好意には感謝するが、一瞬でなくなった飴とラムネでは、やっぱり腹の足しにならない。
腹の虫が盛大に泣きわめき、空腹を訴えている。
腹が減った。
力が出なくなってきた。
早く。
早くメシが食べたい。

「ただいーまー」

その一心でなんとか尾形さんの家にたどり着き、家に入る。
入った瞬間に、味噌汁のいい匂いがした。
メシだ。
広間から出てきた尾形さんが、俺の方を見て穏やかに笑う。

「おはようございます、朝日さん。いかがでしたか、散歩は」
「うん、気持ちよかった。朝メシできた?」
「おい。まずは挨拶しろ」

広間に同じくいたらしい、水垣が顔を出して眉間に皺を寄せた。
そういえば今、挨拶し忘れた。
空腹のあまり、メシのことしか考えられない。

「って、あ、そうだった。オハヨーゴザイマス」
「はは、おはようございます。朝食の用意はできてますよ。どうぞこちらに」
「うん!」

心の広い尾形さんが朗らかに、でかい腹を揺すって笑う。
促されるまま小走りに広間に向かう。
広間のテーブルにはほかほかと湯気を立てる白いご飯、海苔の佃煮、アジの干物、お味噌汁、卵焼きなどのオーソドックスな、それでいて至上の朝食が並んでいた。

「朝メシだ!」
「朝食、だ。手を洗ってこい」
「………はーい」

少しくらいいいと思うのだが、水垣はおばさんのようにうるさい。
逆らっても無駄なのでさっさと洗面所に行き手を洗い、素早く広間に戻る。

「ちゃんと洗ったんだろうな」
「洗った洗った」

少しくらい雑でも死にゃしない。
とりあえず今は、メシだ。

「なあ、もう食っていい?」
「皆さんが集まってからだ」

尾形さんの家には後、尾形さんの奥さんと、祭りのお手伝いに来ている男性が数名いる。
子供とかは都会の方に出ているってことだった。

「………」

いい感じに焼けたアジの干物が俺を誘っている。
ふんわりとした卵焼きは、甘いのだろうかしょっぱいのだろうか、それとも出汁の味だろうか。

「………おい、見すぎだ」

水垣が小さな声で窘めてくる。
だって、腹が減っているんだ。
我慢できない。
お手伝いの男性が一人来たところで、尾形さんが苦笑した。

「ははは、もう結構ですよ。すぐに皆くる。ではいただきますか。どうぞ」
「うん!いっただきます!」

とりあえず一番は、この味噌汁だ。
魚のアラがたっぷりと入った味噌汁は、啜ると口の中に海が広がる。
味噌汁は元々何をも受け止める包容力のあるやつだが、海産物と味噌はもはや運命の恋人と言ってもいいだろう。

「はー、朝から幸せ」
「そうか」
「やっぱ魚の出汁はいいよなあ。味噌汁最高」

この匂いすらご馳走だ。
この匂いだけでご飯三杯はいけそうだ。

「んー?」

くんくんと嗅いでいると、代わりに別の匂いもしてくる。
水垣が気づいたように、頸を傾げる。

「どうした?」
「なんか昨日より、変な匂いが強くなってる気がする」

さっき外に出ても感じたが、生臭いような匂いが強くなっている気がする。
家の中でも、分かるぐらいだ。
せっかくの味噌汁の匂いが台無しだ。

「俺には分からないな」

水垣が、同じように鼻を鳴らすが、分からなかったようで首を傾げる。
こんなに臭いのに、なぜ分からないのだろう。

「お前は鈍感で鼻効かないしな」
「お前は犬並みだよな」
「おい」
「褒めてる」
「そっか。………そうか?」

犬並みって褒めてるのか。
でも、鼻がいいって言われると褒められてる気がする。
どっちだ。

「ま、いっか」

とりあえずはこの、ご飯が進みすぎてしまうおかずの数々を、どう片付けるかを考えよう。



***




朝食を食べると、昼まですることは特にない。
昼食をみんなで食べてから、お浄めをして、あの小屋にこもることになるらしい。
暇だったので、少し休んでから、水垣と散歩に出ることにした。

