「欲しいものはある?」 そう聞かれて僕はためらいもなくこう答える。 「ないよ」 欲しいものはすべて買ってもらえた。 そもそもあんまり物を欲しいとも思ったことないけれど。 お金は持て余すほど与えられているし。 最高級な服に、最高級の食事。 広い家に優秀な家庭教師。 威厳があり頼もしい父に、優しく上品な母。 そして頭がよくて運動神経がよくて性格もよく、おまけに顔もいい僕。 これ以上、何が欲しいといわれても正直思い浮かばない。 だから僕はこう答える。 「ないよ」 だって。 「だって僕はすべてを持っているから」 「お前、いつもへらへらしてムカつくんだよ!」 いっつも思うけれど、なんでこの子達はこんなにカリカリしてるんだろう。 怒っていたって特に楽しいこともないだろうし、無駄なエネルギー消費だと思うんだけれど。 「そう、ごめんね。でもやっぱり笑顔って大事でしょ?」 笑顔って人間関係を円滑にするとても大切なものだと思うんだどな。 僕ってどうしてこういう人たちに絡まれやすいのかなあ。 やっぱり顔がよくて頭がいいのがいけないのかなあ、金持ちだし。 「その態度がムカつくんだよ!ちょっと金持ってるからっていい気になりやがって」 「ちょっとじゃないよ?かなりいっぱいかな、うちの財産」 「っ!!!!!」 殴られた。 うーん、なんですぐ手が出るのかなあ。 カルシウム足りてないのかな。 僕がお金が持ってるってことにムカついてるってことは、お金が欲しいのかな。 「痛いからやめてよ。どうしたの?お金欲しいの?」 「ふざけやがって!」 「ふざけてないよ。お金欲しいから、僕に絡むんじゃないの?」 僕の純粋な疑問に、更にテンションがますます上がってしまう。 分からないなあ。 何が気に入らないんだろう。 再度殴られそうになるけど、今度は避けさせてもらった。 「お前らいい加減にしろよ!」 そのとき、僕と僕に何かを訴えていた彼らの間に入った、見慣れた背中。 僕はその背を見て、いつもの通りゾクゾクと快感が走り抜ける。 やっぱり助けに来てくれた。 いつだって信じている。 僕が困っていたら、いつだって助けてくれる、僕の、僕だけのヒーロー。 「彰!お前こいつにムカつかないのかよ!」 「そんなのムカついてるに決まってるだろ!こいつほどムカつく奴はそういないぞ!」 「だったらなんで庇うんだよ!」 「だからって大勢で囲んで金巻き上げるようなの、最低だろ!」 他の人間が言うと、とてもうそ臭い言葉なのに、彰が言うととてもかっこよく聞こえる。 ああ、彰って本当にかっこいいな。 無意味で無利益なことに、なんでこんなに熱くなれるんだろう。 不器用で、不合理的で、無駄ばっかり。 熱血漢で、正義感に満ちていて、純粋で、とても愚か。 かっこいいな、彰。 やっぱり好きだな。 僕には理解できない人。 けれど、そのすべてを理解したいと思う人。 そして僕に絡んでいた人たちをすばやく追い払うと、殴られて赤くなった頬を抑えて不機嫌そうに鼻を鳴らす。 その頬が痛々しくて、そっと触れるが力強く払いのけられた。 「ごめんね、彰。ありがとう、愛してるよ」 「てめーもてめーだ!いつも言ってるだろ!少しはやり返したり逃げたりしやがれ!」 彰は僕を助けてくれたその拳で、今度は僕を殴りつけた。 そう来るのは分かっていたから、僕は軽く後ろに体重を乗せて痛みを逸らす。 そして僕の顔を殴りつけたその拳を握り締める。 「ああ、もっと殴ってくれ!彰の拳は僕にとっては最高の幸福だよ!」 「やかましいこの変態!お前はいっぺん死んでこい!」 だって本当に嬉しいんだよ。 君が怒っているのは、赤の他人の僕のことでだ。 僕のふがいなさを怒っている。 それは一種の心配だよね。 赤の他人にそこまで熱くなれる彰。 僕のことで怒る彰。 それが幸福でなくて、なんだというんだろう。 「ったく、お前は本当に俺がいないとどーしよーもねーな!」 「うん、僕、彰がいないと駄目なんだ」 変わらないね、彰。 幼い頃、家の教育方針で入れられた公立の小学校。 今までの環境と違いすぎて戸惑う僕を、怒って邪険にしながら守ってくれたのは彰。 僕の家にも萎縮しない、僕を嫌煙しない、好きな女の子が僕を好きだといっても、僕を守ることはやめない。 