「はじめまして、桜さん」 その男が桜の家にやってきたのは、新緑がまぶしい季節だった。 「おはようございます、桜さん。今日もお綺麗ですね」 本当に目が開いているのかいないのか分からない細目をさらに細めて、男は穏やかに笑う。 「うるさい」 朝のさわやかな空気を最高潮に害されながら、桜は低い声を出した。 確かに桜は整った顔立ちをしている。 祖母から西洋の血を見事に受け継いだ彫りの深い顔立ち、緑がかった目。 長い手足に高い身長。 その美貌をいかんなく発揮し、学業のかたわらモデルをしていた。 しかし今はその美貌も見る影なく不機嫌な顔をしていた。 「そんなに不機嫌な顔されて、どうしたんですが?」 朝食の皿を差し出しながら、不思議そうにクビを傾げる目の前の男、義也。 「あんたがそれを言うのか!!!!」 桜はテーブルをひっくり返したくなる衝動を抑えて、怒鳴りつけた。 「え、僕ですか?」 「あ、あんた、あんた、昨日……っ!」 「ああ、昨日の……」 昨夜、突然現れた細目の闖入者。 義也は母が連れてきた。 なにやら知人の息子らしい。 同い年の男嫌いの娘がいるのに何の配慮もない母も母だが、それに乗る義也も義也だと思う。 そしてずかずかと土足で桜の範囲に乗り込んできたこの男は、思ったとおりのずうずうしい奴だった。 「そ、そうよ!」 「すいません、夕飯食べ忘れましたね、お腹すいたでしょう」 「ちっがーう!!!あんたがお風呂を覗いたことよ!」 そう、昨日現れたこの男は、いきなり桜の入浴中に乗り込んできたのだった。 顔を真っ赤にして怒る桜とは対照的に、相変わらずの細目で首を傾げる義也。 「ああ、そのことですか」 「そ、そのことって……」 スケベ心から覗かれるのだったら絶対にたたき出すところだが、これほど無反応なのもまた腹立たしい。 「すいません、変なものをお見せして」 「だ……、だれもあんたの裸なんて見てないわよ!」 そう、風呂場に乱入してきた義也も、裸だった。 申し訳程度にタオルを身に着けてはいたが。 うっかりまぶたの裏に焼きついてしまった、長身の体。 「あれ、見てないんですか。結構な自信作なんですけど」 「ばっっっっっ!!!!!ふざけんなー!!!!!!」 今度こそテーブルをひっくり返そうとしたところで、のんびりとした声が割って入った。 「なーに、騒いでるのよ、朝っぱらから」 この事態を巻き起こした張本人ともいえる、桜の母、すみれだ。 「あら、義也君、ご飯作ってくれたの。うれしー、おいしそー」 「あ、ええ。一応和食にしてみました」 「いやーん、桜の作るのは洋食ばっかりだからうれしー!」 激昂する娘を気にもせず、卵焼きをつまみ食いしながらすみれは席に着く。 その卵焼きの皿を横からかっさらい、桜は机を片手で叩いた。 「ちょっと!私こんな男と一緒に暮らすの嫌だからね!」 「なによー、朝っぱらからうるさいわねー」 「昨日、こいつお風呂に入ってきたんだから!」 隣の長身の男を指差してさらにヒートアップする桜。 けれどすみれは動じない。 「あら、そうなの。ごめんねー、義也君。こんな貧相な体の娘で。立つもんも立たないでしょ」 「いえいえ、結構なものをお持ちです。上から85、61、79とはまたパーフェクト」 「ちょ、ふざけんなー!!!!!!」 今度こそ本当に、桜はテーブルをひっくりかえした。 テーブルの上の茶碗類は、2人の見事な連携プレーですべて無事だったが。 ちなみにサイズはどんぴしゃだ。 「やーね、朝っぱらから血圧高いんだから」 「近頃の若い人は低血圧が多いから、ちょうどいいですよ」 「そーね」 テーブルのないまま椅子に二人、すみれと義也は談笑を続けた。 桜はその場にへたり込む。 