「本日は店などはすべて閉まっております。申し訳ありませんが、出歩かれても楽しいことはないかと思いますよ」

尾形さんが俺たちを見送りながら、申し訳なさそうに額の汗を拭っていた。
そうは言うものの、商店の一つぐらい開いているだろうと思っていたが、本気で開いてなかった。

「………誰もいないな」

海辺をまわってふらふらしているうちに、比較的建物が多い、村のメインストリートのようなところに来た。
その間、誰にも会わなかった。
本当に、比喩表現ではなく、人気がない。
一応それなりに賑わっているらしく、道は広く、両脇には店が並んでいる。
コンビニはないものの、雑貨屋や魚屋、布団屋なんかがあるが、やっぱり閉まっている。
古い木枠のガラス戸から店の中を覗くと商品はあるから、通常は営業しているのだろう。

「店が開いてないどころか、人すらいねーじゃん」

家の前にある手入れされた花壇、カゴにカバーがかかった自転車、ホースがついた水道など、普段は一応人がいるのだろう生活感は漂ってる。
ただ、人の気配は強くあるものの、実際の人は、まったくいない。

「………何あれ、札?」
「みたいだな」

そして玄関にはみんな揃って同じような札を張っていた。
魔除けっぽい力を感じるから、ちゃんとした札なのだろう。
これも今日のお祭り用なのだろうか。

青い空を背景に、人が一人も見えず、声もしない道。
けれど漂う生活感と、人の気配。
かすかに聞こえるのは波の音と、虫の声。

「なんか、人がいない村って、不気味だな」

村の中から、人だけが急に消えてしまったような、うすら寒さ。
尾形さんが、祭りのためにみんな家の中で籠っていると言っていたからいるにはいるんだろうけど。
でもやっぱり、あるべきところにあるものがないというのは、違和感がある。

「祭りって、なんか楽しいイメージがあった。そうでもないんだな」

気配を消して、家に籠って、祭りの時間を待つ。
何が、楽しいんだろう。
祭りってもっとみんなでワイワイする、楽しいイメージがった。

「………祭りは、楽しいばかりのものでもないな」

水垣が辺りを見渡しながら、呟くように言う。

「そうなんだな。出店がないなんて、つまんねー」

俺は、出店が立ち並び、みこしを担いで、盆踊りを踊るような祭りしか知らない。
ああ、でも、前に静かなお祭りを一回ぐらい、見たことがあるのかな。
あるような記憶もあるな。
気のせいかもしれない。

「イカ焼き食べたかったな」
「お前は本当に、そればっかりだな」
「おいしいもの食べたいってのは、人間の本能だろう!」

水垣の呆れたようなつっこみに、俺は常日頃からの主張を繰り返す。
食べられるものがあったら、万難を排して食べる。
それが、人のあるべき姿だと思う。
水垣はますます呆れたようにため息をつく。

「お前、前から、食べ物に執着してたのか?」
「んー」

こいつが前、というのは2年前より後か、その前か、を指しているのだろう。
記憶を辿ってみるが、特に今のように、おいしいものを食べたいと執着していることはない。
野球をやっていたから、よく腹が減っていたというのはあった。
母さんに怒られながら、お菓子やおかずのつまみぐいをよくしていた。
でも、今ほど燃費は悪くないし、こだわりもなく、腹に入ればいいって感じだな。

「そうだな。そういえば、前は、そんなに食べることに執着なかったな。そりゃ、男子中学生らしく大食いだったみたいだけど、今ほどじゃないな」
「じゃあ、事故からそうなったのか」
「かな」

