次の日になっても、佐々木の腕には蛇が巻きついていた。
いや、昨日よりもずっと強く巻きついてる気がする。
こんなの、絶対よくない。

「佐々木、そのさ、あのさ」
「何?」
「調子、悪くない?」

勇気を出して話しかけるが、佐々木は胡散臭そうに俺を見据えるだけ。
どう言ったらいいんだろう。
どう言ったら伝わるんだろう。
こんな時、一兄や双兄や天だったら、きっとうまく話せるだろうに。

「なんなの?」
「ご、ごめん」

もう、勝手に祓ってしまうしかないだろうか。
俺に、出来るだろうか。
そっと、その蛇に手を伸ばす。

「うわ!」
「つっ」

その瞬間、強い敵意を感じて、脳に直接響くような力を叩きつけられる。
思わず手を引いてしまうと、佐々木は恐怖と驚きに満ちた表情をで俺をじっと見ていた。

「………何、今の」

今の衝撃を、佐々木も感じたようだった。
俺から離れるように、一歩下がる。

「………近寄るな」
「ご、ごめん、でも」
「もう、お前、気持ち悪い!近寄んな!」

佐々木の言葉と、嫌悪の表情が、胸を突き刺す。
どうして、俺はこうなんだろう。
どうして、俺は上手く出来ないんだろう。
佐々木が俺に背を向けて逃げ出す。

「調子、悪かったら、言って!うちに来て!」

どうしたら、いいんだろう。



***




「三薙、なんか話があるらしいな。どうした」

家に帰ると、長兄が居間で俺を待っていてくれた。
部活のことを話そうと、伝言を頼んでいたのだ。
今はもう、部活どころじゃなくなっちゃったけど。
久々にゆっくりと見た穏やかな笑顔に、ほっとして泣きだしそうになってしまう。

「あの、あのね、あのさ、一兄」
「ん?」

部活は、もう駄目だろう。
佐々木は、もう俺にあんなに明るく笑いかけてくれないだろう。
友達には、なれないだろう。
でも、佐々木のことは、助けてあげたい。

「友達………、クラスの奴がさ、なんか、邪気に憑かれてて、危ないんだ。強くて、俺には、祓えなさそうで、でも、どうにかしたくて」

ソファに座る一兄の前に立って、整理が出来ないまま要領悪く、でもなんとか佐々木のことを伝えようとする。
話し終えると、辛抱強く聞いてくれていた一兄は厳しい表情でため息をついた。

「そういったものには近寄るなと言ってあっただろう」
「で、でも、心配なんだ。急に憑かれてて。これまで、そんなことなかったのに」
「憑かれるのは、本人の資質にも問題がある。全部に関わっていたらお前の身が持たない」
「一兄っ」

大体言われることは分かっていた。
自分の力で解決できないものを抱え込むな、危険なものには近寄るな。
散々言われてきた言葉だ。
弱くて自分の身すら守れない俺は、人を助けるなんてもってのほかだ。

「………一兄」

でも、今回はどうにかしたくて。
あの優しいクラスメイトに何かあるなんて、考えたくなくて。
一兄の前に座りこんで、その腕の袖を掴む。

「一兄!お願い!連れてくるから、祓って!お願い!なんでもするから!」

必死に頼み込む俺を、一兄がじっと見下ろしている。
優しくて大らかな兄。
でもその反面、厳しく甘えを許さない兄。

「………お願い、します」

なんでもするなんて言っても、俺には何も出来ない。
ただ、他力本願に願うことしか出来ない。
頭を下げてもう一度懇願すると、一兄が小さくため息ついた。

「………友達なんだな」
「………友達、じゃないけど、でも、いい奴なんだ。優しくしてくれた」

こんな俺に優しくしてくれた。
話しかけてくれた。
笑いかけてくれた。
嬉しかった。
好きだった。
友達になりたかった。

「分かった。連れてこい」

一兄が俺の頭をぽんと叩く。
その言葉にはじけるように顔を上げる。

「一兄!」
「まあ、友達を助けるくらいは先宮も許すだろう」
「あ、ありがと、ありがとう、一兄!」

一兄に飛びついて礼を言うと、一兄は苦笑して頭を撫でてくれた。



***




「………」

教室に入ると、いつもとなんだか空気が違った。
俺が入った途端、シンと静まり返る。
視線が集中したことを感じる。

「………っ」

嫌な空気。
教室内を見渡すと、皆慌てて視線を逸らす。
または、敵意を持って睨みつけている。
じわりと、手の平に汗を掻く。
助けを求めるように更に視線を巡らせると、今日絶対に話しかけようと思っていたクラスメイトがいた。