「もう、やだ………」 そしてなぜか一緒に登校している桜と義也。 「なんで、あんたなんかと一緒なのよ……」 「はあ、同じ方向なので」 美人がゆえに迫力をかもし出す不機嫌顔の桜と、穏やかに目を細める義也。 対照的な2人だった。 桜は疲れきって振り払う気にもなれない。 とぼとぼと力ない足取りで歩みを進める。 「……あんた、なんでサイズとか分かるのよ」 「はい?」 「わ、私の体のサイズとかよ!」 「ああ」 得心がいったように頷く義也。 桜は顔を軽く赤くしている。 「いやあ、バイトでオカマバーに勤めていたことがあって。その頃女性物の服とかのサイズに詳しくなったんですよ」 「お、オカマバー……あんた、いくつよ……」 「皆さんいい人達ばかりでした」 質問には答えず、懐かしそうに微笑む義也。 桜はますます隣の男に不信感が募る。 そしてしばらく無言で歩いていた時、桜の横の茂みから銀色の鈍い光が走った。 気づいたものの、咄嗟には反応できない。 何事か、判断できぬまま、桜は強い力で腕を引かれる。 チャリーン。 高い金属音がアスファルトから響いた。 音のした方を向くと、すぐ足元に小さなナイフが落ちている。 そしてその横には、腕を押さえた制服姿の少女。 「危ないですねー」 のんびりとした声は、すぐ耳元から聞こえた。 桜が状況をようやく判断する。 義也は、少女がナイフを持って飛び込んできた瞬間、桜を抱き込み、ナイフを叩き落としたのだ。 桜はまだ、義也の腕に捕まっていた。 「ちょ、ちょっと放しなさいよ!!!」 「ああ、はいはい」 咄嗟に腕を振り払う。 義也は簡単に腕を解いた。 桜はどこか熱くなった二の腕をさすると、気を取り直すように前でしゃがみこんでいる少女を見下した。 「なによ、あんた」 「………」 「ちょっと!」 「人の彼氏とっといて、すまんしてんじゃねーよ、ブス!!!」 うつむいていた少女は、桜は見上げるときつい眼差しでにらんでくる。 丸い目をして、本当はかわいらしい少女なのだろうが、今は見る影もない。 「桜さん彼氏とったんですかー、やりますね」 「そんなん覚えないわよ!」 身に覚えのない罪を着せられそうになり、咄嗟の反論する。 桜はそもそも、男嫌いで有名だ。 「と、おっしゃってますが、お嬢さん」 「うるせー、光君とったくせに!!!」 「と、おっしゃってますが、桜さん」 「あんた何がしたいのよ!ていうか誰よ、それ!」 桜には本当に身に覚えがない。 が、なんとなく判る気もする。 自分でも自覚はあるのだが、桜はもてる。 本人が望むと望むまいと関わらず。 おそらく少女の彼氏が、勝手に桜に懸想をしてるのだろうということが、予想できた。 桜は大きくため息をつく。 「馬鹿じゃないの。そんなで前科者になるつもり?あたし本当に知らないし」 「ふざけんじゃねーよ、この馬鹿女!」 「なっっっっ」 あまりにも聞き分けのない少女に、思わず罵声が飛び出しそうになる。 が、一歩手前でのんびりとした声が割って入った。 「んー、意見が平行線のままですね。しかたありません、ここは俺が」 「は?あんたがどうするのよ」 にっこりと笑って桜に頷くと、義也はしゃがみこんで目の前の少女と目線を合わせた。 そのどこか胡散臭い雰囲気に、少女は少し身を引く。 「お嬢さん、腹が立ってしょうがないんですよね」 「そ、そうよ……」 「桜さんを刺したいほど憎いんですよね」 「そうよ!」 「では、ここは俺が代わりに刺されますから、それで気をおさめてくれませんかね」 『は!?』 思いがけない言葉に、思わず声をそろえる少女2人。 それでも義也はにこにこと笑ったままだった。 「それでどうかお願いします。