「おかえり」

玄関のドアが開く音がしたから、リビングから出て弟を迎える。
今日は私がご飯を作った。
まあ、カレーだけど。
おかえりを言って、ご飯を作る。
千尋が私に与えてくれていたものを、今度は少しづつ、返しそうと思う。

「ただい………」

帰宅の挨拶をしかけた弟は、ドサっと音を立てて鞄を玄関に落とした。
綺麗な形の口をポカンとあけて、変な顔をしてる。

「どうしたの?」

急に動きを止めた弟に、問いかける。
しばらく固まっていた千尋は一度目を閉じて、深くため息をつく。
そして、目を開くと無表情に低い声で聞いてくる。

「………その格好は、何」
「何って、何?」
「………」

千尋がまたため息をつく。
なんだろう。
何がいけなかったのだろう。
別に変な格好はしていない。
普段と変わらない、家にいる時はいっつもTシャツとかラフな格好だ。
あ、千尋のTシャツを着ていたのが悪かったのだろうか。
そういえばこれは結構新しかったっけ。
ぶかぶかだから家で着るのに楽でちょうどよかったのだ。
千尋にも大きめのシャツは足まで隠れてワンピースのようで着心地がいい。

「えっと、もしかしてこのTシャツ着たら駄目だった?」
「………」
「………千尋?」

千尋は鞄を拾い上げ、そのまま怖い顔をして無言で靴を脱ぐ。
Tシャツ着たぐらいでそんな怒らないでも、と思いつつ、基本的には穏やかを装っている弟の怒りは慣れなくて怖い。

「えっと、千尋」

近づいてくる弟に軽く身をひく。
しかしいきなり長い手が伸びてTシャツを捲りあげられた。

「わ!」

お腹までたくしあげられて、驚いて声をあげる。
千尋はTシャツの下を見て、眉をひそめる。

「………一応はいてるんだ。ていうかまた俺のトランクス」
「これ楽だから」

大きなシャツに隠れているが、ちゃんと下もはいている。
男物のトランクスは、これまた部屋着にぴったりだ。
着るのが楽で、ついついはいてしまう。

「………駄目だった?」

これも新品だ。
弟のものを取るなんていつものことだけれど、今日は虫の居所が悪かったのだろうか。
恐る恐る見上げると、向かいに立つ弟は頭痛をこらえるように頭を押さえた。
そして、深く深くため息をつく。

「あのね、真衣ちゃん」
「うん」
「俺が、真衣ちゃんのこと好きなの知ってるよね?」

なんだ、いきなり。
何を言いだしているのか。

「え、う、うん」
「真衣ちゃん見てると、キスして抱きしめたくなるの、分かってる?」
「………千尋?」

顔が熱くなってくる。
こんな直接的な表現を、こんな普通に言われたことはない。
感情的になった千尋なら分かるが、いつもの冷静な千尋はこんなことを言わない。

「ち、千尋?」
「あ、ねえ。そういう格好、あの男の家でもしてたの?」

千尋が私の肩に手をかける。
強く握りしめられる。
あの男とは、間違いなく根木のことだろう。
千尋は、根木のことになるとすぐに感情的になる。
今はまだ痛みは感じないが、この手に力が入った時を想像すると恐ろしい。

「え、っと、して、ない」

はず。
どうだったっけ。
でも、ここでしてたって言ったらまずそうだ。
してないってことにしておこう。
私の答えに、千尋は肩から手を離す。

「………なら、いいけど」
「し、してないよ。家にいる時、だけだよ」

多分。
暑いから、こういう格好してた気がしないでもないけど。
確かしてなかった。

「俺の前だけ、だよね?」
「うん」

何度も勢いよく頷く。
そういうことにしておこう。
それが平和な気がする。

「そう」

千尋がにっこりと柔らかく笑う。
いつもの優しい笑顔。
よかった、怒りが解けたのだろうか。
さっさとご飯にして、誤魔化してしまおう

「あのね、千尋、ご飯………」
「あのね、真衣ちゃん、男って結構単純なんだよ」
「え?」
「スイッチ入るのって、すごい簡単」

千尋が今度は私の手を取る。
なんだか怖くて少し体をひくと、逃がさないというようにしっかりと手を掴まれた。
そしてそのまま引き寄せられる。

「真衣ちゃんがそんななのは、俺にも責任があるけど、そろそろ自覚しないとね」
「え、え、え?」
「今度から人前でそういう格好しないように教え込まないとね」
「え、だから、してない、よ」
「これは、真衣ちゃんが悪いよね?」
「え、え、え?」
「少し、反省しようね」

何がなんだか分からないまま、私はそのまま部屋に連れて行かれた。





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