薄茶の目と、薄茶の髪の、綺麗なツラをしたガキが、笑っている。

まだとても小さい。
小学校に入っているか、入っていないか。
それくらいの年だろうか。
浴衣みたいなのを着ている。

にこにこと楽しそうに、俺に笑いかけている。
手をこちらに伸ばして、何か言っている。
見ていると、なんだかこちらまで楽しくなってくるぐらい、笑っている。

「   」

何を言っているのかは、分からない。
ただ、楽しそうだ。

まあ、ガキが楽しく笑ってるのは、いいな。



***




覚醒は唐突に訪れた。
かすかな潮の匂い。
遠くで聞こえる、波の音。
そうだ、ここは、海辺の、村。

「ん………」

目を開くと、すぐ至近距離にどこかで見たような顔がある。
薄茶の髪、閉じた瞼を縁取る長い睫毛まで薄茶だ。
こいつは、知ってる。

「えーと、水垣」

が、なんでこんな至近距離で寝てるんだ。
つーか、手を握ってるし。
なんだこれキモいな。
なんでこんなことになってたんだっけ。
ああ、そうだ、こいつが寝れないって言うから一緒に寝てやったんだった。
俺が先に寝てしまったから分からないが、どうやら寝れたようだな。
にしても、ひとつの布団に男二人は狭い。

「ふわあああ」

水垣の手を振り払い、起き上がり、伸びをする。
枕元にあったケータイを見てみると、いつも起きる6時を示している。
俺ってば、嫌になるほど規則正しいな。
ただ、目が覚めてしまったのは、窓から差し込む光のせいでもあるだろう。
障子を閉めても分かる、日差しの強さ。

「海、どうかな」

腹を掻きながら立ち上がり、窓辺に向かう。
障子をそっと開くと、痛くなるほどの光が差し込んできて、一瞬目を瞑る。
恐る恐る目を開くと、そこには一面の海が広がっていた。

「………なんかあんまり綺麗でもないな」

昨日見たときは、もうちょっと綺麗な海だった気がしたんだけど。
なんだか今日はどんよりとしている。
少し雲もあるし、そのせいかな。
まあ、泳げる空気でもないし、綺麗でも汚くてもいいか。
些細なことだ。
今の俺の重要なことは、ひとつだ。

「朝メシはなにかな」

腹がぐううと悲鳴をあげる。
寝ている間は、6時間から8時間、何も食べられないっていうのが辛いところだ。
起きた瞬間に、倒れそうになるほどに腹が減っていることもある。
昨日はすごく食べたからまだそうでもないが、腹が減った。
後、どれくらいで用意できるだろう。

「………ん」

後ろから声がして、振り返る。
水垣が布団の上で目を瞑ったまま、俺が寝ていた辺りを手で探っている。

「あ、れ」

そこに何もないことに気づいたのか、眉間に皺を寄せながら目を開く。

「………あ」
「おはよう水垣」
「っ」

声をかけると、水垣が慌てて飛び起きり、布団の上に座ってこちらを見上げる。
驚きと、戸惑いと、なんか怒りとかも入ってるような、色々な感情が入り混じった複雑そうな顔をしている。
少しだけためらってから、ややうつむき加減に口を開いた。

「………おはよう、原田」
「よく眠れたか?」
「………お前が羽交い絞めにするから暑苦しかった」
「でも眠れたんだろう」
「………」

羽交い絞めとかにしたっけ。
寝ぼけてたからあんまり覚えてねえな。

「よかったよかった」

まあ、寝れたみたいだし、よかった。
こいつのコンディションが悪いと、今日の仕事がうまくいかなくなる。
そうすると、四天サンに怒られる。
それは勘弁してほしい。

「俺は、外に散歩行って来ようかな。朝メシまだだよな」

動いたら余計に腹が減るかもしれないが、ここにいても暇だ。
外に何か、もしかしたらうまいものとの出会いがあるかもしれない。

「………馬鹿にしないのか」
「は?」

着替えようと自分のバッグに近づくと、低い声で水垣が何かを言った。
そちらを見ると、俯きながら悔しそうに眉間に皺を寄せている。

「馬鹿にしても、構わない」
「馬鹿にって、ああ、お前が夜中に怖い夢見たって泣いてたこと?馬鹿にしていいのか?」
「………」

水垣が、俺を睨みつけてくる。
自分で言ったくせに、人が親切にしてやった恩も忘れて睨みつけやがって。

「何、恥ずかしいの?」
「………」

まあ、そりゃ恥ずかしいか。
怖い夢見て泣いて添い寝してもらうって、恥ずかしいわな。
四天サンとも添い寝してもらってるって言ってたし。
高校生男子の行動としては、恥ずかしいことこの上ないだろう。

