和食の朝食というのは、確かにご飯と味噌汁におかずという一定のテンプレートはあるようだ。
だが、そこで種類が少ないなんて、言ってはいけなかった。
やはりいけなかった。
俺が馬鹿だった。

味噌汁もご飯もおかずもバラエティも富んでいる。
味噌汁はどんな具でも受け入れるし、ご飯も混ぜご飯炊き込みご飯白米にふりかけおにぎり焼き飯、おかずはそれこそ無限にある。
豆腐には雑魚をかけてもいいし、明太子、薬味を作って乗せてもいい。
卵焼きだって、甘くてもいいし、しょっぱくてもいいし、出汁を入れてもシラスを巻いてもニラを巻いてごま油で仕上げても、海苔を巻いて醤油で仕上げても、カニカマで中華出汁でもいい。
勿論それだけじゃない。
魚はもちろん、肉だって存在する。
八幡巻きなんて立派な和食だし、ばら肉と大根を煮たものは絶品だ。

和食は種類が少ないんじゃない。
一つのテンプレートに、無限の可能性を秘めているんだ。
そもそも洋食だって、一括りにしてはいけない。
今の形のサンドイッチはイギリス風らしいし、チョコクロワッサンなんかはフランス風らしい。
中華だって粥一つにしても種類は数えきれない。
それに、今は世界中で料理の種類が混じったり増えたりしてるから、洋食和食中華なんて、簡単にはくくれないのだ。
種類が少ないなんて、口が裂けても言ってはいけなかった。

料理はなんとも奥が深い。

「うーん、いいなあ」

図書館で借りた月刊のレシピ雑誌を読みながら、廊下を歩く。
通い詰めていたせいか、司書の先生と仲良くなって、今月は入荷のリクエストを聞いてもらえた。
全部買うって訳にもいかないから、貸してもらえるのはありがたい。
公立の図書館に行く時間も中々ないし。
パラパラと見ながら、夕メシに想いを馳せる。

「今日の夕食は何にしよう」

借りたレシピ本には、洋食を中心とした料理が多く載っている。
今日の夜は、洋食でもいいかもしれない。
苦手だからあまり作らないパスタに挑戦してみようか。
それとも前に食べておいしかったニョッキなんか作ってみようかな。
四天サンとかが、暇なときにメシに連れってくれるのは嬉しい。
うまいもんを食わせてもらえるのは、素直にありがたい。
色々な味を知らないと、美味しい料理なんて作れない。
もっともっと色々な味を知りたい。

「お」

レシピ本を読みながら帰る渡り廊下の途中の校舎裏。
なんか女子の集団に囲まれている、眼鏡の女がいた。
情けない顔をしておどおどとした態度。
見ているだけで殴りたくなる、自信のない表情。

「あ、玉野」

渡り廊下からそちらに視線を向けると、玉野もこちらに気づいて俺を見ている。
玉野を取り囲んでいる女子は三人。
この前の高田、だっけ、高なんとかはいないけど、もう一人いた女はいるな。
名前なんだっけ。
玉野はすごく焦った顔で、泣きそうになっている。
友好的な雰囲気ではない。
周りの女子に詰め寄られて、責められているように見える。

「へー、マジで苛められて囲まれるとかあるんだな」

校舎裏で苛められるとかそういう古典的ないじめって今も生存してたのか。
マジ、いじめに今も昔もないんだな。
なんとも暇なことだ。
人のことに構ってる暇があるなら、俺は別のことをしたい。
とりあえず料理を作るか、食べ歩くか、武術の稽古でもしたい。

「まあ、頑張れ」

玉野に小さくエールを送って、歩き始める。
すると後ろから呼び止められた。

「ちょ、原田くん!」
「ん?」

気が付くと玉野がこちらに走ってきていた。
なんだ、逃げてきたのか。
そう思って立ち止まると、玉野が俺まで辿り着いて襟首をつかむ。

「んっだよ」
「この光景見て、なんとも思わないんですか!私が可哀そうだと思わないんですか!助けようかとか思わないんですか!どんだけ冷血漢なんですか!」
「お前自分で逃げてんじゃん」
「そこは男子として、女子を颯爽と助けに入る場面でしょう!」
「いやほら、女子の争いに男子が入ると、余計に悪化するんだろ?前に何かで読んだ」

