お勉強をしましょう。



真衣&千尋




「真衣ちゃん、一緒にご飯作ろうか」
「……やだ」

弟の匂いのする毛布に潜り込んで、私は柔らかな声から逃れた。
まだまだ眠い、毛布から出て、台所に立つなんて冗談じゃない。

「ね、行こう?」

いつもだったら、最初の一言で諦めるのに、今日の千尋はしつこい。
私は毛布をしっかり握り締めて、体をゆする弟の手から逃れる。

「いや」
「なんで?」

それでも弟は諦めない。
なおも言葉を続ける。

「私が料理作っても、おいしくない」
「そんなことないよ」
「あんたの方がうまい。うまい人作ったほうが食材だって嬉しい」
「すごい理屈だな」

呆れたような千尋のため息交じりの言葉。
なんだか勘に触った。
言うことを聞いてくれない弟にイライラした。
眠気なんてすっかり去っていたけど、素直に従いたくなくなってしまう。

「うるさい」
「ねえ、俺、真衣ちゃんの料理が食べたい」

そんなねだるような甘い声。
毛布ごと抱きしめられて、柔らかに捕えられる。
顔まで毛布に埋まってるから息苦しくて、酸欠で頭がぼうっとする。
苦しくて、熱い。

「………」
「一緒に料理を作りたい。一緒に食べたい。ずっと一緒にいたいよ。離れたくない」

どこか切なげな色をこめた、弟の声。
たがが朝食で、なんて大げさ。
そんなどこか冷めたことを考える。
冷静で、動揺することなんてない千尋に、似つかわしくない言葉。
けれど、それをどこかで、喜んでいる自分がいる。
強引な腕が嬉しい。
ねだられるのが嬉しい。

でも、だからといって、素直にはなれない。
天邪鬼な私は、押されると、引きたくなる。
ただ、素直に頷けばいいだけなのに。

「……うるさい。いやなの」
「ひどいな」

ぎゅっと抱きしめる腕に力が篭もる。
息苦しさが、増す。

「もう!イヤだって言ってるでしょ!」
「…………」
「千尋なんて嫌い!あっち行って!」

ぞわぞわとしてものが背筋を駆け上って、自分が自分でなくなってしまいそうな恐怖。
認めたなくて、怖くて、逃げたくて、大きな声をあげた。
身動きできる部分で、必死に暴れて弟の体を引き離そうとする。
すると、すっと、拘束がとけた。

「……分かったよ」

それは冷たい声。
ついこの間聞いたばかりの、弟の怒っている声。
熱くなっていた頭が、さっと冷める。
ガチャリとドアノブを捻る音がして、静かにドアが閉められる。
怒ってしまったのだろうか。
見捨てられてしまうのだろうか。

「…千尋っ!?」

私は慌てて毛布から飛び出す。
置いてかれるのは嫌だ。
逃げても、追いかけて。
つっぱねても、受け入れて。
わがままで、どうしようもなく強欲な自分。
けれど、置いていかれるのは、耐えられない。
弟を追いかけようと、ベッドから降りようとする。
と。

「何?」

いつもどおりの柔らかな声が、すぐ傍から聞こえた。
驚いて顔を上げると、階下にいったはずの弟がドアのすぐ横に立っていた。
腕を組んで、楽しそうに笑いながら私を見ている。

「……千尋」
「何、真衣ちゃん?」
「あんた下に行ったんじゃ…」
「階段下りる音、しなかったでしょ?」

そういえば、ドアが閉まる音はしたけれど、階段を降りる音も、廊下を歩く音もしなかった。
そこでようやく、私は弟の策にはまったことを知った。
悔しくて、枕を投げつけたけれど、易々と受け止められた。
余計に悔しい。

「やっぱり出てきた。逃げるくせに、こっちが引くと、追いかけるんだよね。真衣ちゃんは」
「……千尋なんて、嫌い……」

目を逸らして、文句を言う。
自分でも、いじけていると分かる声だった。
それが余計に悔しくて、恥ずかしい。

「俺は真衣ちゃんが大好きだよ」

しかし、一点の躊躇いも曇りもなく、鮮やかに微笑み返されて、私は何も言えなくなってしまう。
千尋は再度ベッドに近づいて、私の額にキスを落とす。
機嫌がよさそうに、手をひっぱってベッドから引きずり出される。

「ね、一緒にご飯を作ろう」
「………うん」

所詮、私は千尋の手のひらの上。
生温い苛立ちを享受する。