昨日から続く出来事に疲れ果てた義也は、なぜ桜が一緒に登校しているのかを考えることができなかった。
なぜ、同じ学校に向かっているのかを。
それに気付いたのは、ホームルームが始まり、教師がいつもと違う話をし始めた時だった。

「今日からこのクラスの生徒となる、吉田桜だ」

教壇の前に教師と一緒に立っている、髪を緩く二つに結った大人しそうな少女。
この学校の制服であるブレザーではなく、レトロな紺のセーラー服を着ている。
少し控えめに、はにかみながら教室を見渡していた。
それは今朝一緒に家を出た、義也の悪夢そのもの。

「なんで……あいつが、ここに…」

事態を認識しないまま、というか認識することを脳が拒否したまま、呆然とつぶやく。
悪夢の象徴がこちらを向く。
目があった。桜が義也に微笑みかける。
やばい、あいつが何を言うのか分からない。
やばい。
必死に目で『黙ってろ!』と訴えかける。
桜が小首をかしげた。緩く結った髪がさらりと揺れる。
理解していない。

『黙ってろ!』

声を出さないまま、口の動きで伝えようとする。
桜はまだ理解できないように、不思議そうにしている。
義也は焦って、もう一度繰り返した。
桜の表情が輝く。
どうやら理解したらしい。
ひとまずほっと胸を撫で下ろす。

「分かりました!黙ってろ、ですね、義也さん。はい、義也さんのお家のお世話になっていることは黙ってます」
「ちっとも分かってねー!!」

思わず椅子から立ち上がって机を叩く。
教室内が静まり返った。
いつも不機嫌そうに黙りこくっている義也のリアクションもさることながら、桜が口にした内容も問題だったようだ。
しばらくの沈黙の後、ざわざわと教室がざわめきだす。
仕方なく担任の理科教師が面倒くさそうに手を叩く。

「はいはい、静かに。吉田はご両親の仕事の都合上、水無瀬の家に世話になっているそうだ」

更にざわめきが増す。
桜は相変わらずにこにこと控えめに微笑み、義也は自分の浅はかさに机に突っ伏している。

「あーもう、うるさい。授業が始まるから次進めるぞ」

桜の自己紹介も何もかも省かれ、朝のHRはそのまま進行された。
桜の席は一番後ろの席だった義也の隣となった。
セーラー服の少女は申し訳なさそうに眉を下げながら、小さな声で謝る。

「ごめんなさい。…私ったらドジで」
「お前のドジには悪意がある」

横に座った桜の脇腹に一回蹴りを入れ、義也はこれからの生活に頭を抱えた。


***



義也は、一限の後の休み時間に校舎裏に桜を呼び出して、色々と言い含めた。

1、俺に近づくな
2、俺に話しかけるな
3、家のことは一切誰にも言うな

等々。
桜は首を傾げて不思議そうにしていたが、頷いて了承した。

「ていうかなんでいきなりこの学校に来てるんだよ」
「水無瀬のおじ様が、前の学校だと通うの大変だろうって手配して下さったんです。私としても前の学校に借金取りとか色々来てていづらかったので、お言葉に甘えさせて頂きました」

相変わらず微笑みながら、言うことはディープだ。
親父絶対シメる……。
義也は心に固く誓った。

「……まあ、やってしまったことを今ガタガタ言ってもしょうがない。とにかく絶対に余計なことはするな」
「はい」

真面目な顔で、しっかりと頷く桜。
義也はそれでも浮かび上がる不安を押し殺し、とりあえずそれで納得することにした。


***



義也の心配を他所に、桜にも義也にも話しかける人間は少なかった
いつもよりも数段不機嫌を増し、目つきが険しくなった義也に近づける人間がいなかったせいかもしれない。
その隣に座っている桜も、その余波で誰も近づくことができない。
桜は言いつけ通り義也に話しかけることはない。

義也に話しかけてきたのはたった2人。
いつも義也に親しげに話しかけてくるクラスメート。
綺麗な艶のある、しかし少々脱色しすぎな感のある明るい色の髪を綺麗に巻いた、誰が見ても美人だと言うであろう少女。
ラメの入ったシャドウと、何層にも重ねたアイラインとつけまつげで目が強調されている。
あまり義也には興味はないが。

