甘えてみよう(その手)



「甘える?」
「そうそう」

大学から荷物の持ち運びを手伝うついでに、今日は黒幡の家で夕飯をご馳走になることになった。
夕食までまだ時間があるので、お茶を淹れてもらっての一時。
まだ大川が変なことを言いだして、俺と鷹矢君はちらりと目を合わせる。
ていうかなんか変なメンバーだ。

「俺、衣食住全てにおいて、割と先輩に甘えてるんだけど」
「そういうんじゃなくてさ、ほら、なんていうの、恋人として甘えてみるって感じで!」
「衣食住って恋人としての甘えじゃないかな」

黒幡は不思議そうに首を傾げるが、大川は納得せずに身を乗り出す。

「そうじゃなくてさ!ほら、もっとこう、キスしてー、とかぎゅっとしてーとか」
「たまにセックスはしてって強請るけど」
「ちっがうのー!」

大川はぶんぶんと首を振って否定する。
特に黒幡の問題発言が気になっている訳ではないようだ。

「一緒に遊んでとか、手をつないでとか。そういうラブラブな感じのさ!」
「え」

黒幡が眉をしかめて目に見て嫌そうな顔をする。
一緒に遊ぶのが、そんなに嫌か。
相変わらずこの二人の仲はよく分からない。

「指輪買ってとか服買ってとか高いホテル泊まりにいきたーいとか」
「おい、大川、それ単なるお前の願望だろ」
「うっさい、松戸」

思わずつっこんでしまうと、裏拳で殴られた。
ひどい、痛い。
黒幡はやっぱり不思議そうにお茶を啜る。

「甘える、ねえ」
「だって二人って恋人らしさがたまにしか出ないじゃん」
「うーん」

首を傾げると、鷹矢君も会話に入ってくる。

「確かに、守と峰兄の仲であんまり甘いとかないよな」
「そういうことすると先輩は興ざめだし」

確かにそうかもしれない。
とっかえひっかえ、来るもの拒まず去る者追わず。
ていうか飽きたら無理矢理でも去らせる人だ。

「そんなことないよ!かわいい恋人のおねだりだよ!」
「先輩をヤらせてくださいとか」
「シモ関係なしで!え、てか池さんをやりたいの!?」
「やりたい」
「池さんも、いよいよ処女喪失!?やだ大スクープ!」
「先輩処女じゃないらしいよ」
「マジで!?ぎゃははははは」

本当にこのミス無神経はどうしたらいいんだろうかな。
衝撃の事実が色々飛び交っているが、それ以上にドンビキだ。
ていうかまずこの女にドンビキだ。

「………大川、その辺にしなさい」

俯いて遠い目をしている鷹矢君を慮って、そっと同期の女を止める。
本当にごめん、鷹矢君。

「ただいま」

その時、ガラガラと音を立てて家主が帰宅を告げた。
今日はすぐに出かけるって話なので呼んでもらったが、やっぱり緊張する。
黒幡が出迎えにいって、二人が廊下を歩く音がする。

「おかえりなさい、先輩。すいません、今ちょっと友人を入れてます」
「ああ」

ひょいと居間に顔を出した池さんに慌てて頭を下げる。

「あ、す、すいません、お邪魔してます」

池さんは一瞥しただけで会釈すら返さなかった。
いや、いいんだけど。
さっと部屋を見渡して、大川を見つけて小さく笑う。

「よお、おっぱいが残念な大川」
「だから見せてやるって言ってるじゃないですか!!」
「だからやめなさい大川!」

池さんが余計なことを言ってヒートアップした大川を慌てて止める。
変なスイッチが入ってしまった大川が、池さんの隣に立ったままの黒幡をけしかける。

「ほら、黒幡!ちょっと先輩になんか甘えてみなさい」
「甘えるって」
「ほら、なんかあるんでしょ!この失礼な人を困らせてやりなさい!おっぱいは大きさじゃないんだから!」

なんて怖いもの知らずなんだ、大川。
しかし池さんは特に不機嫌そうでもなく、面白そうに大川を見ている。

「甘えるって?」
「今から黒幡が甘えて見せるから覚悟してください!」
「へえ、そりゃ、楽しみだ。ほら甘えてみせろよ」
「そんなハードルあげられても。えーと、あ」

黒幡は困った顔をしていたが、何か思いついたのか声を上げる。
池さんは突然の展開にも動じず、平然とその流れを見守っている。
器がでかいのかなんなのか。

「せ、先輩」
「あ?」

急に俯きがちになって、黒幡が頬を赤く染める。
らしくなく手を何度も組み替えたりして、緊張しているようだ。
なんだ、こんな態度も取れるのか。
池さんの前で、大人しげな少女のようになっている。
隣を見ると鷹矢君も大川もどうように目を見張っていた。
大川は好奇心で目をキラキラとさせていたが。

「そ、その、こんなこと言って、図々しいとか、嫌わないでほしいんですけど」
「内容による」
「そ、その、本当に図々しいお願いなんですけど!」

もじもじとはにかんだ黒幡は、一回深呼吸をする。
ごくりと唾を呑みこんだのは誰だったか。
黒幡は何度か迷ってから、それでもそれを口にした。

「つ、次は野外アート展なんて、開いてくれないかなって」

ひっくり返るぐらい緊張した声。
ぎゅっと手を握って、目を瞑っている。

「………」
「………」
「………」

俺たち三人は、つい黙り込んでしまう。

「お、俺が先輩にお願いするなんて、本当に図々しんですけど、でも、先輩、屋内アートばっかりじゃないですか!この前、直島を見てきて、島全体を使ったアートとか、先輩がやったらどうなるだろうって、そんなことばっかり考えちゃって。いや、すいません、俺ごときがこんなこと言うなんて、本当に甘えなんですけど」

髪を掻きまわしたり、何度も手を組みかえたり、落ち着かない様子の黒幡。
顔を赤くして、目を潤ませたその顔は、本当に恋に一途な少女のようだ。
池さんは無表情のまま、ぽんと黒幡の頭を撫でた。

「ま、考えといてやる」
「ほ、本当ですか!?」
「気が向いたらな」
「あ、ありがとうございます!」

そう言い置いて、池さんは出かける準備のためか二階に上がって行く。
黒幡はそれを潤んだ目で見守って、くるっと後ろを振り返った。
きらきらと目を輝かせて弾んだ口調で大川に礼を言う。

「ありがとう!大川のおかげで勇気が出た。先輩、考えておいてくれるって」

大川は、少しだけ寂しげな顔で俯いた。

「………こりゃ駄目だ」
「うん、だな」

この二人にそう言うことを期待するのは、そろそろやめた方がいい。