窓の外にはびっしりと夏の羽虫のように張り付くバケモノ達。
あいつらがすべて窓を突き破って、入って来たらどうなる。
そう考えると、さすがに、じんわりと汗を掻く。

「………ところでお前、なんか食いもん持ってる?」
「へぇ!?」

声を殺して半泣きになっていた玉野が、可愛くない叫び声をあげる。
ていうか本当に可愛げつーものがまったくない奴だ。

「え、えっと。食べ物って、えっと。バッグないし。あ、あ、そうだ、チョコなら、あります。もらったんです」

しゃくりあげながら、ポケットをごそごそと探り、小さな紙袋を取り出す。
手の平に乗ってるのは、半分溶けて、形が崩れかけた小さなチョコレート。
ていうかこいつのポケット大丈夫か。
ベタベタなんじゃないのか。

「腹の足しにもならねーな」
「ご、ごめんなさい」
「腹減ってると、力出ないんだよな」

さっきから空腹で腹がぎゅるぎゅると音を立てている。
本当なら、今頃メシを食ってただろうに。
今日は、昨日買った鶏肉をチキン南蛮にしようと思ってたのに。
くっそ、腹が減って、腹が立ってきた。
なんで俺はこんなところにいるんだよ。

「なんかそういう漫画のキャラクターいましたね」

玉野が泣き止んで、ちょっと楽しそうにそんなことを言い出す。

「漫画?」
「はい、昔の漫画ですけどやっぱり今読んでも面白いっていうか」

パン!ガシャガシャガシャシャ!
そして窓が一斉に大きく叩かれた。

「うひゃああ!」

それで今置かれている状況を思い出したのか、叫んで俺の後ろにぴったりとくっつく。

「お前余裕あるんだかないんだか、どっちだよ」
「どっちかっていうと、余裕ないです!」

この状況を忘れて漫画の話を出来るなんて、随分余裕あるようにも見えるけどな。
気が弱そうに見えて、図々しいし図太いし、ビビりに見えて、変に余裕がある。
うざくて、変なやつ。

「とりあえず、チョコよこせ」
「は、はい」

後ろを振り向かないままバットを持たない左手を後ろに差し出す。
そして玉野が俺の手にチョコを置いた。
包み紙を外して口に放り込む。
甘くて、じんわりと空腹に染み渡る。
でも、一口でなくなるチョコでは、まったく腹の足しにはならない。
相変わらず空っぽの胃は食べ物求めて、痛みすら感じる。

「………よし、やっぱり早く帰ろう。俺は、腹が減った」
「は、はい、それには心から賛成です」

さっさと帰って飯を作って、食う。
絶対食う。
ていうかもう今日は面倒だからレトルトか惣菜か作り置きの冷凍だ。
うるせーだろうけど、知るか。

「………力ぶつければ、いけるかな」

もう結界がどーのこーのとか知るか。
力で押し通す。
攻撃を続ければ、壊れるんじゃないか。
つーかそれしかできない。

「消えろ!」
「わっ」

まだ力を失わず纏っているバットを、振り払い全力で力を放つ。
赤い力が迸り廊下を走り、壁を伝い、全てを焼き尽くしていく。

「………」
「き、消えた?」

一瞬の後、窓の外にいた黒い影は一斉に消えていた。
夕闇の赤が強くなり、廊下を照らしている。

「やっぱり、手ごたえがない」

けれど、やはり何も手ごたえがない。
すかすかとして、霧を相手にしているようだ。

「なんか、ホログラムでも、殴ってる感じ」
「………ホログラム、ですか」

水ですらもっと手ごたえがあると思う。
本当に霧か何かを殴っているかのようだ。

「そうなの、かもしれませんね」

すると玉野がぼそりと、そんなことを言った。
後ろを振り向くと、玉野がびくりと飛び上がって目を逸らす。

「どういうことだ?」
「え、えっと、いや、単なる私の想像なんですけど」
「なんでもいい、言え」
「は、はい、すいません」

玉野はびくびくと震えて視線を落としながら、ぼそぼそと自信なさげに話す。

「なんか、さっきの部屋の奴もそうなんですが、窓の外のは、気付くの、遅かったです。えっと、影が薄いっていうか、空気っていうか、なんていうかいてもいなくても一緒っていうか」
「それはお前のこと?」
「う」
「でもまあ、なるほど」

影が薄い、か。
確かに俺も気づくのが結構遅かった。
あまり、気配が濃いものじゃない。
まあ、この屋敷自体に邪気の気配が強すぎて感じ取りづらいのだが。

「でも、手と足の奴は、空気じゃねーな。俺怪我したし」
「あれは、ちょっと、影が濃いっていうか、自己主張強いっていうか」

まあ、確かにこの窓の外の影に比べれば意思はあったように感じる。
悪意と目的を持って、俺に害を為してきた。

「なるほど、分かりやすかった」

つまり、あいつだけは、物理的な攻撃力を持つってことなのか。
分からない。
でも、考えるのは面倒だから、とりあえずそう考えておこう。

「心配すればいいのは、あの手ってことでいこう」
「え、それでいいんですか!?私言ってるの適当ですよ!?」
「知らない。でも、窓の外の奴らは、こっちこねーしな。面倒だから切り捨てる」
「あ、た、確かに」
「とりあえず、歩くぞ」
「は、はい」

