岡野の家に訪れた槇は、岡野家の少年におっとりと笑ってケーキ箱を手渡す。

「はい、竜君お土産」
「わー、何何、お菓子?」

手渡されたまだやんちゃ盛りの少年は、受け取りながら飛び上がって喜ぶ。
それを見て、槇は優しく目を細めた。

「そう、シュークリーム」
「チエさんが持ってきてくれるお菓子うまいから好き!ありがと、チエさん!」
「ふふ、どういたしまして」

ケーキ箱を両手に持って満面の笑みを見せる少年は、どこまでも無邪気で微笑ましい。
槇が穏やかに笑いながら首を傾げる。

「そういえば、いつからチエお姉ちゃんじゃなくなったの?」

質問に、竜は今度は急に大人びた表情になってそっぽを向く。

「だって、俺もうすぐ中学生だぜ。そんなの恥ずかしくって言えないよ」
「そっか。さんづけってなんか照れるなあ。竜君ももう中学生かあ。大人っぽくなったもんね」

まだ少年が幼稚園の頃から見ている槇は、その背伸びがとても可愛らしくて相好を崩す。
けれど少年の自尊心を傷つけないように褒めると、竜は鼻を膨らませて得意げに胸を張った。
そんな可愛い弟分を見送って、岡野の自室に入り、槇は親友を振り向く。

「かわいいねえ、竜君は」
「本人の前で言ったらキレるよ」
「分かってるから影で言う」
「相変わらずいい性格」

長年の付き合いの親友の言葉に、岡野は肩を竦める。
物腰はおっとり穏やかながら、槇の口から出る言葉は中々に辛辣だったりする。
けれど、そんなのは分かり切っているので岡野は特にそれ以上何も言わなかった。

「咲ちゃんは?」
「あいつ最近カレシ出来たとかで毎日遅い」
「先越されちゃったね」
「知るか」
「そういえばこの前宮守君がお見舞いに来たんでしょ?どうだった?」
「はあ!?」

折りたたみ式のテーブルを用意しようとしていた岡野が、素っ頓狂な声を上げる。
手にしたテーブルを取り落とさなかっただけ、マシだったかもしれない。

「どうって、どーもこーもしねーよ。あいつ、女が弱ってるところに見舞いに来るとか、本当に空気読めない」

岡野は一瞬止まった手を動かしながら、不機嫌そうに言い捨てる。
槇はその様子を見守りながら、にこにこと笑っている。

「そうだね」
「ホント、空気読めないし、すぐ泣くし、トロいし。ヘタレすぎ」

口を尖らせて忌々しそうにつぶやく岡野に、槇は苦笑してふっとため息をついた。

「彩も、ツンデレはほどほどにしないとねえ」
「なっ」

岡野が再度動きを止めて、槇を睨みつける。
テーブルの上に竜が用意してくれたお茶と、持ってきたシュークリームを広げながら槇は諭すように言う。

「彩のツンデレは私は微笑ましくて大好きなんだけどね」
「つ、ツンデレって、あんたまたそんな訳の分からないこと」
「いっつもツンツン冷たくしてて、実はそれは照れ隠しで、たまに素が出てデレデレってすることね」
「意味を聞いてるんじゃねーよ!」

頬を赤くして、怒鳴りつけるが、槇は全く堪えない。
岡野が本気で怒ってるかどうかなんて、すぐに分かる。

「彩のツンデレって、すっごくすっごく傍から見てたら分かりやすいんだけどね」
「だからあんた何言って」
「宮守君には、多分通じないなあ」
「………」

おっとりと言った槇の言葉に、岡野が口をつぐむ。
そして不機嫌そうにどっしりとテーブルの前に座りこんだ。
槇は岡野の分のシュークリームを差し出す。

「彩の言うとおり空気が読めないし、読む気もないし、ツンの裏にあるものを読み取れって言ったって、彼には無理な話だよね」

槇はお茶を飲みながら、困ったように笑う。

「鈍いってレベルじゃないよね。自分へ向けられた好意は、シャットアウトしちゃってる感じ。なんでだろ」
「こ、好意って」
「彩の気持ちが伝わる頃にはきっと二人とも老人になってるね」

岡野はまた口をつぐんで、不機嫌そうに頬を膨らます。
槇の前では、岡野はいつもよりずっと子供っぽく振る舞う。

「宮守君って、どうしてあんなに鈍いんだろ」
「………そういう奴なんだろ」
「うーん、確かに、何に関しても鈍いよね。育ち方の問題なのかな。育ちのいいお坊ちゃんだしなあ」