態度を変えない。 自然に怒って、自然に笑って、自然に守ってくれる。 お人よしな彰。 あの頃から、彰は僕にとってヒーロー。 誰よりもかっこよくて、誰よりも愛しい彰。 「あのヘタレがどこがいいのか、私にはさっぱり分からないのよねえ」 「すべてだってば、すべて!」 みずほが僕のお弁当を勝手に食べながら、心底といったように首をひねる。 これも小学校の頃から変わらない習慣。 昔貧乏だったみずほは、平気な顔で僕のお弁当を奪っていった。 あんたは栄養が足りてるんだからいいでしょ、といいながら。 みずほのこんなたくましさは、とても好ましい。 僕にはない、生命力と強さを感じる。 でもやっぱり一番好きなのは彰。 「あの猪突猛進で考えなしで、お人よしで損ばっかりしてるところさ!」 「褒めてるの?けなしてるの?」 「勿論褒めてるに決まってるだろう!」 あんなに純粋で愚かな人間は見たことがない。 どんな環境で育つと、あんなに馬鹿みたいにまっすぐになれるんだろう。 「でも全く相手にされてないじゃない」 「照れてるんだよ」 彰ってみずほの次に僕が好きだよね、絶対。 そう言い切ると、みずほは肩をすくめて深いため息をついた。 「私にしておけばいいのに」 「みずほのことはとても好きだけど、ドキドキするのはやっぱり彰なんだよねえ」 そう、僕をこんなに熱くして、ドキドキさせてくれるのは彰しかないない。 彰を見ているだけで、楽しくてわくわくする。 僕の心からの告白を何度も聞いているみずほは、もう一度諦めたようにため息をつく。 「…まあ、いいわ。私が好きなら種付けしてよ」 「彰の後だったら別にいいよ。僕一人っ子だから子供必要だし」 「結婚は?」 「彰と結婚できないしなあ。海外行こうかな。でも家継がないと駄目だしなあ」 「財産のないあんたって、魅力の70%はなくなるわね」 「顔も頭もいいから、50%ぐらいだと思うんだけどな」 それともみずほと結婚して、家はみずほと子供に任せたほうがいいんだろうか。 でも彰を愛人なんて立場にしたくないしなあ。 何するにもお金は必要だから、家は継いでおいたほうがいいし。 高校生らしく真剣に将来についてみずほと語り合っていると、朝から姿を見せなかった彰が教室にふらふらと入ってきた。 制服は砂で汚れ、顔は腫れ、口を切ったらしく血を舐めて顔をしかめている。 「っつー」 「彰!?どうしたんだい、それ!」 僕は慌てて彰に駆け寄ると、そのひどいことになっている顔に手を伸ばす。 彰はうっとおしそうに顔を振って、僕の手から逃れた。 「あら彰、おはよう。遅かったわね」 僕のことなんて気にもせず、みずほの焦ることないいつも通りの態度に悲しそうに眉を寄せる。 かっこいい彰は、なぜかみずほの前でだけはまるで子犬のようになってしまう。 「みずほ…お願いだから少しは心配とかして…」 「ああ、ごめん。痛そうね」 「うう…」 そんな言葉を期待しても無駄だと僕以上に分かっているのに、それでもいつもショックを受ける。 みずほが好きなのは分かるけど、恋人にするなら僕のほうがいいと思うんだけどな。 ていうかなんで彰はみずほに恋したんだろう。 絶対彰の好みのタイプじゃないと思うんだけれど。 「彰!早く手当てしないと!」 「やかましい!これくらい舐めてりゃ治る」 「じゃあ僕が心をこめて舐めるよ!」 「余計悪化するわ、このボケが!!」 足蹴にされて嬉しいけれど、それでも彰の傷が心配でしょうがない。 彰の顔は、僕のものなのに。 「痛みに歪む彰の顔も色っぽいんだけど!」 「だからお前の言うことは一々気色悪い!」 「ケンカなんかしたら駄目じゃないか!彰の体に傷がつくなんて!」 「ケンカなんて、お前の前でいっつもしてるじゃねーか」 「僕のために傷つく彰を見ているのは好きだからいいんだ!」 「本気で死ね!この変態!」 僕の正直な言葉に、彰はその鋭い拳を遠慮なく繰り出した。 「てことで、彰にはもう手を出さないでね」 彰からケンカを売って彼に怪我をさせた奴らを聞きだし放課後、彼らの元に出向いた。 僕が何をするかも知らず、彰は素直にその名を告げた。 近くのガラの悪いことで知られる学校。 いつもは構わないけれど、ただ、彰を傷つけたという、そのことだけが許せない。 