「いらっしゃいませー」

食べ物の匂いが立ち込める3坪足らずの狭い店内。
夕飯時の奥様方がひけて、急に暇になったところにふらりと客が現れた。
反射的に挨拶をして、一瞬後にそれがよく見知った人間だと分かって橋本がその名を呼ぶ。

「あれ、菊池」
「お疲れ」

同じくバイト帰りらしい菊池が、軽く手をあげて入ってくる。
バイト先に菊池が来たことはほとんどない。
橋本は軽く首を傾げる。

「どうしたんだよ?」
「今日、親がいないからメシ買いに来た」
「ああ、なるほど」

所狭しと並べられたお総菜は住宅街に相応しく家庭的で、素朴な品が揃ってる。
すでに夕飯前のラッシュを終えたので残りは少ないがそれでも菊池一人の夕飯分ぐらいはあるだろう。
橋本はエプロンで手を拭きながら、レジのカウンターから出てくる。

「何にする?」
「何がうまい?」
「海老チリ。後こっちの白身魚のフライサービスしてやる。タルタルソースうまい」
「サンキュ。んじゃそれ」
「後、野菜食え野菜。こっちの海藻サラダ入れるぞ」
「お前おばさんくさい」
「うるせえ」
「弁当屋でバイトしてるくせに、なんでお前料理できないの?」
「俺売るだけだもん。後食うだけ」
「商品に手を出すなよ」
「役得役得」

橋本がこのバイトを選んだ理由はただ一つ。
残り物が貰えるからだ。
小さい頃から慣れしたんだお惣菜屋さんの料理は、橋本の好物だった。
手慣れた様子でパックに詰めて、菊池に見せる。

「これくらい?」
「もっと。後そっちの肉も」
「量多くね?」
「お前の分」
「先に俺の許可をとれ」
「駄目なの?」
「いいけどさ」

強引な菊池の誘いに、橋本は軽くため息をつく。
当然のように人数に入れられてるらしい。
次の日は休みだから、別に遅くなっても構わないからいいのだが。
文句を言う気にもなれず、橋本は手際よくお惣菜を袋に詰めていく。

「バイト終わるまで待てる?もうちょいかかるけど」
「外で待ってる」
「ていうかお前んち、こっちから遠くね?」
「うん」
「なんでここまで来てんの?」

何気ない世間話をして、そこで橋本がはた、と言葉を止める。
とても嫌な予感がした。

「いやいい、やっぱ言わなくていい」

そして菊池の答えを聞かないように話をぶった切る。
しかし。

「お前がバイトしてるところ見たかったから」
「だから言わんでいい!」

一番聞きたくなかった答えが返ってきた。
相変わらずの菊池の色ボケ全開の発言に、一気に橋本の頭痛が再発した。
しかしそれに気付いてか気付かなくてか、菊池は軽く笑って更に追い込みをかける。

「エプロン姿、かわいい」

その瞬間、橋本の全身に鳥肌がたった。
クーラーなんてほとんど効いていない残暑の厳しい店内なのに、暑さを一瞬で忘れてしまう。

「………すげえ、今一瞬で涼しくなったぜ。お前すごいな。稲川淳○より破壊力あるぜ」
「ありがとう」
「一切褒めてねえ」

全く照れる様子も慌てる様子もない菊池に、橋本はいっそ畏敬の念すら抱く。
もはや何を言っても敵わない気がした。
動揺を隠して、今度は何も言わずに包装を進める。

「………はい。830円」
「はい。じゃあ待ってる」
「はい」

さらりと出て行った菊池の背中を見送って、橋本は深い深いため息をついた。



***




「お待たせ」
「お疲れ」

店の前のガードレールにもたれてでケータイをいじりながら、菊池は待っていた。
橋本は笑いながら、戦利品を差し出す。

「おかず増えたぜ」
「お、ラッキー」
「店長がお友達来たんなら持ってけって」

残り物はいつも割と貰えるが、今日は明日用に下ごしらえしていた人気のタラモサラダとハンバーグももらえた。
幼い頃からよく知った店長は、親戚のおばさんのような感じだ。
がさがさと味もそっけもないシンプルなビニール袋を揺らしながら二人並んで歩く。
肉の匂いがかすかに漂って、空腹がより強調される。

「お前んとこ、結構親いないこと多いよな」
「二人とも忙しいから」
「だから息子はこんなグレて年上女と夜遊びするような子になっちゃって」
「年上女の方が夜まで平気だし、金もかからないしな」

さらりと返す菊池に橋本が黙りこむ。
そのまま二歩ほど歩いて、ぼそりと問いかけた。

「………お前、女と全部切れたよな」

度々ケータイをいじってる菊池を目撃している。
電話もしているようだ。
稀に女の名前も会話の中に出てくる。
気にしないようにはしていたが、この下半身が割と緩い男を信用しきれないのは確かだ。
菊池は橋本に視線を送って、にやりと笑う。