俺は、2年前の事故から、何もかも変わってしまった。
性格も、嗜好も、生活も。
変わってないのは外見と名前ぐらいだろうか。

「施設にいたときは、腹がいつも減っててさー。小遣いは決まってるし、お代わりはできるけど、俺ばっかり食う訳にはいかないし」

施設は悪い所ではなかった。
職員は親切だったし、一緒に暮らしてた奴らも、癖のある奴もいたにはいたが、あんまり気にならなかった。
最低限の衣食住も与えてもらえた。
でも、やっぱり、大食らいの俺には足りなくて、いつも腹が減ってて辛かった。

「今、こうやって腹いっぱい食えるのは、嬉しいな」

飢えていた時期があったからこそ、食べられる機会を大切にしたくなる。

「………そうか」

水垣は眉間に皺を寄せた、複雑そうな顔で頷いた。
そういえば、こいつも親がいなくて四天サンに引き取られたつってたっけ。
それまではどうしてたんだろう。
今までまったく興味がなかったが、ちょっと興味が沸いてきたな。

「お前は、四天サンに拾われる前は、どういう生活してたんだ?親は死んでんの?」

聞いてみると、水垣が呆れたようにため息をつく。

「そういうデリケートなことをずけずけ聞くな。人によっては傷つく」
「そうなのか」
「そうだ。少しは気を使って話せ」

上から言われて少しムカっとするが、でもそうか。
自分は気にしないからどうでもいいのだが、確かにそういう話は悲しんだり、傷ついたりする人がいるってのは分かる。
俺は人の感情の機微にうといと言われてるので、そこは少し気を付けよう。

「じゃあ、お前は傷ついたの?」
「だから、そういう言い方がって、まあいいか」
「傷ついた?」
「いや別に」

水垣はうっすら笑って首を横にふった。

「親は多分死んでないしな」
「そうなんだ。あれ、でも、いないっていってなかった?」
「死んではないけど、いない」

なんだそれは。
こいつの言うことはたまにすごく回りくどくて面倒くさくて難しい。

「つまり、どういうこと?」

もう一度聞くと、水垣が軽く肩を竦める。
感情のこもらない声で、答える。

「一応俺を作って産んで育てた人間がいた。ただ、俺の、親、ではないってことだな」
「むっずかしいなあ」
「それでいいさ、別に。もう会うこともないだろうし」

両親がいるけど、いないようなもんってことなのかな。
嫌な親だったのだろうか。
まあ、まともな親がいたら、俺らと暮らしてないか。
生きているけど子供を育てられない親は、短い間だったが施設でよく見た。

「ああ、いたいた。鈴木さんと斉藤さん」

後ろから、声がかけられる。
鈴木さんと斉藤さんって、誰だ。
周りには俺たちしかいないぞ。

「はい」

そして隣で水垣が返事をして振り返ったことで思い出した。
俺たちの偽名だった。
仕事では、たまに都合により偽名を使う。
にしても、もうちょっとやる気のある偽名はなかったのだろうか。
下の名前は、あまりにも違いすぎると俺が反応できないってことでそのままだし。

「どうかなさいましたか」

水垣が愛想笑いで、対応する。
俺も振り返ると、昨日の宴会で見たおっさんのうちの一人だった。

「少し早いですが、昼食の用意ができました。その後は水垢離の準備も整っていますので、そろそろお戻りいただけますか」
「はい、承知いたしました。出迎え、ありがとうございます」

水垣がおっさんの後について歩き出す。
俺もその後ろをついて歩き出す。
なんとなく、一回だけ後ろを振り向く。
青い空は目がくらむほど眩しい。
けれど、そこにはただ、人のいなくなった、空っぽの村が佇んでいる。

「やっぱ、楽しくなさそうな、お祭り」

魚はうまいが、楽しくなさそうな仕事だ。
まあ、楽しい仕事なんて今までなかったけど。

うまいもんも食ったし、さっさと終わらせて、さっさと帰りたい。





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