「久しぶりだね、良」

カウンターの向こう側に立っていた人がゆったりとした声で話しかけてくる。
薄暗い店内で見えにくいけど、黒いバーテン服を着たほっそりとした男性だ。
少し長めの髪と目の下の泣きぼくろがなんだか色っぽい人だ。
声も男性にしては少し高めでなんだか優しそう。

「久しぶり、覚えててくれたんだ」
「あんなインパクト強いことされて、忘れるのは難しいかな」

ひっそりと笑うバーテンさんと野口は割と打ち解けた空気。
元カレって、こっちの人じゃないよね。
そのままの野口はするりと先にいた男性の隣に座ってしまう。
私はどうしたらいいか分からず、そのまま突っ立っている。
どうしよう、本当に場違いだ。
いますぐ逃げ出したい。
こんななんか大人っぽい空気のところ、私には合わない。
いたたまれない。

「何飲む?」
「プッシーキャット」
「どうしたの?そんなかわいいこと言って」
「昔からかわいいだろ?まあ、未成年だし」

野口の言葉に、バーテンさんは苦笑する。
なんか今のは飲み物の、名前なのか。

「いい心がけだね。Barに来て言うことじゃないけど」
「大目に見てよ。今日はいい子でいなきゃいけないしね」
「そうだね、可愛い子連れてるし。そちらのお嬢さんは何を飲む?」
「え、え、え、えっと」

急に話を振られて、私は変な声を出してしまう。
ああ、何テンパってるんだよ。
本当に恥ずかしい。
顔が熱くなってくる。
よりによって、野口の元カレ?みたいな人の前で。
どこから見ても自信に満ちたかっこいい大人の男が私を面白そうに見ている。
恥ずかしい。
だからもっと可愛い格好したかったのに。
野口の馬鹿。
アホ。
人でなし。
元カレと対決するんだったら、せめてもっと武装したかった。
まあ、しても敵いそうにないけどさ。
ていうか男で大人とか土俵が違いすぎる。
戦い方が分からないし、なんでこんなのと戦わなきゃいけないんだよ。
せめて同年代の女の子にしてよ。

「よかったら、好きに作ってもいいかな?」

混乱して変なことを考え込んでいると、バーテンさんは優しく笑って聞いてきてくれる。
その申し出は願ったりかなったりだ。
だってこういうところで何頼んだらいいのかさっぱり分からない。
カシスオレンジとか、そういうのでいいのかな。
でもかっこつけて失敗するのはもっと恥ずかしいから大人しく頭を下げる。

「………お、お願いします」
「炭酸平気?」
「平気です」
「そう、じゃあかけて」
「は、はい」

手で促され、私は慌てて男の人とは反対に野口の隣に座りこむ。
店はまだそんなに遅くもないせいか私たちの他に客はいない。
モノトーンが基調の落ち着いた店。
いいお店、なのかな。
分からないけど。

「噂は聞いてたけどいつ帰ってきてたの?」
「一月前ぐらいかな」
「元気だった?」
「どう見える?」

気がつけば、野口と隣の男の人が話し始めている。
ていうか連れて来て放置かよ。
彼女放置で元カレと会話かよ。
最低。
最低最低。

「老けたね」
「先の見えないガキってのは言うことがきついな」
「ごめんね、未来と希望に溢れてるから」

くっくと楽しそうに男の人が笑う。
それから野口ごしに私の顔を覗き込んでくる。
なんとなく体をちょっと引いてしまう。
じっくりと見ると、やっぱりかっこいい。
背が高くて彫が深くて自信に満ちてて、大人の男って感じだ。

「そういえば、年相応にかわいい女子高生なんて連れて、何してるんだ?」
「言い方もおっさんくさくなったね」
「二年前ですでにおっさんだったさ、俺は。若さに付き合い切れないぐらいね」

その言葉に今度は野口が肩をすくめて笑う。
私には分からない会話。
私の知らない野口。
ていうかなんで私はこんな大人の男性に嫉妬なんてしなきゃいけないんだ。
意味が分からない。
いや、違う、これは嫉妬じゃない。
えっと、そう、連れてこられたのに放置されてるのに腹立ってるだけ。

「本当に、男だろうが女だろうが年上好きの面食いのお前が、いつ宗旨替えしたんだ?」
「何それ、自慢?」
「間違ってないだろ?」

年上好きの面食い。
私は当てはまらない。
つまりそれって、私がかわいくないってことだよね。
うっせえじじい。
私だってもっとかわいい格好して、ちゃんと化粧したらそれなりにそれなりなんだから。
それなりかな。
そこそこ。
普通、だとは思う。
普通レベルでは、あるよね。

