小話4 百合ネタ注意




私は昔から、『性』というものを嫌悪していた。


男も女も醜すぎた。
女をセックスの対象としか見ない男。
男を自分のステータスとかしか見ない女。

どちらも計算高く、どちらも欲望にまみれている。
それを見るたびに吐き気がして、自分の性を捨ててしまいたくなった。

私は中性でいたかった。
性別なんて、いらなかった。


けれど月に一度、どうしても私は自分の『女』を意識する。
流す血を見るたび、死にたくなる。
怪我をした時の赤く綺麗なものではない、どす黒い血。
私の醜さを表しているような気がしてならなかった。
血と共に訪れる痛みは、歪な私を罰しているように感じた。

私は『性』を嫌悪していた。



***




「しっつれいします!」
私の後ろにあった扉が突然開き、静寂を切り裂いた。
美術準備室で1人、絵を描いていた私にかけられた声。
明るく少し舌ったらずな、女性らしい声。
私は私の空間であるこの場所を侵されて、不快感と共に後ろを振り向く。
そこにいたのは周りのことに疎い私でも知っている人間だった。
一つ年上の女性。名前は…覚えていない。
ただ彼女の行状は有名で、私ですら耳にしていた。
男好きで遊び好きな、私のもっとも嫌悪する『女性』。
知らず、眉間にしわが寄った。
「ごめんねー、ちょっとお邪魔しまーす」
彼女は私の不快感に意を解さないまま、もしくは気づかないまま、こちらへ近づいてくる。
甘い花のにおい。

吐き気が、する。

「何か御用ですか?」
「んーん、そうじゃないの。ただちょっとここで匿ってくれないかなーって」
「匿う?」
「えへへ、水谷に追われてるのよ」
水谷とは風紀委員の教師だ。
素行について何か言われているのだろう。
「長くかかりますか?」
「いや、ちょっとだけでいいと思う」
それなら、無理に追い出すほうが面倒だろう。
彼女から興味を失って私は絵に向かい合う。
「……いいの?」
「ご自由に。ここは私の部屋ではありませんから」
後ろを見ないまま言い放つと、彼女は小さくお礼を言った。
私は何も返さなかったので、準備室には沈黙が落ちる。
静寂の戻った空間で、私は色を重ね続ける。
「ね、なんの絵なのそれ?」
いつのまにか後ろに回っていたらしい。
すぐ後ろから声が聞こえた。
それと共に彼女のつけているらしい香水の臭いを感じ、不快感がよみがえる。
唇を噛んで、無視をすることにした。
「すごい色使いだねー。なんかこう迫力ある。これってあれ?チューショーガって奴?私ゲージュツとかよく分かんないんだけど、なんか綺麗ね」
無言で絵を描き続ける私に、それでも彼女はしゃべり続ける。
基本的に空気を読む能力にかけているのかもしれない。
「これ油絵だよね。すごい匂い。気持ち悪くならない?」
私は油絵に使う油の独特の匂いよりも、彼女の身に着けている香りのほうが気に障る。
「天使」
無視を決め込んでいた私に、彼女はぼそりとつぶやいた。
天使。
それは私の書いている絵のモチーフだ。
驚いて思わず後ろを振り返る。
彼女は私の態度なんて気にもせず、にこにこと笑っていた。
綺麗に手入れされた、ダークブラウンの髪が光を反射している。
「あんたの髪、天使の輪っかね」
髪。
どうやら私の髪のことだったらしい。
反応してしまった自分に恥じて、少し笑ってしまう。
「天使の輪?」
「綺麗な髪で光反射するとほら、ここんところに輪が出来るのよ」
彼女は自分の頭を指してぐるりと輪を描いてみせる。
「それが天使の輪っていうのよ」
「そうなんですか」
それは初耳だった。
特にあまり手入れもしていない髪だが、逆に加工もなにもしていないので、私の髪は確かに質がいい。

天使は好きだ。
どこかで、何かの本だったか、天使は中性だと聞いた。
それ以来、私の中で天使は美の象徴だ。
真実はどうなのかわからない。
それを知ってから見た宗教画などには、性別のある天使もいた。
だが私は、中性だと思いたかった。
だから私の中で、天使は中性。
それでよかった。
それ以上深く調べるのは止めた。

「綺麗な髪ね」
「それはどうも」
彼女は子供のようにこにことしている。
一つ年上とも思えない。
なぜかさっきほどの嫌悪感を感じなかった。
褒められたせいか。
それとも想像よりもずっと子供っぽく無邪気な彼女のせいか。
どっちにしろ、私も単純だ。
まあ、だからと言って好意を感じるわけではないが。

「そろそろ大丈夫なんじゃないですか」
嫌悪感はなくなったものの、私は私のテリトリーに人が入るのは好きではない。
この異物にはさっさと出て行って欲しい。
「あ、そうね。じゃあそろそろ行くね。匿ってくれてありがとう」
「別に何もしていませんが」
そうして私はまた絵に向き直る。
彼女が扉に向かって歩いていったのが分かった。
扉を開く音。

「じゃ、また来るね。ばいばい」

そう一つ残して、消える気配。

またくるね…?
不安と異物感を残し、扉は閉じられた。