お浄め前だからと、野菜中心の物足りない、けれど美味しかった昼食を終え、風呂で水垢離をした。
まだ夏だからいいが、冬の水垢離は最悪だ。
最初やらされた時、思わずぶちぎれて四天サンに殴りかかったのは懐かしい思い出だ。
軽く返り討ちにされて、更にえげつなく水をかけられたけど。

「おかしいな」
「原田?」

水垢離を終えた後に、仕事着である白衣と袴を着ようとする。
しかしいつまでたっても、綺麗な着方っていうのが分からない。

「水垣、これどうやって結ぶんだ」
「………なんでそんなことになるんだ」

衿は完全にちぐはぐで肩から落ちそうだし、袴の紐は堅結びにしてあるのにずり落ちそうだ。
かなりみっともない。
それは分かる。
水垣や四天サンが着ているのを見たことはあるから、俺の着方が間違っているのは分かる。
分かるが、だからといって綺麗に着れるわけじゃない。

「一回全部脱げ」
「分かった」

一旦袴も着物も全部脱ぐ。
水垣はパンツいっちょになった俺の前に立ち、脱ぎ散らかした着物を着せていく。

「肌襦袢から、きっちり着ろ。特に長襦袢に皺があると、長着に響く」
「言ってる意味がわからん」
「………覚えろ」

俺の衿を合わせながら、水垣がため息をつく。
一応前に何度か教えられはしたけれど、パーツも多くて、名前も難しくてよく覚えれられない。
浴衣ぐらいはなんとなく着られるようになったが、袴まで身に着けるとなると、さっぱりだ。
だいたい、着替える必要がどこにあるのか、いまだによくわからない。

「後ろ向け。うん、これでいいか」

水垣が袴の紐まで結んでくれて、俺を一回りさせる。
そして、満足げに頷く。
俺も鏡に自分の姿を映し、ちゃんと着れていることを確かめる。
さっき自分が着ていたのとは、明らかに大違いだ。
ピシッとして心なしか背筋も伸びて見える。

「うまいもんだな」
「お前も早く覚えろ」
「うーん」

着る機会もそうないのに、覚える必要はあるだろうか。

「………覚えろよ。お前は小柄だから着せづらい」
「誰がチビだ!」
「そこに食いつくな。ほら行くぞ」
「へーい」

水垣が自分が使う長い剣を持ち、さっさと部屋の外に出る。
俺も一応バットの入ったケースを持ち、後に続く。

「お待たせいたしました」
「いえいえ」

下で待っていた尾形さんと他のお手伝いの男性も袴姿になっている。
だからなんで袴姿になる必要があるんだろうな。
動きやすい格好でいいだろうに。

「では、海まで参りましょうか」

尾形さんの後について、外に出る。
扉を開けた瞬間、鼻を付く臭気。
なんか、もっと臭くなっている。

「………臭い」

思わず漏らしてしまうと、前に尾形さんが振り返る。

「朝日さん?どうかされましたか?」
「………なんでもない」

生臭い、何かが腐ったような、何とも言えない不快な匂い。
なんだこれ、さっきよりも強くなってるな。
吐き気がしてくる。
隣の水垣に小さく訴えかける。

「水垣、気持ち悪くなりそうだ」
「………大丈夫か?」
「駄目かもしれん」
「耐えろ」

鬼か。

「そんなに匂うのか?」
「なんでお前らわからねーんだよ」

鼻が曲がってしまいそうな、匂いだ。
どっかで卵か肉でも腐ってるんじゃないだろうか。
でも、村中臭いってのも、おかしな話だ。。

「家に、いちゃ駄目か」
「耐えろ」

鬼か。
でも家の中にいるとも言えず、そのまま尾形さんやその他と海辺まで来てしまう。
草履で浜辺はすごく歩きづらい。
砂に足がとられて、転びそうになる。

「………歩きづらい」
「慣れろ」

鬼だな。
シデが風で揺れている、夕暮れの赤い、海。
空の色を受けて、海まで血のように真っ赤だ。
なんだか昨日見た時よりも、ずっと不気味に見える。

「では、こちらで最初の祓いをお願いできますか」

小屋の前まで来ると、尾形さんが前を指し示す。
そこには小さいお供え物が乗せられた高いお盆みたいなのがある。

「あれ、小屋の中じゃないの?」
「最初の祓いは、こちらで。後の祓いは、中で行っていただきます」
「ふーん」

誰もいない海辺で、ぽつんと立つ小屋。
その前にある小さなお供え物のお盆。
観客も少ない。
仮にも祭りの前のオハライがこんな寂しいものでいいのだろうか。
盛大でオゴソカなお祭り、なんじゃなかったっけ。

