この村に訪れた時に案内されたのは、尾形さんの家の二階の、八畳ほどの部屋だった。
箪笥はあったがあまり荷物もなく、二人には十分な広さ。
そして大きな窓からは、海が一望出来る。
朝はきっと綺麗に海が見える、いい部屋だ。
蒸し暑かったこともあって、窓を開け放つと、潮の匂いと共に風が顔に吹き付ける。

「あー、いい風」
「涼しいな」
「でもやっぱ、なんか生臭い変な匂い」

この地域の潮の匂いなのかもしれない。
かすかだからあまり気にならないが、やっぱり好きな匂いではない。

「それより、原田、荷物片付けろ」
「あー、お前本当に綺麗好きだよな」
「原田」
「はいはい」

来たときに上着やら荷物やらを放り出したのがお気に召さなかったらしい。
綺麗好きな水垣が、俺の荷物を指さす。
逆らうのも面倒なので、散らかった荷物を隅に寄せる。
そんなこんなでしばらくまったりしている時に、尾形さんが呼びに来た。

「お二人とも、夕食の用意が整いました。どうぞおいでください」
「はーい」
「はい」

さっき話をしていた広間には、いつのまにか大勢の人が集まっていた。
思わず、目を見張る。
若い人は少なく、おっちゃんおばちゃんだらけ。
あまり華はない。
だが、そんなことはどうでもいい。
そんなことは、本当に小さなことだ。

「さ、魚!」

そう、魚だ。
広間には大きなテーブルがいくつか用意されていて、その上にはところ狭しと海の幸が並んでいた。
ぷりぷりと光り輝く刺身は、売り物よりはやや無骨に、でもだからこそ新鮮味溢れ魅力的に皿の上に身を横たえている。
そして刺身だけじゃない。
煮つけに、天ぷら、炒めもの。
海産物が、あらゆる方法で調理されて、俺に食べられるのを待っている。

「こ、これ食べていいの?」
「少し待て。みんな揃ってからだ」

用意されていた席にさっさと座って一応聞くと、水垣が呆れた顔で俺の頭を軽くはたいた。
食卓に茶碗を並べていた人の好さそうなおばちゃんたちが、楽しそうに笑っている。

「これはあんたたちのために用意したんだからたっぷりお食べ。ふふ、あんたは、刺身が好きなのかい」
「好き!」
「そうかいそうかい。ここの魚はうまいよ」
「うまそう!」

視界の隅で水垣がため息をついているのが見えるのが気にしない。
刺身は好きだ。
天ぷらだって煮つけだってフライだって酢漬けにしたって大好きだ。
魚は大好きだ。
魚だけじゃなくて肉も大好きだ。
更に言えば野菜だって大好きだ。
でもとりあえず今は、魚が好きだ。

「いっぱいありますから、どうぞ召し上がってください。さ、みんなも席につけ」

尾形さんの号令で、どんどん人が集まってくる。
ていうか、こんなに人がいたのか。
まあ、でも今はそんなことどうでもいい。
今はただ、魚から目を離せない。
そしてある程度集まったところで、尾形さんがビールの入ったグラスを持つ。
水垣に渡されて、仕方なく俺も麦茶のグラスを持つ。

「さあ、今回はお若い人が来てくださった。めでたいことだ。みんな、明日の祭りの成功を祈って、今日は大いに祝おう、乾杯」
『乾杯』

皆で唱和したところで一気に緊張が崩れ、それぞれワイワイと酒を飲み、食べ始める。
そして俺もいよいよ箸をとり、手を合わせる。

「いっただきます!」

ああ、どれから食べようか。
透きとおって滑らかに光るイカ、俺が主役だと赤く輝くマグロ、その横でひっそりと、けれど確かな存在感を持ち佇むアジ。
ああ、けれどそうだ、添え物のようにしているくせに、強烈な存在感を持つあいつ。
そこにいるアワビに似た貝からにしよう。

「ん」

箸で一切れ掴み口に放り込み、二度三度噛むと感じるコリコリとした確かな歯ごたえ。
そして噛むほどに、海の香りと、けれど決して生臭くない旨みが広がっていく。
口の中に幸せが溢れていく。

「うっまい!なにこれ、アワビ?じゃないよな、なんの貝?」
「それはトコブシだよ。アワビに似てるけど、違う貝。うまいだろ」
「そうなんだ、んまい!」
「こっちの煮物もトコブシだよ」