「ねえ、なんなのあの女」

指を指して、桜にも聞こえるだろう声で問う。
桜は気にする様子もなくなにやら教科書と格闘していた。
義也は面倒くさそうに一つ息をつく。

「お前には関係ねえよ」
「えー、また義也冷たいんだから。ま、いいけどあんな地味女。ね、今日バイト?」
「ああ」
「終わったら付き合わない?いいクラブ見つけたんだけど」
「興味ない」
「もう!たまには付き合ってよ!」
「うるせーな。ウザイ」

取り付く島もなく切り捨てる義也に、さすがに鼻白む。
けれど一瞬にしてまた笑顔になると、義也の腕に軽く触れた。

「ま、しょうがないな。また後でね」

軽く笑って、そう言い残して女友達のところへ去っていった。
義也が不機嫌そうに鼻を鳴らすと、今度は桜とは逆隣から声が駆けられた。

「うわー、笹岡の誘い断るとは勿体ねえー!!」

桜とは逆隣の席に座っている、傷んだ金髪をした少年。
義也の数少ない友達と言えるかもしれない藤だった。

「だったらお前が行けよ」
「俺ダメよ。俺誘ってくれないもん。行けるもんならいきたーい!」

手を口元にあてて、かわいらしく駄々をこねてみせる藤。
気色悪いことこの上ない。

「ウザイ」
「なんか今日は本当に機嫌悪いね。なにお隣の娘のせい?」

後半部分は声を潜めて、義也だけに聞こえるように身を寄せる。

「……」

義也はむっつりと黙り込んだまま沈黙を押し通す。

「結構かわいい子じゃん。地味で印象薄いけど。ああいうのが好みだったの?」
「違う!」

そこは即座に否定した。
好みとか好みじゃないとかそういう次元の話ではない。
しかし藤は全く聞いていない。

「いいな〜同棲生活。朝起きたらお味噌汁が出来ててほっぺにちゅでお、き、て。かー!男の夢だね!」
「だったら本気で変わってくれ……」

義也の心からの言葉は、興奮した藤には届かなかった。



***




きーんこーんかーんこーん。
芸のない鐘の音がスピーカーから鳴り響く。
午前中の授業が終わった。
義也が恐れていた桜の行動も大人しく、クラスメートからの視線以外は平和に過ごせた。
ほっと大きく安堵の息をつき、肩の力を抜く。。

「義也ー。飯買いにいこー!」
「ああ」

いつも購買のパンか学食で済ませる義也に、藤から誘いの言葉がかかる。
一つ頷いて立ち上がろうとしたところで、藤とは反対の方の隣からそっと布で包まれた四角いものが渡される。
今の時間とその渡されたものの形状から推測するに、どう考えても。

「うわお!愛妻弁当!!」

隣でそれを見ていた藤が大きく声を上げた。
クラス中の目が義也たちに集中する。

「……なんだこれ」
「お弁当です。作ってきたので、食べていただけませんか?」

朝話したきり、本当に黙りこくっていた桜がようやく口を開く。
相変わらず頼りなげな、不安そうな目をしている。
義也はそれでも冷たい目で不快げにそれを見る。
押し付けられるのは好きではない。

「余計な真似すんな。いらねー」
「うわ、ひど!」

藤が隣で小さな声を漏らした。
それをにらみつけて黙らせる。
クラスメートはこんな義也の態度には慣れていたので、同情の目で桜を見ていた。
桜は少し眉を下げると、もう一度お弁当を差し出す。

「でも……」
「うるさい」

義也はすげなく、それを押しのける。
桜の力と義也の力のバランスが崩れ、はずみでお弁当が机から転げ、床に落ちた。
気まずい空気が流れる教室。
さすがにちょっとやりすぎたかと思ったが、調子に乗られても困るので何も言わない。
桜は落ちた弁当をしばらく見つめていた。
しかししばらくして、ぽつりと小さつぶやく。

