朝、キッチンに立っていると、一番に起きてきたのは水垣だった。
眠そうな顔で、あくびをしながら俺に視線を向ける。

「おはよう、原田。今日は何作ってんだ」
「おはよう。おにぎり」
「中見は?」
「昨日の残りの豚キムチと、冷凍してあったから揚げをマヨネーズであえた奴。後はこの前志藤さんが買ってきたわさび漬け。そんで野菜たっぷりの味噌汁」

今日のおにぎりの中身は、三種類。
みりんの甘い香りとごま油の香ばしい匂いがする、昨日大目に作っていおいた豚キムチ。
そしてこの前うっかりテンションあがって買いすぎた特売の鶏肉で作り冷凍していたから揚げをグリルで温めた。
余計な油が落ちて、なおかつカラっと感が蘇ったから揚げをマヨネーズと黒こしょうで合え、ブロッコリーと一緒に握ったもの。
から揚げの脂っこさをブロッコリーと黒こしょうが相殺し、しつこくない味わいになっている。
最後はあっさり口直しにわさび漬けのおにぎり。
いずれもふっくらと炊いた白米と香がいい海苔との相性は抜群で、お互いを打ち消すことなく高め合っている。

そして三日間家を空けるから痛みそうな野菜をすべてブチ込んだ味噌汁。
これまた冷凍室で残っていた豚コマを入れてトン汁もどきになっている。
いい感じに豚の脂が浮いて、一鍋丸ごといけそうないい出汁だ。

「………朝からすごいな」
「でかけるなら朝からしっかり食わないと駄目だろ」

仕事は基本的に体力を使う。
それならば、朝からしっかり食べてしっかり体力をつけておかなければいけない。
なおかつ俺は今、すごくおにぎりの気分だ。

「いただきます」
「いただきます」

すぐに起きてきた志藤さんと四天サンと一緒に、ダイニングのテーブルを囲む。
いつだって素直においしいと言うのは、水垣と四天サンの美徳ともいえるだろう。
志藤さんはおいておいて、この二人がこんなに素直になることはないからな。
しかし問題は、この二人の偏食だ。
肉好きの野菜嫌い。
苦みやえぐみは嫌いで、甘いものやしょっぱいものが大好き。
つまり、ジャンクで子供舌だ。

「おい、水垣、四天サン、わさび漬けと味噌汁も食え」
「えー、だってわさび辛いし」
「野菜はいらない」
「お前らなあ」

から揚げと豚キムチのおにぎりのみを食べてる二人は、ある意味本当に素直で分かりやすい。
だが、俺の料理の前にそんな我儘は許さない。

「分かった。わさび漬けはいいから、味噌汁は食え」
「………お前本当に料理のことになると厳しいよな」

水垣が嫌そうにぼそりとつぶやく。
当たり前だ。
この料理にはどれだけの人間の労力がかかってると持ってる。
というかそもそも俺の労力がかかってる。

「俺と材料と材料を作った人に感謝して食え」

そう告げると、しぶしぶ二人は頷いた。

「はーい」
「………はい」
「よし」

まあ残っても、俺が全部食えるから問題はないんだけどな。



***




そして朝食を終えてから、皆で車に向かう。
家の庭の隅にある車庫に置いてあるのは、ライトブルーのミニバンだ。
4人プラス色々荷物で乗るのは大変なので、この大きさの車になったらしい。

「俺、寝るから後ろの席でいいや」

そしてもう一つは、セダンより寝やすいと言う理由だ。
四天サンがさっさと二列目の一番広い席に乗り込み、シートを倒す。
こいつが後ろに行くなら、俺の場所は一つしかない。
四天サンの隣も、水垣と最後部に乗るという選択肢もある訳がない。

「じゃあ、俺は助手席乗る」
「はい。では司狼さんも後ろの席でよろしいですか?」
「うん、いいよ」

水垣も素直に頷いて、四天サンの隣に座る。
こいつは大好きな四天サンと隣にいられるなら満足だろう。

「つーか四天サンは、よくそんな寝て目が腐らねーな。脳みそ溶けねえ?」
「朝日は面白いこと言うね」

四天サンは着ていた薄手のパーカーをかぶって、すでに寝る体制に入っている。
眠そうな顔で、ひとつあくびをする。

「省エネ生活って、結構大変なんだよね」
「省エネ?」
「そ。昔は言いたい放題言っちゃって、悪いことしたなあ」
「は?」

何言ってんだか分からなくて聞き返すが、四天サンはくすりと小さく笑った。

「ふふ、おやすみ」

そしてパーカーを肩まで引き上げて目を瞑る。
つーか本当にさっきまで寝てたのに、よく寝れるな。

「相変わらず、よく寝るな」
「あ、はは」

エンジンをかけて車を動かし始めた志藤さんが困ったように笑う。
この人も世話係かなんかなら、こんな自堕落に暮らしている四天サンになんか一言いえばいいのに。
ま、寝てる分にはうるさくなくていいけど。