女子の問題に男子が入っていいことないと、何かに書いてあった気がする。
俺もそう思う。
ていうか人の争いなんか、興味ないし、入りたくない。
命の危険があるとかなら、助けてやらないでもないけど、これぐらいは自分で対処しろ。

「後から悪化するぐらいなら、今を自分で切り抜けた方がいいだろ」

そう、親切に言ってやったのに、玉野は俺の襟首を揺すぶる勢いで詰め寄る。

「そんなこといいんです!後のことはいいんです!今、今この時を切り抜けたいんです!後なんてどうでもいいんです!その場しのぎでいいんです!とりあえず今、この場を抜け出したいんです!後のことは後で考えます!」
「つってもなあ」
「アグレッシブにいじめられるようになったのは原田君のせいですよ!私がこんな陰湿にいじめられていいんですか!恨みますよ!」
「お前そこまで言えるなら、自分でどうにかなるだろ」

こいつ、俺にここまで言えるんだからそれを後ろの奴らに言えばいいんじゃねーか。
つーか俺との会話で、割と他らのやつらをなじってんだけど、そこはいいのか。

「お、おごりますから!」

玉野が俺の襟首をつかみながら、叫ぶように言う。
それなら話は別だ。

「よし乗った」

女子たちはすぐに追いついてきた。
みんな玉野と違って化粧も髪も気合が入っている、見た目が綺麗な奴らだ。
今は鬼の形相をしているが。

「ちょっと、逃げてんじゃねーよ」
「おい、なに苛められている奴らどうしでつるんでんだよ」

俺、苛められたのか。
つーか女なのに口わりーなあ。
まあ、施設にいた女子も結構口悪い子もいたっけ。

「もうその辺にしとけよ、お前ら」

追いかけてきていた奴らと玉野の間に入り、玉野を背にして庇うような体勢になる。

「あ」
「わ、私たちは」

睨みつけると、今まで強気な様子で玉野に詰め寄っていた奴らが口ごもる。
なんだかわいいもんだな。
こんなもんなのか。
例え死にかけても嫌味を言ってそうな四天サンを少しは見習えばいいのに。
あ、でも一人、一番派手な化粧をした金髪は怯む様子はない。
いいガッツだ。

「高校生にもなっていじめとか、暇なの?他にすることないの?勉強でもすれば?」
「な!うるせーな!お前に関係ねーだろ!」
「一応顔見知りだからな」

おごってもらえるらしいし。
つーか、玉野なら自分で切り抜けられる気がすんだけどな。

「偉そうに、チビが正義の味方気取りかよ!」
「今この状態だったら、どう見ても俺が正義の味方だろ。だってお前ら悪い魔女だろ?顔もケバくて怖いし、爪もとがってるし」

俺の言葉に、金髪が頭に血が上ったらしく、手を振りかぶる。
別に、女に叩かれる趣味はない。
理由もない。
なので、その手を自分の左手で捕まえた。

「いった!触んなよ、汚ねーな!」
「ふざけんな。殴るなら、殴り返すぞ」
「女を殴る気!?」
「加害者に女もくそもねーだろ」

まあ、でもこれで攻撃したら、俺が悪者になるのかな。
なんとも理不尽な世の中だ。
玉野を守るためにやったとか言えばいいかな。
大人しそうな玉野とこのケバい女どもだったら、玉野のほうがどうみても苛められっこだし。