「そうですね…。余計なことでした…。ごめんなさい」

義也の顔を見ないまま、床にしゃがみこみ、お弁当を拾う。
その小さな背中は健気で、痛々しい。

「家の冷蔵庫に杏仁豆腐が箱買いしてあったり、トルコアイスがぎっしり詰まっていたので、栄養価がちょっと心配だったんです」
「て、おい!」
「ふたりはプ○キュアの食玩を大人買いしてあったり、カレーはカレーの王○さまとお姫○まだったりする義也さんにも口に合うような甘めの味付けにしたんですけど!」
「ちょっと待てー!!!!ていうかあのお菓子の山は親父がだなあ!!」

いきなり水無瀬家の真の意味での台所事情をを暴露し始めた桜を、必死に止める義也。

「いいんです!隠さなくても!朝のパンケーキにメープルシロップとはちみつを大量にかけつつ更に紅茶に砂糖を三杯は入れていた甘党だなんて誰にも言わ……」
「ふざけんなー!!!」

義也はものすごいスピードでしゃがみこんだ桜の背中をけりつけて騙させ、強引に腕を引っ張り教室から出ていった。
後に残されたのは、昼の同行者をなくした藤。
そしてざわめきが更に増したクラスメート達だった。



***



朝も訪れた校舎裏。
ちょうど建物と林のせいで暗くなっているせいか、生徒はあまり近づくことはない。
義也は疲れたときなどはよくここで休んでいた。

「だから余計なことは言うなと!!」
「ごめんなさい……つい私ったら」
「お前のそれはドジじゃない!!」

桜のお決まりの言葉を遮るように突っ込む義也。
目の前の少女はにっこりと笑うとまだ手に持っていたお弁当を差し出す。

「食べて頂けませんか?」
「…いらねーよ」
「お弁当の方が経済的でしょう?それにこれ、無駄になってしまいます」

ちょっと眉を下げて訴える。
無駄、と言う言葉は義也も好きではなかった。
長年主婦業を努めてきた身としては、食べ物を粗末にする行為は許せなかった。
大きくため息をつくと、不機嫌な表情なままお弁当をひったくるように受け取る。
桜は嬉しそうに笑った。



***




どこに持っていたのか桜は自分の弁当も広げ、ついそのままの流れで二人並んでお弁当を食べる。
桜の作った弁当は、彩り豊かでおいしそうだった。
パプリカとピーマンが入ったスパニッシュオムレツ。
イタリアンドレッシングを絡めたらしいグリーンサラダ。
小さな一口から揚げと飾り付けのプチトマト。
ご飯は卵と鶏肉の2色そぼろご飯だった。
空腹だった義也は無意識に喉を鳴らす。
ちらりと隣を見ると、桜は自分の分のお弁当をおいしそうに食べていた。
義也は悔しさを感じながら、箸を手に取り、そぼろご飯を口に入れる。

「………」

おいしかった。
先ほどいっていたとおり、少し甘めの味付けは義也の口に合う。
ふわふわとしたそぼろはご飯との相性もよく、思わずもう一口箸で取る。

「お口に合うでしょうか?」

言葉に振り向くと、隣で不安げにこちらを見ている桜。
相変わらず、その仕草は女性らしかった。

「…食べれないこともない」

そんな素直ではない言葉にも桜は嬉しそうににっこり笑う。

「よかったです」

そうしてまた自分の弁当に視線を戻す。
義也は悔しさを感じながらも、先ほどよりはイライラが収まっているのを感じた。
空腹は満たされると落ち着いてくる。
そうして今度はスパニッシュオムレツを口にする。

「ぶは!!!!」

思わず噴出す義也。

「な、なんなんだよ、これ!」
「スパニッシュオムレツです」
「それは分かってるんだよ!この中身はなんなんだよ!パプリカじゃねーのかよ!」

桜はそれを聞いて、頬に手をあてて恥らうように視線をそらす。

「いえ、パプリカとピーマンが冷蔵庫になかったもので。代用になるようなものはないかな、と探していたらちょうどゼリーの素があったから」
「代用になってねえ!!」
「義也さん甘党だし」
「甘い辛いの問題じゃねえ!」

しいていうなら驚き。
もちろんまずいのだが、それ以上に予想したものと違うものが入ってきた違和感が先に立つ。

「てかお前の分の弁当にははいってねーじゃねーか!」
「だってまずそうじゃないですか」
「ふざけんなー!!!!」

加減なしに、一発頭を殴りつけた。






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