嫉妬って、なんて汚い感情。


やきもち(野良犬)



「あの、野口君、いる?」

見覚えのある女の子が、教室の入り口から野口を呼ぶ。
ネームプレートの色からして二年生。
それでなくても彼女は結構な有名人なので、名前と顔ぐらいは知っていた。

「はい」

野口が普通に返事をして近づいていく。
そして廊下に出てしばらくして、戻ってきた。
その無表情の眼鏡からは、どんな話をしたのかは伺い知れない。

「………今の、二年の人だよね?葛城さんだっけ?」

美人で派手で、遊んでいると有名な上級生。
いつも連れている男が違うとか、繁華街で見かけたとか、下世話な噂に事欠かない人だ。
学年が違う上に、あまり噂に詳しくない私でも知ってるぐらいだから相当だろう。
そんな人に彼氏が呼び出されれば、やっぱりいい気分がするものではない。

「ああ、そんな名前だっけ」
「………知り合い?」
「うん。この前バイト先の近くで絡まれてたから救助した」
「………それで、お礼、とか?」

それなら、まあ許す。
こいつがバイトしてる場所って、結構危ないところだろうし。
助けたら感謝は、するよね。
ていうかこいつが救助ってどうやったんだろう。
喧嘩とかは絶対ないだろうし。
間違いなく負ける。

「さあ、放課後呼び出されたけど」
「………」
ますますもって嫌な予感。
黙りこむ私に、野口はにやりとチェシャ猫のように笑った。
その笑顔に、私は失敗したことに気付いた。

「気になる?」

楽しそうに私の目を覗き込む野口。
私は反射的に答えた。

「ならない!」
「そう」

野口はそれきりつっこむことなくそれだけ言った。
そうすると、気になってしまうのは、もうしょうがないだろう。
だから、私は悔しいが聞いてしまう。

「………行くの?」
「まあ、一応」
「………」

行くのかよ。
野口は黙りこんだ私に、またにやりと笑う。

「三田が力づくで止めてくれるなら行かないけど。ていうか三田には敵わないから物理的に行けないけど」

その人を馬鹿にした言い方は、慣れたものだがムカついてしかたない。
だから私はやっぱり素直になれない。

「勝手に行け!」
「ひどい」

そう言って、野口は笑った。



***




「ねえ、由紀、私帰りたい」
「ちょっとぐらい付き合ってよ。友達甲斐ないな!」
「………普通に止めればいいのに」

分かってる。
そんなことは分かっている。
でも、それが出来れば苦労はしない。
そんなことが出来るようだったら、私はもっと人生楽しく生きている。

「………由紀」
「し!」
「………」

不満そうな美香を押しとどめて、私は校舎の影から二人の人間を見つめる。
幸いなことに、静かな校舎裏は結構声が響いて話声は聞こえてきた。
葛城さんがメイクを直したのか更にキラキラした顔をしている。
ああ、やっぱり美人でスタイルがいい。
胸大きいなあ。

「あ、ごめんね、呼び出したりして」
「いえ、別にいいですけど。どうしたの?」

野口が愛想よく笑って、返事をする。
おい、何笑ってんだよ。
私には全然愛想よくないくせに、なんでよその女に笑ってるんだよ。
葛城さんが少しもじもじしたり、髪をいじったりしながら、ゆっくり話し始める。
そんな姿はとてもかわいくて、苛々してくる。

「あ、あのさ、まあ、大体予想ついてると思うけど、私、野口君のこと、す、好きなんだ」

まあ、このシチュエーションだったらそれしかないよな。
それしかないよ。
それしかないけどさ。

「そっか。ありがとう。気持ちはとても嬉しいです」

何嬉しいとか言ってんだよ、馬鹿。
あのアホ。
さっさと断れ。
美香がくいくいと私のワイシャツを引っ張るが気にしていられない。
野口は小さく首を傾げる。

「伝えるだけで満足かな。俺、彼女いるんだよね。知ってると思うけど」
「………う、うん。知ってる。三田さん、だよね」
「そう」

よしよし、偉い偉い。
ちゃんと断われよ。
ていうかあの女、彼女いること知ってコクったのかよ。
ふざけんな。
あああ、嫉妬醜いな、私。
でもムカつく。

「分かってるんだ。でもね、ただ、好きでいること、知っていてほしかったの。ごめんね、迷惑だと思うけど、好きでいても、いいかな」

葛城さんが哀しそうに笑いながらそんなことを言う姿は、思わず女の私でも抱きしめたい儚さと可愛さがあった。
あああああ、ムカつく。
絶対演技だろ。
分かってんだからな。
ていうか好きでいてもいいかな、じゃない。
彼女持ちの奴を好きでいるな。

