「とりあえずこの学校のテストの英語は暗記だ。教科書以外からは出ない。ここの教科書で出るのはこことここと、ここ。この過去分詞は必ず出るから覚えておけ」
「カコブンシってなんだっけ」
「おい」
「いで」

丸めたノートで叩かれた。
つっても、カコブンシってなんだよ。
過去に分子ってなんだよ、分母もあるのかよ
意味分からねーよ

「お前はとりあえず、暗記しろ。意味は考えるな。ひたすら暗記しろ。あんなに料理を暗記できるお前なら出来る。ていうかやれ」
「お、おう」
「玉野さんはさりげなくページを飛ばさない。そこは大事だから、ちゃんと確認して」
「ひっ」

俺が怒られてる最中に横で教科書を捲っていた玉野が、急に振られてびくりと飛び上がる。
こいつ、俺を見ていたと思っていたのに、玉野も見ていたのか。

「………こ、怖いですね、水垣君」
「………スパルタだな」

隣の玉野がびくびくとしながら、こっそり聞いてくる。
こんな厳しいこいつは初めて見た。
俺に対しては態度は元々よくもないが、それとも違う。
態度が悪いわけじゃない、毒舌な訳でもない。
笑顔なのに、一切の隙がない。

「何か言った?」
「い、いいえぇ!」
「イエ」

慌てて二人で首を横にふる。
なんか怖い。
今の水垣は怖い。

「とりあえずの目標は原田は赤点回避。玉野さんの得意教科は?」
「え、えーとえーとえーと………、あ、こ、古文!古文と保健体育は得意です!」
「平均点よりどれくらい上?」
「え………え!?」
「平均点ぐらい?」
「………」
「………じゃあ、その二つとそうだな。英語あたりは平均点突破を目指そうか」
「は、はい!」

最初に玉野が、自分の成績は平均点ギリギリ下だったり上だったりとか言っていた。
この様子だと、全部ギリギリつーか完全下なんじゃないだろうか。
赤点はないと言っていたが。

「おい、原田、遊ぶな」
「いで」

水垣と玉野の様子を見ながら、つい教科書に載っている女に落書きをしてると、頭をはたかれる。
こいつ、本当に結構人のこと殴るよな。

「………隠れドS」
「原田?」
「スイマセンデシタ」

なんて言っていても仕方ないよな。
今回、こいつは何も悪くない。
うん、分かってる。
俺と玉野の勉強嫌いがすべて悪い。
遊んでいても、未来は開けない。

「あ、あの、水垣君、すごく、教えるの上手です。分かりやすいです」
「そう?」
「はい!私初めて、ここになんでこの単語はいるのか理解できました!今までは丸暗記だったんです。覚えてるところしかできませんでした」

それでも覚えようと努力していたのか。
偉いな。
素直に尊敬するぜ、玉野。

「ならよかった。基礎を理解しておけば、記憶になくても解けることがあるから。後は単語もしっかり覚えておいてね」
「はい!」

水垣がにっこりと笑うと、珍しく玉野もキョドらず嬉しそうに頷く。
なんだよ、やっぱり俺より勉強ができるのか。
誰かに教えてもらったりしたのだろうか。
ていうかそういや、頭よさそうな叔父さんがいたじゃん。

「そういや、お前柊弥さんに教えてもらったりしないの?」
「え、えっと、その、柊弥ちゃん、忙しいから」
「でも、成績悪かったら、勉強合宿するとか言ってなかったか?」

素朴な疑問だったので聞いてみると、玉野は目を逸らした。

「………すごく怖いんです。1年の頃赤点取ったら正座させられて、笑顔でお説教しながら、勉強合宿させられました。お説教というか、問い詰められました………」
「え、どんな感じで」
「どうしてこんな成績を取るのか、忙しかったのか、勉強してないなんてまさかないよね。萱子はいい子だからね。今回はちょっと体調悪かったのかな。一緒に勉強しよう。どこが分からないの。え、ノートもとってないの。どうして。ペンが壊れてたとか。買ってあげようか………みたいな」
「ああ………」

なんか、やっぱり四天サンをちょっとホーフツとさせる。
ていうか四天サンよりタチが悪いかもしれない。
あの人は割とストレートに嫌味だからな。
柊弥さんがちょっと怖いと思った印象は正しかったんだな。
俺の勘は正しかった。