「うーん」

でも別に馬鹿にする気分でもないな。
結構どうでもいいし。
あ、でも、こいつを取り囲むうるせー女どもにばらしたら面白いだろうか。
こいつのムカつくモテっぷりとかがなくなるならそれはそれで楽しいかもしれない。
ただ、俺、噂をばらまく友達なんていねーしな。
学校で話すやつってこいつと玉野ぐらいだ。
玉野に言っても、イケメンの抱き合わせなんて、私をどうしたいんですかーとか言いそうだ。
あいつも噂をばらまく友達もいない。
つまりどうにもならない。
何も楽しくない。

「まあ、馬鹿にするのは、なんかの時のためにとっとくわ」
「………なんだそれ」
「貸しな」

少なくとも添い寝してやった貸しはある。
それは今度返してもらおう。
そう言うと、水垣が、不満そうに鼻に皺を寄せる。

「無理矢理貸したくせに」
「それでも貸しは貸しだ!」
「ヤクザか、お前」

そこでようやく、強張っていた表情が崩れた。
少しだけ頬を綻ばせる。

「原田」
「ん?」

それから俯いて、また何か口ごもる。
呼んだくせに何も言わないから、促す。

「なんだよ」

すると水垣は決心したように、一度大きくため息をついた。
そして顔をあげるつつも、俺から目を逸らしたまま、言った。

「………ありがとう」

おお。
なんだこれ。

「なんだお前、今ちょっとかわいかったぞ」

ちょっときゅんと来た。
いつもつんけんしてるやつが素直なのって、こいつでもかわいいもんだな。
水垣は頬をうっすら赤く染めて、目をますます逸らす。

「うるさい」
「お前もそういう顔できんだなあ」

動揺して、照れて、悔しそうにして、さっきから表情豊かだ。
いつも冷静で、怒る時ですら穏やかな表情しか見てないから、なんだか新鮮だ。

「ツンケンしてねーで、いつもそうしてれば少しは面白いのに」
「………」

そう言うと、水垣の表情がまた少し変わった。
一瞬だけ見せる、拒絶。
忌々しそうな、嫌そうな。
また、これか。
さっきまで割と可愛かったのに。
俺なんかしたっけかな、本当に。

「………ま、いいか」

特にすぐ知りたいとも思わないし、そのうち分かることもあるだろう。
単に生理的に苦手って線もあるしな。

「じゃあ、俺、散歩行ってくる」
「あ、原田」
「ん?」

バッグから服を取り出し着替えていると、水垣が何か言いたげに話しかけてきた。
しかし、すぐに首を横にふる。

「………いや。すぐに朝食だろうから、戻ってこいよ」
「分かった」
「後、変なところには行くなよ」
「へいへい」

やっぱかわいくねーな。
口うるさいし。

水垣はなんか知らないが薄茶の髪と薄茶の目で、俺をじっと見ている。
ああ、そういえば薄茶の髪、薄茶の目。

そうか、さっきの夢に出てたのは、こいつか。
道理で見覚えがあると思った。

単なる夢だろうか。
それとも、こいつの夢が、見えてしまったのかな。
2年前の事故でバケモノなんかが見えるようになってから、たまにこういうことがある。
密着した人なんかの、夢とか、感情が伝わってくる。

