更に淫靡なものにかえていく。

薄いシャツですらもどかしくて、橋本の手が菊池のシャツをたくし上げるようにして裾から手が忍び込む。
キスはやめないまま体を前に倒し、菊池の体をフローリングにゆっくりと横たえる。
そのまま覆いかぶさるようにして、菊池の体に這わせた手を下にずらす。
そして。

「させるかああ!」
「ちいっ!」

そこで菊池が橋本を蹴倒して、起き上がった。
腹を思い切り蹴られた橋本は、腹を押さえて眉を顰め悔しそうに舌打ちをする。
その橋本を見つめ、菊池は不敵に笑った。

「なかなかやるようになったじゃねえか…」
「俺をなめるなよ、痛い目にあうぜ…」
「ああ、俺もこれからは本気でいくぜ…」

交し合う視線の間には、張り詰めた緊張感が漂う。
1メートルほど離れた二人は、お互いの出方を伺うように目を逸らさない。
わずかに腰をうかし、いつでも動けるようスタンバイする。

わずかな沈黙。
そして、先に動いたのは、菊池だった。

「もらったあ!」
「やらせるか!」

しゃがみこんだまま、右足を繰り出し橋本の足を払おうとする。
しかし一瞬動きの早かった橋本が、後ろに飛び上がってその足から逃れた。
狭いマンションの一室、どたどたと階下の人間から文句が来そうな騒音が発生する。

「くそっ!」
「まだまだ甘いぜ菊池!」
「てめえ、いい加減やらせやがれ!」
「それは俺のセリフだ!とっとと処女を俺に捧げちまえ!」
「アホか!お前がケツを差し出せ!」

最近では日常になった2人の争い。
今日もそれは決着を見せることはなかった。



***




試験も終わり、無事に夏休みに突入した橋本と菊池ははだらだらと貴重な時間を浪費していた。
夏期講習をうけ、バイトをして、仲間内で集まって馬鹿をする。

そして、それ以外はなんとなく、2人で過ごす。

それが、夏休みに入ってからの生活だった。

あの試験後の教室での出来事の後。
お互いもう悩むのをやめにして吹っ切れたものの、どことなく距離感がつかめずギクシャクとしていた。
ただ、それは今までのと違って、どこか気恥ずかしく浮き立つような気まずさだった。

手が触れ合って動揺したり、落ちる沈黙がいたたまれなくて無理に会話を探し出したり、らしくないお互いをつっこんだり。
そんな、どこかこっ恥ずかしい日々を送っていた。

その日も菊池の家で、特に何をするでもなくだらだらと時間を過ごしていた。
共働きで昼間はめったに両親のいない菊池の家は、居心地のいいたまり場だった。
金もなく暇だけはある学生は、無意味に時間をつぶしていた。

新作ゲームを2人でプレイして、ほどほどに疲れて一休止いれることにした。
橋本が手土産に買ってきた少し温くなったペットボトル飲料を煽って飲み、ゲームの攻略法を話す。
いつもどおりの風景。

なんの前フリもなく、ベッドによっかるように並んで座っていた橋本の手に、菊池の手が重なった。
不審に思って横を見ると、思った以上に傍にいた菊池が真剣な顔をしていた。
その目に押されて、橋本が少しだけ身をひく。

「…菊池?」

首を軽く傾げて意図を問うと、そのまま菊池の顔が橋本を追ってくる。
少々驚いたものの、さすがにそこまで鈍くなかった橋本は目を軽く伏せ、菊池を受け入れる。
見た目よりも柔らかいと知っている唇が、重なる。
さっきまで飲んでいたスポーツドリンクの甘い味が吐息で伝わった。
微かに舌で上唇を舐めると、菊池は顔をはなす。

「………」
「……?」

菊池は何か切羽詰ったような切なげな色を浮かべ、目を伏せて一回静かに息を漏らした。
橋本はすぐ傍にある熱い体に、心臓の波打つ速度が上がったのが分かった。

「ん……」
「………」

再度菊池が顔を寄せる。
橋本は、顔を傾けそれを受け入れた。
今度は菊池の舌が橋本の口内に忍び込んでくる。
負けじと橋本も菊池の舌を向かいいれ、絡める。
ついばみあって、上あごを舐めて、歯列をなぞり、好きなようにお互いを味わう。