忙しく働いていたおばちゃんがにこにこしながら指し示すのは、刺身の皿の横にあった小鉢。
どうやら、醤油ベースで煮てあるトコブシのようだ。

「じゃ、こっちも、んー!」

先ほどよりはコリコリ感が薄れているが、やっぱり確かに伝わる歯ごたえ。
そして醤油とじっくりと絡み合い、出汁がよく出た煮つけは、海と大豆の見事な調和。
もう、煮汁も飲み干してしまいたい。

「こっちもうまい!」
「ほら、こっちはどうだい」
「桜えびのかき揚げ!」
「もうちょっと旬は過ぎちゃったけど、おいしいでしょう?」
「おいしいー!」

桜えびをたっぷり使って大きく揚げた天ぷらは、さっくりとしていて、それでいてエビの香りは損なわれていない。
これもご飯に乗せて、つゆをかけたら何杯だって食べられそうだ。

「こっちはわかめご飯!」

用意されたご飯も、ただの白いご飯ではない。
わかめと一緒に炊いた、見た目はちょっと緑っぽくてよくないが、磯の香りをしみこませたわかめごはん。
他のおかずよりも出過ぎず、一緒に食べても見事に調和し、けれどこれだけでも食べれる旨み。
なんて、優秀なやつ。

「あー、うまい!おばちゃんたち、超料理うまいな!おいしい!」
「やだね、この子は」
「うまいこといって」
「なあ、おばちゃんたちさ、後でこのかき揚げと煮つけレシピ教えて!」
「あはは、分かったよ」

いつのまにか俺を取り囲んでいたおばちゃんたちはきゃあきゃあ笑いながら、下ごしらえのコツなんかを教えてくれる。
女はうるさくてあんま好きじゃないが、おばちゃんはうるさくても割と嫌いじゃない。
料理が上手な人は、だいたいいい人だ。
本当はいますぐメモをとりたいところだが、今はそれどころではない。
目の前の海の幸を喰らい尽くすことが先決だ。

「こっちの兄ちゃんは、食べてるのかい。あっちの兄ちゃんの食べっぷりに負けるんじゃないぞ」
「あ、はは、さすがにあいつには負けますよ。でも、とてもおいしいです。特にこの煮つけ」
「そうかいそうかい。そっちの色男の兄ちゃんもおいしいのかい」
「ええ、とてもおいしいです」

水垣は俺の隣で、おっちゃんたちと、そしてなぜか数少ない若いお姉さんに囲まれている。
俺の周りはおばちゃんたちばかりなのに、なぜだ。
俺も若い方がいい。
まあ、それよりも食べ物が大切だが。

「まだ若いのに、しっかりした子たちだね」
「本当にいい子たちだ」
「いい子たちが来てくれたね」

おっちゃんとおばちゃんたちが楽しそうにニコニコとしている。
俺が食べる様子を楽しそうに見ている。
俺もどんどん気分がよくなってくる。

「おばちゃん、おかわり!」

ああ、極楽は、ここにあったんだ。



***




そしてあらかた料理を喰らい尽くしたあたりで、宴会は終わった。
おっちゃんたちもおばちゃんたちも名残惜しそうにしながら解散。
俺たちはそのまま、2階の部屋にあがった。
やや古くなった畳に倒れこむと、そのまま眠くなってきてしまう。

「あー、食った食った。うまかったー」
「食いすぎだ」

俺が畳につっぷしながらいうと、水垣は呆れたように肩を竦めた。
でも今はそんな嫌味、どうでもいい。
俺は今、最高に幸せだ。

「だってうまかったしさー。あー、後でちゃんとレシピ聞かないと。かき揚げは作ってやるよ」
「………ああ。お前、ああいう人たちのあしらい方、うまいな」
「そう?お前の方がうまいじゃん」
「俺は、まあ、慣れてるから。ああいう人たちは苦手だけどな」

まあ、こいつは普段から若い女に取り囲まれるの慣れてるしな。
なんだかんだで取り囲んだおっちゃんと若いねーちゃんを、うまいことあしらっていた。
俺も出来ればおばちゃんよりも若いねーちゃんがいい。
と思ったけれど、レシピを教えてくれるならおばちゃんの方がいい。
人生の大先輩でもあるしな。

「原田、お前、先に風呂行くか?」

水垣が不意にそう話を振ってきた。
尾崎さんには先に風呂を入れと言われていたので、さっさと入った方がいいだろう。
それに俺は、もうそろそろ眠くなってきた。

「じゃ、先に入る」
「ああ。………そういえば、お前、怪我もう平気なのか?」
「あ?」

怪我。
怪我って何のことだ。
と、思ったところで思いだす。
そういやつい最近、あの幽霊屋敷で、あのムカつくバケモノに怪我されられたばっかりだった。
腕にはでかい絆創膏も張られている。
しかし、そういえばもうすでに痛みはほとんどない。

