昼は結局海産物を出す店には入れず、道端にあった蕎麦屋でとった。

しかしこれがなかなか侮るものではない。
二八蕎麦のざるはのど越しがよく、暑くなってきたこの季節にぴったりだった。
つゆも甘すぎずカツオの出汁がしっかりとられていて、てんぷらはカリッとサクッと、軽くしつこくなく揚がっていた。
特に大葉のてんぷらは揚げ方を聞きたくなるほど軽く、けれど味わい深い仕上がりだった。
個人的には十割蕎麦は蕎麦の香りは高いのだが粉っぽさと切れやすさが気になって食べづらい。
二八蕎麦ののど越しのよさの方が好きだったりする。
まあ、でもまだ本当においしい十割蕎麦に、出会っていないだけかもしれない。
または俺の味覚がまだまだ育ってないのかもしれないな。
そう、まだ何回かしか食べたことがないのに、十割蕎麦を否定する資格は俺にはないだろう。
俺の偏見で、十割蕎麦の価値を決めつけてはいけない。

「朝日さん、着きましたよ。どうぞお降りください」

そんなことを考えていると、志藤さんの声が聞こえて顔をあげる。
目の前には、普通だったら確実に通り過ぎるだろう、小さな町、いや村か、があった。
まばらに建つ家と、手入れのされていない草むら、林。
そして、左手に広がるのは、海だ。
砂浜は一応あるが小さく、奥に小さな舟がいくつも止まっている港が見える。

「すげー、田舎だな」
「あはは、確かに」

四天サンの笑い声を聞きながら車を降りると、ふわりと潮の匂いがした。
さっき降りた時もしたが、それよりも強い匂い。
そして、初夏の太陽に温められたむわっとした湿気。
ああ、海だな。
海の匂いは前に嗅いだことがあるはずだ。

「匂いが結構するな」

海が初めてらしい水垣が、不思議そうな顔をする。
海を見つめて、目を細める。
そしてその後に降りてきた四天サンは、そのまま俺が乗ってた助手席に乗り込む。

「四天サン?」

助手席のウィンドウを開けて、にっこりと笑いひらひらと手をふる。

「じゃあ、俺と志藤はここから別行動だから」
「はあ?」
「頑張ってね、司狼、朝日」
「なんだそりゃ」

一緒に仕事をするとか言ってなかったか。
何おきざりにしようとしてんだ。

「こっちの方での依頼が二つあってね。ちょうどいいからまとめて引き受けることにしたんだ。こっちは司狼と朝日に任せるから」
「聞いてねーぞ」
「言ってないからね」
「いや、言えよ」

思わずつっこむと、四天サンがにやりと意地悪そうに笑う。

「言ったら朝日、ちゃんと仕事何するか覚えてくれた?」
「………いや」

間違いなく水垣に任せて、何も覚えなかったな。
まあ、確かにそう考えると、言われても言われなくても同じだ。
いや、同じか?

「ね?司狼には全部話してあるから。後はいつも通り司狼の指示に従って。終わる頃に迎えに来るから」
「………」
「それとも俺がいないと心細い?」
「それはない!」

むしろこいつがいても足手まといになるだけじゃねーか。
まあ、腕は立つようだが、力はないからバケモノ退治には役に立たない。
四天サンから感じる白い力は、水垣と同じ感じだが、ずっと小さく弱弱しい。

「でしょ?じゃ、頑張ってね。あ、司狼、おいで」

俺の言葉に四天サンはにっこりと笑うとひらひらと手をふる。
そして後ろで見ていた水垣に手招きをする。

「何、四天?」

そして近づいてきた水垣の頭を、車の中から子供のように撫でる。

「朝日のことよろしくね」
「分かった」

水垣は少し嬉しそうに顔を綻ばせながら、頷く。
いつもツンケンして、俺大人ーって顔してるくせに、四天サンの前では借りてきた猫のようだ。
本当に二重人格。

「司狼なら大丈夫」
「………うん」

そう言い残して、最後にもう一度頭を撫でると、四天サンと志藤さんはそのまま車でどっかに行ってしまった。
いや、まあ、水垣と二人で仕事するのも最近は慣れてきたからいいんだけどさ。
でも、こんな遠出で泊まりがけって言うのは初めてだ。