「では」

水垣が剣を持ち、前に進み出る。
そして、剣を浜辺に置き、お供え物の前で座り、一礼する。

「僭越ながら、祓いを行わせていただきます」

そして、パンと大きく手を叩く。
その瞬間、水垣の白い力が迸り、眩しくて目をつむる。
周りの奴らも、力を感じた奴もいるようだ。
驚いたような顔をしている。

「たかまのはらにかむづまります すめらがむつかむろぎ かむろぎのみこともちて やほよろづのかみたちをかむつどへにつどへたまひ」

水垣の高くもなく低くもなく、不思議な抑揚で朗々と唱えられる呪文。
それ自体が力を持つような、綺麗な声。
やっぱり、この声は好きだ。
聞いていると脳裏が痺れて、くらくらとしてくる。
じわりじわりと辺りに染みわたる、水垣の白い力も心地よい。
酒は苦手だが、酔うっていうのは、こういう気持ちなのだろうか。
ふわふわとして、現実感が去っていき、眠いような、興奮するような、不思議な気持ち。

「よろづのかみたちともに きこしめせとまをす」

言葉を結び、水垣の呪文が終わる。
そこで、現実にようやく戻ってくる。
危ない。
あやうくトランス状態になりそうだった。

「………始まりの祓いは、済みました」

水垣が剣を持ち、立ち上がる。
辺りは、しんと、静まり返っている。
聞こえているのは、波の音だけ。
未だに匂いはするが、水垣の力が辺りに満ちているのは心地いい。

「おお、ありがとうございます。これで、祭りは無事始まることでしょう」
「ええ。そしてつつがなく終えることができましょう」
「ええ、ええ、勿論です。お若いのにしっかりしたものだ。これなら、海に眠るものたちも安心して祭りを迎えることができる」

尾形さんが満足げに、手を叩く。
水垣も、軽く微笑む。

「では小屋の中で、祭りの終わりまでお待ちいただけますか。祭りの終わりにまた迎えに来ますので、その際に終わりの祓いをお願いいたします」
「はい、承知いたしました」

尾形さんに促され、俺たちは狭い小屋の中に入る。
中はろうそくで、ぼんやりと明るく照らされている。
新しい木の匂いがする、海側にだけガラスの入っていない小さな窓がいくつか開いた、粗末な小屋。
でも、壁には割と太い木が使われていて、丈夫そうだ。

「どうぞ、お腹も減るでしょう。こちらを召し上がってください」

お手伝いの人が、お盆に乗ったお供え物を持ってくる。
とっくりとお猪口と、白い平べったい何か。

「これ、お餅?」
「ええ。神饌のお神酒と、餅です」
「俺、酒は苦手」

そういえば小腹が減ってきたかもしれない。
ただ、餅はいいけど、酒は好きじゃない。
美味しいとも思わない。

「はは。ではこちらの神水を。酒よりは、餅とも合うでしょう」

尾形さんが、もう一つ徳利をもってくる。
どうやらそっちは水のようだ。

「うん、ありがと!」

尾形さんはにっこりと笑って、頷く。

「では、退屈でしょうが、いましばらくこちらでお待ち下さい。二時間ほどで迎えに参ります」
「はーい」
「はい」
「それでは。また後程」

尾形さんとお手伝いの人は、そう言って外に出て行ってしまう。
薄暗い部屋の中に残されたのは、俺と水垣の二人きり。
急にしんと静まり返った部屋の中で、暇なのでとりあえず餅を食う。
餅は焼いてはあるものの特に味もなく、少し米の甘みがあるシンプルなものだった。

「んー。あんまり味がないな。おいしくない」
「神饌だからな。昔ながらの作り方だろう」
「シンセンってなに?新しいってこと?」

水垣が俺を見て、軽くため息をつく。
なんだよ、普通の生活でつかわねーだろ、そんな言葉。

「神饌とは神に捧げる供物。食べ物、捧げもの。神に差し上げるものだ。その餅みたいに焼いたりして調理したものを熟饌。調整せずに捧げるものを生饌と言う」
「ふーん」

ジュクセンにセイセンか。
一瞬間ぐらい覚えてればいいな。

「本当は美味しくないものは食べたくないけど、まあ、とりあえず腹の足しになればいいかなあ」

口の中が乾くから、水を徳利のまま飲み干す。
水垣は確か酒が飲めたからいいだろう。

「それにしても、祭りって、こんなもんだっけ。もっとなんか儀式とかあるのかと思った。尾形さん達の出番ってこれで終わり?それとも、海じゃなくて別のところでやってるのかな」

人の気配は一切なくなってしまった。
窓から見える海にも、誰もいない。
ここには、小屋の中にいる俺たちだけだ。
祭りって、こういうものなのか。
村全体を閉鎖してまで仰々しく執り行っているのに、肝心の祭りは地味なものだ。
最初と最後のお祓いしかしないって、それ、村の人たち何もしてないし。