その代わり、あなたはこれで犯罪者です」 そうして少女の傍らに落ちままだった、ナイフを取ると少女に握らせる 「はい、どうぞ」 「え、ちょ、ちょっと」 突然の事態にうろたえる少女。 「な、何やってんのよあんた!危ないじゃない!」 さすがに止めようとする桜。 「おや、やらないんですか、では俺から行きますよ。えい」 そう言って、少女が握ったままのナイフに飛び込んでいく義也。 ざくり。 何かが裂ける音がした。 「え、ちょや、やだ!!!」 「あんた大丈夫!」 ナイフを放り投げて、うずくまる義也を見もせず駆け出していく少女。 慌てて義也の傍らにしゃがみこむ桜。 「ね、やだ、大丈夫。きゅ、救急車」 「さ、桜さん………」 「しゃべっちゃだめよ!」 「最後に一つだけお願いが……」 「な、何?」 「死ぬならあなたの85の胸で死にたい……」 「死ね!」 桜はうずくまる義也に思いきり蹴りを入れた。 義也はうずくまったまま横に転がった。 「あ、やば、だ、大丈夫!?」 「ひどいなあ、桜さん。さすがにちょっと痛いです」 そう言いながら、しかしなんでもないように立ち上げる。 驚いて義也を見るが、制服にも裂けた様子はなく、血も出ていない。 「え、な、なんで……?」 「これです」 そうして学ランの中から取り出したのは、一冊の週間漫画誌。 「………なにそれ」 「今日これの発売日だったんで助かりました。刺される瞬間に制服の前を開けてこれに刺したんです」 「はあ!?」 「いやいや、以前習っていたマジックが役立ちました」 「ふ、ふざけんなー!!!!!!!」 振りかぶった拳を、ためらうことなく腹にきめた。 「いい拳してますね」 「知るか!」 心配した分怒り絶頂で、ずかずかと先を行く桜。 その後を少し義也が追う。 「桜さん」 「何よ!」 桜はそれでも律儀に返事をしてしまう。 「絆創膏持ってますか?」 「は?」 予想外の言葉に桜は思わず振り返ってしまう。 すると一歩後ろにいた義也が右手をなめながら、歩いていた。 右手は、結構な量の血が滴っている。 「え、な、ど、どうしたの!?」 「はあ、先ほどの件で」 「や、やっぱり刺されてたの?」 「というか、最初に彼女が来た時にかすったんですんね」 かすったとはいえ、鋭い刃物。 結構切り裂いていったらしい。 義也はやはり相変わらず穏やかに笑っていたが。 「それで、絆創膏をお持ちですか?」 「ば、絆創膏とかじゃないでしょ!早く病院に行きましょう!」 「それほどでもないんですが」 「馬鹿!」 怪我をしてない方の左手を掴み、病院の方向に引っ張る。 義也は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに微笑んでついてきた。 「お優しいですね」 「私のせいで怪我したんじゃない!平気な顔してんじゃないわよ!馬鹿!」 「はあ、すいません」 会話をしながら、しかし今度は怪我をした義也を気遣いながらゆっくりと歩く。 その様子に、義也はますます相好を崩した。 「慣れてますから」 「え?」 「キャバクラで黒服やってた時は、ケンカは日常茶飯事でしたから」 目が分からなくなるくらい細める義也。 けれど桜は、いたたまれない気持ちになる。 「けど、ありがとう……」 「え?」 「方法はどうであれ、助けてくれて、ありがとう……」 後ろを見ないまま、つないだ手に少し力をこめる。 だから、義也が珍しく真顔になってことも、分からなかった。 「いいんですよ」 「でも……」 優しい、穏やかな声。 桜は、どこかいたたまれない、けれど温かい気持ちになった。 2人を優しい空気が包む。 「桜さんのDカップを守るためならこれくらい」 「ふざけんなー!!!!!!!!」 右アッパーが決まった音が、街中に響き渡った。 |