「で、どうすんの俺ら」

四天サンたちが乗っていった車を見ていた水垣が、こちらを振り向く。
すっかりいつもどおりのツンケンした顔に戻ってる。

「とりあえず、依頼人の家に行くぞ」
「りょーかい」

歩き出すので、その隣に並ぶ。
水垣の肩は、俺の肩の10センチほど上になる。
くっそ、やっぱムカつく。

「この音が、波の音だよな」

水垣がふと耳を澄ませて海を見つめる。
そういえば、海に近づいたせいか、さっきよりずっと大きく波の音が聞こえる。

「だろ。なんつーか、小さな町だな。海辺の町、つーか村?」
「漁村って感じだな」

辺りを見渡しても、店などはあまりなく、人もまばらだ。
寂れている、という形容詞がぴったりだ。
食堂や、魚屋なんかも見当たらない。
もっと村の中心にでもいけばあるのだろうか。

「あんまりうまそうなもんとかなさそうだな」
「………お前にはそれしかないのか」
「ない!」

うまいもんを食べたい。
それだけが俺には必要なことだ。
どっかに食い物でもないかと、思わず匂いを嗅いでしまう。
すると、なんだか生臭いような匂いがした。

「なんか、変な匂いがすんな」
「潮の匂いじゃなくてか?」

水垣が自分も鼻を鳴らして、でも分からなかったらしく首を傾げる。
海の方を見て、もっかい嗅いでみるが、潮の匂いとも違う気がする。
生ごみの匂い、が近いだろうか。

「んー」

でも、潮の匂いといえば、潮の匂いだろうか。

「そうかも。でもあんまり好きな匂いじゃない」

潮の匂いは、嫌いじゃなかったような記憶があるんだが。
ま、いいか。
海にもっかい視線をやると、浜辺には何かが立っていた。

「あ、なんか、海に神社の鳥居によくついてるビラビラがある」

海岸沿いに柱が何本も立てられ、それを結ぶようにして神社の鳥居でよく見る白い紙のビラビラがついたロープがつたっていた。
水垣がそちらを見て、ああ、とつぶやく。

「紙垂だ」
「しで?」
「あのビラビラ」
「へー」

そんな名前だったのか、あのビラビラ。
明日には忘れそうだな。

「お前よく知ってんな」
「昔から身近にあったから」
「身近にあるもんなのか?あれ?」

普通は名前なんて知らないだろう。
どんな環境で育ったんだ。
そういや、水垣と一緒に住み始めてもう少しで1年ぐらいだろうか。
俺も生活に慣れるのに必死だったから、こいつがどういう暮らしをしてきたのか聞いたことがなかった。
興味がなかったともいう。
こいつについて知ってることは、同級生で親がいなくて俺より1年前ぐらいに四天サンと志藤さんに拾われたらしくて、ムカつく奴で、野菜嫌いで肉好き。
一番好きな料理はケチャップソースのハンバーグ。
目玉焼きを乗せてやると、クールな顔して実は喜んでることを知っている。

「お前の家ってどんな家だったの?」

ちょっと興味がわいて聞いてみると、水垣は海を見たまま無表情に答える。

「………四天の実家と同じような家だ」
「って言われても俺、四天サンの家知らねーし」

結構大きい、いい家だとか言ってたっけ。
ああ、つまり金持ちだってことか。
ムカつくな。

「山の中にある、古い因習に囚われた、澱んだ沼のような家だった」
「インシュー?」
「………お前は本当に少しは勉強しろ」
「いってえな、殴るな!」

分からない単語を聞くと、軽くため息をついて頭をはたかれた。
分からないもんは分からないから仕方ない。
まあ、とりあえず今の言い方で、こいつが元いた家をいいところだとは思ってないということが分かった。
沼っていうのは、いいイメージのするもんでもないだろう。

