次の日になっても、佐々木の腕には蛇が巻きついていた。 いや、昨日よりもずっと強く巻きついてる気がする。 こんなの、絶対よくない。 「佐々木、そのさ、あのさ」 「何?」 「調子、悪くない?」 勇気を出して話しかけるが、佐々木は胡散臭そうに俺を見据えるだけ。 どう言ったらいいんだろう。 どう言ったら伝わるんだろう。 こんな時、一兄や双兄や天だったら、きっとうまく話せるだろうに。 「なんなの?」 「ご、ごめん」 もう、勝手に祓ってしまうしかないだろうか。 俺に、出来るだろうか。 そっと、その蛇に手を伸ばす。 「うわ!」 「つっ」 その瞬間、強い敵意を感じて、脳に直接響くような力を叩きつけられる。 思わず手を引いてしまうと、佐々木は恐怖と驚きに満ちた表情をで俺をじっと見ていた。 「………何、今の」 今の衝撃を、佐々木も感じたようだった。 俺から離れるように、一歩下がる。 「………近寄るな」 「ご、ごめん、でも」 「もう、お前、気持ち悪い!近寄んな!」 佐々木の言葉と、嫌悪の表情が、胸を突き刺す。 どうして、俺はこうなんだろう。 どうして、俺は上手く出来ないんだろう。 佐々木が俺に背を向けて逃げ出す。 「調子、悪かったら、言って!うちに来て!」 どうしたら、いいんだろう。 「三薙、なんか話があるらしいな。どうした」 家に帰ると、長兄が居間で俺を待っていてくれた。 部活のことを話そうと、伝言を頼んでいたのだ。 今はもう、部活どころじゃなくなっちゃったけど。 久々にゆっくりと見た穏やかな笑顔に、ほっとして泣きだしそうになってしまう。 「あの、あのね、あのさ、一兄」 「ん?」 部活は、もう駄目だろう。 佐々木は、もう俺にあんなに明るく笑いかけてくれないだろう。 友達には、なれないだろう。 でも、佐々木のことは、助けてあげたい。 「友達………、クラスの奴がさ、なんか、邪気に憑かれてて、危ないんだ。強くて、俺には、祓えなさそうで、でも、どうにかしたくて」 ソファに座る一兄の前に立って、整理が出来ないまま要領悪く、でもなんとか佐々木のことを伝えようとする。 話し終えると、辛抱強く聞いてくれていた一兄は厳しい表情でため息をついた。 「そういったものには近寄るなと言ってあっただろう」 「で、でも、心配なんだ。急に憑かれてて。これまで、そんなことなかったのに」 「憑かれるのは、本人の資質にも問題がある。全部に関わっていたらお前の身が持たない」 「一兄っ」 大体言われることは分かっていた。 自分の力で解決できないものを抱え込むな、危険なものには近寄るな。 散々言われてきた言葉だ。 弱くて自分の身すら守れない俺は、人を助けるなんてもってのほかだ。 「………一兄」 でも、今回はどうにかしたくて。 あの優しいクラスメイトに何かあるなんて、考えたくなくて。 一兄の前に座りこんで、その腕の袖を掴む。 「一兄!お願い!連れてくるから、祓って!お願い!なんでもするから!」 必死に頼み込む俺を、一兄がじっと見下ろしている。 優しくて大らかな兄。 でもその反面、厳しく甘えを許さない兄。 「………お願い、します」 なんでもするなんて言っても、俺には何も出来ない。 ただ、他力本願に願うことしか出来ない。 頭を下げてもう一度懇願すると、一兄が小さくため息ついた。 「………友達なんだな」 「………友達、じゃないけど、でも、いい奴なんだ。優しくしてくれた」 こんな俺に優しくしてくれた。 話しかけてくれた。 笑いかけてくれた。 嬉しかった。 好きだった。 友達になりたかった。 「分かった。連れてこい」 一兄が俺の頭をぽんと叩く。 その言葉にはじけるように顔を上げる。 「一兄!」 「まあ、友達を助けるくらいは先宮も許すだろう」 「あ、ありがと、ありがとう、一兄!」 一兄に飛びついて礼を言うと、一兄は苦笑して頭を撫でてくれた。 「………」 教室に入ると、いつもとなんだか空気が違った。 俺が入った途端、シンと静まり返る。 視線が集中したことを感じる。 「………っ」 嫌な空気。 教室内を見渡すと、皆慌てて視線を逸らす。 または、敵意を持って睨みつけている。 じわりと、手の平に汗を掻く。 助けを求めるように更に視線を巡らせると、今日絶対に話しかけようと思っていたクラスメイトがいた。 「………佐々木」 佐々木はじっと俺を睨みつけていた。 その右腕は、三角巾で吊り上げてある。 心臓が、ずきりと跳ね上がる。 「佐々木、それ、どうしたの!」 慌てて駆け寄ると、佐々木は更に忌々しそうに俺をにらみつけた。 そして右腕を俺の方に差し出す。 「これ、お前がやったの?」 「え」 佐々木の隣にいた小出が、佐々木を庇うように前を出る。 小出も俺を薄気味悪そうに見て、顔を歪めている。 「お前がオバケって、本当なんだな。佐々木に呪いかけたの?」 「え、そ、そんなことしてない!」 必死に首を横に振って否定するが、皆、俺を、気味悪そうに見ている。 