赤と緑とクリスマスソングでいっぱいの街中。
イルミネーションで飾られた街路樹。
楽しげに、笑顔で通り過ぎる人たち。

騒々しくて浮ついた空気に、イラつく。
周りが楽しそうなら楽しそうなだけ、自分が1人なことを思い知らされる。
普段は気にしないようにしていることが、一気に自分に襲い掛かってくる。
手袋を忘れた手が、かじかんで切るように痛い。
私はマフラーを巻きなおすと、早足で家に急いだ。



***




真っ暗な家。
誰もいない家。
電気の消えたリビングは、静まり返っていた。

分かっていたこと。
知っていたこと。

父と母は仕事の関係のパーティーだとかなんとか。
それが本当かどうかは知らないけど、どうでもいい。
弟はクラスの友達と騒ぐとか言ってたっけ。
または彼女と一緒なんだろう。

知っていた。
予定は、聞いていた。
それなのに、真っ暗な家が、こんなにも、苦しい。

いつものことなのに、人がいないなんて、いつものこと。
1人きりなんて、慣れている。
真っ暗な家なんて、毎日見ている。

なのに、なんでこんなに、辛いんだろう。

浮かれた街なんて、見なければよかった。
1人で、家にうずくまっていればよかった。
本でも読んで、寝てしまえばよかった。

家族でクリスマスを祝ったなんて、小さい頃以来、ない。
毎年、両親はいない。
こんなの、慣れている

それなのに、息が苦しくて、むしゃくしゃする。
イライラする。
どうしようもなくムカついて、ダイニングのテーブルの上にあった雑誌を投げつけた。
無造作に投げた雑誌は、部屋の隅の観葉植物にあたり、大きな音をたてて植木鉢が倒れる。
その大きな音に、ちょっとだけ、心のもやもやが晴れた。
母の大切にしているパキラが力なく倒れているのが、リビングが土で汚されたのが、小気味良かった。
だから、テーブルの上の弟のカップをフローリングに叩きつける。
割れて散らばる白いカップが、綺麗。
椅子を蹴り倒す。
リビングのローテーブルの灰皿を投げつける。
これは絨毯に守られて、割れなかった。
ムカついたから、ローテーブルごと、蹴り倒した。
上にあったものが全部散らばって、整ったリビングが乱雑に荒れる。

もっともっともっと、荒れてしまえ。
母が執拗に綺麗にするこの家が、汚れてしまえ。
弟が整えるインテリアが、もっともっと壊れてしまえ。

いらないいらないいらない。
私を否定する、こんな家、いらない。
私を1人にする、家族なんて、いらない。

みんなみんなみんな、壊れちゃえ。
壊れてしまえ、壊れてしまえ、壊れてしまえ。

「っ、くっ、うぅ、ううー」

気が付いたら、涙が出てきていた。
鼻がつまって、苦しい。
でもそれ以上に、胸が苦しい。
黒くて、ドロドロとしたものが溢れてきて、胸をいっぱいにする。
その黒いものが、全身を包み込んで、息が出来なくなってしまう。

なんで、こんなに苦しんだろう。
なんで、こんなに痛いんだろう。
1人なんて、慣れている。
暗い家なんて、慣れている。

ああ、そうだ。

そうだ、去年は、1人じゃなかった。
弟が、いた。
両親はいなかったけど、弟と2人でケーキを食べた。
ささやかなプレゼントを交換して、特番を2人で並んで見た。

中学に上がって、弟はよそよそしくなった。
派手でケバい女の人と付き合って、中学の友達を優先して。
私がすがりついたせいで、また優しくしてくれるようになったけど、やっぱりどこかよそよそしい。
彼女だって、いる。
仲のいい、友達だって、いる。

同情心の優しさにすがるしかない私と違って、弟は外の世界がある。

分かってる。
私がそれを邪魔する権利なんて、ない。
分かってる。
でも、ずるい。
弟はずるい。
ひどい。
私を1人にするなんて、ひどい。
傍にいるって言ったくせに。
ひどいひどいひどい。

「痛っ」

荒んだ心のままに暴れまわっていたら、足に鋭い痛みが走った。
思わず倒れこむと、靴下が赤く滲んでいる。
足の裏に、ざっくりと白いマグカップの破片が刺さっていた。
むしゃくしゃして、無理矢理力任せに引き抜いた。
跳ね上がるほど痛くて、止まりそうだった涙が更にこぼれてくる。
ぼろぼろと、涙腺が壊れてしまったみたいに、流れてくる。

「ううぅ、くっ、うー……」

痛くて、自分が馬鹿で、苦しくて、滑稽で。


寂しかった。



***





「真衣ちゃん」

真っ暗だった意識に、聞きなれた声が飛び込んできた。
馴染んだ匂い。
懐かしい温もり。

「………ち、ひろ?」

重い瞼を無理矢理開くと、眩しい光が目を指す。
反射的に、もう一度目を閉じた。

「大丈夫?」
「……ん……」

目を恐る恐るもう一度開くと、眩しい光とともに、誰よりも見慣れた顔が私を見下ろしている。
ソファに寝転んだまま、私はぼんやりと整ったその顔を見つめた。
コートを着たままの弟が、私を心配そうに覗き込んでいる。