「朝日さん、学校生活はいかがですか。もう慣れましたか?」

車が走り出してしばらくして、志藤さんが聞いてきた。
学校生活か。
別に不満も何もない。

「んー、まあ、普通?」
「勉強などは難しくはないですか」
「んー………」

それはちょっと困っている。
元々俺は勉強が得意な方ではないようだし、今も得意じゃない。
その上しばらく勉強できない時期があったせいで、遅れていることは確かだ。
まあ、そもそも勉強してないしな。

「転校してそう日も経っていません。困ったことがあったら司狼さんに頼ってくださいね。私にもどうぞご相談ください」
「志藤さんに相談しても学校のことじゃどうにもなんねーだろ」

それと水垣に相談するのは論外だ。
そう言うと志藤さんは、困ったように苦笑した。

「あ、はは。そうかもしれませんが、勉強ぐらいならお教えできますよ。もう現役を離れてしまいましたが」
「あー」

勉強かあ。
する気起きねえなあ。
留年しなきゃいいんじゃねえかな。

「今回もあんまり低い点数取ったら、四天に何言われるか分からないぞ。中間は転校したてってことで大目に見てたんだからな」

答えを濁していると、後ろにいた水垣が静かにつっこみを入れてくる。

「あー………」

この前の中間は、確かに赤ばっかりだった。
課題もくらった。
次の期末で赤をくらったら、補修もあるんだよなあ。
そんなことしたら、確かに四天サンが何をいうか分からない。

「………水垣はどうなんだよ」
「俺はそこそこ」
「………」

そういや玉野か、なんかそこらのやつらが頭もいいとか言ってたっけ。
くっそムカつく。

「司狼さんは、とても成績優秀でいらっしゃいますよ」

志藤さんが苦笑しながら、いらない補足を入れてくる。
水垣がいい成績を取るなら、あまりひどい点数をとったらまずいだろう。
いや、でもそもそも、四天サンに叱る権利はあるのか。

「………四天サンは、高校時代、成績どうだったの?」
「四天さんが、悪い成績を取るように見えますか?」

志藤さんが困ったように笑って、肩を竦める。
まあ、うん、そうだよな。

「………見えない」

この要領がよさそうな自信満々な偉そうな男が、悪い成績をとるはずがない気がする。
たぶんそんな自分を許さないだろう。

「ご自分にも人にも厳しい方です。朝日さんもあんまり悪い点数とると、お叱りを受けるかもしれませんね。試験前は家事も交代いたしますから、勉強なさってくださいね」

勉強、したくねえな。
面倒くさい。
そんなことするくらいなら、レシピ本を読んでいたい。

「お叱りっつってもなあ」
「メシ抜き位されるかもしれないぞ」
「それはだめだ!」

水垣の言葉に、我に返る。
この男なら、それくらいやりかねない。
メシが食えないのは、地獄だ。

「帰ったら勉強する!」
「そうなさってください」

志藤さんが苦笑しながら、頷く。
そして水垣が更に続ける。

「それに、料理は化学だろ?」
「へ?」
「化学や物理は、料理の調理法に通ずるらしいぞ。凝固とか沸点とか浸透率とか」
「………」

そういえば、そうだ。
そういえば昔の記憶の中で理科の時間にアイスキャンディー作りやカルメ焼き作りをした覚えがある。
あの頃は訳も分からず作っていたが、そういうことか。
そうだ、料理は、化学なのだ。

「おい、水垣!勉強教えろ!」

ならば、勉強をする意味はある。
よりおいしいものが出来上がるのならば。

「………急にやる気になったな。それが人にものを頼む態度か」
「お前の好きなメシ作ってやる!」
「………それでつられるのはお前ぐらいだ」

なんでだ。
うまいメシは何にも変わるご褒美なのに。
水垣は呆れたようにもう一つため息をつく。

「まあ、いいけど」
「ありがと!」

思わず素直に礼を言ってしまうと、水垣の表情が一瞬変わる。
それは気付かないほどの一瞬。
さも嫌そうに、いまいましそうに眉を、しかめた。
その次の瞬間にはすぐに苦笑の形に変わっていたが。

「ああ。現金なやつ」

やっぱりなんか、こいつに嫌われてるよな。
なんかしたっけ。
まあ色々したけど。
でも、こいつは最初からこんなだった気がする。

まあ、いいか。
特に支障はないし。

「よし頼んだ」

悩むことは、勉強位で十分だ。



***




「お、海だ!」

休憩を入れながら3時間ほど走ると、高速から青く輝く海が見えてきた。
今日は天気がいいから、太陽の光を受けてよりキラキラと輝いている。

「ええ、見えてきましたね」
「………名物なにかなあ」

海の傍というと、やっぱり海鮮になるのだろうか。
でも山も近いし、山菜という可能性もあり得る。
地の物というと、やっぱり近くにいかないと分からないだろう。
なんでもいい。
そこにうまいものがあればいい。