「ああ、あそこだ。この村の顔役の家だ」

もう少し聞いてみようかと思ったところで、水垣が前方を指さす。
まばらに立つ広さはありそうな古い家の中でも、比較的大きな木造の二階建ての家。

「顔役?」

水垣が、俺を見下ろしてため息をつく。

「偉い人の家だ」

それなら最初からそう言えばいい。



***




通されたのは、縁側に面しただだっぴろい広間だった。
初夏の今、やや暑かったのだが、開け放たれた縁側から涼しい海風が入ってくる。
迎えてくれたのは、尾形さんとかいう小太りの中年のおっさん。
50歳、ぐらいなのだろうか。
このくらいのおっさんの年はよくわからない。

「話には聞いてましたけど、本当にお若いんですね」
「はい、頼りないかと思われるかもしれませんが、力は確かだと自負しております」
「ああ、いえいえ、頼んだのはこちらの方です。紹介いただいた山田さんも信用しておりますし、確かな力をお持ちなのでしょう」
「ありがとうございます」

対応はすべて愛想笑いを浮かべた水垣がやってくれている。
お前は何も言うなと言われたので、出されたお茶をすすり、饅頭を食べる。
ちょっと皮がぱさついているのが残念だが、あんこはふっかりとして中々においしい。

「このたびはお世話になります」
「いえ。山田さんから伺ってはおりますが、どのようなお仕事か今一度ご説明していただいてもよろしいですか」
「はい。明日、この村では祭りが行われます。海で亡くなった人間を弔い鎮める鎮魂の祭りとなります」

お祭りかあ。
なんか出店とか出るだろうか。
何か食べられるだろうか。
チンコンってなんだったっけ。
なんか響きがエロイな。

「海施餓鬼、ですか」
「ええ。お二人にしていただきたいのは、今回の祭りのため祓いとなります。はじまりの清めの祓いと、終わり鎮魂の祓い。祭った魂たちを、海に返し、安らかに眠らせていただきたい」
「なるほど。では、仕事は明日だけでよろしいですか」
「はい、始まりは明日の夕刻となります。後で祭りの会場までお連れいたします」

ウミセガキってなんだろう。
海は分かるけど。
ま、いいか。
腹が膨れて、いい感じの風に吹かれていると眠くなってきた。
さっさと話終わらねーかな。

「では、こちらへ」

本気で眠くなって、意識が飛び始めたところで、ようやく尾形さんが立ち上がる。
危なかった、後少しで誘惑に負けて目を瞑るところだった。
古いが広くよく綺麗に整えられた廊下を出て、外に向かう。

「ああ、いい風ですね」

もうずいぶん涼しいけれど、太っているから暑いのか、尾形さんが額の汗をぬぐう。
空は、すっかり茜色に染まっていた。
海の匂いがする風が、髪を揺らす。
波の音と、潮の匂い。
そして、どこからから、夕飯の匂いが漂ってくる。
ああ、腹減ってきた。

「お二人はまだ学生さんですかね」
「はい。といっても中々行けないのですが」
「ああ、なるほど。ご苦労なことですね。ご家族は反対されなかったんですか?」
「両親はおりません。だからこそ、こんな生業をしているのですが」
「本当にお若いのに大変ですね。こんな言い方しては失礼かもしれませんが、今回の報酬は弾ませていただきますね」
「助かります」

金がいっぱいもらえるってことか。
それはめでたい。

「こちらが今回の祭りの会場となります」

しばらく歩いてやってきたのは、ここについた時に見た、シデとかいうビラビラがいっぱい張られた浜辺。
つまり、ただの、砂浜だ。

「………屋台とかないんだな」
「おい」

今まで黙っていたのだが、うっかり漏れてしまった。
水垣が眉間に皺を寄せて、睨みつけてくる。
だって、祭りといったらアレだろう。
かき氷にフランクフルト、たこ焼きに水あめの世界じゃないのか。

