「いらっしゃい、鷹矢」 出迎えてくれた守の声は、どこかいつもより弾んでいた。 無表情の顔も少しだけ緩んでいるように感じる。 「どうしたんだ」 「え、何が?」 「なんか、機嫌が良さそうだけど」 「そう?」 本人にその自覚はないようだ。 不思議そうに首を傾げる。 まあ、守が俺の前にいる時はだいたい機嫌がいいんだけど。 「確かに機嫌が良さそうだな」 その時後ろからひょこりと鳴海さんが顔を出す。 すると守の緩んでいた顔がいつもの仏頂面になった。 「ああ、いらしたんですか、鳴海さん」 「また随分な態度だな」 「歓迎はしてますよ。どうぞ」 そして淡々とスリッパを俺たちに差し出す。 目上の人にその態度はさすがにどうなんだろう。 普通の友達だったら口を出さないところだが、つい苦言を呈してしまう。 「守、そういう態度はよくない」 「え?」 しかし守は何がなんだかわからないと言うように目を丸くする。 こいつは本当に好意を持った人間とそうでない人間への態度が顕著だ。 まあ、それでも鳴海さんにはそれなりに親しみは持っているのだろうけど。 「鳴海さんに対しての態度」 「慣れてるよ」 「でも」 鳴海さんが苦笑して俺の肩をぽんと叩く。 まあ、本人がいいっていうならいいんだろうけど。 そんなやりとりをしていると、守が大きな黒い目でじっと俺たちを見ていた。 「………」 「守?」 「鷹矢って、鳴海さんに、随分懐いてるよな」 「懐いてるって」 なんだか嫌な予感がするぞ。 「………俺と鳴海さん、どっちが」 「好きとか嫌いとかないから!」 「………」 「そういう目で見るな!お前は小学生か!」 守がふてくされたように口を尖らせてじと目で見てくる。 本当にこいつはこういう時子供のようになる。 峰兄にそんなに甘えたりしないのに、俺にだけこうだ。 まあ、多分耕介さんにもそうなんだろうな。 「とりあえず二人ともお入りください」 守がちょっと不機嫌そうにパタパタと廊下を歩いていく。 ため息をつくと、鳴海さんが楽しそうに喉の奥で笑っている。 「本当に黒幡君は君が好きだな」 「………時々重いです」 「あはは、確かにな。しかしなんであんなに君に懐いてるんだろうな」 本当に守は、俺が好きだ。 その理由は、分からないでもない。 「守は、愛情深いんだと思います」 居間に入った途端、今までそこにはなかったものが鎮座ましましていた。 30インチほどの薄型テレビは昭和を感じさせるこの家には全く相応しくない存在感を醸し出していた。 まあ、一般家庭には普通にあるものだけれど、この家にあるとかなりな違和感だ。 「あれ、テレビ買ったんだ………、て、まさか」 そこで思い出す、この前俺がぽろっと、この家はテレビもないと不満を漏らしてしまったことを。 そして視界の片隅には更にこの家に相応しくないハイテク感を表わす物体があった。 「………そしてその加湿器は」 空気清浄機と一体になった結構値段がする奴だと思う。 この前俺が咳をした時に、この家乾燥してるからな、とか言っていた気がする。 「………峰兄」 もしかして峰兄がパトロンから買ってもらったりしたんじゃないかと一縷の望みをかけて部屋の隅で本を読んでいた兄に声をかけるが、こちらとちらりとも見ずに黙って首を横に振る。 となると、やっぱり守の仕業か。 「守」 「ん?」 「…………」 守はなんだか大きな黒目をきらきらさせて俺を見ている。 それを見ていると脱力してしまって何も言う気がなくなってしまう。 分かってる。 これは全て好意だと分かっている。 でも、やっぱり一言言わないと駄目だ。 これはお互いのためによくない。 