気が付かないまま、いつのまにか橋本はフローリングに横たわっていた。
菊池の手に腕を上から押さえられ、もう片方の手はずるずると長いシャツをたくし上げられる。
たくし上げたシャツから、手が入り込み腰を撫でる。
ぞわぞわと腰に寒気ににた痺れが走る。

「は、ああ…」

解放された口から、思わず甘さを含んだ声が漏れた。
菊池の顔が、橋本の首筋に移動する。
首を軽く吸い上げられ、橋本は再度ひそやかに声をあげた。

体を這う手が、思いもよらないところに落ちる唇が、心地いい。
今まで味わったことのない緩やかな快感に、どこかぼんやりと浸る。
眠くなるような、なだめるような愛撫に酔う。
自分で追い上げる時は、目的を果たすだけの性急さと作業的な行為があるだけだった。
鈴木や菊池と以前に触りあったときも、イクためにお互いのものを擦りあっただけだ。
こんな、徐々に熱をあげていくような穏やかな愛撫には、覚えがない。

菊池の手が、橋本の胸を探り当て軽く爪ではじく。
もう一方の手は、ジーンズに伸びて手早くファスナーを下ろす。

「て、ちょおおおおっとまったあああ!!!」
「うお!」

そこまできて、橋本は自分のジーンズの中にもぐりこもうとしていた手を力強く止めた。
菊池は急に頭を起こした橋本に頭突きされないように、体を一寸引く。

「なんだよ?」

行為を中断され、菊池は不満そうに橋本を見下ろす。
しかし橋本は、体を押さえつける腕からなんとか抜けだそうともがく。

「なんだじゃねえよ、なんだこの体勢は」
「なんだもなにも、ヤろうとしてんだろ。今更純情ぶるなよ。キモイ」
「ちげー。まあそうだ、まあそれはいいとしよう。お前とヤるのに異存はない、とりあえず」
「じゃあなんだよ?」
「なんで俺が下なんだよ!」

指を突きつけて抗議する、菊池は気まずそうに目を逸らして小さく舌打ちをした。
それはとても小さな舌打ちだったが、密着している橋本にはしっかり聞こえた。

「お前…そのまま俺をやろうとしてたな…」
「ち、気付きやがったか…」
「ちくしょう、このヤリ○ンが!うっかり本当に流されそうになったじゃねえか、このテクニシャン!」
「じゃあ、そのまま流されとけよ!正気に戻るんじゃねえよ!」
「流されてたまるかあ!」

橋本は思い切り菊池の体を跳ね除けて、飛びずさった。
いつのまにかファスナーとホックまで外されていて、ずり落ちたジーンズを慌てて引き上げる。
橋本に乱暴に投げ飛ばされた菊池は、打ってしまった腕をさすっている。

「くそ、大人しくヤラれとけよ、今更もったいんぶんな」
「うっわ、菊池君最低!超最低!ていうかそういう問題じゃねえんだよ!ドーテーの俺を可哀想だと思わないのか!お前で我慢するから俺に筆卸ろしをさせろ!ドーテー捨てる前にバージン捨てたくねえんだよ!」
「こっちだって、ドーテー相手に処女捨てる気はねえんだよ!お前にやらせたら流血沙汰だろ!」
「誰だってはじめはドーテーなんだよ!失敗ぐらい温かく見守ってやれ!」
「あほか!とりあえず俺にやらせとけばいいだろ、このドーテー!」
「ていうかドーテードーテー言うな!」
「お前が言い出したんだ!」

下らなさと重大な命題を抱えた2人の討論は更に熱くなっていく。
すっかり先ほどまでの甘い空気など吹っ飛び、あるのはお互いの意地だけだ。

「馬鹿やろう!お前女と散々やったんだろ!だったら一回ぐらいヤられてもいいじゃねえか!」
「だからこそ俺の経験を生かして、お前にいい思いさせてやろうとおもってんじゃねえか!」
「いい思い出つーか、一生のトラウマになりそうなんだよ!」
「お前にヤらせて、病院送りとかになりたくねえんだよ!」
「人を下手くそ扱いしてんじゃねえ!」
「下手も何も分からないから怖いんだよ!」



***




そして、その日から2人の攻防は決着を迎えないまま、季節は8月を迎えようとしていた。





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