付き合い始めて1週間。

今日は部活が午前中までだったから、午後は映画を見に行った。
野口の趣味の、意味の分からない単館ロードショー。
相変わらず起承転結とかなくて、やんわりと雰囲気だけで、意味が分からない。
まあ、野口のおごりだからいいんだけどさ。
付き合う私も私だ。
どんだけ暇なんだよ。
本当に意味の分からない映画だった。

でも、見終わって、野口は満足そうに伸びをした。
今日は二本立てだから、このままもう一つ続行だ。
野口はとても、楽しそうだ。
野口にとっては、さっきの映画は、面白いのか。
映像が綺麗だとは思ったけど、なんだかもやもやして、すっきりしない映画。
私は、好きじゃない。
けれど。

「さっきの映画さ」
「うん?」

野口が眼鏡を直しながら、私に視線を向ける。
いつものように意味分からなかった、と言おうとしたのに、その切れ長の目を見た途端、私は全く違うことを言っていた。

「面白かった、ね」

何言ってんだろ、私。
でも、つまらないなんて言ったら、分からない奴なんて、思われるだろうか。
趣味が合わない、一緒にいるのは疲れる、なんて思われるだろうか。
野口はじっと私の顔を見て、そして無表情のまま小さく首を傾げる。

「どの辺が?」
「え、えっと」

何が楽しいって言えばいいんだろう。
あの結局主人公が何をしたかったのか分からない、ぐだぐだな終わり方?
起承転結とか考えてもないような、ブツ切れのストーリー?
分からない。
なんて言ったら、正解なんだろう。

「い、色が、綺麗だった」
「うん、綺麗だったね」

結局それしか言えなかった。
野口は無表情のまま、小さく頷く。

「………」
「………」

沈黙が気まずい。
はずれだったのかな。
なんか、先生との面談みたい。
なんて言ったら、気に入られる答えが出来るんだろう。
どれが正解なんだろう。
視線が落ちて、膝の上で握った自分の手をじっと見る。
なんか緊張して、変な汗かいてきた。

「無理しなくてもいいよ」
「………」

野口がどんな顔をしているか、分からない。
ああ、余計なことして、余計に馬鹿だって思われただろうか。
恥ずかしくて、顔が熱くなってくる。
なんて、馬鹿。
分からないのに知ったかして。

だいたいこんな小難しい映画見て偉そうにしてるこいつが悪いんだ。
絶対何も分かってないだろう。
かっこいいから見てるだけだろう。
このかっこつけ野郎。

「分かりやすいなあ。彼氏色に染まるよね、あんた」
「………」

どこか小馬鹿にしたような言葉に、余計に顔に血が上る。
恥ずかしい恥ずかしい。
逃げ出したくなるほど、恥ずかしい。
野口なんかに、合わせようとしている私。
それを見破られている、私。

「藤原の時だってそうだったし。ほんと、雪下なんかよりよっぽど女らしいよね。男に合わせて自分を染める」
「うるさい、悪いか!」

美香は自分を曲げない。
自分を持っていてしっかりしていて、、その上でかわいくて柔らかい。
いつもは気の強そうなことを言っているのに、芯がぐらぐらの私とは大違い。
本当にこいつは人に嫌なところばかり抉ってくる。

「別に悪いとは言ってないよ」
「………どうせ、自分がないよ」

自分に自信がないから、人に合わせようとする。
人の顔色を窺いながら、嫌われないように必死。
なんてみみっちいんだろう。
野口の顔が見えない。
顔を上げられない。

「カメレオンてさ」

すると隣の男が、いきなり訳のわからないことを言い出した。
脈絡なさすぎて、思わず顔を上げてしまう。

「は?」
「色は変わるけど、カメレオンな訳でしょ?」
「へ?」
「でも、誰もカメレオンが色を変えるの、悪いなんて言わないし」

何が言いたいんだこいつ。
ちらりと隣を見ると、野口は小さく笑っていた。
いつもの、冷たいにやにや笑い。

「だからいいんじゃない?」
「………何が?」
「男に合わせて、自分を変えるのも、個性だと思うよ?自分がない、じゃなくて、それが三田だろ?」

そしてにやにや笑いながら、顔を近づけてくる。

「ね、三田?」
「うひゃあ!」

耳に息が触れるぐらい近くで、野口が囁く。
その気持ちの悪い感触に、背筋にぞわぞわと鳥肌が立つ。

「三田は、俺に興味を失われたくないって思ったんだ?」
「………」

ああ、恥ずかしい。
なんで野口になんて、媚を売ってるんだ。
自分を曲げてまで、おもねろうとしてるんだ。
こんな奴、嫌いだったのに。
大嫌いだったのに。

「嬉しい」

でもそんな風に微笑まれると、何も言えなくなってしまう。
ああ、嫌だ。
なんで、付き合うって、こんなに苦しんだろう。
馬鹿ばっかりやって、後悔ばっかり。
恥ずかしい。
自分が恥ずかしくなる。

