君がいるだけで、色あせた世界が薔薇色になる。



***




「カンダさん、これ、こっちですから」
ちょっと尻上がりに僕の名前を呼ぶ君。
ああ、君の薄く形のいい唇からその言葉が出るだけで、僕の名前はまるでゲーテの詩の一説のように美しいものに感じる。

水口くん。君はなぜそんなにも輝いているんだろう。

君のその痛みまくった金色の髪も、某芸能人を意識して失敗したかのような髪型も、ほっぺたのにきびも、ぶっきらぼうな態度も、細身に見えて実はしっかりとした二の腕も、形のいいお尻も、長い足も、その全てが僕をひきつけてやまない。
20も年上のおっさんに、こんな想いを抱かれるのはきっとイヤだろう。
この気持ちは君に告げることは出来ないけれど、ただ想うだけは許して欲しい。
僕は今、恋を覚えたばかりの中学生のように、君の一挙一投足にどきどきしてそわそわする毎日。

「カンダさん?」

と、そこで怪訝そうな顔をしている水口君に気づいた。
「あ、ご、ごめん。なんだい?」
また仕事中にトリップしていたらしい。
これも水口くん、君の魅力のせいとは言え、仕事も手につかなくなるなんて君はなんて罪な人。
「だから、この在庫はこっちですよって」
「ああ、分かった。ありがとう」
慌てて頷く僕に、水口君は肩をすくめて商品の陳列に戻った。
ごめんね、水口くん、だめなおっさんで。


僕が父からこの喫茶店を継いだのはもう1年ほどになる。
脱サラしての急な転職に、最初は右も左も分からなかった。

そんな僕をフォローして、支えてきてくれたのが水口くんだ。

父の代からの従業員である彼は、一応の店主である僕よりもよっぽど喫茶店経営に詳しかった。
ヘマばかりやらかす僕に愛想を尽かすことなく、根気強く僕に喫茶店について教えてくれた。
彼がいなかったら、この店は一週間ともたずにつぶれていただろう。
無愛想で、ぶっきらぼうな君だけど、本当は優しいって、僕は知っている。
外見とは裏腹な器用なその手で作り出すケーキとお茶は、なによりも美味しいってことも知っている。
そんな君と接していれば、恋に落ちるのは必然だった。
どうしたら、君に恋をせずにいられただろう。
いや、いらられるはずがない。

ただ、君の横にいられるだけでよかった。
君の作り出す、どこか優しい空気に触れていられるだけでいい。
偶然触れる、君の長い指に胸が高鳴る。
狭いカウンター内で触れある背中に、体が熱くなった。