「気になる?」
「死ね」
「切れてないって言ったら?」
「切り落とす」
「こええなおい!」

股間を抑えて一歩飛び退く菊池。
橋本も自分で言っておいて、若干前屈みになった。

「てめえ、浮気なんてしてみろ。お前のホモ履歴バラしてから捨ててやるからな」
「それ、お前も自爆じゃん」
「しまった!」

驚愕の事実に思い至って、橋本は頭を抱えた。
菊池を追い込むと同時に、間違いなく自分も破滅する。
隣の男は、しかし楽しそうにくすくすと笑っている。

「バレたらおしまいだな。俺もお前も。親が泣くな」
「間違いなく泣くな」

頷いて、橋本も苦笑しながら同意する。
そして、まっと続けて肩をすくめた。

「まあ、破滅する時は一緒だな。いっせーのせでメガンテだな」

橋本が笑いながら言うと、菊池が袋を持った手で肩を掴む。

「橋本」
「何?」

くいっと後ろにひかれて、橋本は振り返る。
すると菊池がそっと顔を寄せて、瞬きする間ほどのキスをした。

「………なんだよ、急に」

固まったまま問いかけると、菊池は真面目な顔をしてじっと橋本を見ていた。

「すっげ、キスしたくなった」
「………とりあえずこういう往来ではやめろ。破滅する時は一緒かもしれないが、出来れば破滅はしたくはない」

分かったと言いながら、菊池はもう一度橋本の頬にキスをした。
口にされるよりもこっ恥ずかしくて、橋本はため息とともに肩を落とした。

「………どこまで恥ずかしい奴なんだ、お前」
「お前、いい匂いがする」
「あ!?」
「夕メシの匂い」

くすくすと笑いながら、髪に鼻を寄せる菊池。
裏で調理を行っているお惣菜屋さんは、いつでも食材や油の匂いが漂っている。
ずっと働いていると、髪に匂いが染みつくのだ。

「いい匂い」

橋本自身はかっこ悪い匂いだと思っていたが、菊池は満足そうに鼻を鳴らす。
しかしその行動に、橋本の忍耐の限界がついに来た。

「あのさ」
「ん?」
「この前から一つだけ言いたいことがある」

菊池の手を振り払い、橋本は一歩後ずさる。
そして指を突き付け仁王立ちになった。
まっすぐに菊池を睨みつけると、恥ずかしい男は軽く首を傾げた。

「なんだよ」
「俺を女扱いするな!キモい、ウザい!」

ずっと言いたくて言えなかったことだったが、ついに臨界点突破だった。
菊池に悪いかなあ、なんて思っていたが、もうこれ以上そうも言ってられない。
これ以上は橋本の精神的な健康に悪い。
けれど、言われた本人はきょとんと眼を丸くしている。

「女扱い?」
「そう!」
「誰が?」
「お前が!俺を!」

本当に不思議そうに、菊池はぼりぼりと綺麗にセットされた髪を掻く。
すっとぼけている訳でもなく、真面目に何を言われたのか分からないようだった。

「女扱いなんてしてねーよ」
「してるだろ!」
「つーかお前を女として見るとか無理だし、どうやって女扱いしろってんだよ。女はかわいいし柔らかいしいい匂いがする。お前を女と一緒にするな。むしろ女に謝れ」
「なんだと!俺だって女装をしたらそれなりかもしれねーじゃねーか!」
「ふざけんな、死ね。女に土下座して謝れ」
「お前、俺と女とどっちがいいんだ!」
「なんの話してんだよ」
「そうだ、なんの話をしてるんだよ!話をそらすな!」
「俺じゃねーよ」

豪快に話が横滑ったことに気づいて、橋本は深呼吸して呼吸を整えた。
一回頭をクールダウンさせて、何を言いたかったのかを思い出す。

「そうだ、いやだから女扱いするな。俺とおまえはなんつーかその、こ、こ」
「こけこっこー」
「やかましい!お前と付き合ってるけど、俺は女じゃない!」

菊池は眉を顰めて、不本意そうに鼻を鳴らす。

「だからどの辺が女扱いしてんだよ」
「な、なんか奢ってくれること増えたり、道とかで車からかばったりとか、いきなりキスするとか………」

今みたいにいい匂いとか言ったりほっぺたにキスをしたりなんかすごい優しそうに笑ったり。
その全ての行動が痛々しくて恥ずかしい。
橋本を壊れもののように大切に扱う菊池が、心底気持ち悪くて仕方ない。

「なんか、むずがゆいんだよ!気持ち悪いんだよ!」
「普通じゃん」
「普通じゃねえ!」

今までは罵り合って殴り合って遠慮なくぞんざいに扱っていた。
現在も遠慮なく言い合う仲ではあるが、明らかに前とは菊池の態度が違う。
それが橋本には落ち着かなくて、認められなかった。

「前の態度を思い出せ!平気で俺を足蹴にしていたあの頃の君を取り戻してくれ!」
「お前はマゾか」
「食いつくとこはそこじゃない!」

思いっきりつっこむと、菊池はふっとため息をついた。
止まっていた足を動かして、家に向かって歩き出す。
橋本はその後ろを慌てて付いて行った。
黙ったまま、二人並んで歩く。
街灯の下で、残暑の暑さにシャツが汗ばむ。
沈黙が気になり始めるぐらいになって、菊池がつまらなそうに話し始めた。

「あのさ」
「………なんだよ」
「別に女扱いなんてしてねーよ」
「だったらあれはなんなんだ」

あのこっ恥ずかしい尻の座りどころが落ち着かないむずがゆい態度は。
橋本の心からの抗議に、菊池がちらりと後ろを向いた。
そしてなんでもないように言った。

「ただの恋人扱いだろ?」

その言葉に、橋本は今度こそ黙りこんだ。





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