「お前はそれしかないのか」
「ない!」
「………そうか」

聞かれて即座に言い返すと、水垣は納得したように頷いた。
分かればいい。

「午後に向かうと先方には伝えてあります。先にどこかで昼食を取りましょうか」
「うん!」

志藤さんが笑いながら提案してくれるので、大きく頷いた。

「おいしい海産物があるといいですね」
「海産物じゃなくてもいいけどさー。でも海ならやっぱ魚かな。何があるかな。今の旬はアジと、えっと、スズキとサバだっけ」

地方に行くと聞いたこともないような魚が出てくることがある。
それはそれで楽しみだ。
新鮮な刺身とか、考えるだけで涎が出てきそうだ。
だが、海の物の調理法は刺身だけを指すわけじゃない。
フライや煮物、ソテーなんかもある。
奥が深い、そして幅広いポテンシャルを持つ。
ああ、ここではどんなメシとの出会いがあるのだろうか。

「ふふ」
「なに?」

海を見ながら考えていると、志藤さんが小さく笑う。

「朝日さんがそうやって楽しそうにしてる姿を見てると、こちらも楽しくなってきますね」
「は?」
「海も悪くないと、そう思えてきます」

海も悪くないって、元々悪かったのか。
どういう意味か分からず聞き返す。

「志藤さん、海嫌いなの?」
「………いえ、好き、ですよ」

好きというわりにはなんだかすっぱいものでも食べたような顔をしている。
奥歯に何か挟まったように、歯切れも悪い。

「志藤の、初恋の思い出があるところだからね」
「四天サン。起きてたの?」

不意に後ろから、笑いを含んだ涼やかな声が聞こえてきた。
ずっと寝ていたのに、起きたらしい。
体を起こしながら、にやにやと笑う。

「志藤の甘酸っぱい記憶がいっぱい詰まった、思い出の場所なの」
「四天さん!」

志藤さんが眉間に皺を寄せて叱りつける。
なんだ、楽しそうな話題だ。

「甘酸っぱいどころか、激辛な思い出だったかな。だから思い出して、センシティブになっちゃうんだよね」

志藤さんがますます苦虫をかみつぶしたような顔になる。
むくむくと好奇心が沸いてきた。
この人にもそんなかわいい過去があったのか。
ところで苦虫ってなんだろう。
その虫はうまいのだろうか。

「へー、志藤さん、何。初恋の彼女に海でふられたとか?」
「………」
「志藤さんでもふられるんだ」

この顔がよくて優しくて何でもできる人をふる人間なんているのか。
女なら誰だって喜んで付き合うことをOKしそうなのに。
ますます気になってきた。

「朝日さん、その辺で」
「その彼女ってどんな女だったの?なに、海で何したの?どこまでしたの?どんな彼女」
「朝日さん?」

志藤さんが前を向きながら、穏やかな笑顔を見せている。
だが、その声は冷たく、目は笑っていない。
怖い。

「ハイ」
「人の嫌がることはしてはいけませんよ?」
「………ハイ」

この人は優しく賢く非の打ちどころのない完璧な人だが、たまにこうやって静かな怒りを見せる。
こういうときは素直に従った方が、身のためだ。

「あはは、怖い怖い」

四天サンが俺たちのやりとりを見て楽しげに笑う。
この野郎、もとはと言えば、こいつが話をふったからじゃねーか。

「………四天さん、あなたはどうなんですか?海を見て、何を思われるんですか?」
「俺?」

志藤さんが目は笑っていないけど笑いながら、四天サンに聞く。
なんだこの二人のこんなやりとりなんて見たことがないぞ。
いつも引くほど仲がいいのに、どこか冷たい空気が流れる。

「そうだなあ、うーん」

四天サンは特に志藤さんの怒りに反応することなく肩を竦める。
そして、しばらく考えてからにっこりと笑った。

「秘密」

なんか、流れる空気が重く堅い。
なんだこれ。

「………おい、なんだこれ」
「………分からない」

思わず後ろにいた水垣に小さな声で問いかける。
水垣も二人から目を逸らしながら、ぼそりと小さく答える。

「どうしたの、二人とも」

そんな俺たちを見て、四天が不思議そうに首を傾げる。
俺と水垣は慌てて首を横にふった。

「な、なんでもない」
「ナンデモアリマセン」

触らぬ神にはタタリなし、だ。





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