窓際を俺が、部屋側を玉野が歩く。
窓の外の奴らはガタガタと窓を揺らして威嚇してくるが、攻撃してくる気はないらしい。
うざいけど、害がないなら、いい。

「………腹減った」
「ご、ごめんなさい」
「別にお前は悪くないだろ」
「で、でも」

ただ、こんなところにのこのこと来てしまった自分の軽率さを呪うだけだ。
腹が減るし、あいつらには絶対嫌味を言われるし、いいことがない。

「は、原田くんって、いい人ですね」
「はあ!?」

沈んでいく気持ちを抱えて歩いていると、玉野がそんなことを言い出す。
何寝言言ってるのかと思って隣を見ると、眼鏡女は引き攣りながら笑う。

「こうやって、私のこと、庇ってくれるし、口悪いけど、なんだかなんだで、ひどいこと、あんまり言いません」
「あんまりってどういうことだよ!」
「ご、ごめんなさい!」

しかしこれだけでいい人認定されるのか。
あんまり人に優しくされてないのか。
そう思うと不憫にも思えてくる。

「お前、詐欺とかに遭わないように気をつけろよ。いい人の基準低すぎだろ」
「ふふ、確かに。でも、原田くんは、大丈夫だと、思います。たぶん」

多分てなんだ。
と突っ込もうとしたが、初めて見る玉野の笑顔に不思議な気持ちになる。

「なんだお前、笑えるんじゃん」
「へ?」
「ビビってるところと、泣いてるところしか見てねえからな」

半泣きになって俯いてるのと、ビビって引き攣ってるのと、へらへらと誤魔化す様に笑っている顔。
今まで見たのは、そんな感じか。
クラスでのこいつの姿は、覚えてない。
てことでちゃんと笑ってるのは今初めて見た。

「そうやって笑ってる方が、まだマシ」
「え、えと、えっと、どうも?」
「別に褒めてない」

他のよりはマシだというレベルなだけだ。
やっぱり可愛いとはかけ離れている女だし。

「そういう原田くんこそ、笑わないですよね」
「ん?………そういや、そうか」

そういえば、笑うって、あんまりしてないな。
そりゃ笑うが、笑う回数は前より減った気がする。
いつからだろう。
あいつらと暮らし始めてからか。
いや、もっと前の、中学三年ぐらいか。
その前は多分もっと笑ってた。

「まあ、お前の行動見てると、割と笑えるかも」
「えっと、そうですか?」
「苦笑って奴だけどな………っ」
「あ、な……あ!」

嫌な匂いがして、全身に鳥肌が立ち、後ろを振り向く。
玉野が叫んで、一瞬遅れて振り返る。

「で、出た」

廊下の先を見ると、膝から下だけの黒いハイヒールを履いた足。
そしてもし体があったらそこにあるだろうという位置に、錐を持った肘から下だけの手。

コツ、コツ、コツ。

それが足音を鳴らして静かにゆっくりと、こちらに近づいてくる。
わざわざ後ろからのんびりと落ち着いて近寄ってくる。
俺たちの反応を楽しむように。

「ひ、ひいっ」
「登場の仕方がいやらしいよな。やな女」

人を怖がらせる方法が分かっている、えげつないやり方だ。
じっとりとして気持ちの悪い、嫌な悪意を感じる。

「は、原田くん」

玉野が急いで俺の後ろに周る。
ある意味変な事されずに助かりはするな。

「失せろ!」

バットに力を込めて、振り払う。
迸る力が、ハイヒールに向かう。
纏った力がだんだん弱くなっている。
また術を作るだけの時間はあるだろうか。
くそ、あいつがいれば、もっと楽なのに。

コツ、コツ、コツ。

しかし歩みは止まらず、こちらに近づいてくる。

「ちっ」

体を低くして、駆け寄り今度は錐を持った手を狙いバットを振り襲う。

ガツ!