これほどまでに、男の、しかも20も年下の青年に心奪われるとは。

本当に、なんて君は罪な人なんだ。



***




「カンダさん、いきなり脱サラとかして、奥さんに怒られなかったんですか?」
「え、ああ、奥さんは10年も前に出てってしまってね。気楽な独り身、誰にも怒られなかったよ」
情けなく笑いながらも、ただの世間話に心浮き立つ。
最近、ようやくこんな話も出来るようになった。
最初の頃は、お互いギクシャクして事務連絡ぐらいしか出来なかったけれど。
君が、僕のことを聞いてくれるのが嬉しい。
それがただの場持たせの世間話であろうとも。
僕も、君のことがもっと知りたい。
僕が知っていることは、君の住所と電話番号、携帯番号、家族構成、経歴に趣味に、特技ぐらいだ(履歴書情報)。
もっともっと、君のことを知りたい。
「なんで、喫茶店継ごうと思ったんですか?」
「やっぱり、父の大事にしていた店だからね。おかげで君には迷惑をかけてしまうけど」
「それは別にいいんですけど、人に任せようとは思わなかったんですか?」
別にいいと言ってくれる君に、涙がでそうになる。
ああ、なんて優しいんだ水口くん。
「………その手があるって気づいたのは、脱サラした後だったよ」
正直な告白に、水口くんは口角を上げた。
水口くんの無愛想な顔が、優しく変わる一瞬。
「カンダさんらしいですね」
ああー!!!!!
なんて眩しい笑顔を見せてくれるんだ水口くん!
こんなちっぽけなおっさんをどうしようって言うんだ!
眩しくて見えないよ!
僕は思わず目を背けてしまう。
「カンダさん」
「な、なななななんだい!」
「それ、水出しアイスコーヒー用の豆です。瓶が違います」
「え、あ、ああああ、ご、ごめんなさい!!!」
ざらざらと豆を撒き散らしながら、慌てて身を引く。
と、後ろのガスコンロにかかっていたポットに突っ込みそうになる。
「うわ!!!」
がしっと力強い腕で、肩を捕まれた。
ぎりぎりのところで熱湯をひっかぶることを免れる。
「別に、焦らなくていいですから」
僕の弾力のない手足と違う、確かな筋肉を肩に感じ、顔がいっそう熱くなる。
水口くんの腕、水口くんの腕、水口くんの腕!!!!
狭いカウンターに、感謝する瞬間だ。
しかし、名残惜しいがいつまでもこうしているわけにもいかない。
僕は名残惜しい気持ちでいっぱいながら、ゆっくりと体を離した。
彼の触れていた場所が、まだ熱い気がする。
「ご、ごめんね」
「いえ」
無愛想だけれど、やはりやさしい水口くん。
そんな君に接するたびに、このおっさんの胸は女子中学生のように高鳴る。
今日のことも日記に書いておかなければ!
「何笑ってるんですか?」
「え、ぼ、僕笑ってたかな?」
「はい」
「ご、ごめんね」
「はあ」
ああ、またやってしまった………。
本当に、きもいおっさんでごめんなさい………。