佐々木も俺を睨んでいる。 その腕に巻かれた白い包帯が、とても痛々しい。 「さ、佐々木、大丈夫……?」 「気味悪いんだよ!近寄るなよ、化け物!」 佐々木が耐えきれなくなったように、叫ぶ。 教室内が、更に静まりかえる。 「あ………」 視線視線視線。 俺を、気持ち悪そうに見つめる、視線。 嫌悪、軽蔑、畏怖。 「………ご、ごめんっ」 耐えきれなくなって、その場から逃げ出した。 教室を飛び出して、登校してきた生徒たちの中を逆流して下駄箱に向かう。 「あれ、宮守?」 その中にいた藤吉が不思議そうに俺の名前を呼ぶ。 嫌悪のない朗らかな声に、思わず立ち止まってしまう。 「あ、ふ、藤吉」 「どったの?顔色悪い」 心配そうに首を傾げる眼鏡の少年の労わりが、ジワリと胸に染みる。 思わず、泣きだしてしまいそうだった。 でも、きっと、藤吉も、事情を知ったら俺をあの目で見るはずだ。 この後佐々木と話したら、俺を嫌悪感で睨みつけるはずだ。 「な、なんでもない。ごめん!」 そんなの想像したくなくて、もう一度走りだした。 結局そのまま、家に帰ってきてしまった。 学校をサボったから、家には連絡が行っているだろう。 怒られるだろうか。 でも、あの場にはいられなかった。 あの後、教室はどうなったのだろう。 「三薙、おかえり」 家には、一兄がいた。 玄関先で俺を迎えてくれた長兄は、優しく微笑んでいた。 絶対的な庇護者を見て、安堵に廊下に座り込みそうになる。 「三薙?」 一兄が少し首を傾げて、名前を呼ぶ。 その声が優しくて、嫌悪なんて含まれてなくて、ただ優しく響いて。 「どうして、俺、駄目なのかなあ」 堪え切れなくなって、感情が、溢れだした。 哀しくて哀しくて哀しくて、苦しい。 「なんで、こうなっちゃうのかな。どうして、人に迷惑かけちゃうんだろ」 結局何も為せなかった、虚脱感。 もう少しで手が届きそうだった、温かいもの。 全部自分のせいで失ってしまった、絶望感。 声が震えて、虚無感に胸が空っぽで、涙が溢れてくる。 「どうして、うまく、できないのかなあ」 これが一兄なら、双兄なら、天なら、きっとうまくやれた。 佐々木を怒らせることもなく、うまく説得して、祓って、怪我させることもなかった。 あんな風に、恐怖に満ちた目で見られることもなかった。 「どうして、嫌われちゃうのかなあ」 涙がぼろぼろと溢れてくる。 いつもいつもこうだ。 俺は何一つ上手く出来なくて、弱くて、愚図で、役立たずで、周りに迷惑をかけて、不幸を撒き散らす。 手を差し伸べてくれた人を傷つけて、嫌われてしまう。 「………三薙」 皆が俺を、気味悪そうに見る。 化け物だと言う。 恐怖から、遠ざける。 「俺、怪我なんて、させたくなかったよ。俺、化け物じゃ、ないよ」 化け物にすら、なれやしない。 だって俺は何もできない。 無力で、何一つできないんだ。 「一緒に部活、したかった。駄菓子屋行ったの、楽しかった」 優しくしてくれた。 笑ってくれた。 ラーメンの食べ方を教えてくれた。 部活に誘ってくれた。 仲間にいれてくれた。 嬉しかった嬉しかった嬉しかった。 「助けて、あげたかった………っ」 嫌われてもいい。 友達になれなくてもいい。 でも、怪我なんてさせたくなかった。 守ってあげたかった。 怖がられたくなかった。 「どうして、俺、駄目なの、かなあっ」 ふわりと、お香の匂いに包まれる。 頼もしく優しい腕が、俺を引き寄せ、抱きしめてくれる。 「お前は駄目なんかじゃない」 「う、くっ」 「お前は、少し不器用だけど、頑張ってる。自分を責めるな。俺はお前が人を思っていることを知っている。優しいことを知っている」 一兄の慰めは、嬉しい。 この腕の中は絶対的に安全で、何も怖いことなんてない。 でも、この腕から一歩出ると、俺は何も出来なくなる。 「でも、でも、皆、いなくなっちゃう!俺、皆に嫌われちゃう!」 「俺はお前が好きだ」 一兄が優しく背中を撫でてくれる。 ここは、俺を許してくれる。 何もかもを受け入れてくれる。 俺が存在することを許してくれる。 「………いち、にい」 いつまでも甘えていてはいけない。 外に出なければいけない。 この腕から、抜けださなければいけない。 「俺はお前の傍にいる。大丈夫だ」 でも、家の外は怖いことばかりで、痛いことばかりで、俺は失敗ばっかり。 俺は人を傷つけて、不幸を撒き散らして、泣くことしかできない。 誰を助けることも、守ることも、笑わせることも、出来ない。 無力で、役立たずだ。 「大丈夫だよ、三薙。いつかお前の傍にいてくれる人が出来る」 何ものからも傷つけられない温かな場所に、ただ閉じこもる。 ここにいれば大丈夫。 ここにいれば俺は傷つかない。 「俺はずっとお前の傍にいる」 もう傷つきたくない。 もう誰も傷つけたくない。 だから、この温かな殻の中に、もう少しだけいさせて。 |