「うん、まあ、好きでいるのは別に自由なんだけど」

野口は特にテンションを変えることなく淡々と答える。
お前はどっちなんだよ。
ていうかきっぱり断れ、この馬鹿。
あの変態眼鏡。

「………三田さんのこと、好き?やっぱり、私なんかじゃ、駄目だよね」

それって、私なんかに負ける訳ないって思ってるよな。
謙虚ぶって、絶対全く謙虚じゃないよな。
全て計算だろ、間違いない。
まあ、確かにどっからどう見ても私より葛城さんの方がハイスペックだけどさ。
私が男だったらあっちを選ぶけどさ。

「うーんと」

野口は首を傾げて少し考え込む。
何考えてんだよ。
いつものように厭味ったらしくふれ。
こっぴどくふれ。

「俺と付き合いたい?」
「そ、そんなこと、言ってるんじゃないんだけどさ」

言ってんだろ。
間違いなく言ってんだろ。

「考えてもいいんだけど」
「え」

何言ってんだ、あの馬鹿。
私は今にも飛び出して野口を殴りそうになる。
けれどそれ以上に、思った以上にショックで、涙が出そうになる。
何、私こんな展開で捨てられるの。
絶対絶対絶対、殴ってやる。
簡単に別れてなんて、やらないんだからな。

「ほ、本当?」

期待に顔を輝かせる葛城さんに、野口はにっこりと笑う。

「俺のために●●●●●●●できる?あ、それと●●●●とか。●●プレイとか、●●●●とか。もちろん●●●ぐらいは基本だよね。俺が好きならそれぐらいやってくれるよね」
「………」

固まる葛城さん。
それに構わず野口は優しく笑ったまま、言った。

「俺と付き合うなら、それぐらいしてくれる人じゃないと」

そこで、私は我慢できなくなった。

「ふざけんなああ!!!!」

校舎の影から飛び出して、野口に思いっきり貼り手をくらわせる。
とび蹴りじゃなかっただけありがたいと思え。

「痛っ。殴らないんじゃなかったのかよ」
「殴らないでいられるか!人を変態みたいに言うな!そんなことやったことはないだろうが!」
「三田ならきっとやってくれると信じてる」
「信じるな!」

あの言い方だと、まるで私が●●●●●●●だの●●●●やっているように聞こえる。
やったことなんて勿論ない。
ていうかそもそもねだられたこともない。
ねだられても絶対に拒否るが。

「ていうかお前そんな変態性癖あったのかよ!ノーマルだって言ってたじゃん!変態だけど!」
「恋をすると人って変わるものだね」
「そんな方向に変わらなくていい!」

そんな言い争いをする私たちの間に、恐る恐る高い声が割って入った。、

「………あ、ご、ごめん。私ちょっと。えっと、野口君、この前はありがとう。じゃ」

葛城さんは引き攣った笑顔のまま、くるりと後ろを振り向くと猛ダッシュで駆けて行った。
私は慌ててその背中に呼び掛ける。

「あ、待って!私やってない!やってないからね!」

ああ、誤解されていたらどうしよう。
ていうか噂をいいふらされたらどうしよう。
どうなってしまうんだ。
なんてことを考えていたら、後ろからいきなり抱き付かれる。

「うわあ!」
「来てくれると思ったんだよね。あー、嬉しい。そのベタベタな行動が本当にかわいい。どうしてそう基本を外さないかな」
「うるさい、放せ!」

まあ、気付かれてるとは思ってたよ。
思ってたけどさ。
抱き付く野口を引きはがそうとしていると、ゆっくりとこちらに歩いてきてた美香が、綺麗な笑顔で手をふる。

「よかった。めでたしめでたしだね。じゃ、私バーゲン行きたいから帰るね。二人とも仲良くね」
「うん、これから帰って仲良くします」
「わあ、ラブラブ。羨ましいな。じゃ」

そう言って美香もまた立ち去ろうとする。
誤解してないよね。
してないよね。

「待って、美香!」
「じゃあねー」

しかし美香もまた振り向くことなく、去って行ってしまった。
もう駄目だ。

「じゃ、仲良くしようね」
「お前のせいだ!」
「俺はセックスはノーマルだって。大丈夫」
「何も全く大丈夫じゃない!」

ああ、嫉妬って、なんて汚い感情。
ていうかもう二度とやきもちなんて妬いてやるか!