楽しそうな、にこにこと笑う幼い少年。
今のこいつとは、大違いな、幸せそうな顔だった。



***




着替えて顔だけ洗って外に出てくると、潮の香りが一気に襲ってきた。
ざざん、という波の音も強くなる。
空気には湿気を含み、けれど涼しく気持ちがいい。

「うーん、なんか、やっぱ変な匂い」

でもやっぱり、潮の匂いはやや生臭くて、嫌な匂いをしている。
ここ特有の匂いなんだだろうか。
昨日出してもらった魚類は、別にそんな生臭くなかったのにな。

「あ」

しばらく歩いて、昨日の浜辺にたどりつく。
浜辺には、変わらずシデがびらびら風になびいていている。
その波打ち際に、やや腰の曲がった小柄なおばちゃんが一人立っていた。
確か昨日、俺を取り囲んでいたうちの一人だ。

「おはよ、おばちゃん」

後ろから近寄り声をかけると、振り返ったおばちゃんは驚いた顔をした。

「おやおや、あんたは昨日の。おはよう」
「何やってるの?」
「海の様子を見に来たんだよ。今日はお祭りだからね」

なんだ、なんかとってるのかと思った。
貝とかわかめとか。
残念。

「随分早いね。眠れなかったのかい?」

おばちゃんが俺を見上げて、優しく聞いてくる。
首を横にふって、否定する。

「ううん。いつも俺は早起きなんだ。朝メシ作るし」
「自分でご飯を作ってるのかい」
「うん」
「偉いねえ。あんたはほんといいこだ」

四天サンのいいこ、は苛立ちしかないが、志藤さんやおばちゃんに言われるとまったく腹が立たないな。
不思議。
やっぱり人間、言葉より態度なんだな。

「こんなにいいこなのにねえ。あんたたちは、両親がいないんだったよね」
「うん」
「………そうかい。可哀そうにねえ。まだ若いのに。苦労したろうねえ」

昨日の席で、そういえばそんなことが話に出てたっけ。
水垣は分からないが、俺は本気で気にしてないから、別にいいんだけど。

「まあ、苦労がないって訳じゃないけど、割と楽しく生きてるよ」

金持ちらしい四天サンと志藤さんに拾われたのは、運がよかったのだろう。
眠る場所にも食べ物にも何も苦労することはなく、学校にも行かせてもらってる。
なにより料理を楽しくいつでも作れるのは、一番嬉しかった環境の変化だ。

「………」

不意におばちゃんが俯き、黙り込む。
日に焼けた顔を顰め、俯く。

「どうかした、おばちゃん?」
「いや」

首を横にふるが、やっぱり何か心配顔に見える。
しばらくちょっと迷ってから、顔をあげた。

「今日のお祭りは、あんたも出るんだね」
「うん。なんかご馳走とか出るかな」
「あんたは、お祭り、楽しむんだね。ねえ」

その時、後ろの方から声がかけらた。

「康子さん!」
「ああ、トモさん」

二人でつられてそちらを見ると、満面の笑みを浮かべたおばちゃんその2がいた。
目の前にいたおばちゃんが、顔を明るくして、手をふる。

「朝から若い子と話して、どうしたんだい。デートかい」
「あはは、やだね、まったく」

なんだその怖い会話。
やめてくれ。
頼む。

「今日はさ、ここにきたら」

そして俺をのけ者に、二人で話が始まってしまう。
なんだろう。
もう、帰っていいだろうか。
そろそろ朝メシも、出来てきたかもしれない。

「じゃあ、おばちゃん。俺もう帰るから」
「ああ、ひきとめて悪かったね。今日は頑張って」
「うん」

まあ、頑張るのは、俺じゃなくて水垣だけど。
とりあえず頷いておく。

「ああ、お祭りの子か。頑張ってね」
「はーい」

トモさんとやらいう、おばちゃんも笑顔になって俺の腕を叩く。
まあ、頑張るのは水垣だけどな。

「ああ、ほら、飴あげるわ」

立ち去ろうとすると、ヤスコさんだかいうおばちゃんその1がポケットをさぐって小さな包み紙を差し出してくる。
すると、トモさんが自分もポケットを差し出して、包み紙を出す。

「あら、じゃあ私もラムネあげる」
「サンキュ!」

散歩してよかった。
うまいものっていう訳じゃないが、食料との出会いはあった。

早起きは三文の徳だな。





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