「………佐々木」

佐々木はじっと俺を睨みつけていた。
その右腕は、三角巾で吊り上げてある。
心臓が、ずきりと跳ね上がる。

「佐々木、それ、どうしたの!」

慌てて駆け寄ると、佐々木は更に忌々しそうに俺をにらみつけた。
そして右腕を俺の方に差し出す。

「これ、お前がやったの?」
「え」

佐々木の隣にいた小出が、佐々木を庇うように前を出る。
小出も俺を薄気味悪そうに見て、顔を歪めている。

「お前がオバケって、本当なんだな。佐々木に呪いかけたの?」
「え、そ、そんなことしてない!」

必死に首を横に振って否定するが、皆、俺を、気味悪そうに見ている。
佐々木も俺を睨んでいる。
その腕に巻かれた白い包帯が、とても痛々しい。

「さ、佐々木、大丈夫……?」
「気味悪いんだよ!近寄るなよ、化け物!」

佐々木が耐えきれなくなったように、叫ぶ。
教室内が、更に静まりかえる。

「あ………」

視線視線視線。
俺を、気持ち悪そうに見つめる、視線。
嫌悪、軽蔑、畏怖。

「………ご、ごめんっ」

耐えきれなくなって、その場から逃げ出した。
教室を飛び出して、登校してきた生徒たちの中を逆流して下駄箱に向かう。

「あれ、宮守?」

その中にいた藤吉が不思議そうに俺の名前を呼ぶ。
嫌悪のない朗らかな声に、思わず立ち止まってしまう。

「あ、ふ、藤吉」
「どったの?顔色悪い」

心配そうに首を傾げる眼鏡の少年の労わりが、ジワリと胸に染みる。
思わず、泣きだしてしまいそうだった。
でも、きっと、藤吉も、事情を知ったら俺をあの目で見るはずだ。
この後佐々木と話したら、俺を嫌悪感で睨みつけるはずだ。

「な、なんでもない。ごめん!」

そんなの想像したくなくて、もう一度走りだした。



***




結局そのまま、家に帰ってきてしまった。
学校をサボったから、家には連絡が行っているだろう。
怒られるだろうか。
でも、あの場にはいられなかった。
あの後、教室はどうなったのだろう。

「三薙、おかえり」

家には、一兄がいた。
玄関先で俺を迎えてくれた長兄は、優しく微笑んでいた。
絶対的な庇護者を見て、安堵に廊下に座り込みそうになる。

「三薙?」

一兄が少し首を傾げて、名前を呼ぶ。
その声が優しくて、嫌悪なんて含まれてなくて、ただ優しく響いて。

「どうして、俺、駄目なのかなあ」

堪え切れなくなって、感情が、溢れだした。
哀しくて哀しくて哀しくて、苦しい。

「なんで、こうなっちゃうのかな。どうして、人に迷惑かけちゃうんだろ」

結局何も為せなかった、虚脱感。
もう少しで手が届きそうだった、温かいもの。
全部自分のせいで失ってしまった、絶望感。
声が震えて、虚無感に胸が空っぽで、涙が溢れてくる。

「どうして、うまく、できないのかなあ」

これが一兄なら、双兄なら、天なら、きっとうまくやれた。
佐々木を怒らせることもなく、うまく説得して、祓って、怪我させることもなかった。
あんな風に、恐怖に満ちた目で見られることもなかった。

「どうして、嫌われちゃうのかなあ」

涙がぼろぼろと溢れてくる。
いつもいつもこうだ。
俺は何一つ上手く出来なくて、弱くて、愚図で、役立たずで、周りに迷惑をかけて、不幸を撒き散らす。
手を差し伸べてくれた人を傷つけて、嫌われてしまう。

「………三薙」

皆が俺を、気味悪そうに見る。
化け物だと言う。
恐怖から、遠ざける。

「俺、怪我なんて、させたくなかったよ。俺、化け物じゃ、ないよ」

化け物にすら、なれやしない。
だって俺は何もできない。
無力で、何一つできないんだ。

「一緒に部活、したかった。駄菓子屋行ったの、楽しかった」

優しくしてくれた。
笑ってくれた。
ラーメンの食べ方を教えてくれた。
部活に誘ってくれた。
仲間にいれてくれた。
嬉しかった嬉しかった嬉しかった。

「助けて、あげたかった………っ」

嫌われてもいい。
友達になれなくてもいい。

でも、怪我なんてさせたくなかった。
守ってあげたかった。
怖がられたくなかった。

「どうして、俺、駄目なの、かなあっ」

ふわりと、お香の匂いに包まれる。
頼もしく優しい腕が、俺を引き寄せ、抱きしめてくれる。

「お前は駄目なんかじゃない」
「う、くっ」
「お前は、少し不器用だけど、頑張ってる。自分を責めるな。俺はお前が人を思っていることを知っている。優しいことを知っている」

一兄の慰めは、嬉しい。
この腕の中は絶対的に安全で、何も怖いことなんてない。
でも、この腕から一歩出ると、俺は何も出来なくなる。

「でも、でも、皆、いなくなっちゃう!俺、皆に嫌われちゃう!」
「俺はお前が好きだ」

一兄が優しく背中を撫でてくれる。
ここは、俺を許してくれる。
何もかもを受け入れてくれる。
俺が存在することを許してくれる。

「………いち、にい」

いつまでも甘えていてはいけない。
外に出なければいけない。
この腕から、抜けださなければいけない。

「俺はお前の傍にいる。大丈夫だ」

でも、家の外は怖いことばかりで、痛いことばかりで、俺は失敗ばっかり。
俺は人を傷つけて、不幸を撒き散らして、泣くことしかできない。
誰を助けることも、守ることも、笑わせることも、出来ない。
無力で、役立たずだ。

「大丈夫だよ、三薙。いつかお前の傍にいてくれる人が出来る」

何ものからも傷つけられない温かな場所に、ただ閉じこもる。
ここにいれば大丈夫。
ここにいれば俺は傷つかない。

「俺はずっとお前の傍にいる」

もう傷つきたくない。
もう誰も傷つけたくない。

だから、この温かな殻の中に、もう少しだけいさせて。






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