まばゆい白い光と共に、世界が、壊れる。
パラパラとガラスが砕けるように、粉々になっていく。

「勝手に行動して、勝手にピンチになって、勝手に呼んで、勝手なこと言うな」

そして聞こえてくるのは、凛とした涼しげな低い声。
この1年ほどですっかり聞きなれてしまった声だ。
相も変わらず回りくどく嫌味たらしい。

「おっせーよ、この、馬鹿」
「どっちが馬鹿だ?」

窓に張り付く影も、四つの手も、黒いハイヒールの足も、なくなっている。
廊下には果てがあり、元通りの夕暮れの屋敷に戻っている。

「え、あ、み、水垣君!?」

玉野が驚いて声をあげる。
今まで手と足がいた場所には、打って変わって一人の男が佇んでいた。
目がくらむほどに白い力を纏い、暗闇の中に浮き上がるように立っている。
染めてもいないのに薄い栗色の髪、同じく薄い茶色の目、ムカつくが整った顔。
今日もいつものように、だるそうな、退廃的とでもいう空気を纏わせている。
薄茶の目で俺を一瞥して、わずかに首を傾げる。

「怪我してるのか?」
「………まあな」

くっそ、こいつらにだけはこういう弱みを見せたくなかったんだがな。
水垣は俺の傷を見て、馬鹿にするように軽く肩を竦める。

「あ、あの、原田君は、私を、庇って」

そこで俺の後ろにいた玉野が、恐る恐る前に出てきてそんなことを言う。
こいつにフォローするようなことを言われても余計に腹が立つだけだ。

「あれ、君は?」

水垣はそこでようやく玉野の存在に気付いたようだ。
よそ行きの顔を作って、わずかに笑いかける。

「あ、えと、えっと、その」
「同じクラスの、玉野さんだっけ?」
「は、はい」

いつもながら優しげに笑う水垣を見ていると、気持ち悪くて鳥肌が立ちそうだ。
玉野は簡単に顔を赤くして、こくこくと頷いている。

「巻き込まれたの?大丈夫、どこか怪我はない?」
「あ、あの、その、えっと」

水垣がそっと玉野に近づいて、頬に手をかけようとする。
玉野は飛び上がって、その手から急いで逃げ出した。
そして盾にするように、俺の後ろに回り込み、シャツの袖を握り締める。

「なんだよ」
「だ、駄目です!イケメンリア充オーラが眩しくて、耐えられません!」
「なんだそれ」

簡単に水垣の嘘くさい笑顔に転がされないのはいいけど、イケメンリア充オーラってなんだ。
ていうかちょっと待って。

「おい、ちょっと待て、水垣にはイケメンリア充オーラを感じて、俺には感じないってどういうことだ」
「え、え?えっと、え?えーと?」
「誤魔化すな、おい」

後ろにいる玉野に振りかえると、視線を彷徨わせ、俺の追求から逃げようとする。
本当にいい度胸してんじゃねーか、こいつ。

一発殴ろうと手を握ったその瞬間、突然、眩暈がした。
視界が周り、世界が急速に色をかえていく。

「あ」
「………ひっ」

玉野が怯えて、俺に強くしがみつく。
気が付けば、世界はまた、果てのない黒と赤の廊下に変わっていた。

「また閉じられたか」

水垣が、天井を向いて静かにつぶやく。

「なんだそれ」
「結界が閉じた」
「誰がやってんだよ」
「この家の主だろ」

分かるような分からないような、いい加減な答え。
こいつらは、俺には情報をあまり出さないことが多い。
だからこそムカついて、鼻を明かしてやろうとか、馬鹿なこと考えちまうんだけど。