その頭越しに時計を見ると、まだ早い時間。
足が痛いし、辛いし、疲れたしで、私は部屋を荒らした後ソファで泣き寝入りしたのだ。
それから大して、たっていない。
真っ暗だった部屋は、電気がつけられて明るくなっている。
暖房をつけたのか、室内は心地よい暖かさになりつつあった。

「千尋……?なんでいるの?」
「なんでって、ひどいな。帰ってきちゃダメだった?」

そつなく優等生な弟は、苦笑して首を傾げる。

「だって、早いじゃない」
「真衣ちゃんに会いたいから、さっさと帰ってきちゃった」

柔らかく笑って、私の髪を優しく梳く。
その繊細な指の心地よさに、私はもう一度目を閉じてひたった。
そうしてしばらく、弟は私の髪を梳いていてくれた。

「それにしても、随分暴れたね、真衣ちゃん」

ポツリとつぶやいた言葉はどこか呆れていたけど、でも責める色はない。
どこまでも優しい弟が嫌いで、それにすがる自分が情けなくてみじめだ。
それでも、私はこの優しさを、手放せない。

「うるさい。むかついたの」
「しょうがないなあ」

軽くため息をつくけれど、それでも弟は私を許している。
それを当然と思う気持ちと、責められない罪悪感の2つが、私の心にある。

「て、真衣ちゃん!」
「な、何?」

急に声を上げた弟に、私は驚いて目をあけ、上半身を起こす。
弟は怒ったような真剣な顔で私の足を見ていた。
右足の、白かった靴下がだいぶ赤く染まっている。
すでに血は乾いているようで、靴下がパリパリとした感触がした。

「どうしたの、これ」

低く、押さえたような声。
いつも優しい弟のそんな顔と声がちょっと怖くて、私は身を小さくする。
自然と、こちらも声が低くなる。

「……割れたマグカップ、踏んだ」
「どうしてすぐ手当てしないの、傷が残ったらどうするんだよ」
「面倒くさかった」
「本当に、もう……。真衣ちゃんは……」
「千尋のくせに、生意気」

怒ったような呆れたような、それでも明らかに心配を滲ませてため息をつく。
その心配が、心地いい。
弟が私を心配しているのが、気持ちいい。
その優しさが、弟が私を気にかけていることが、嬉しい。

「靴下、脱がすよ。乾いてるからちょっと痛いかも」
「痛いのはいや」
「わがまま言わないの」

それでも優しく、痛みがないようにゆっくりと靴下を脱がしてくれた。
ぴりぴりと引き攣るような痛みはあったけれど、あまり気にならなかった。
千尋はソファに投げ出された私の足を傷を刺激しないようにとると、傷口を覗き込む。
足の裏だから、私には傷がどうなっているか分からない。
ただ、弟は端正な形の眉を顰めた。

「そんなに深くはないみたいだけど、出血はひどい」
「あんまり、痛くないし」
「だからって放置しないの」

たしなめるように言うと、弟が足の裏に顔を近づける。

「千尋…?っつ」

そのまま、綺麗な弟が、傷口に舌を這わす。
鈍い痛みと、くすぐったさが伝わってきて、足を引こうとした。
しかし足を固定されて、動かすことが出来ない。

「ちょ、やめて、千尋!」

それでも弟は、血を拭い去るように足を舐める。
くすぐったい薄い痛みに、なんだか腰の辺りがぞくぞくとした。

「んっ」

傷口を舐めることはよくあるけれど、場所が場所だ。
そんな汚いところ、舐めてもらう必要はない。

「千尋!痛い!」
「……ごめん。とりあえず、救急箱持ってくるね」

そういって、蹴りつけるように暴れると、弟はようやく顔を離した。
唇についた血が、弟の綺麗な顔を汚している。
それが気になって、私は指で千尋の唇を拭った。
汚い赤黒い私の血が、指に付く。
されたほうはびっくりしたように目を丸くしていたが、すぐに柔らかく笑う。
私の手をとると、指に付いた血を軽く吸った。

「手当てして部屋片付けたら、ケーキ食べよう、買ってきたんだ」
「ん」

むしゃくしゃしていた気分が、収まっていた。
弟が傍にいることに、満足感を覚える。
すがったらダメだと思っているのに。
解放してあげなくてはいけないと分かっているのに。
言うことを聞いてしまう弟を、腹立たしく感じているのに。
同情なんて、いらないのに。

それなのに、私はこんなに弱い。

「プレゼントもあるよ」

くすくすと、綺麗に笑う弟。
誰よりも嫌いで、誰よりも大切。

「プレゼントなんていらない」
「え?」
「こんな日に、出かけたりしないで」

その時の弟の顔が見れなくて、ソファに寝転んで、腕で顔を覆う。
息を呑んだ気配がした。
一瞬の後、くしゃりと、髪がかき混ぜられる。

「メリークリスマス、真衣ちゃん」
「………メリークリスマス」






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