「………馬鹿だって、思ってるんでしょ」
「なんで?」
「………やっぱ、なんか、自分がないよ。自分に自信がないから、人に合わせようとする。あんたみたいに自信満々だったら、人が何考えてるか、なんて、気にならないのに」

そういう人の方が、やっぱ人には好かれるし、私もそうなりたい。
人の顔色ばっか窺ってるような人間て、つまらない奴だと思う。
美香や野口みたいに、自分に自信があって、一人で立っていられる人間に、なりたい。

「俺は自分に自信なんてないよ」
「え?」

野口が体を直して、椅子に背を預ける。
古い映画館の椅子は座席が堅くて体が痛くなってくる。

「俺も好きな奴色に、自分を染める奴だから」
「………どの辺が?」

この自分の好きなように生きてる男の、どこが人に合わせているんだ。
藤原君に影響なんて受けてたか?
それならもっと性格よくなってるだろう。
野口は私の言葉に目だけでこちらを見てちらりと笑う。

「今の俺は、初恋の奴に染まった結果なの。その前の俺は、どうだったかな。特に、中身がなかったかな。そいつに教わったの、映画も音楽もバイトもセックスも」

だからどうしてこいつはこういうことをさらりと言うんだろう。
こっちが照れて恥ずかしくなってくる。

でも、こいつのこの性格は、人の影響を受けたもの、なのか。
どんなぶっ飛んだ性格の人だったんだよ、とか。
それは男なのか女なのか、とか。
気になる前に、なぜか胸がムカムカした。

「確かに、馬鹿だよな。三田の行動も馬鹿かもね。でも俺はそういう奴、好きだよ。時折たまらなく、自分を見ているようで嫌になる時もあるけどね」

そう言えば、前も言われたっけ。
私を見ていて、自分を見ているような気分になるって。
藤原君のことで、ぐちゃぐちゃの私を見て、そう言っていたっけ。

「………」
「どうしたの?」
「いや、なんか珍しく真面目に答えてるなあって」
「俺はいつでも真面目だろ?」
「それはつっこみどころ?」

野口はくっと喉の奥で笑う。
そして座席に行儀悪く靴を脱いだ片足をのせ、膝に顎を預ける。

「人に影響を受けない人間なんて、そんないないだろ。確かに俺はあいつの影響受けたけど、今は完全にこれが俺の性格だし。俺が好きなものに、三田が興味を持ってくれるなら、嬉しい。好きな人間の好きなものを知りたい。普通だね。一緒に好きなものを共有して、変わっていくのは悪くなくない?」

確かに、友達と一緒にいて、その口癖が移ったりする。
美香の影響で、好きになった漫画とか音楽とか、ある。
そういう、ことなのかな。
野口の好きなものを知りたい、一緒に分かち合いたい。
それは、普通なのかな。

「でも無理はしなくてもいいよ。趣味が合わなくても、俺は三田を嫌わない」

切れ長の目が、こちらを見ている。
なんだか手のひらまで、じんわりと汗を掻く。

「そもそも、俺にきゃんきゃん吠えてる三田が好きで、告白したんだから」
「きゃんきゃんとか言うな!」
「わんわんがいい?」
「ふざけんな!」

そんなに怒ってなかったけど、なんだか胸の中のもやもやとしたものを消化したくて、野口の頭を思い切りたたいた。
野口は眼鏡を抑えてひどいって呻いている。
そしてまたにやりと笑う。

「俺も三田にきっと影響を受けてる。藤原に言われた。よく笑ってるって」
「………」
「そういうのって、よくない?」

言葉が出てこない。
胸に大きな石が詰まっているみたいだ。
なんて答えようか考えて考えて、結局簡単なものしか出てこなかった。

「………う、うん」

小さく前を向いたまま頷く。
すると、また野口は脈絡のないことを言い出した。

「ね、三田、キスしていい?」
「はあ!?」
「するね」
「うわ!」

止める間もなく、野口の冷たい唇の感触が頬に触れる。
それはすぐに離れて行ったのに、熱いお風呂に入ったみたいに、全身が熱くなっていく。

「色気ないね」
「突然するな!」

頬を抑えながら抗議するが、野口は全く堪えない。

「許可をとったよ?」
「承諾するまで待て!」

次は気をつけると言って、野口は楽しそうに笑った。
その顔を見てほっとすると同時に、今度の不安が首をもたげてくる。

私のこういうところが、野口は好きなのだろうか。
じゃあ、変に野口に合わせない方がいいのだろうか。
ずっと噛みついていた方が、いいのだろうか。
そうした方が飽きられないだろうか。
つまらない奴って思われないだろうか。
こういう、気の強い反応が、楽しいのだろうか。

分からない分からない分からない。
難しい。

やっぱり、付き合ったりなんかしなければよかった。
そうしたらもっと楽だったのに。
野口と馬鹿やって、笑ってられたのに。
あの時の方が、ずっと楽しかった気がする。

変に意識して、心から笑えない。
変に考えて、行動してしまう。

毎日が不安で、仕方ない。
野口が怖くて仕方ない。

恋をするって、苦しくて、難しい。





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