「お前な、こういう無駄遣いをするな」 「無駄遣いなんてしてない」 守はしれっとそう言い放った。 これくらい言われることは覚悟していたのだろう。 「あれもこれもお前には必要ないものだろうか!」 「必要だったから買った」 「お前と峰兄がテレビを見るのか」 「たまには見る」 「加湿器は」 「風邪も流行ってるし」 あー、もう、ああ言えばこう言う。 苛立ってつい声を荒げてしまう。 「守!」 「………」 すると守はそっぽをむいて不貞腐れたように口を尖らせる。 子供が叱られた時のような態度。 「おい、こら」 「別に鷹矢のためにやったことじゃないし」 「本当に子供かお前は!」 峰兄と一緒にいるときはドライすぎるほどにドライなのに、なぜ俺にはこんなにウエットなんだ。 もう少し渇いてくれても全く問題ない。 思わず深い深いため息が零れる。 「ちょっとそこ座れ」 畳の上を指し示すと、守は素直に正坐した。 俺もその前に正坐する。 「いいか、あのな、気持ちは嬉しい。お前の俺をもてなそうっていう気持ちはとても嬉しい。でも、限度ってものがある。いいか、高額なものは買うな。無理をするな。出来る範囲でやれ」 「俺の出来る範囲だし」 「あのな!」 「鷹矢は優しいな、本当に」 さっきまで不貞腐れていたはずなのに、なんだか嬉しそうに頬を緩めている。 ああ、もう本当にこいつは。 「言ってる場合か!お前、耕介さんがこういう高額なものを送りつけてきたらどう思う!」 「………それは」 「わー、嬉しいって思うか!」 「………無理しなくていいのに、って思う」 「俺もそういう思いだ!これは俺に気を使わせてる!」 「………でも鷹矢のためじゃなくて、俺がテレビ見たかったんだし」 「そういう嘘をつくな!」 そういうと俯いて、やっぱり反抗的な目で俺を見ている。 まだ納得しないのかこいつは。 「あのな!」 「お前らうるさい。外でやれ」 「峰兄も止めろよ!」 「ああ?」 家主はうざったそうに逆らった俺を睨みつけた。 勢いで歯向かってしまったが、睨みつけるとビビって何も言えなくなってしまう。 「脅すな、峰矢」 そこでじっと静観していた鳴海さんがため息交じりに割って入ってくれた。 峰兄の強い視線から逃れられてほっとする。 鳴海さんは本当に頼りになる。 「まあ、鷹矢君その辺で。もう買っちゃったんだし」 「でも」 「今後気をつけてもらうってことでね。俺もこの家にはテレビも何もなくて殺風景だと思ってたしな」 やっぱり、鳴海さんは大人だ。 穏やかな話し口調で、やんわりと場を収めてくれる。 「黒幡君もいくら鷹矢君が好きでも、少し控えた方がいいな。逆に愛が重くてひくぞ、これは」 「………」 せっかく仲裁してくれているのに、守はやっぱり不機嫌顔。 鳴海さんが肩をすくめて苦笑する。 「なんだ?」 「………鳴海さん、鷹矢のこと分かってるんですね」 「………本当に愛が重いな」 「いい加減にしろよ、守!」 ついに本気で叱りつけてしまった。 すると途端に守が肩を落とす。 そして申し訳なさそうにこちらを見る。 「………ごめん」 「いや、まあ、気持ちは嬉しいんだ、気持ちは。後謝る相手は俺だけじゃない」 「鳴海さん、失礼しました。ありがとうございます」 「ああ」 大人な鳴海さんは鷹揚に頷く。 守はどこかおどおどと俺の顔色を窺っている。 普段他の人間には見せない、子供のような表情。 「怒った、鷹矢?」 「大丈夫だ。でも、好意の示し方はちょっと考えてくれ。別にそんな高価なものとか、ていうか物とかいらない。俺はただお前と話したりしてるだけでも楽しいんだから」 恥ずかしかったが多分ストレートに言わないと通じないだろう。 守は一瞬驚いた顔をして、そして嬉しそうにはにかんだ。 