足をひねった。 久々に1人で歩いてみたのが悪かったらしい。 飛び出してきた猫に驚いて、転んでひねった。 我ながら、情けない。 とにかくこうしていても何も始まらない。 俺はゆっくりでも歩き始めることにした。 呼び出されるのがわずらわしく、携帯も今日は家に置いてきた。 とんでもない失態だ。 情けなさが倍増する。 ただ、たまには自由に歩いてみたかっただけなのだが。 慣れないことは、するものじゃない。 そうしてよろよろと痛む足を庇いながら歩いていた時のことだった。 キキッ。 軽やかなブレーキ音が後ろで響いた。 「あっれー、何してんの館乃蔵君!」 明るめの、どこかうるさい印象を与える声がかかる。 この声には、覚えがある。 今、一番会いたくない、人間。 聞こえなかったふりをして、歩みを進める。 「こら、何シカトしてんのよ!」 自転車で、前に回りこまれる。 仕方なく、俺は足を止めた。 「なんの用だ、春日」 そう、今一番この姿を見られたくなかった人間。 クラスメートの春日。 肩に届くくらいの髪を、明るい色に染めている、目鼻立ちのしっかりとした少女。 明るく軽薄で騒々しく、男といつも一緒にいる、俺のもっとも嫌いなタイプの女。 「なんの用って、あんたが足引きずりながらよろよろしてるから声かけてあげたんじゃん!」 「それはどうも悪かったな。だが、お前には関係ない」 そう切り捨て、俺は自転車を避けるようにして前に進もうとした。 が、再度自転車で回りこまれる。 「お前には関係ない、だって!まーた、お高く止まっちゃって、そんなよろよろしてんのにさ!」 けたけたと大口をあけて笑う目の前の女。 この女に見つかった時点で、馬鹿にされるのは分かっていたが、やはりさすがに腹が立つ。 自分の不徳とはいえ、眉間に皺がよるのが分かった。 「………」 何を言っても、今はどうにもならないと悟り、もう一度自転車をよけようとする。 が、やはり道をふさがれた。 「春日」 さすがに声に怒気がこもる。 女に声を荒げるのはどうかとも思うが、こいつには別だ。 しかし春日は、自転車をくるりと後ろに向けると後ろをこちらを肩越しに振り向く。 こちらに向けられる荷台。 「ほら、乗りなよ」 「は?」 間抜けな声を上げる俺に、再度促す春日。 「足、くじいてんでしょ。送ってあげるよ」 言葉の意味が、頭に到達するまでに少し時間がかかった。 向けられている荷台。 それに、俺に、乗れと。 頭に、一気に、血が上る。 「俺を馬鹿にしてるのか!」 けれど春日はきょとんとした顔を見せる。 「は?何言ってんの、あんた」 「お前に弱みを握られる気はない!」 そう言って、今度は自転車を押しのけてでも前に進もうとした。 しかし春日は盛大にため息をつく。 それがまた、馬鹿にされているようで腹が立つ。 「本当に馬鹿じゃないの?弱み握るって、そんなよろよろしてる時点で十分弱みじゃん」 「なんだと!」 「いっつも澄ましている館乃蔵君が足をひねってふらふらしてまーす!」 「春日!」 怒鳴りつけると、春日はサドルにまたがったまま、鼻を鳴らした。 「あのね、私は怪我人を痛めつけるサドな趣味はないの。これは純粋たる親切心からよ!」 「それなら結構だ」 「こんなところであんた見捨てたら、あたしが後味悪いでしょ!」 「なっ……」 あまりのいいように、一瞬言葉を失う。 「男がぐちゃぐちゃ言ってるんじゃないわよ!さっさと乗れ!」 そうして今度は怒鳴りつけるように言われる。 思わずその希薄に頷いてしまいそうになるが、素直にそんな言葉は聞けるわけがない。 「お、女の漕ぐ自転車の後ろなんて……」 「あいっかわらず頭堅いわね!だからってあんたが漕げるわけないでしょ!」 「し、しかし……」 「もー、あんまりつべこべ言ってると、明日学校で言いふらすわよ!」 「なっ……」 春日に見られた時点で十分に恥ではあるが、やはりそれは遠慮したい。 それでなくてもクラスで浮いている俺だ。 何を言われるか分かったものではない。 「ほら、乗りなさいよ。言いふらさないから、このことは」 「わ、分かった……」 それでも女の漕ぐ自転車の後ろに乗るという行為は、すごく躊躇いを感じさせるものだったが、ここで怒鳴りあっているには一目が痛かった。 観念して、地獄へ行くような気分のまま、春日の後ろに乗る。 「よし、じゃ、しっかり捕まってなさいよ!」 その様子を見て、満足気に頷くと春日はおもむろに漕ぎ始めた。 初めにふらつき、思わず春日の腰に捕まってしまう。 「あ、す、すまん!」 「別にいいよ。しっかし捕まっててね、飛ばすわよ!」 そう言って思い切りよく漕ぎ始める春日。 俺はさすがに腰に捕まるのは躊躇われて、サドルの下の部分をしっかりと掴む。 「お、おい、少しスピードを緩めた方が……」 「これから坂なのよ!勢いつけなくちゃ!」 そういえば、これから先に行くと、坂があったかもしれない。 そこでまで、漕がすつもりはない。 「それなら俺は歩くから……」 と言っているうちに坂まで来てしまったらしい。 春日は聞く耳持たず、いきなりサドルから立ち上がった。 「いよっし!飛ばすわよ!パンツ見えるかもしれないけど大サービス!」 中腰になって短いスカートの裾からは、本当に下着が見え隠れする。 俺は首が痛くなるほどに、目をそらした。 「お、おい、そんなはしたない!!!!」 「は、はしたないって……笑わせないでよ!力抜けるでしょ!」 そう言いながらも、春日はものすごい勢いで自転車を漕ぐ。 いくら緩やかな坂とはいえ、辛いはずだ。 「か、春日、俺は本当に降りるから……」 「いいから怪我人は黙って乗ってる!」 汗をかきながら、女の癖に鼻息を荒くしながら。 春日は必死に坂道を登っていた。 なんとか坂を越えた頃には、春日は汗びっしょりとなっていた。 まだ涼しい季節なのに、シャツがまとわりつくほどに濡れている。 それを後ろで眺めながら、俺は自分が、とても、本当にちっぽけな人間に思えてきた。 今はもう鼻歌なんか歌いながら、春日は機嫌よさそうにしている。 「春日……」 「なーに?」 「その……すまない」 「すまないって、謝ってるの?」 「ああ、その、迷惑をかけて……」 自分でもどうかと思うような、ぼそぼそとした言葉でしゃべる俺に、春日は肩を震わせて笑った。 「謝罪より感謝の言葉が聞きたいなー?」 明るい、どこか楽しげな声で、冗談交じりに言う。 その言葉に、俺もかすかに声をあげて笑ってしまった。 「ああ、ありがとう……」 「どういたしまして!」 その後、2人でしばらく無言なまま走った。 夕日が沈んでくる時間帯、どこか郷愁を感じさせる。 「あんたさあ」 「なんだ」 「少しはさ、素直になりなさいよ」 「俺はこの上なく素直だ」 「まあ、そうなんだけどさ」 きこきこと、少し軋んだ音をさせる自転車を操りながら肩をすくめる春日。 俺は、いつもこいつといる時に感じる苛立ちを感じることがなかった。 不思議と、安らいでいた。 |