「ひ、い、もう、嫌ですー!」

玉野が涙声で、俺の背中に顔を埋めてくる。
背中に感じる、湿った温かい感触。

「………おい、鼻水つけんなよ」
「あ」
「なんだ今の『あ』は」
「えっと?」
「殴っていいか」
「こ、こっから逃げられた後なら」

水垣が俺の後ろを覗き込んで、優しげな声で聞く。

「玉野さんも見えるの?」
「え、えっと、その、嗜む程度に」

なんだそれは。
趣味なのか。

「そう、怖かったでしょう?ごめんね、もう少し大丈夫かな」
「い、いえ、いえいえいえ、いえい!」
「おい、景気がいい感じになってるぞ」

玉野が水垣から逃げるように、今度は俺の左手のほうに移動する。
俺の腕にしがみついて、半泣きになっている。

「だ、駄目です、助けてください、原田君!」
「何からだよ」

今の状況か。
それとも水垣からか。
それとも両方か。

「驚かせちゃった?ごめんね」
「ひい!」

水垣が申し訳なさそうに言いながらも、玉野にまた近づく。
こいつ、わざとやってるだろう。
なんでもいいけど、俺を挟むのはやめろ。

コツ、コツ、コツ。

そんな馬鹿なことをしている間に、またあの足音が聞こえてきた。
玉野が怯えて俺の腕を更に強くつかむ。

「来たぞ。つーか玉野爪立てんな。痛い。離れろ」
「い、嫌です、って、あ」

離れようとしない玉野を無理やり引きはがし、後ろに放り出す。
そして廊下の先に現れた足と手に、バットを持って対峙する。

「あれが?」

俺の隣に水垣が立って、同じように前を見据える。

「ああ、あいつが本星っぽい」
「なるほど」

水垣がすうっと、息を一つ吸って、細く長く吐く。
それから、静かな声で呪文みたいなのを唱え始める。

「………もろもろのまがごとつみけがれをはらいたまえきよめたまえともうすこと、あまつかみくにつかみ」

高くもなく低くもなく、不思議な抑揚で朗々と唱えられる呪文。
聞いてると脳裏が痺れてくらくらしてきそうな、それ自体が力を持つような、声。
こいつは心底ムカついて嫌いだが、こいつのこの声とこの呪文は、嫌いじゃない。

「やをよろづのかみたちともにきこしめせとかしこみかしこみもうす」

最後の声を結ぶと、俺たちの周りを、風船のような球体の力が囲む。
一切の害意も邪気も、遮断される。

「わ」

玉野が驚いたような声を上げる。
手と足が近づいてきて、その手にもった錐を俺たちに振りかぶる。

「きゃあ!」

けれど、錐は俺たちのところに届くことはなく跳ね返される。
いつのまにか手が増えていて、懲りずに結界を引っ掻き叩き、錐を刺し始める。

「ひ、ひぃ」
「黙ってろ。しばらく持つ」
「大丈夫だよ、玉野さん。ちょっと我慢してね」
「は、はい」

玉野はこくこくと頷いて、とりあえず黙った。
水垣が、目を細めて、至近距離で俺たちに害を為そうとする手と足を見据える。

「………手と、足か。でも本体は」
「錐、だろ」
「分かってたのか」
「なんとなく」

どんなに手足が増えても、錐は一つだけだった。
そして、殴って手ごたえがあったのは錐を持つ手だけ。
だから、なんとなく、こいつの本体はあの錐だと思ったのだが、アタリだったらしい。

「まあ、なんだっていい。とりあえず、出るぞ」

バットを握り締め、隣の水垣を見上げると、水垣はつまらなそうに俺を見下ろす。
動く気配がなく、苛立って睨みつける。

「おい、早くしろ」
「お前の尻拭いなのに、なんでそんな偉そうなんだよ」
「うるさい」
「せめて頭を下げて頼め」

ああ、ムカつく。
殴りてえ。
が、ここは俺も大人になってやる。
今回のは俺が悪い気がしないでもない。

「………オネガイシマス」
「とりあえずはそれで許してやる」

ため息交じりに言うと、水垣が俺に向き合い肩に手を置く。
最初からそうしてればいいんだよ、この嫌味野郎。
とは、とりあえず今は言わないでおく。

「そはわがけんぞく」

水垣が俺の額に自分の額を合わせる。
じわりと、水垣の熱と力が伝わってくる。
目を瞑り、水垣の呼吸を感じる。
水垣の白い力に、自分の力を委ねる。

「そはわがけんぞく、われはめいず、なんじがかせをときはなち、なんじがいましめをいまここにかいほうし、われとなんじがためにそがちからをあらわせ」

水垣の声と呪文に酔って、ふわふわとしてくる。
こいつの声と力は気持ちがいい。
そして、水垣の呪文と共に、自分の中で、力を縛っている鎖のようなものが、一つ一つ外れていく。
自分の力が、むき出しになっていく。
体が、全てから解き放たれて、軽くなっていく。

「そがちから、わがために、ここにあらわせ」
「………は、あっ」

結びの言葉を終えると、体が燃え上がるように熱を持つ。
力が、溢れてくる。
自分自身が、燃え盛る炎になったように、赤く染めあがる。

「力よ、来い!」

スムーズに溢れる力をバットに込める。
小難しい呪文など使わずとも、すぐに力が宿る。
そして、水垣から離れて、結界の外でずっと俺たちを狙っていた手足に向き合う。

「水垣、結界を消せ!」

高揚する気分に、自然と笑いが出てくる。
楽しくて仕方なくなってくる。
わくわくとした気持ちが、抑えられない。

「原田、錐だ」
「知るか、全部、消せばいいだろ!」

水垣が結界を解除する。
それと同時にバットを振り払い、力を解き放つ。

「はは!全部、消えろ!」

手足がはじかれ、四方に散っていく。
逃げようとする気配も見せるが、そんなの許さない。

「いっけえ、消えちまえ!!!!」

散らばった手足と、そして錐に近づき、さらにもう一回バットを振り払う。
俺の赤い力が、溢れ、廊下を舐めつくしていく。
抵抗を許さず、力づくで、手足に、食らいつき、ねじふせる。

バリ、ン!!!