今度は手ごたえがあった。

「は、原田くん!」
「もう一回!」

今度は横に振り払い、もう一方の手を狙う。
その瞬間、ひゅっと風を切る音がして、何かが近づく気配がする。

「………っ」

慌ててその場から後ろに跳び、何かを避ける。
ザクリと音がして、肩が熱くなり、激しい痛みを感じる。

「な、くっ」

後ろにもう一歩飛びずさって確認すると、錐を持った手が俺をまた追いかけてきていた。
今殴っていた手とは違う。
手が、増えている。

「くっそ!」

二体、いるのか。
いや、二体とも限らない。
何体いるんだ。

「どけっつってんだろ!」

避けながら、バットを振り下ろし、その手を殴り倒す。
物理的な感覚があって、殴った俺の手にも衝撃が伝わってくる。

「………よ、しって、痛っ」

すると、今度は反対側からさっきの手が俺の脇腹を狙ってきていた。
なんとか横にずれて、それを避けるが、脇腹の皮一枚掠っていく。

「きゃあ!!」
「この、やろう!」

玉野が小さく悲鳴をあげる。
刺された肩と、皮一枚もってかれた腕と脇腹。
肩が、一番酷いか。
利き腕の右手だから、バットを握る手も痺れてきた。

「だ、大丈夫ですか!?」
「大丈夫に見えるか?」
「あ、あんまり!」
「まあ、まだ動ける」

言いながら、四本の腕の攻撃を避け、バットを振り下ろす。
けれど手ごたえがあったと思って、すぐに別の手に攻撃が移る。
錐は、一本か。

「ったく、ほんと、やなところだ」

手の動きを避けて、一歩、もう一歩と下がると後ろに何かにぶつかる。
壁とは違う、柔らかい何か。
そこには玉野がいた。
何してんだこいつ。

「………わあっ」
「おい、馬鹿、どけ!」
「きゃあ!」

その隙を狙って、錐が玉野を狙う。
咄嗟に玉野を引き寄せ、抱き込む。
錐は玉野を追いかけて、俺の腕の肉をえぐり取っていく。

「ぐぅっ」

さっき刺された肩のすぐ下をもう一度、掠った。

「くっそが!!!」

バットではなく、怒りのまま力を、全身から放つ。
無理やりに放った力の衝撃で、手が押し戻されていく。

「………く、そ」

術を作らず放った力に、体力が更に消耗する。
ああ、腹が減った。
痛てえ。
くそ、メシが食いたい。

「は、原田くん、原田くん、原田くん!」
「うるせえ、何度も呼ぶんじゃねえ!」
「ひっ」

玉野を放り出し、後ろに突き飛ばす。
右腕に、血がつたって赤く染まっていく。
ただでさえ腹が減ってるつーのに、貧血になりそうだ。
濡れた手に、バットが滑りそうだ。

「くっそ」

痛てえ。
力が消耗した。
まだいけるだろうけど、玉野を庇ってる自信はない。
あいつが来るまで、持ちこたえられるだろうか。

「………おい、お前、逃げろ」
「え」
「俺がやられそうになったら、とっとと逃げろ。そのうちあいつが来る」

とりあえず俺一人なら死ぬことはないだろう。
俺が食い止めてる間にこいつが逃げ回ってくれていたら、あいつもそのうち来るだろう。

「や、やです!」

しかし玉野が思いきり首をぶんぶんと横に振る。

「ああ!?」
「ご、ごめんなさい!」

何こいつ、俺に逆らってんだよ。
玉野のくせにムカつく。

「で、でも嫌です!ひ、一人でなんて、逃げられません」

何今更健気なこと言ってんだ。
散々人を盾にしておいて。
でも一応こいつもそういう勇気みたいなの持ってたんだな。

「こんなところ、一人でいられるわけないじゃないですか!一人で歩いてたら、私絶対無事じゃない自信があります!B級ホラーだったら、真っ先にパニックなって殺される役ですよ!」
「………」
「なので、できれば原田くん頑張ってください!私は、一人じゃ、逃げられません!」

ああ、うん。
こいつは、こういうやつなんだな。
短い間が、よくわかった。

「よし、分かった、お前盾になれ。その間に俺があいつ倒すから」
「む、無理です!嫌ですよ!怖いです!」
「それぐらいしか役に立たないんだから、体張れ。俺のために少しは働け」
「ご、ごめんなさーい!!」

聞くだけで脱力するような情けない声。
ああ、もう、こんな事態なのに、力が抜けてしょうがない。

「あー、もう、おかげで、力が沸いてきたわ」
「え、え、本当ですか?」

とりあえず、まあ、どうにかなんだろ。
こいつも怪我の一つや二つ、しょうがない。

「後でお前、一発殴らせろ」
「え、な、なんで」
「なんでもくそもあるか」

本当にとことん、いい性格をしてる。

「お前を殴るためにも、絶対切り抜けるわ」
「え、えっと、いや、もう、切り抜けられるなら、殴るぐらいいいです!お願いします!」

こいつは根性が据わってんだか据わってないんだか。
ほんと、変なやつ。

「はは!」
「………」

覚悟を決めて、腰を据える。
まだまだ全然持ちこたえられるはずだ。

「よし、来いよ」

俺の力でそれなりにダメージがあったのか、近づいてこないハイヒール。
しかしその手がまた俺に向かってじわりじわりと近づいてくる。
手がぬるぬると滑って、肩が熱い。
脇腹が痛い。
バットを握り直し、深呼吸する。

後どれくらい待てばいい。
あいつは、後どれくらいでくる。

「つーか、とっとと来やがれ、くそ野郎!」

思わず毒づくと同時に、世界が揺れた。

パ、リン。

ガラスが割れるような音。
そして、視界が、白い光に染まった。





BACK   TOP   NEXT