「うん」 小さく頷くと、すっかり機嫌をなおして立ち上がる。 うきうきとした様子で台所に向かった。 「お茶淹れてくるな。あ、鳴海さん用のコーヒー切らしてたんです。ちょっと買ってきます。それまで日本茶で我慢してください」 「いいよ、そんな」 「いえ、すぐ近くですから」 そのまま手早くお茶を淹れると俺たちに出して、財布を持つ。 「俺も行こうか」 「平気。待ってて」 そう言うと、そのままパタパタと音を立てて出かけていった。 残された部屋は途端に静まり返る。 そして俺は再度深く深くため息をつく。 「………助かりました、鳴海さん」 「いやいや、面白かったよ。いいお母さんだね、鷹矢君」 「………やめてください」 俺としても年上の男に何をしているのかと思うが、守相手だとこうなってしまう。 守も嫌がってないようだから直しようもない。 「ていうかお前が止めろ峰矢」 「俺に被害はない」 「そういう奴だな、お前は」 まあ、それは俺にも分かっていたからいい。 でももうちょっと峰兄が相手をしてくれればいいのに。 「ていうか、もしかしてお前よりも鷹矢君の方が好きなんじゃないか。愛情の注ぎっぷりがハンパない」 「あれはただの病気だろ。ほっとけ。鷹が嫌なら自分で断れ」 「………そこまでは」 「利用されてても?」 峰兄が膝についた腕に顔を載せて面白そうにこちらを観察するように見る。 ああ、やっぱりそういうことなのかな。 そうだとは思っていた。 そして峰兄はやっぱり、守のことを理解しているんだな。 そんなことを改めて思う。 「それでも、守の好意は本物だし」 「酔狂だな」 にやりと獰猛そうな笑顔を浮かべる。 峰兄は、そういう性格の悪そうな表情が本当によく似合う。 鳴海さんが俺たちの会話に首を傾げる。 「どういう意味だ?」 「鷹」 「え」 峰兄はこれ以上話す気はないのだろう。 俺に全投げすると、また本に目を落とした。 本当にこの人は勝手だ。 でもそんなところも含めて、嫌いにはなれないのだからずるい。 「鷹矢君?」 鳴海さんが説明を求めるから、俺はため息一つ自分の考える守像を話し始める。 全然違う可能性もあるけれど。 「全部俺の推測ですけど、守は多分、すごい愛情深いんです」 「うん?」 先ほども言った言葉に、鳴海さんは先を促す。 そう、俺への態度を見ても分かる通り、守は愛情深いのだ。 「多分、ですけど、なんていうか、愛したがり、なんだと思います」 「愛したがり?」 「愛情を向ける対象が欲しいんだと思います。人と関わるのを避ける傾向がありますけど、一旦親しくなると人の面倒をみるの好きだし、やってあげるっていうのが大好きなのかと」 峰兄といい俺と言い、家に来る人間や友人に色々してあげている様子を見ても分かる通り、守は人の世話をするのが好きなのだろう。 してもらいたいというよりは、してあげたいタイプだ。 「今までは、保護者の方に全面的に愛情を注いでたからよかったんです。保護者の方もそれを全部受け止めるだけの懐の広さがあったし」 耕介さんの溢れんばかりの愛情を注がれ、守も全身で耕介さんを慕ったのだろう。 守にとっては耕介さんしかいなかった。 それこそのめり込むように耕介さんに執着しただろう。 こいつに全力で愛されて、本当によくうざかったりしなかったもんだ。 耕介さんは本当に懐広い。 「でも今は保護者の人がいないし、峰兄には多分そういう愛情を注げないだろうし」 「うざいな」 「うん、峰兄はそうだよね。守もそれを分かってるから、全力は注げない。そういう対象でもない。まあそれでもかなり愛が重いけど、峰兄が嫌がるのも分かってるし、失えない。