でもやっぱり、こんな大人の男性に、太刀打ちなんて出来ない。
いや、だから敵視する対象としてこの人はおかしい。
ああ、もう、なんで私ここにいるんだろう。

「ミツルさん」
「はいはい」
「はい、あの二人の言うことは気にしちゃ駄目だよ」

そこでバーテンさんが低い声で窘めるように割って入ってくれる
バーテンさん、とてもいい人だ。
あの人は、ミツルさんって言うのか。

とん、と軽い音を立てて私と野口の前にグラスが置かれる。
野口のはオレンジジュースぽくて、スライスしたフルーツが飾られててかわいい。
私のは薄い透明な緑色。
端に飾られてるのは、これは、ライム、かな。
小さくお礼を言って、ストローに口をつける。
爽やかな柑橘系の味と、淡い炭酸が口ではじける。
すっと喉から胃が涼しくなっていく感じがした。

「あ、おいしい」
「よかった。ちょっとシロップ大目にしちゃったから、甘すぎたら言ってね」
「いえ、おいしいです。ありがとうございます」

喉が渇いてたから思わずごくごくと飲んでしまう。
それを見て、野口の横の感じの悪いおっさんが口の端を持ち上げる。
外見とか雰囲気は違うのに、その笑い方は眼鏡の男そっくりで腹が立つ。
悪かったな。
どうせ子供っぽいよ。
下品だよ。
くそ。

「年上には飽きたのか?」
「高校生が高校生と付き合って、何が悪いの?」
「悪くないけど、意外なだけさ。手痛い失恋にくじけちゃったのか?」
「そうだね、性質の悪いのにひっかかったから」

本当にこの二人、さっき聞いたみたいなひどい別れ方したのかな。
なんか全然そういう感じ、しないんだけど。
こんな風に冗談に出来るぐらい、吹っ切れてるのかな。

「別に年上とか年下とか気にしてないけど。恋するのに、ルールも理由もないだろ?」
「そりゃそうだ」

ああ、なんか本当に居心地悪い。
別れた男と話したいなら勝手にやれよ。
なんで私連れてくるんだよ。

「ふーん。で、今の相手はこれか」
「………」

ストローをがじがじと噛んでいると、品定めするようにじろじろと見られる。
悪かったな、どうせ私なんてかわいくないし、性格も悪いし、太腿太いし、二の腕もたくましいし。
背も高い方だし、声も低いし、ガサツだし。
あ、へこんできた。
なんか、泣いてしまいそうだ。
絶対この男の前でなんかなかないけど。
つーか野口、お前はかばえ。
守れ。
仮にも私はお前の彼女だろう。

「あんまりいじめないでくれる?」

そこで野口が間に入って、私の肩を軽く抱く。
急に触れられて、心臓が跳ね上がる。

「お、彼氏っぽいな」
「三田をいじめていいのは俺だけだから」

かばってくれたのかと思ったらこれかよ。
野口は私を振り返り、いつものように冷たく笑う。

「ね、三田?」
「………………」

どう返事をしろと。
逃げたい。
もうここから逃げ出したい。
なんで私ここにいるんだろう。

「かわいいんだ、きゃんきゃん吠えて、子犬みたい」
「へえ、ぜひ俺もじゃれて噛みついてもらいたいな」
「だーめ」

男の人の節くれだった堅い手が、私の頬に触れる。
野口が私の肩を抱く手に力を込める。
汗臭いからあんまり近づかないでほしい。
緊張して、また手の平に汗を掻いてくる。
近づくな。
あっちいけ。

「………」
「固まっちゃってるな」

面白そうに、ミツルさんが私の頬をつんつんとつつく。
気易く触るな、と言いたいけど、もう言葉が出てこない。

「二人とも、あんまり遊ばない」
「はーい」
「はーい」

そこで助けてくれたのはやっぱりバーテンさんだった。
ようやく二人から解放されて、私はほっと息をついて、もう一回ストローに口をつける。
冷たく爽やかな飲み物は、気分を少し軽くしてくる。

「大丈夫?」
「………は、はあ」

バーテンさんは困ったように笑う。
やっぱり目の下のほくろがなんか色っぽいなって思う。

「なんで良なんかに捕まっちゃったの?」

そんなの、私が聞きたい。





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