「さいってー!このチビ!」
「そんな女かばってんじゃねーよ、不細工!」
「モテねーからって、ブスとつるんでるとかかわいそー」
「調子に乗んなよ!」

きーきーと猿みたいに騒ぐ女子三人。
さすがに俺もひく。

「………女って怖いな」
「こ、怖い」

玉野が俺を盾にするように、俺の後ろに隠れる。
こいつもこいつだ。

「殴られるのと、いますぐ教師の前まで引っ張っていって苛めしてたって土下座するのと、逃げるの、どれがいい?」
「な!」
「ふざっけんな!」
「俺は別にお前らみたいなブス、顔の形が変わるぐらい殴るの、気にしないんだけど」
「………っ」

まあ、そんなことしたら後が絶対面倒くさいからしないけど。
しかし、その言葉は一応効いたらしく、金髪は俺の手を振り払う。

「やってらんない、なんなのばっかみたい!」
「最低、クソチビ!」
「死ね、この不細工!」
「モテねー童貞が調子のってんじゃねーよ!」

口汚い捨て台詞を吐きながら、逃げていく。
その後ろ姿を見ながら、暑くなってきた季節だというのに寒くなった。
チビチビ言われて怒る暇もなかった。

「………なんつーか、マジで怖い」
「ひ、ひい」
「で、いいの、今ので。確実に余計に悪化すんじゃねーの、あれ」
「………い、いいんです。とりあえず今が切り抜けられればいいんです」

玉野が俺の背中にしがみつきながら、ぶるぶると震えている。
いや、まあ確かにあれから逃げたいのは分かる。
でも、間違いなく余計に感情を逆なでしたよな。
俺も敵を作ったな。

「本当にいいのか?」
「あんまりよくないです………。うう………」

あんな攻撃的な奴らだから、どんだけ陰湿ないじめが始まるんだろう。
後を考えると、頭が痛くなりそうだな。
もうちょい俺も考えればよかった。

「つーかお前、そんだけ口が回れば逃げられるだろう」
「この口出したら余計にいじめられますよ!!」
「難儀なやつだな。まあ、考えても仕方ないから、帰るか」
「う、ううう」

俺も玉野も鞄が教室なので、教室に向かって歩き始める。
玉野の顔は暗く、俯いて肩を落としている。
いつも以上に暗いオーラを身に纏っているようだ。

「いじめられてた理由は?」
「や、やっぱり水垣君ぽいです。ブスのくせに生意気とか言われたので………。男に媚び売ってるとか」
「お前がそんな器用なら苦労はねーよな」
「その通りですよ………。媚び売って生きれるほど器用なら、こんな日陰の人生歩んでません」
「な」

あの女たちもこんな土竜みたいな女放っておいて、素直に水垣に媚び売ればいいのに。
他人を攻撃しても、一文の得にもならないだろう。
そんなことしてる暇があったら、美味しいものことでも考えてる方が数十倍有意義だ。

「ま、いいか。俺には関係ないし」
「関係なくないですよ!?」
「なあ、玉野、お前さ、ニョッキとスパゲッティどっちが食べたい?」
「人の話聞いてくださいよ!」
「じゃがいものニョッキか、カルボナーラどっちがいいかなって」
「だから、華麗にスルーしないでください!」
「お前のいじめよりも、俺の夕メシのが大事だろう」
「………鬼ですよね、原田君」

考えても仕方ないし、そもそも気にするのも馬鹿馬鹿しい。
あいつらがまだつっかかってくるなら、それ相応の仕返しをするだけだ。
それより大事なのは、今日の夕メシだ。
まあ、ちょっとは悪かった気がしないでもないから、お詫びをしてやらないでもない。

「お前も食ってく?」
「………」

玉野は黙り込んで、ちらりと俺を見上げる。
少し迷うようにこちらを見て、地面を見てを繰り返す。

「ニョッキとスパゲッティ、どっちがいい?」
「………ニョッキって、食べたことないです」
「よし、ニョッキにしてみるか」

強力粉はあるし、チーズは何を入れようかな。
ゴルゴンゾーラはちょっと癖があるから水垣が嫌がりそうだ。
パルミジャーノあたりにしとくかな。

「………原田君は昔から、料理が好きだったんですか?」
「そんなことはないっぽいな。母さんが作るのが普通だったみたいだし」

母さんがいる時は手伝いするのも嫌がっていたようだ。
こんなに楽しいこともないのに。
代わりに今は野球に対する興味は一切ないけど。
玉野が驚いたように目を丸くする。