「それから、なんとかギリギリの成績は保っていたんです。もう勉強合宿しなくてすむように。でも今回はもっと厳しくて………」
「あー、だから赤点だけは取ってないのか」
「は、はい!だから水垣君優しくて、分かりやすいです!」

まあ、確かにそれに比べれば、水垣の話は優しく分かりやすいかもしれない。
俺が柊弥さんに教えられたら、間違いなく心が折れる。

「まあ、でも確かに、水垣の教え方は分かりやすいな。初めて英語が言葉に見えた」
「………言葉って」
「だって英語って日本語じゃねーじゃん」
「…………」

英語が日本語だったら、もっと分かった気がする。
でも、日本語じゃないから、どの教科よりもとっつきにくい。
古文にも漢語にもそれは言える。
とりあえずお前ら、日本語を話せ。
俺の言葉に、水垣は深く深くため息をついた。

「まあ、いい。とりあえず英語が出るのはここ。今日のところはちゃんと帰って復習してね。今度は、今日のところちゃんとやってるか聞くからな。次は数U行くぞ」
「ま、まだやるのか」
「ひっ」

終わりではないのか。
俺と玉野の反応に、水垣が目を細めて見据える。

「二週間後だぞ。お前たち終わるのか」
「………」
「………」
「自分で出来るのか。大丈夫なんだな、料理禁止と草むしり。自分で出来るなら俺は何も言わない」
「………」
「………」

玉野と顔を見合わせる。
そして、お互い一つ頷き、同時に頭を下げる。

「………べ、勉強します。お願いします!」
「シマス」

こいつの手助けなしでどうにかなるとはまったく思っていない。
むしろこいつがいなきゃ何をすればよかったか分からなかった。
文句はつけるが、不満なんてある訳がない。

「そう。俺の独りよがりでなくてよかった。一緒に頑張ろう」

そう言って、水垣は優しくにっこりと笑った。



***




「もう、こんな時間か」

そしてとっぷりと日が暮れる頃になって、解放された。
夏だというのにもう辺りは暗く、すっかり夜だ。
もう、今日の夕メシを作るのは無理だろう。
ああ、試験なんてなくなればいいのに。

「あ、揺れると英単語と方程式が出てく」
「わ、私は年号が」

何でもいいが、歩くうちにさっき叩き込まれた知識がなくなっていきそうだ。
俺たちの言葉に、水垣はにっこりと笑う。

「こぼさないように大事にしてね。大丈夫もっかい復習すればまた頭に入るから」

やっぱりこいつ、ドSだ。
復習しなかったら、簡単に見捨てられる気がする。
そうしたら料理禁止の地獄だ。
俺の食いたいものが食えなくなる。
そんなの、無理だ。

「………ハイ」
「………はい」
「そんなこの世の終わりみたいな顔しなくても」

テスト期間が終わるまでこれが続くとなると、辛い。
でも、今まで勉強しなかったツケがきたんだから、仕方ない。
仕方ないと分かっているが、辛い。
勉強なんてなんの役に立つんだ。
といっても、英語とか保健体育と化学とか物理とか役に立つよな。
勉強は、無駄なことではない。
分かってはいる。
分かってはいるんだ。

「あ、あの、で、でも、楽しかったです。こんな風にみんなで勉強するの、憧れてたんです」

玉野が水垣にビクビクとしながらも笑顔を作る。
水垣が不思議そうに首を傾げる。

「ん?憧れ?」
「は、はい。友達と放課後勉強って、素敵です。青春です」

そしてうっとりと、はにかむように目を細める。

「私ずっと、青春したかったんです!」
「お前に青春って、ほど遠い単語だもんな」
「うう」

頬を上気させ興奮していた玉野は俺の言葉に肩を落とす。

「ていうか、お前、中学時代どうしてたんだよ」
「う」
「後、友達いるって設定じゃなかったか?」
「い、いますよ」
「どこに」
「いるんですってば!」

いや、嘘だろ。
なんでそんなところに意固地なんだよ。
別に今更いいだろ。

「こら、いじめない」

そうして玉野を追及していたら、頭を後ろからはたかれた。

「いじめてねーって。ただ、こいつが嘘つくからじゃねーか」
「い、いますってば!ちょ、ちょっと一緒に勉強とかできないだけで!」
「ほー」
「は、原田君はどうなんですか!勉強会とかしたんですか!」
「んー?」