「痛みはないし、平気だろ」
「………湯船には浸からないで、体洗うだけにしとけ」
「まあ、別に俺風呂好きじゃないからいいけど」

気持ち悪いから風呂には入るけど、お湯に浸かる必要はない。
上せるからそもそもあんまり浸からないし。
なんて、言ったら多分キレるだろうから、素直に頷く。

「大丈夫。入らない」
「湯には浸かるなよ、傷濡らすなよ」

それでも信用していないのか、水垣が念を押す。
まるで口うるさいおばさんみたいだ。



***




二人とも風呂に入った頃には、すでにもういい時間だった。
早寝早起きが常な俺は、もう瞼がくっつきそうだ。
さっさと眠ってしまいたい。

「明日の午前中は、好きにしてていいんだっけ」
「ああ。俺たちは昼食後から準備を開始する」
「りょーかい」

よし、だったら少しは寝ていられるだろう。
つっても、結局早く起きちゃうんだけどさ。
しかし、仕事といってもオハライの仕事だ。
俺は、バケモノ退治は出来るが、オハライなんて出来ない。
そういや習おうと思って、まだ何もしてなかった。

「なあ、俺、なんかすることある?なんもなくない?」
「………」
「だって俺、オハライとか出来ないし、いらなくね?」

特に仕事がないなら、ゆっくりと美味しいものでも食べて寝ていたい。
オハライとかならどうせ俺は邪魔になるだけだし。
と思って言ったのだが、水垣は目を細めて俺を睨みつける。

「とりあえず、見とけ。勉強になる」
「わーった」
「仕事サボろうとするな」

ち、ばれたか。

「はーい。しかし海の幸はいいな。なんでもうまい。まあ、山の幸もうまいんだがな」

とりあえずごまかすためにも、話を変える。
あんな小屋にずっと籠ってるより、寝てたかったんだけどな。
ま、しょうがないか。

「お前は机以外はなんだって食うだろ」
「机以外もさすがに無機物は食わねーよ。でも、食えるもんだったら、すべてを食い尽くしてみてーな」
「………」

この世にあるすべての食材、すべての料理。
それを本当に食べつくすことができたなら、どれだけ幸せだろう。
水垣の嫌味ではあるが机以外、本当に全部食べられたら、俺はとっても幸せだ。

「とりあえず、日本から外に出て、グルメの旅に出たいなあ」

そう言うと、水垣はまた不快そうに顔を歪めた。
ほんの、一瞬だけ。

「水垣?」
「なんだ?」

そしてやっぱり、今の一瞬のことはなかったかのように、うっすらと笑う。
時折訪れる、水垣の、俺を拒絶するタイミング。
いつくるかは、さっぱり分からない。
ま、そのうち慣れるか。

「………なんでもない。んじゃ、おやすみ」
「ああ、おやすみ」

それより今は、ただ眠い。


***




「………ん?」

不意に、目が覚めた。
何事か分からず辺りをきょろきょろと見渡す。
ここはどうやら、自室じゃない。
窓から月明かりが、冴え冴えと部屋の中を照らしている。
そうだ、思い出した。
ここは、依頼人の、尾形さんの家だ。
月明かりで、室内はそんなに暗くない。
でもまだ間違いなく朝じゃない。
朝じゃないのに、なぜ起きた。

「えっと」

なんで、俺、起きたんだっけ。
そう考えて、すぐに分かった。
俺の隣で布団を敷いて寝ていたはずの水垣が、起き上がっていた。
暗い部屋の中、自分の布団の上に座り、なんか顔を抑えている。
この気配で、起きてしまったのか。
人の気配が近くにあるまま寝るなんて、施設にいた頃以来だしな。

「なんだ、お前、起きてんの?」
「………ああ」

話しかけると、なぜかすごく不機嫌そうな声で返された。
俺が何をしたよ
ま、いいか。
とりあえず、眠い。

「早く、寝ろよ」
「わかった」

そしてまた、目を瞑るとすぐに眠りの世界に落ちる。

「ん………」

けれどまた、なぜか現実の世界に引き戻されてしまった。
今度は浅い眠りだったせいか、一瞬で周りを把握する。
一体なんだ。
俺は、ただ寝たいだけなのに。

「な、に」

一体なんだ。
俺を起こさせたのは、なんだ。
辺りに視線を巡らせると、やっぱり座り込んでいる水垣がいた。

「まだ、起きてんの?」

水垣はさっきからどれくらい経っているのか、体育座りみたいな格好して座っていた。
そして顔を両手で押さえている。
両手で押さえた顔の間が、濡れているように、見える。