***



今日も一日、僕はドジばかりやらかした。
皿は2枚。カップは3つ。
それでも初めの頃よりはマシにはなったが。
はあ。
閉店して水口くんを送り出して一つ、ため息をつく。
僕がドジをやらかすたびに、フォローに回る水口くん。
それは本当に挙動不審になるほど嬉しいのだけれど、このままでは愛想をつかされる日も近いかもしれない。
………。
本当にありえそうで、怖い。
掃除をしていた手を休め、僕は店に飾ってあった花に手を伸ばす。
可憐でかわいらしい、白い花。
ああ、この花のように愛らしい存在だったら、いやせめて女性だったら、水口くんにももっと近づけただろうか。
僕は傍にあった椅子に腰をかけると、たわむれに白い花弁に無骨な指を伸ばす。
「水口くんは僕を好き、水口くんは僕を嫌い、水口くんは僕を好き……」
なんの罪もない花を散らしながら、1人暗い店内でつぶやいている。
そんな滑稽な姿を自覚しながら、僕は一枚一枚花びらを散らす。
後で掃除するのは自分だから、かまうものか。
「水口くんが僕を嫌い……」
徐々に減っていく花弁。
他愛のない遊びに、僕は真剣になってくる。
「水口くんは僕を好き……好き……」
残り一枚になってしまった。
遊びとはいえ、手が止まってしまう。
やっぱりそうなんだろうか……。
僕は観念して、最後の一枚に指を伸ばす。
「水口くんは僕をき……」
「好き」
その時、突如後ろから伸びてきた手が、最後の一枚を散らす。
て。
「え、えええええええ!!!!!!」
怖くて後ろを振り返れない。
今の声も、この肩越しに伸びている手は、嫌というほど見覚えがある。
というか、毎日観察し続けた手だ。
少し荒れた、長い、器用な指。
「み、み、み、み、み」
混乱のあまり、蝉のような声をだす僕。
後ろからかかる影は、まぎれもなく、間違いなく、どう考えても……。
「はい、水口です」
「な、な、な、な、な」
「すいません、忘れ物があったんで」
「い、い、い、い」
「カンダさんが、花占い始めた頃から」
「〜〜〜〜〜〜〜っ」
声も出ない。
穴があったら埋まりたい。
こんなところで、僕の恋心は打ち砕かれてしまうのだろうか……。
「………」
「………」
しばらく暗い、無人の店内に沈黙が落ちる。
最初に口を開いたのは、水口くんだった。
僕の背後にたったまま、表情は見えない。
「カンダさん、俺のこと好きなんですか?」
「っっっ!!!」
ストレートな質問に、叫び声を上げそうになる。
それでも水口くんは、冷静な、いつもの通りの、無愛想な声。
「さすがに予想外でした」
目の前が真っ暗になる。
もう、おしまいだ………。
「ご、ごめん、気持ち悪いよね……、こんなおっさんが……」
やはり後ろを振り向けないまま、床を見つめる。
せめて、彼に嫌な気分は味あわせたくない。
「本当にごめん。もう、気持ちの悪い思いはさせないから。退職金の方は、なんとかするし、次の就職先も僕が見つけるから……」
「え、俺クビなんですか?」
「あ、いや、そうだよね。僕がやめればいいことだね。えっと、君を今度からマスターにするから、新しいバイトを雇って……」
「いや、必要ないですよ」
そっと、後ろから肩に手が置かれる。
必要以上に、驚いて、身を震わせてしまった。
「すいません」
「あ、い、いや、大丈夫!!!」
それより、水口くんが気分を害してないか、心配だ。
「別にカンダさんが止める必要はないですよ」
「で、でも、君は何も悪くないし!」
「はあ、俺も別に止める気もないですし」
「え!!!」
「あ、それとも俺と一緒に働きたくないっていうんだったら別ですけど」
「いや!それはないよ!」
その言葉に驚いて後ろを振り向くと、水口くんは静かにこちらを見ていた。
いつものように静かな表情で、どこか無愛想な様子で。
怒っているようにも見えるが、これは多分、いつもの表情だ。
「そうですか、よかったです」
僕は、無表情な彼から、また目をそらして床を見つめる。
「で、でも、君は嫌じゃないのかい?」
「いえ、別に」
「ぼ、僕は君が好きなんだよ」
「はあ」
もしかして、僕がどういう目で水口くんを見ているのか分かっていないのだろうか。
「その、親子とも友情とも、もちろん職場の人間に向けるものとも違ってその……」
「恋愛感情としてですか」
またまた直球ストレートな言葉に、僕は再度言葉を失う。
けれど、覚悟を決めると、息を吸って、彼を見つめた。
「……そうだよ」
どんな罵倒が返ってくるかとびくびくしたが、目はそらさなかった。
せめて、綺麗な気持ちのまま、この恋を終わらせたかった。
しかし、返ってきた言葉は予想外のものだった。
「そうですか」
「そうだよ、って……」
「はあ、確かに予想外だったんですけど、別に嫌じゃないみたいです」
「え、ええええええ!!!!」
「あ、だからと言ってカンダさんをそういう目で見てたかといえばそうじゃないんですが」
一瞬弾んだ心が、また急速にしぼんでいく。
そ、そうだよね。
と、沈みかけたところに。
「でも、とりあえず前向きに検討してみます」
「は、はあああああああ!?」
これまた店内に響き渡るすっとんきょうな声を上げてしまう僕。
本当に、あまりに予想外だった。
「さっきからそんなんばっかですね」
「だ、だ、だ、だ」
「はあ、本当に嫌じゃないみたいんなんで。カンダさん可愛いし」
「そ、そ、そ、そ」
「だから、とりあえず、お友達からでいいですか」
「〜〜〜〜〜〜〜っ」
急速に頭に血が上ったり、下がったり、僕はもう失神寸前だった。
けれど目の前の、僕をひきつけてやまない青年は、いつもどおりの静かな顔。
「そんな、なんでもないような顔して…っ」
「すいません、生まれつきなんで」
静かな声、無表情な顔。
けれど、確かにそれは真摯なもので。
僕は、頭に血が上ったまま、エプロンを握りしめた。
「こ、交換日記から、お願いします……っ」
その言葉に、水口くんは少しだけ口角を上げた。
僕は、本当に、気が遠くなった。



***




本当に、君がいるだけで、この世は薔薇色。






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