槇は不思議そうに独り言のように呟き首を傾げる。

「お兄さん達に猫かわいがりされてきたからかな」
「………あいつのブラコン異常だろ」
「それは確かに」

岡野の言葉に、槇はつい笑ってしまう。
会話に出てきている同級生の兄弟達との親密さは、あまりあの年頃で見るものではない。

「一矢さんと双馬さんと四天君の会話の登場率、半端ないしね」
「ていうかあいつ、兄弟の話以外、話すことないだろ」
「友達いないしねえ」
「暗いしね」
「なんでいないんだろ。そこまで変な性格でもないと思うんだけど。不思議」
「あいつのうじうじした性格が悪いんじゃない?」

シュークリームに乱暴に噛みつきながら吐き捨てる岡野に、槇は苦笑する。
そしてちょっと考えてから、そうだね、と頷いた。

「確かに宮守君はウジウジしてて、泣き虫で、ヘタレで、弱っちくて、見てて苛々するよね。暗いし」

槇もシュークリームを食べながら、岡野の意見に同意する。
すると岡野はやや慌てた様子で、身を乗り出す。

「で、でも、やる時はやるし、意外と決断力あるし、結構喧嘩とか強いし、あ、頭だっていいし、それに、いつだって泣いてるけど、諦めないし」

自分で言っていたくせに、今度はフォローするようなことを言う。
槇は噴き出してしまいそうになるのをこらえて、頷いた。

「そうだね、努力家のいい子だよね。彩はさすが、宮守君のことよく分かってるね」
「………」

すると岡野は顔を真っ赤にして、俯いた。
耳まで赤くして、黙ってお茶を啜る。
その様子を見て、槇はまたため息交じりに苦笑した。

「彩は、もうちょっと、ストレートにデレてみたら?宮守君が自然に気付くの待ってたら、化石になっちゃう」
「………老人通り越したな」
「だって、宮守君だし」
「………確かにな」

そこで槇と岡野は顔を見合わせて、どこか諦めたように笑った。



***




岡野と槇が教室に訪れると、宮守と藤吉が向かいあって何かをしていた。

「お、おはよう」

岡野がどこか緊張した様子で、挨拶をする。
宮守はそれに気付く様子はなく、嬉しそうな明るい笑顔を見せる。

「あ、おはよう、岡野、槇」
「おはよう、宮守君、藤吉君」
「おはよー、二人とも」
「二人とも何してるの?」

二人は向かい合い、机の上で手を握り合っていた。
変な光景に槇が聞くと、宮守は楽しそうに説明してくれる。

「今さ、誠司と腕相撲してたんだ」

岡野が槇の後で、呆れたようにぼそりとつぶやく。

「………なんで腕相撲」
「昨日、双兄とやってて、その話してたら、ついノリで」

また出てきた兄弟の名前に、岡野と槇は視線を合わせて少しだけ笑ってしまう。
宮守と藤吉はそんな女子二人の様子には気付かず、手を握り合ったまま何やら話しあっている。

「三薙強いんだよなー。俺結構自信あったのにな」
「誠司も強いよ。なんか手首使うのうまいよな」

ワイワイと楽しげに話している二人の横で、岡野がゴクリと唾を飲み込む。
宮守と藤吉に一歩近づいて、ぎこちなく笑う。

「み、宮守、結構強いもんね。喧嘩とかも、強いし」
「え、あ、あはは」

珍しくストレートに褒められて、宮守が照れた様子で頭を掻く。
槇がじっと見守る中、岡野は更に続ける。

「あんた、意外と、男らしいし」
「え、えっと」

宮守が顔を赤らめて、僅かに俯く。
そしてしどろもどろと、照れくさそうに言った。

「あ、あはは、でも俺、岡野とやったら負けちゃいそう。いや、岡野の方が絶対強い」
「………」
「岡野強いからなー」

岡野は笑顔を消し去り、顎を持ち上げ、宮守を見下す。

「あったりまえだろ。あんたみたいなヘタレなんかに負けるはずないだろ」
「あ、あはは、だよなー」

宮守は少し悲しげに、でも笑ってまた頭を掻く。
そんな二人を見つめて、槇は小さく首を傾げる。

「………やっぱり、化石コースかなあ」

意地っ張りで天の邪鬼な女の子と、ニブいってレベルじゃないほどに空気が読めない男の子の、意志の疎通が図れる日はいつになるのだろう。





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