「彰にまた傷をつけられたら、僕次は何をするか分からないよ」 彰に傷つけた奴を誘い出し、今そいつらはアスファルトに突っ伏している。 本当はもっと打ちのめしたかったが、僕は温和だからこれくらいで我慢してあげた。 骨も折れてないし、後に残る傷もない。 彰を傷つけた代償には少ないくらいだ。 「こんな風に暴力をふるうのは好きじゃないから、僕の持てる力のすべてで社会的に抹殺してしまうかもしれないよ」 僕はことなかれ主義だから、本当はしたくないんだけれどね。 でも彰を守るためだったら、僕はなんだって利用してなんだってしてしまうんだろう。 ああ、僕は本当に彰を愛しているんだなあ、と己の愛の深さに感じ入る。 「あんた、強いんじゃない」 地面に倒れ伏す彼らを置いて踵を返すと、興味深げについてきたみずほにそう声をかけられた。 そういえば、みずほの前ですらこういうことしたことなかったっけ。 彰に見つからないように、彰にひどいことをした奴を懲らしめるようなこと。 「弱いなんて一言も言ったことないよ。小さい頃から武道習ってるし」 「じゃあなんでいつもやり返さないの?」 「別にやり返す必要性が見当たらないから」 金を渡せば彼らは去っていくことがほとんどだし、余計な恨みを買うこともない。 それに弱い人を弄るのは、虫を無意味に殺すみたいで心が痛む。 僕は平和主義者だし。 まあ、彰への行動が許容範囲を越えたらまた別の話だけどね。 それに。 「それに、僕がやられたら、彰が助けてくれるだろう?」 怒った顔をして、僕の前に立つ彰。 僕のために傷をおって、僕を守ってくれる。 頼もしい背中。 僕だけのヒーロー。 「僕を守る為に走ってきて、僕のために傷つく彰が見れるんだから、少しくらい全然構わないよ」 君が傷つくのは僕のため。 君が守るのは僕。 君が人を傷つけるのも、君が人に傷つけられるのも、全部全部僕のため。 僕のために血を流す君が、何よりも僕を満足させる。 だから、僕のいないところで血を流すのは、許さない。 「……筋金入りの変態ね」 「そうかなあ。恋ってそういうものじゃない?」 「彰にちょっと同情するわ」 「彰が僕を好きになってくれたら、すべてをあげるのになあ」 僕を好きにもならないし、無意味な敵意も抱かない彰。 でも、彰はひたすら強気で愚かだから、彰。 そんな彰を僕は愛してる。 「私のどこが気に入らない?駄目だったら直すわよ?」 「うーん、みずほは大好きなんだってば。彰が好きなのもみずほだから許容範囲なんだし」 「そういえば、あんた私が憎くはならないの?」 なんでもないことのように問うみずほ。 僕を好きだという女性の中でも、みずほは変わっている。 僕が好きだといいながら、挑むような視線を投げかける。 まるで親の敵のように、鋭く挑戦的な言葉を僕に突きつける。 こんなところも、面白くてみずほは好き。 「ならないよ?みずほは大好きなんだってば」 君を想ってるのにないがしろにされるのも。 君が別の人間を想ってるのを見て、傷つくのも。 君が僕を嫌って殴るのも。 君がつける傷も、君がくれる言葉も、君がくれる想いも。 全部全部、僕だけのもの。 その全部がとても愛おしくて、とても新鮮で楽しい。 彰しか、くれないものだから。 「今はこの状態が楽しいから」 みずほを想う君と、そんな君を想う僕と、僕を好きなみずほ。 バランスよく並んだ3角形。 壊してしまうにはまだまだもったいない。 まだまだ楽しんでいたい。 「それに、いつか彰は僕のものになるからね」 「…随分な自信ね?」 「だってそうだろう?」 顎をそらして、いつものように挑戦的な視線でまっすぐに僕を見る。 でもなんて馬鹿馬鹿しい問いかけ。 自信? そんなのは当たり前だ。 彰を手に入れようとしたら、僕は彰をすぐにでも手に入れる。 みずほが障害になるなら、躊躇いなく排除する。 そんなの、当たり前のこと。 だって。 「僕はなんだって手に入れることができるんだから」 「欲しいものはある?」 そう聞かれて僕はためらいもなくこう答える。 「ないよ」 だって、僕は絶対にすべてを手に入れることができるんだから。 だから今は別に、欲しいものはない。 「今はね」 |