「一兄?」

ノックしたけど反応がなくて、俺はそっとドアを開ける。
帰っているって聞いたんだけどな。

「一兄、いる?」

ドアは鍵がかかってなかった。
恐る恐る覗くと広い畳敷きの部屋はがらんとして誰もいなかった。
でも、煌々と明かりがついていて、文机の前の椅子にはシャツとジャケットがかかっている。
それに無造作にバッグも置いてある。
この乱雑な部屋の様子は几帳面な一兄らしくない。
ちょっと出ただけなのかな。
じゃあ、少し待とうかな。

「おじゃましまーす」

主のいない部屋に、一応断って俺は足を踏み入れる。
勝手に入っても、別に一兄は怒らない。
なんとはなしに、机に近付いて一兄が脱いだばかりと思われる服を見る。

「スーツかあ、いいなあ」

上背があって筋肉がしっかりついている一兄はスーツがよく似合う。
着物だってすっごい似合うけど。
スタイルよくてかっこいいからなんでも似合うんだよな。
でもスーツを着た一兄は、一際大人の男!って感じがしてかっこいい。
俺も大人になったらあんな風になれるかな。

「わ、でかい」

持ちあげてみると、思いの他それはでかかった。
けど、スーツって結構軽いんだな。
制服よりも軽いかも。

「シャツも大きいなあ」

制服と似たようなワイシャツ。
でも明らかに仕立てが違う滑らかな触り心地。
俺のよりも二周りは大きそうだ。
一兄、手と足、長いしなあ。

ちょっとTシャツの上から羽織ってみた。
やっぱりぶかぶかだ。
手が出てこない。

「くそ」

胸周りも肩周りも全然足りない。
一兄太ったんじゃないの。
でかすぎだろ。
俺が小さい訳じゃないぞ、絶対。
一兄がでかいんだ、そうに違いない。

「………一兄のでーぶ」
「俺がなんだって?」
「うわあ!!」

急に聞こえてきた声に、慌てて振り向くと一兄がドアの前で興味深そうに俺を見ていた。
まさか今の聞かれていたのか。
ていうか、この行動を見られていたのか。

「い、今の、聞いて、って違う、えっとこれは、その、違、えっと」
「なんだ、スーツが着たかったなら言えばいいのに」
「き、着たくない!」
「着たいなら遠慮しなくていいんだぞ」
「してないってば!」

悪戯っぽく男らしい眉を持ち上げると、一兄はそっと近づいてきた。
そして、俺がいまだ着ていたシャツのだぼだぼのお腹のあたりを引っ張る。

「でも、俺のじゃなくてお前用に仕立てた方がいいな」
「いらないって言ってんだろ!」
「何せ俺はデブだからな」
「聞こえてたの!?」

どうしよう。
どうやって誤魔化そう。
逃げようかな。
でもドアに行くまでの道には一兄が立ちふさがっている。
背の高い兄は小さく笑う。

「でも、まあ、お前は少しデブになった方がいいな。ガリガリだ」
「ガリガリ言うな!」

俺は平均的だぞ。
俺がガリガリ言うなら、双兄だって骨っぽい。
まあ、双兄は背があるんだけどさ。

「幼稚園児のスモッグみたいだな」
「なっ」
「かわいいかわいい」

ぐりぐりと大きな手が乱暴に俺の頭を撫でる。
痛みに目尻に涙が浮かぶ。

「一兄の馬鹿!」

一兄が声をあげて笑う。

それから俺はひたすらイジメ続けられた。
もう、絶対一兄の悪口なんて言わない。





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