中等教育に移り、初めての中間試験なんてものに備えて机に向かっている。
テストは大変だって話だが、今のところ特に脅威は感じない。
教科書に書いてある内容で、理解できないところはない。

それとも、実際やってみると大変なのかな。
少しくらい大変だといいかな。
あんまり簡単すぎるのも、退屈だ。
ひねくれた問題とか出てくると、楽しそうなんだけど。

"Is This a Dog?"
"This Is a Cat."

見ればわかるんじゃないかな、どんなネコなんだろ。
なんてこと言うのはやっぱり無粋かな。
別の意味で教科書を読むのが楽しくなっていると、ドアの外に気配がした。
椅子を回して、ドアに向かって声をかける。

「どうしたの?」
「四天、いいか?」

聞こえてきたのは予想通り長兄の落ち着いた声。
いいよ、と答えるとドアはゆっくりと開けられた。
すらりと背の高い大人の男が現れる。

「どうしたの?」

まあ、聞かなくても分かるけど。
一矢兄さんの腕には、すぐ上の兄が抱えられていた。
ぐったりとして青ざめて、長兄にもたれかかっている。
またか。

「三薙の供給を頼む」
「一矢兄さんがやればいいのに」

面倒くさくて、眉間にしわが寄る。
別に供給自体は全く構わないんだけど。
俺の言葉に、一矢兄さんは男らしい眉を緩めて苦笑する。

「先宮の命だ。そういう訳にもいかないだろう」

まったく、当主様も面倒な命をお下しになられる。
少し前から、それまで家族で持ち回りだった三兄の力の供給は俺の役割となった。
まあ、理由は分かるんだけど。

「修行のしすぎで、使いすぎたらしい。道場でぶっ倒れてた」

それもいつものことだ。
どんなに頑張っても、兄さんの力は根本的な質が違う。
俺や一矢兄さんと同じものにはなれないのに、無駄な努力を繰り返す。
現実を見つめ、自分ができることを見極めることをしない。
理解できない。
なんでそんな意味のないことを繰り返すのかが分からない。

「また空っぽになってる。どうして兄さんって、反省できないんだろうね」

立ちあがって一矢兄さんの元へいくと、三兄はじろりと俺を睨みつけた。
わー、ムカつく態度。

「わ、るかった、な」

二つ上のはずなのに、体格はそう変わらない。
むしろウェイトは俺の方がありそうな細い体は、小学生のようだ。
長身の兄に抱えられていると余計に小さく見える。
力が尽きかけ青ざめ白くなった顔は、痛々しいほどだ。
握りつぶせそうなほどちっぽけな存在。
しかしその態度はふてぶてしい。

「どうしてこうなる前に、供給しないのかな」
「………」

兄さんは、俺をもう一度睨みつけると顔を逸らして一矢兄さんの胸に顔を埋める。
うーん。
なんでここまでされて供給しなきゃいけないのかなあ。
理不尽だよね、本当に。
一矢兄さんがかすかに笑って、兄さんを促す。

「ほら、三薙。四天に頼め」
「………一兄が、いい」

別に俺が頼んで供給させてもらってる訳じゃないんだけどな。
この人はどうしてこう、自分の立場を理解しないというか、上から目線というか。
まあ、弟にすがって生きるしかないっていうのが、この人にとっては屈辱らしいんだけど。
力を持たないのも、供給が必要なのも、別に兄さんのせいじゃない。
こんなに卑屈になる意味が分からない。
それについて俺が何かいった覚えもないんだけど、何が気にくわないんだろう。
想像はできるけど、やっぱり理解できないな。
まあ、兄さんはそういうものなんだけど。

「こら、当主の命令だぞ」
「………………」

一矢兄さんの言葉に、口をへの字に曲げてまた俺に視線を向ける。
凶悪な顔。
本当にムカつくなあ、この人。

「三薙」
「………四天、お願い、します」

少し強くたしなめられると、しぶしぶ、といった様子で頭を下げる。
そんな心のこもってないお願いされても、嬉しくともなんともない。

「………ま、いいけどね」

ごちゃごちゃ言っている時間がもったいない。
勉強終わったらゲームしたいし。

「じゃあ、頼んだぞ、四天」
「はーい」

不満そうな顔の三男を床に下ろして、長兄は去っていった。
青ざめて今にも倒れそうなくせに、兄さんは俺を睨みつけている。

「じゃあ、始めるよ」

黙って、ただ頷く。
礼儀作法って、父さんからも母さんからも叩きこまれているはずなんだけどな。
まあ、いいけど。

場を清め、結晶を使って簡易に方陣を作る。
その真ん中にふらふらの兄さんを置き、Tシャツを脱がせると薄い腹に手を置く。

「宮守の血の絆に従い、我が力、恵みの雨となりて………」

ああ、面倒だなあ。
方陣作るのも手間だし。
呪言も長くなるし。

「此の者に加護を与えよ」

呪を唱え終え、兄さんとの間の回路がつながる。
自分の力が、ゆっくりと兄さんの中に飲み込まれていく。

「んっ」

入りこんできた力に、兄さんが目を閉じて眉を顰める。
苦しそうな表情だが、徐々に、白い顔に血の気がさしてくる。

「…………っ」

喉を揺らし、体を小さく震わせている。
触れた肌に、体温が戻ってくる。

兄さんはあんまり力の受け取りも得意じゃないから、少しづつしか供給できない。
ゆっくりと少量の力を注ぎ込んでいくから、時間がかかる。
その上、中はブラックホール的に底なしだし。
穴のあいたグラスっていうかザル。
注いでも注いでも満たされない器。