「前は料理はしなかったんですか?」
「ああ、そうっぽい。一切している感じがない」
「みたいとか、っぽいとか、変な言い方ですね?他人事みたいです」

他人事みたい、か。
確かにその通りではあるだろう。
自分自身2年より前の自分は、自分のような気がしない。

「うーん、俺、記憶がないんだよな」
「え?」
「ちょっと違うか」

なんて説明したらいいか分からなくて、言葉を探す。

「2年前に家族全員死ぬ事故に遭った後から、記憶つーか、記憶に伴う感情、みたいなものがないんだ。記憶はあるから、だいたい思い出せる。勿論細かいところはダメだけど」

どうでもいいようなことや、毎日の食事なんかはさすがに思い出せない。
でも、印象深いことに対する記憶はある。

「ただ、感情が分からないんだ。母さんとか父さんをどう思っていた、とか、弟を可愛がっていたとか、そういう感情が実感できない。記憶にあるから、だいたいどう思っていたかってのは分かるんだけど、実感がない。父さんも母さんも弟も好きで、大事だった。それは、分かる。でも、思い出に対する感情がない」

大らかででもちょっと怖い父さんを、尊敬していた。
過保護でちょっとうざいけど、優しい母さんを大事に想っていた。
小生意気になってきていた6つ下の弟を、時折邪険にしながら可愛いと想っていた。
それは記憶から、伝わってくる。

「2年前以降の記憶は、なんか古い映画を見ている感じなんだよな。感情移入はするし、リアリティはある。でもやっぱり、現実感がない。医者が言うには、記憶障害の一種だってさ。家族を亡くして耐えられなくて、感情を封じたんだって」

無理に思い出したら心が耐えられないかもしれないと言っていた。
だから、思い出そうとしなくてもいいと。
ゆっくりと受け入れていけばいいと。
今の俺にとっては、どうしても他人事だから、そう言われてもよくわからないんだけど。
ただ、すごく大事な家族だったみたいだから、感情を思い出したいとは思う。
思い出す家族の笑顔と温もりを、もっと近くに感じたいとは思う。

「………」

玉野は黙って、俯いてしまう。
そういやこういうのって、あんまり人に言わない方がいいんだっけ。
友達もいないからあんまり話したことなかったけど。
施設にいる奴らは俺以上に大変な事情の奴らも多かったし。

「どうした?」
「いえ、その」
「ん?」
「いえ、えっと、軽い気持ちで聞いたら予想以上にヘビーな事情が返ってきて、どう答えればいいか分からなくて黙ってました。私こういう時、気の効いたこといえないので、どうせ失礼なことしか言えないゴミなら、せめて黙ってた方がまだマシかなって………」
「ははっ!!」

玉野が俺の笑い声に驚いて顔を上げる。

「お前本当に正直だよな。言動ムカつく時あるし、うじうじして意味もなく殴りたくなるけど」
「ひ、ひど!」
「でも、面白くて、正直で結構好き」
「え、え」

水垣や四天サンみたいに厭味ったらしくも面倒でもない。
志藤さんは優しくていい人だけど、保護者って感じだし、ちょっと距離がある。
玉野はうじうじして、うざくて意味もなく小突き回したくなるけど、面白い。
回りくどい会話もないし、面倒なことも言わない。
話していると、楽しい。

「ま、本当に全然俺は気にしてないから、スルーしてくれていい。たまに変なこと言うってだけ覚えといてくれれば」
「え、えと」

だって、過去の不幸な出来事を気にするほどの感情も、俺は持ち合わせていない。
2年前に過去の感情は、すべてなくしてしまった。

俺が分かるのは、この2年で積み重ねてきた感情だけ。





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