水垣が来たときよりも、激しい衝撃に世界が揺れる。
ガラスが割れる音がして、世界が、壊れる。
音にならない音が木霊して、粉々に、割れる。

「あ………」

そして気が付けば、そろそろ完全に日が落ちようとしている廊下。
廊下の突き当たりが見えて、窓の外には、何もいない。

「………消え、た?」
「うん。とりあえず結界は抜けたみたいだ。早く出よう」

玉野のぼんやりとした声に、水垣が応える。
どうやら、全部消えたようだ。
相変わらず屋敷内の邪気は濃厚だが、さっきまでの悪意は薄れている。

「………くっそ、しんど……」

一時的に力を全部引き出された体は、ずっしりと重い。
手足に鉛でもつけられているようだ。
上がったテンションも一気に下がる。
膝から力が抜けてしゃがみこむ。
咄嗟にバットで体を支えて座り込むのを堪えたが、今にも倒れこみそうだ。

「これに懲りたら、勝手なことするな」

嫌味ったらしく言う水垣が、バットごと荷物のように俺を肩に抱え上げる。
視界が回ったせいで、吐き気がする。

「うるせー………」
「お前にそんなこと言える資格はあるのか?放り出して帰るぞ」
「………スイマセン」

あー、くそ、ムカつく。
ぜってえ、もうこういうことしない。
こんなことでこいつらに頭を下げるなんて、ごめんだ。

「玉野さん、大丈夫?歩ける?」
「えっと、はい、はい!」
「じゃあ、行こうか」

水垣が俺を抱えながら歩き出す。
玉野がその後にちょこちょことついてきて、俺を心配にそうに見上げてくる。

「あの、原田君、大丈夫ですか?」
「ああ、すぐに動けるようになるから大丈夫」
「そ、そうですか」

くっそ、情けねえ。
こんな米俵みたいに抱えられてる姿見せるとか、本当に屈辱。
でも、あれをやると、しばらく体力が回復しない。
まだ歩けはするだろうが、こいつに運ばれて帰る方が早いし、早くこの屋敷から出た方がいい。
いつもは一回くらいなら大丈夫なんだが、今日は燃料不足だ。

「………腹、減った」
「ああ、そう言えば夕飯が遅れるって怒ってたぞ」
「そっちで怒ってんのかよ」

あいつは、人の心配ぐらいしねーのか。
しないだろうな。
俺が怪我でもしたら馬鹿にしまくって笑うだけだろう。
あの家の中で、まともに俺のことを心配してくれるのは一人だけだ。

「ごめん、玉野さん、鞄持ってもらってもいいかな」

玄関まで来ると、やっぱり俺と玉野の鞄が転がっていた。
水垣が申し訳なさそうに言うと、玉野が鞄に飛びつく。

「は、はい!よろこんで!!」

居酒屋か。

「お前、俺と水垣じゃ、態度違くねえか?」
「え、え、そ、そんなことないですよ?」

少しくらい顔が整ってて背が高いからって、あからさまに態度替えやがって。
これだから女ってのは。

「ただ、ちょっと原田君は怖いっていうか、なんていうか」
「おい」
「ご、ごめんなさい!」

人が必死に怪我してまでかばってやったのに、感謝の気持ちもねーのか、この女は。
後で絶対小突き倒してやる。
でも今はそんな気力も体力もない。

「ああ、本当に、腹減った………」

もう一度ぼやくと、水垣がため息をついて、ポケットから包み紙を取り出す。
いつもの、ナッツがたくさん入った、チョコレートバーだ。

「食え」
「おお」

肩に抱えられたまま、ありがたく受け取り、包み紙をはがす。
思いきり齧りつくと、ヌガーとカラメリゼしたナッツのねっとりとした甘さが口の中に広がる。
容量のある食べ物に、空っぽだった胃が歓喜の声をあげている。

「んー、うまい!サンキュ!」
「俺にチョコつけるなよ」
「ん」

頷きながらも、久々の食糧に集中する。
胃と頭に血が巡って、体があったかくなってきて、手足に力が戻ってくる。

「よし、ちょっと力出てきた」
「なら、さっさと帰るぞ」
「うん」

水垣が俺を、地面に降ろす。
少しふらついたが、さっきまでのように倒れこみそうな脱力感はない。
これから後少しで本調子になりそうだ。

「よし、帰ろう!さっさと帰って飯を食う!」
「………動物」
「何か言ったか?」
「いえ、なんでもないです!」

玉野は後で小突くとして、とりあえずさっさと帰ろう。
ようやくたどり着いた玄関の扉を、押す。

今度は簡単に開き、外の新鮮な空気が入ってきた。





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