でも耕介さんは近くにはいない」 「でもそれなら、友人とかもいるだろう」 「友達にも多分注いでるだろうけど、まあ、ある程度分散はしてるでしょうね」 それこそが、新堂さんと耕介さんがしたかったことなのだろう。 耕介さん一人に向けていた関心と愛情を、周りに広げていってほしかった。 まあ、守の依存心については耕介さんから峰兄に対象が移っただけという気がしないでもないが、それでも分散している。 恋をして執着をするのは峰兄だが、温かい愛情を注ぐ相手ではない。 なんとも複雑な心境だ。 一緒にしてくれればいいのに。 「その中で、愛が一番重いのが鷹矢君?」 「俺は峰兄の、弟だから」 そう、弟なのだ。 峰兄に似ていて、なおかつ弟。 「峰兄に似ていて、でも愛情を注げる、格好の対象なんだとおもいます。それに」 「それに?」 「あ、いえ、峰兄に似ているからいいんでしょうね」 峰兄に似ていて、なおかつ弟という存在。 かつて愛せなかった弟。 愛してほしかった弟。 家族になりそこねた弟。 そんなものを反映しているのではと思っている。 「身代わりってこと?」 「まあ、平たく言えばそうなんじゃないかと」 峰兄の写し身で、弟として愛情を注げる存在。 守にとってはきっと格好の標的だったのはないだろうか。 「それでいいんだ?」 鳴海さんがちょっと複雑そうな顔で顎を撫でる。 まあ、身代わりと言われるといい気分はしないが、向けられている好意は本物だ。 守自身、峰兄の代わりだとか弟の代わりだとかは一切思っていないだろう。 「それでも守は友人だし、あいつが俺を好きでいてくれるってのは嘘じゃないですし」 「まあ、確かに」 「全部俺の推測ですけどね」 でも峰兄が何も言わないってことは結構当たっているのだろうか。 まあ、違ってても何も言わなそうだけど。 言わないな。 「本当に君は人が出来てるな。頭が良くてそんなに性格がいいと生きづらいだろう」 「性格いいとかないですけど、元々守のこと嫌いだったし」 「それでも今それだけ面倒見てるんだから、お人好しだな」 鳴海さんが困ったように笑いながら、肩をすくめる。 別に人がいいと思ったことはない。 それなりに好き勝手にやっている。 「なんていうか、犬に懐かれてるみたいで、邪険にできないんです」 「それが人がいいっていうんだよ」 「あはは」 別に本当にそういう訳じゃない。 放っておけないってのが一番近いかもしれない。 「ただいま」 噂をすれば、だ。 ガラガラとけたたましく音を立てて玄関が開く。 居間に現れた守を三人で出迎える。 「おかえり」 「おかえり」 「おかえり」 峰兄は、挨拶だけはしっかりとするってことに気付いたのは最近だ。 二人の間では、挨拶は何か重要な要素らしい。 守がちょっと嬉しそうに目尻を下げる。 「ただいま」 両手に大荷物を持っているから、俺も立ち上がり一つ受け取る。 ガサガサと音を立てるスーパーの袋には、何やら赤くてでっかいものがはみ出ていた。 足を何本も持つ高級食材。 蟹だ。 「………守、それはなんだ」 「今日は三人もいるだろ?だからちょっと豪華に」 思わず脱力して、肩を落としてしまう。 鳴海さんが思わずと言った様子で噴き出す。 峰兄は変わらず本を読んでいる。 俺は息をすっと吸って、声と共に吐きだした。 「だから、お前は分かってない!」 年上の友人はきょとんとした顔をする。 これだから、邪険にできないのだ。 大人しそうででも気が強くて意外と性格の悪い友人は一緒にいると割と楽しいけれど、どうにもこうにも危なっかしくて不安定で。 こいつが満足するまで、付き合ってやってもいいかな思うぐらいには、放っておけない。 |