勉強会か。
勿論この2年間はしたことない。
ただ、友達と楽しそうに机を囲んでいた記憶はある。

「中学の頃とかはやってたみたいだぞ。結構楽しかったみたい。野球少年だったから、試験前だけだったみたいだけどな」

野球部の仲間と、誰かの家に集まりながらわいわいと勉強。
勿論勉強になんかなるわけなく、最終的には遊びになっていたけど。
それでも仲のいいやつらと集まって騒ぐのは、楽しかったようだ。

「お友達も、いっぱいいたんでしょうねえ」
「ああ」

野球部の奴ら、クラスの奴ら、これまで仲良かった小学校時代からの友達。
俺は、明るく人気者で、人に囲まれていた。
今とは大違いだ。

「今は、お友達と会わないんですか?」
「引っ越したし、何話したらいいか分からないしな」

中学3年で事故に遭ってからずっと入院していた。
その後の高校は、入れるところに入ったので、仲のいい奴はいなかった。
そして、四天サンと志藤さんに引き取られここにきた。
もう、手紙すら来ない、遠い遠い場所にいる、友達。
今、会えたら、何を話せるのだろう。
勿論記憶はあるから、親しみはある。

「今の俺じゃ、話合わないだろうから、ちょっと申し訳ないし」
「………そうですか」

でもたぶん会わない方が、お互いのためだろう。
俺はあの頃の俺と随分違ってしまった。

「野球も一切興味ないしなあ」

唯一の共通言語である野球がなくなったら、話すことなどない。
今も一生懸命野球をしているだろう仲間たちを失望させるのも可哀そうだし、煩わせたくない。
玉野は俺の言葉に、珍しくじっと俺を見上げてくる。

「えっと、今の原田君は、料理ですもんね」
「うん」
「わ、私は、原田君の料理好きですよ。それと、えっとえっと」

言葉を探す様に、胸元で両手の指を無意味に合わせたり離したりする。
そしてしばらくして、顔を赤く染めて、わずかに微笑み、俺を見上げる。

「原田君と友達になれて、よかったです!」
「メシといじめからの盾として?」
「ど、どうしてそういうこと言うんですかああああ!」
「お前が今まで言ったんじゃねーか」
「う」

玉野は俺のつっこみに肩を落として黙り込む。
こいつの友達の定義って、不思議だしな。
まあ、いいけど。

「ま、でも。どうも」

こいつは面白いし、そんな面倒じゃない。
この前確認したところによると、こいつは、友達、みたいだし。

「俺もお前みたいな面白い友達がいて、楽しい」
「は、原田くん」

玉野は、眼鏡の奥の目をキラキラしてこちらを見上げてくる。
両手を合わせ、満面の笑みを浮かべる。

「えへへ、へへ!ありがとうございます!」
「おう」
「あの、あの、お友達になってくれて、ありがとございます!」

そして本当に嬉しそうに、何度も口の中で小さく友達、と繰り返す。
こいつ、どんだけ友達いなかったんだ。
だいぶ必死だな。

そうこうしているうちに、分かれ道に来た。
玉野が道路の向こう側に急いで渡り、大きく手をふる。

「では、また明日!水垣君、引き続き勉強お願いします!」
「うん」

玉野はにっこりと笑うと、急いで部屋の中に入っていった。
て、おい。
友達の俺には一言もなしか。
だからあいつは友達がいないんだ。
ま、いいけど。

「………なあ、原田。今、楽しいか?」

とりあえず家に向かって並んで歩いていると、水垣が小さな声で聞いてきた。

「んー。まあ、そこそこ?勉強は嫌だけど」

楽しいか楽しくないかと言われれば、別に楽しくないわけではない。
勉強とか嫌なことから逃げ出せれば、もっと楽しいに違いない。

「前と、どっちが、楽しかった?」

重ねて聞かれた言葉に、肩を竦める。
応えようなんてない。

「比べようがないな。あの頃の楽しさを、俺は思い出せないから」
「………そうか」
「でもまあ、メシはうまいし、いくらでもメシが作れる環境だし、お前も割といい奴だし、玉野は面白いし、志藤さんはいい人だし、四天サンはちょっとムカつくけどうまいもん食わしてくれるし」

比べようはない。
あの頃の感情を、俺は分からないのだから。
でも、今このときで言えば、悪い気分ではない。

「今の俺的には、今は別に悪くない。楽しいと思う」

友達もいないし、野球もできない、勉強会なんてもってのほかだ。
でも、この環境は悪くない。

「………そうか。よかった」

そう告げると、水垣は前を向いたまま、そっと言った。






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