この時間、退屈なんだよね。
静かになっている兄さんを眺めるのも悪くないけど、飽きる。
本当に面倒。
なんかもっと効率化できないものかな。

うーん。
伝達率を上げる方法は、接触面を増やすとか、あとは媒介か。
一番手近な媒介は、血かな。
わざわざこのために怪我するのもやだな。

「あ」
「………え」

俺が声を上げると、兄さんは呆けた顔でうっすら目を開けて首を傾げる。
供給時の兄さんは警戒心とか反発心とかがなくなり、子供のようになる。

「兄さん、ちょっと口開けて」
「え」
「口開けて」
「あ」

だから、何も聞かずに素直に口を開けた。
俺は顔を寄せて、その口の中に舌を差し込む。
思ったより触れた唇の感触は柔らかかった。

「…んぅ!?」

目の前の黒い眼が、見開かれる。
歯を立てられないように顎を掴み、驚いて離れようとした腰を掴み引き留める。

「んー!!!んんー!!!」

兄さんの小さな舌が俺の舌を押し返そうとしている。
手と足をばたつかせて体を引き離そうとする。

面倒だなあ。
諌めるように強く舌を噛むと、びくりと体を震わせ堅くする。
抵抗が止んだ。
その隙に唾液を小さな口に流し込む。

「んー!!んっ、ぅ、くぅ」

最初嫌そうに眉を顰めて抵抗していたが、そのうち耐えきれずにこくりと喉を鳴らして飲み込む。
どろりと、今までの比ではない力が、兄さんの体に注ぎ込まれる。

あ、やっぱり、こっちのが効率いい。
今までが湧水ぐらいだとすると、今は蛇口を全開にした水道のように流れていく。
うわ、こっちの消耗も激しいな。

「……ん」

まだ俺の体を押し返そうと手に入っていた力が、ゆっくりと抜けていく。
眼の前の黒い瞳が、瞼の裏に消えていく。
顰め面が、穏やかに緩んでいく。
トランス状態に入ったようだ。
流し込まれる力を、静かに受け止めている。

息継ぎをしようと一回顔を離すと、シャツにひっかかっていた手がしがみつく。
必死に離れまいとしてすがりついてくる体に、驚く。

「やっ」

兄さんは自分から俺の口に吸いついてくる。
舌を伸ばし、俺の舌にからめ、唾液を呑み込む、

「ん」

上下する白い喉に、ぞくり、と、背筋に寒気に似た何かが走った。
シャツにしがみついて身を寄せてくる兄を支える。
細い体は、喜ぶようにますますぴったりとくっついてくる。
体から溢れて行く力も貪欲に受け止めようとしている。

いつもの供給より、はるかに短い時間で、兄さんの中が満たされる。
ゆっくりと体を離すと、今度は素直に従った。

ずるずると崩れ落ちるようにその場に倒れこむ。
俺の膝に頭を乗せて、目を閉じたまま満足そうに息をついた。

「………大丈夫?」
「うん………ありがと、天………」

素直な礼に軽く驚く。
いつもならいやいや与えられるその言葉は、心からのもののようだ。
穏やかな顔で、そのまま静かに体重を俺に預ける。
そのうち、呼吸が規則正しい寝息へと変わった。

「へー」

その子供のような寝顔を見ながら、小さく感嘆の声をあげた。



***




「変態!変態変態!」

起きた途端、これだ。
うるさいなあ。
膝まで貸してやってたのに、本当に恩知らず。
早いところゲームしたいんだけど。

「ただの儀式でしょ。過剰反応しすぎ」
「あ、あんなの、ちがうだろ!!」

顔を真っ赤にして怒鳴りこんでいる三兄。
面倒な人だ、本当に。

「な、あ、あんな、あんな………」

口元を押さえて、そのまま黙りこむ。
何を考えたんだか。
はあ、とため息をつくと、部屋のドアが勝手に開かれた。

「何を騒いでるんだ、また喧嘩か?」

様子を見にきた一矢兄さんだ。
喧嘩って、心外だ。
俺は兄さんと喧嘩した覚えは一度もない。
つっかかられているだけだ。

「供給のやり方が気に入らなかったみたい」

素直にそう告げると、一矢兄さんは首を傾げる。
そして俺と兄さんに視線を向ける。

「供給?」
「わーわーわーわー!なんでもない!なんでもないから一兄!」
「三薙?」

不思議そうに眼を丸くする長兄を、兄さんが慌てて部屋から追い出す。
一矢兄さんはされるがままに、俺の部屋から連れ出される。

「あ、ありがとな!天!それじゃな!」
「はーい、またね。次も今のでいくから」
「え!?」

俺の言葉に、兄さんが顔をひきつらせる。
けれど頭に血が上って怒鳴り付けるよりも、一矢兄さんの眼が気になったらしい。
口をぱくぱくとして何か言いたげにして、それでも部屋から出て行った。

「ふふ」

静かになった部屋に一人残されて、小さく笑う。
最後のあの顔は、面白かった。
金魚みたいだった。

次も今の方法でやろう。
あれなら呪も簡略化できるし、方陣もいらない。
力の伝達も大きいし、時間短縮。
なんて効率化。

「なにより兄さんが、大人しいしね」

三兄の焦りきった顔を思い浮かべ、俺は愉快な気持ちで机に向かった。





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