「………何?泣いてんの?」
「うるさい」

その声が、かすかに震えて、鼻声になっている。
あれ、やっぱり、泣いてんのか。
半分冗談で言ったのに。

「怖い夢でも見たのか?」
「………」
「さっさと寝ろよ。すぐに忘れる」

何泣いてんだこいつ、本当に。
ていうかとりあえず眠い。
近くに動いてる気配があると寝れないからさっさと寝てくれないだろうか。
しかし水垣は、顔を抑えたまま聞いてくる。

「お前は、眠れなくなること、ないのか。過去のことを思い出して、眠れなくなることとか、ないのか」
「んー?」

なんか、感情的な声。
こんな水垣の声、聞いたことないかもしれない。
一緒に住んでいても、当たり障りなく暮らしてきたしな。

「お前は、過去の感情が思い出せないことが、怖くはないのか。考えて、眠れなくならないのか」

考えて眠れない、か。
まあ、そもそも、何も考えてないしな。
眠れないってことがよく分からない。

「いや別に。目を瞑って5秒で寝てる」
「………」

水垣は、顔を伏せたまま、深い深いため息をつく。
何だその態度は。
失礼だろう。
まあ、でも、泣いてるやつを責めても仕方ない。

「お前、眠んの苦手なの?」
「………嫌な、夢を見る」
「子供か」
「うるさい」

なんて刺激しても仕方ないか。
いつもツンケンしてるくせに、変なところでガキっぽいやつ。
しかし、今の言い方だと、こいつは眠れなくなることが結構あるのだろうか。

「いつもはどうしてんの?」

水垣は顔を膝に埋めながらも、目まで見せてちらりとこちらを見る。

「………いつもは、四天が、傍にいてくれる」

四天サンが眠れないときに一緒にいてくれるって。
えっと。

「え、なに一緒に寝てんの?」
「………」
「なにそれキモいな」

思わずうっかり正直な意見が漏れてしまう。
水垣が目を細めて、視線で殺すかのように俺を睨みつける。

「あー、悪かった悪かった」

感情を逆なでしてる場合じゃない。
俺はえっと。
そうだ、俺は今もう、寝たいんだ。
こいつにもさっさと寝てほしいんだ。
明日の仕事はこいつ頼みだしな。
こいつのコンディションも最高にしておいてほしい。
よし、こいつを、さっさと寝かせよう。

「んじゃ、よし来い。水垣」
「は?」

起き出して手を差し出すと、水垣は顔をあげて目を丸くする。
頬がやや赤くなって、眼が腫れて潤んでいる。
ああ、やっぱり泣いていたのか。
いつもクールで大人ぶってるくせに、変なやつ。

「ほら」
「う、わ!」

差し出された手には乗ってこないので、無理やりその腕を引っ張り、自分ごと引き倒した。
自分の布団と俺の布団を横断するような形で横たわった水垣の頭を抱え込む。

「こーして、布団かぶって」

布団をかけ直し、その背中をぽんぽんと叩く。

「めーつぶって」

なんか俺の中に、弟をこうして寝かしつけた記憶がある。
怖い夢を見たと言って泣く弟の背中を叩いて、話しかけて、安心させて、寝かしている。
ああ、あの時感じた気持ちは、今のこういう感じだったのだろうか。

「明日のメシのことでも考えてれば、寝れるって」
「………お前と一緒にするな」

水垣が喉元でなんかぼそぼそと言っている。
ああ、もう俺は眠いんだよ。
さっさと寝ろよ。

「あー、めんどうくせーな。じゃあ、子守唄でも歌ってやるよ」

水垣の頭をぎゅっと抱きしめて、その背中と頭を撫でる。
子守唄って、なんか知ってるっけ。
そうだな、記憶の中で、弟と一緒に笑いながら歌った歌がある。

「えーと、坊やー、よいこだ金かしなー」
「………最悪だな」
「いくらといわずー、さいふごとー………ふわああ………」

その後、なんだったっけ。
ああ、でももう限界だ。
体がぽかぽかするのも、眠くなる原因だ。
暑いくらいだが、気持ちがいい。

「おい、原田、おい」

まあ、もういいか。
眠れるなら、寝よう。

おやすみ。





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