「かもしれないな。海には、多分、最後になにかあるんじゃないか」

水垣は海を見ながら、興味なさそうに答える。

「最後ねえ」

なんとも楽チンなことだ。
仕事俺らしかしてないじゃん。
まあ、正確に言えば水垣だけだ。

「………原田」
「ん?」
「いや、なんでもない」
「なんだよ」

本当に、変なやつ。
まあ、今回、ちょっと可愛い所見れたけどな。

「お前、結構変なやつだな」
「………変か」
「うん。でも、そっちの方が面白い。スカして偉そうにしてるより、そっちのがいい」
「………」

いつもクールで大人ぶって、俺なんかより何段も上なんだって顔してるより、取り乱して赤くなってるほうが人間味があるだろう。
なにより偉そうじゃなくていい。

「ふああ、なんか、眠くなってきた。ちょっと寝てていいか」

そんなことを話していたら、腹も満ちたせいか、なんだか眠気が襲ってきた。
ろうそくのゆらゆらとした光は、眠気を誘う。
まっくらよりも、なんか薄暗い方が眠いな。
どうせ、祭りの終わりまでやることもない。

「ああ。三方倒すなよ」
「サンボウ?」
「神饌が乗った台だ」

なんかいちいち面倒くさい名前がついてるな。
お供え物にお盆でいいじゃねーか。

「はいはい。おやすみ」
「おやすみ」

サンボウを避けて、床に横たわる。
床は堅い。
着ている袴もごわごわして寝づらい。

でも、目を瞑って5秒で、あっという間に、夢の中だ。



***




「ん」

不快感があって、覚醒が促される。
なんだ。
何が、不快なんだ。
気持ち悪い。

「く、さい」

ああ、そうだ。
この、鼻が曲がるような匂い。
この村に来てからずっと感じていた、何かが腐ったような、匂い。
これまでより、ずっと匂いがきつくなっている。

「生臭い」

目を開けて、起き上がる。
ろうそくの光がまだ、小屋の中を照らしている。
どれくらい、寝ていたのだろう。

「あれ、みずが、き?」

気配を感じなくて、慌てて辺りを見渡す。
といっても、狭い部屋の中だ。
三歩もあるけば端から端までいけてしまう。
隠れる場所なんてない。

「いない?」

どこに行ったんだ。
トイレか何かで、一人外に出たのか。
俺にはあれほど水分を取らずにトイレに行っておけって、いったくせに。
とりあえず立ち上がり、後ろの結構がっしりとした扉を開こうとする。

ガタガタ。

しかし、扉は開かない。

「………え」

なんだ、これ。
何度か引手を持って扉を揺するが、開かない。
粗末なくせに頑丈な扉は、乱暴に扱っても壊れる様子もない。

「なんだ、これ。水垣!」

外に向かって呼んでも、応える声はない。
なんだ、これ。

「くっそ」

思いきり扉を蹴りつけるが、やっぱり少し揺れるだけで壊れる様子はない。
それなら、バットで破ってやろうか。
持ってきたバットを探して、床に視線を落とす。
しかし、目的のものが、ない。

「………バットが、ない?」

周りには水垣も、水垣の剣も、そして俺のバットもない。
シンセンの残りと、それが乗ったサンボウがあるだけだ。

「どういう、ことだ」

水垣はどこに行った。
俺のバットはどこに行った。
この事態はなんなんだ。

「………そうだ、窓」

とりあえず外の様子が知りたくて、振り返る。
そこにはガラスのない小さな穴が開いただけの窓がいくつかある。
ここから出られないかと一瞬考える。
でも、顔は入りそうだが、肩はどうあっても入らなそうだ。

「くっそ」

外はすっかり日が暮れていた。
月明かりに照らされた砂浜と、すっかり黒くなった海が見えるだけだ
人の気配はない。

「おい、水垣!」

もう一度呼びつけるが、やっぱり応える声はない。
あいつ、どこに行ったんだ。

「ん?」

海の方になにか動くものが、見えた。

「………波か?」

ゆらゆらと、波打ち際で、揺れるものがある。
波が、打ち寄せているだけだろうか。

「………」

いや、違う。
あれは波ではない。
だって、波よりこちらに、来ている。

「な、に」

ゆらゆらと揺れるような動きで、ゆったりと、こちらに近づいてきている。
そして、目をよく凝らしてみてみると、それは一つだけじゃなかった。
黒く、長い、ゆらゆらと動く何かが、浜辺を這って、いくつもいくつも、こちらに近づいてきている。
蛇、だろうか。
違う。
蛇は、あんな悍ましい、気配はしていない。

「………なんだ、あれ」

じわりじわりと、何匹、下手すると何十匹、蛇のような黒い何かが、近づいてくる。
臭い。
生臭さが、増している。
吐き気がする、匂いと、気配。

「こっちに、来てる?」

そして、気付く。
海辺に面した、ガラスの入っていない、小さな窓。
この窓から、俺は出られはしないだろう。

でも、あのナニカは、簡単に入ってこれる、大きさだ。





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