「あはは」

不機嫌な水垣とは違って、尾形さんは太った体を揺すって笑う。

「そうですね今回の祭りは、死者を鎮める厳かなものですから。お盆にやる夏祭りとかはさすがに出店などが出ますよ。よかったら来てください」
「そっか。残念」

祭りの楽しみといったら、やっぱり屋台だろう。
そういえば二年前から祭りという祭りにいってはいない。
屋台には何度か遭遇して買い食いしたが、祭りはまだだ。
行きたい。
夏になったら、ここに来るかはともかく祭りには行こう。

「ふふ。やはりお若いんですね。ああ、あちらです」

楽しそうに笑った尾形さんが、浜辺の一部分を指さす。
俺たちはその指さされたところまで歩いて近寄る。
浜辺なので、スニーカーに砂が入りこんでザリザリする。

「ここで、お二人には祓いをしてもらいます」

それは、海岸線からちょっと離れたところにある、三メートル四方ほどの、小さな小屋だった。
まだ真新しい木で出来ているから、この祭りのために建てたのだろうか。
割と頑丈そうなのに、毎年立てるのは大変そうだ。

「始まりと終わりの祓いはこちらで行っていただきます」
「すこし見せていただいてもよろしいですか?」
「ええ、どうぞ」

水垣が海とは反対側についた扉から入っていくので、俺も後からくっついていく。
中はがらんとした、何もない、新しい木の匂いがする小屋だった。
海側に、窓枠もガラスも入ってない、壁に穴が開いただけの小さな窓がいくつかついているだけだ。
もしかしてここにずっといなきゃいけないのだろうか。
それはかなり暇そうだ。

「ありがとうございます。分かりました」

水垣は周りをぐるりと見渡して、さっさと小屋を出てしまう。
俺もその後に続いた。
尾形さんが鷹揚に頷く。

「大丈夫ですか?」
「ええ」
「何かありましたら、遠慮なくおっしゃってください」
「はい、ありがとうございます」
「では戻りましょう。今日は細やかながらお二人をもてなす席を設けさせていただきました」
「そんな、お気づかいは必要ありませんのに」
「いえいえ、この村には若者が少ない。お二人がいるだけで場が華やぐ。みんな喜ぶだろう。是非お話など聞かせてください」
「痛み入ります」

こいつはよく、こんな風に話せるな
舌を噛みそうだ。
イタミイルって、日常生活で使う言葉なのか。

「お二人は、魚など、お嫌いではなかったでしょうか」

尾形さんが俺の方を向いて、聞いてくる。
反射的に頷いてしまう。

「好き!」
「………おい」
「ははは、お元気だ。若いうちはそれくらいの方がよろしい。たいしたものはありませんが、魚だけは自慢です。この豊かな海が、私たちに恵みをもたらせてくれますからね」

言葉通り自慢げに鼻を膨らませて、胸を張る。
そんだけ言うなら、さぞかしおいしい魚が出てくるのだろう。
ああ、考えただけで涎が出てきた。
腹減った。

「魚、いっぱいとれるの?」
「ええ。毎年の祭りのおかげです。お手伝いしてくださる二人には、食べる権利がある。どうぞ沢山食べてください」
「もっちろん!」

水垣が、深く深くため息をつく。

「………申し訳ございません」
「はははは、構いません。そう喜んでくれた方がもてなしがいがあるというものだ」

そうだ。
うまいものは、全身でうけとめ、いただく。
それが、うまいものに対する礼儀だ。

「では戻りましょう。夜の海はまだ冷える」

尾形さんの言葉につられて海の方を見ると、すでに日は沈みかけて、空は茜色から藍色に変わろうとしていた。
海も一緒に、その色を朱から黒へと変えようとしている。
果てしない海の先を見ていると、なんだか吸い込まれそうだ。

昔、海で遊んでいた俺も、こんなことを思ったのだろうか。





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